楽園王20周年記念公演◎FINAL
楽園王20周年記念公演◎FINAL
実演鑑賞
上野ストアハウス(東京都)
2011/12/15 (木) ~ 2011/12/18 (日) 公演終了
上演時間:
公式サイト:
http://www.rakuenoh20.net/
期間 | 2011/12/15 (木) ~ 2011/12/18 (日) |
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劇場 | 上野ストアハウス |
出演 | 大畑麻衣子、小林奈保子、あべあゆみ(劇団再生)、本堂史子(カリバネボタン)、岩澤繭、川島むー(お茶祭り企画)、鈴木瑛貴、菅生衣里子、齊藤未央、政井卓実、松木円宏(ポムカンパニー)、植村せい、かやべせいこ(三日月バビロン)、ほか |
脚本 | 長堀博士 |
演出 | 長堀博士 |
料金(1枚あたり) |
2,500円 ~ 3,300円 【発売日】2011/11/08 予約/前売 2800円 当日 3300円 学生割引 2500円(要予約、観劇の際に学生証を提示) 半券割引 2500円(要予約、観劇の際に半券を提示) *本年11月以降のどんな劇団の観劇後の半券持参でも割引に。 早朝割引 2500円(要予約) *11日及び18日の朝10の回の割引料金。 |
公式/劇場サイト | ※正式な公演情報は公式サイトでご確認ください。 |
タイムテーブル | |
説明 | ●「仮病ガール」へのご案内にならないご案内: 千豆(ちまめ)の話。千豆は20年以上前、つまり楽園王を旗揚げする前に知り合いだった女の子だ。僕もまだ若く20代の前半だった。彼女は僕が台本を書くために通っていた喫茶店のウェイトレスだった。純喫茶「はな」。古くて寂れた店だけど、サイダーちびちびやって長居しても居心地が悪くならない、僕にとっては最適な喫茶店だった。昔はそんな店がたくさんあったけど、今ではあの辺りもスカイツリーに伴う再開発で様変わりしてしまった。僕の実家「三松旅館」も、あの頃は吾妻橋のあの辺りにあったのだ。ある時僕が、当時は手書きだった原稿を落としてばら撒いてしまったことがあった。その時千豆がそれを拾うのを手伝ってくれて、そして「字をいっぱい書く人なんですね」と言った。その時に僕がなんて返したのか覚えてないが、彼女は「私は絵をいっぱい描く人なんです」って言ったんだった。名前を聞いたのはその後しばらくして、彼女のアトリエに僕が訪ねていくことになった日のこと。名前を言った後に「今あなたが想像した字じゃないからね」ってすぐさま言うのは、その時の僕に対してだけじゃない、その後何度も聞くことになる千豆の自己紹介の枕詞みたいな台詞だ。「千の豆。いい名前でしょ」ってくっ付けるのもいつも同じ。千豆の絵は正直僕には分からなかった。例えば青一色で塗られたキャンバスなど、僕にはうまく解釈が難しいような思われた。ただ、なんか本気だってことだけは理解できた。例えばそれは絵の大きさだったり、塗りたくる激しさで伝わってきて、そういう本気さには僕もすごく影響を受けたと思う。僕たちはすぐに仲良くなった。でも残念なことに、知り合ってから千豆が姿を消す半年の間に、僕らは恋愛関係にはならなかった。幾つか理由があるのだが、千豆が遠くにフィアンセがいるの、って言ったのが一番大きい。詳しくは話してもらえなかったが、まあ、そういうのだから仕方がない。でも一度仲良くなると、千豆はしょっちゅう、時間とか関係なく僕を呼び出して僕を色々な場所に連れまわした。夜中であることも多かった。携帯電話もメールもない時代。ちょっと迷惑な時もあったが、基本僕は付き合った。感情の起伏が激しく、すごく喋り続ける日もあれば、ほとんど口も利かない暗い表情の時もあった。それらの理由も、実は今考えても分からない。あれだけ一緒にいた濃い一時を過ごして、考えてみれば僕は千豆のことがまったく分からない。ただ千豆の笑顔は好きだった。彼女の笑顔には、他人を安心させる効果があったように思う。僕は彼女が好きだった。彼女は突然姿を消した。ある日アトリエに行ってみたら誰もおらず、もうすべてを引き払った後だった。部屋には書置き一つなく、完全に何も残されていなかった。その時の喪失感は忘れられない。もう二度と千豆には会えないのか、と思うと涙が出てきて鳥肌が立って、熱まで出て寝込んだりもした。立ち直るのには時間がかかった。その後何年も経って、彼女の存在をモデルにお話を書いたことがある。「勿忘草」という名前の妖怪の話。「勿忘草」は人の記憶の中にしか生きられない、人に忘れられたら消えてしまう儚い妖怪。だから彼女はほんの短い間誰かと濃い時間を過ごし、しかし、しばらくすると姿を消す。なぜならその時の喪失感こそ、絶対に人から忘れられない、記憶にしか生きられない彼女の生命線だったから。…そんな物語を書いて、僕は少し千豆から卒業できたと思う。実際の彼女は、そりゃ妖怪などではなく普通の人間だったと思う。姿を消したのだって、きっと普通の理由があったに違いない。例えば借金とか親の引っ越しとか人間的な。でも、ま、そんなことはもうどうでもいい。先日、千豆から連絡があった。「日本に帰るから」と書いてあったので、つまり日本にはいなかったのだろう(笑い) 僕のアドレスはネットで簡単に見つかる。検索すればすぐ。劇団を二十年やってるってことは、つまりそういうことなんだ。音信不通の二十年ぶりの友人からも簡単に連絡が来るってこと。それ以上でもそれ以下でもない。ふーんって感じ。それは僕にとってはとても重要なことだ。千豆にまた会える。とても重要なこと。僕と同じ分だけ歳を重ねた彼女に。あるいは、もし千豆が「勿忘草」ならもしかしたら… などと想像しつつ、約束の飛行場まで、もうあと一か月を切ったところ。千豆の話。(長堀) ●「楽園王」とは? 劇作家だった長堀博士が自らの戯曲を自分の手で上演する場として1991年に旗上げした劇団。「エッシャーの絵の中に紛れ込んだよう」と称される迷路のような物語を上演し、好評を博してきた。その後10年を経て、長堀が第1回の「利賀演出家コンクール」に出場したことをきっかけとして長堀の演出家としての側面が強くなり、現在ではオリジナルの執筆作品にこだわらずに、古典戯曲や文学作品もレパートリーに加えている。長堀の演出作品は、声に出さないと意味を成さない文学として同質の「戯曲=詩」という考えから、独特の音読法によって、意味を伝えることを越えて「耳から入ってきて心地いい」喋り方の作品を上演してきている。その評価の表れとして、同コンクールには、その後第6回まで連続出場し、第5回の時にはイヨネスコ作「授業」の演出作にて優秀演出家賞を受賞している。また「Shizuoka春の芸術祭」への2度の招聘など、古典の演出家として仕事も多い。06年の創立15周年公演を境に、楽園王に+を加えた楽園王+として活動、単に公演を行うことを越えて俳優育成なども事業の柱に加えている。現在、創立20周年を迎え、やはりこれを境に「次の展開」を模索中。1991年当時の、ベルリンの壁崩壊やソ連の解体などの世界の大きな動きに対する「居ても立ってもいられない気持ち」に背中を押され劇団をスタートしたことを思い出し、近年の世界的な経済破たん、今年の東北大震災をきっかけとして変わり行く日本社会の価値観に、楽園王としてもムズムズとした発想の転換、活動の変更を迫られていると感じている。 |
その他注意事項 | ※1枚のチケットで、前週12月8日(木)~11日(日)に楽公演の、園王+劇団ING進行形◎共同制作「新・芸術とは・・・?」もご覧いただけます。もしお時間がありましたら、そちらのご予約もお願いいたします。その場合には、チケットの受け渡しは「新・芸術とは・・・?」になります。 |
スタッフ | 照明・南出良治 音響・齋藤留美子 舞台監督・田中新一 宣伝美術・小田善久 |
千豆(ちまめ)の話。千豆は20年以上前、つまり楽園王を旗揚げする前に知り合いだった女の子だ。僕もまだ若く20代の前半だった。彼女は僕が台本を書くために通っていた喫茶店のウェイトレスだった。純喫茶「はな」。古くて寂れた店だけど、サイダーちびちび...
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