満足度★★★★★
好き!
出張先で観劇。
壮大なドラマが目の前で繰り広げられ、ワクワクドキドキしながら見守っていたらあっという間に2時間半が経っていた!
秘密ってどれも切ない。
時間軸があちこちに飛ぶから、先のことを知っていたりするのがなんとも面白かった。
視覚的にも大いに楽しめたし、見ごたえありましたー!
満足度★★★★★
誰にでも秘密が…
笑い控え目。「わが闇」に近いかな。
物語は昼ドラ的な所があるけど、
めったにお目に掛かれないレベルの芝居だよなぁ。
イヌちゃんの実力を思い知らされました。
満足度★★★★★
壮大
当日券目当てで劇場へ行っても入れなかったりを繰り返し、遂に平日のナイロン100℃。ナイロンは11月の「ノーアート・ノーライフ」再演以来。ケラさんの作品は「龍を撫でた男」以来。
ナイロンの作品は長いので平日仕事の後に観るのはいろいろしんどい。内容に関係なく疲れで眠くなってしまうのだ。なので極力平日は避けていたのだが、今回は仕方がない。それくらい観たい作品だったのだ。で、観た。
・・・・・・・・素晴らしかった。3時間超えだったが全く眠くならず、とにかくグイグイ引き込まれる大河ドラマだった。演劇が持つ可能性を改めて感じさせられた。本を書いている時にケラさんがTwitter上で見せている苦しみの成果をとくと感じさせてもらえた。感謝感謝。
過ぎ去る時間によって増長させられる皮肉や運命のいたずらなど、直球ではないケラさんのナンセンスを堪能させてもらえた。満足満足。満足過ぎる。全てを見ている木の存在がたまらない。これからも見続けるのであろう。
峯村リエさん、大倉孝二さん、松永玲子さん、3人のシーン。何だかジーンときた。松永さんを観させてもらうのが久々だったというのもあるのだけれど、何だかナイロンの歴史を感じてジーン。もちろん犬山イヌコさんと峯村さんのシーンも。今江冬子さんは帰ってきてくれないのかな・・・
満足度★★★★★
森の思想
ケラさんの作品はとくに最近はほとんど見ているが、ここにきてまた高みに上るかと言うような傑作。素晴らしい。311以降のケラさんの思考の結晶ではないかと思った。タイトルも作劇も美術もそれを表している。外国の話のようになっているけれども「日本」を感じた。南方熊楠や梅原猛のいう「森の思想」。絶望でも希望でもないその先の物語。必見。
満足度★★★★★
謎が仕込んであるけれど、わかりやすい
面白かったです。3時間半という長いお芝居でしたが、全く眠くならずに観ることができました。
作品がとてもよくできているし、言うまでもなく役者さんも上手いです。
ナイロン100℃ の作品は初期のナンセンス・コメディ系しか観たことがなかったので、ケラさんはオリジナルでこういう作品も書くのかあ・・・と感心してしまいました。
気になっていたけれど一度もナイロン100℃を観たことがないという友人に付き合っての観劇でしたが「当たり」でした。
満足度★★★★★
素晴らしかった。
登場人物たちのキャラクター、物語、映像、すべての演出が素晴らしかった。ナイロンは好きでずっと見続けているが、今回の作品は中でも非常に好きだ。家族とか友情とか恋愛といった普遍的なテーマを、残酷に、無秩序に、滑稽に描き出すケラさんのセンスがすばらしすぎる。俳優陣は言うまでも無くよかったし、なんといってもあの舞台上で巻き起こるスタッフワークがハンパない。
満足度★★★★★
絵のような
とても美しかった。もちろんそれだけでないから面白く観ていられる。
安定した俳優とそれを信じている作家だから出来る世界。
長田奈央の狂言まわしにより、いつもより分かりやすい印象ではある。
映像は「我が闇」に似ていたのでそれほど驚かなかったが贅沢。
満足度★★★★★
ドラマチック!!
ええなぁ。
長さも気にならず、お腹いっぱいだけどもっと食べたいという感じ。
ケラさんのコメント「シリアス度高め」にしたとのことだけど、ケラさんの作品、笑いをぶち込み過ぎてついていけないときがあるので、自分としては笑いの分量、ちょうど良かった気がする。
満足度★★★★★
関係性がわかりやすい
でも、真実は判りにくい。というより謎。リピーター観劇。今回は客席が後方で映像とかすべて良く見えました。前方はそれなりにまた楽しみ方が違いましたが。相関図がきちんとできているので、時代が前後してもすごく受け入れやすい。
また、ラストは涙が出て止まらなかった。3時間30分があっという間に感じました。
満足度★★★★★
濃密な3時間半
ざっと100年の物語が行ったり来たりしながら語られるのですが、その順番が絶妙でした。
ティルダ12才の後、いきなり38才になったと思ったら、その次にはもう死んじゃってる。こんなに早く進んでいいの?と思ったらまた戻って、という流れの中で、伏線があり、秘密が生まれたり解き明かされたり。先の出来事を知っているから余計に切なく感じたり、と、すごく計算されたお芝居でした。
舞台は、回転することなく(笑)、庭と室内が同時に存在していて、場合によっては庭の人がいる目の前で前で室内の芝居が続けられるのですが、これまた違和感なく、別々の場所に見えるのがすごい。
最初から最後まで舞台の真中にどっしりと立つ楡の木、100年の秘密を呑み込んでいるさすがの存在感がありました。
役者さんたちもみんな魅力的で、場面によってその年齢にちゃんと見えるのも感動しました。
犬山イヌコさん、12才の少女も78才の老女もまったく違和感なかったです。すごい。
すごいすごいってばっかりでボキャブラリーなくて申し訳ないのですが、とにかく、すごいなあと思ったのでした。
観て良かったです。
思った以上に力を入れて観ていたみたいで、すごく面白かったのに、見終わった後は疲れました。まあ、100年の物語を3時間でみるのだから、仕方ないですよね。
濃密な時間をありがとうございました。
あっ、「たつことかつこ」でファンになっていた村岡希美さんも良かったです。カーテンコールでのお辞儀の仕方が接遇の講師のようでした。LOVE♪
満足度★★★★★
「わが闇」みたい
長かった。けどずっと引き込まれて、一瞬も眠気や退屈を感じなかった。
年をとったせいか、最近、こういう話にかなり弱くなった。人生のはかなさとむなしさ、無情さ。
ハッピーエンドの芝居ではありませんでしたが、見終わって、なぜか優しい気持ちになれる、良い芝居でした。
満足度★★★★
二人の女性の友情を彼女たちと家族の半生を通して描く。
犬山さんと峯村さんが演じる二人の女性の『友情』、二人だけの秘密。
時代を行き来して描かれる二人の半生。
エピソードは時間順ではなく、
観客に「見せる順番」「知る順番」を考えて、時にさかのぼったりする。
そして、予期せぬ結末。
満足度★★★★
百年の沈黙
ある一族と、その歴史を見つめ続ける楡の木の物語。
人は皆、誰にも言えない、あるいは言わずにいられない秘密(罪)を抱えて生きる。その秘密は自分の欲ゆえのものだが、欲や秘密や罪の重さに潰れそうな時、人びとは楡の木に心中の闇を見る。
子をひたすら甘やかして満足した有名な木もあるが、むかし、一族の子をオオカミから救ったという伝説の残るこの木は、しかし何も与えない。ただ、愚かな人間たちを見つめ続ける。人々は、誰にも言えない秘密を木に明かし、木に隠す。まるで告解のようである。主役二人の女は、ある秘密を抱えて死ぬが、それを明かすかどうかは、実は木に委ねて(丸投げ)いる。誰も、本当の意味で秘密(罪)を自分一人で抱えては死ねないのだろう。
主役二人の安定感は抜群。また「我が闇」で戦慄した映像演出も、今回は更に時を行き来する過程で、また木の神性表現するのに、それぞれ効果的に使われている。
静かにひっそりと一族に寄り添う闇に、畏れ慄く作品である。いつまでも余韻の残る作品である。
ただ、娘に冷たい父や、女好きの弁護士など、背景の見えないキャラクタもいて、手放しに「良かった」とも言えない。
満足度★★★★
みごとな骨格を持った、充実の舞台
長い舞台だがその長さを感じさせない、みごとな骨格を持った充実した舞台だ。
ケラリーノ・サンドロヴィッチの戯曲を、俳優たちのみごとな演技が密度高く表現していた。
詳細は、演劇感想サイト「福岡演劇の今」 http://f-e-now.ciao.jp/ に書いています。
満足度★★★★
世界樹の木の下で
木と話をする家族の物語である。
伝説、寓話の時代から、ドラマの中心に「無生物」が配置される物語は決して少なくない。たいていの場合、それは物語のテーマを象徴している。『白雪姫』の「鏡」は人間の欲望そのものの象徴ではなかったか。そして「木」とは、「生命」の象徴であり、全てを内包した「世界」そのものでもある。北欧神話では世界の中心には宇宙樹があり、聖書においてエデンにあったのは知恵と生命の二つの樹木であった。
ベイカー家の人々は、等しく、庭園の中心にある楡の木に執着する。その理由は、劇中、明確には語られない。語られないからこそ、それが不動の存在であり、「世界の中心」であることが明示されているとも言える。ベイカー家の興亡を「百年」見続けていたのもこの木だし、その「秘密」を抱き続けてきたのもこの木だった。しかし木は決してベイカー家の守護者であったわけではない。人間たちの生の営みも見てきたのと同時に、木はその死も、看過し続けてきた。過去も、現在も、未来も知り尽くしていながら、木は、人間たちに関与しようともせず、神のごとく沈黙し続けている。
我々観客はまさしく「木」と同じ視点で、ベイカー家の人々の動向を見せられて行く。早い段階で、彼らの「結末」は観客に提示され、時間が過去と現在を行ったり来たりするうちに、我々はそもそもの「秘密」の始まる「発端」へと誘導されていく。そして我々は気付かされるのである。
我々こそが「神」であることに。人類はなぜ「神」という概念を創造したのか。それは我々がまさしく「神」と同一の存在であったからなのだ。我々は、あの震災に対しても、今なお続く国家間の戦争や、人間の経験してきた全ての悲劇に対して、ひたすら「神」であり続けてきたのだ。
即ち「神」とは、世界の運命に対して、あの木のごとく「傍観者」であることしか出来ない我々の「無力」を象徴している存在なのである。ベイカー家の「悲劇」に責任を負っているのは、実は「我々」なのである。