深呼吸する惑星 公演情報 深呼吸する惑星」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.7
1-20件 / 32件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2012/01/15 (日)

    2012年1月15日、キャナルシティ劇場にて観劇。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    鑑賞日2011/12/25 (日)

    2011年12月25日、森ノ宮ピロティホールにて観劇。

  • 満足度★★★★

    自分の「ものさし」を持たない若者達に贈りたい演劇
     先日とあるテレビ番組で、新成人の悩みや質問に、人生経験
    豊富なコメンテーター達が答えるという企画をやっていた。
    最高学府T大生のA君は「将来自分が何をやりたいのか
    分からない」と言う。
     自分の行動や将来への指針となる確固とした
    「ものさし」を持っている若者なら20歳にもなれば、
    例え世の中が不安定でも、将来自分が歩むべき道を
    決める事が出来るだろう。
     が、A君のように「ものさし」を持っていない
    若者も多いように見受けられる。
     いや若者に限らず、いい歳した大人のくせに確固たる
    「ものさし」を持たず、人の意見や世の中の流れの変化に
    一喜一憂し、就職や結婚等の人生の大きな問題の前で
    右往左往する人もかなりいる。恥ずかしながら
    拙者もそんな大人の一人。「ものさし」の重要さに
    遅れ馳せながら気付いた。
     「ものさし」作りは若ければ若いほど良い。
    なぜなら歳をとってそれを持っていないと、人生の大きな
    問題に対し不安も対処する労力も大きくなってしまうから。
     その「ものさし」作りに大いに力を貸してくれるのが
    劇作家の鴻上尚史さんであり、彼の最新作が
    「深呼吸する惑星」というお芝居だ。
    このお芝居も「ものさし」作りには非常に役に立つ。

     拙者独自の分析だが、鴻上さんの作品の魅力は、
    現在という時代とそこに生きる人々の心の中を俯瞰でとらえ、
    社会と人々の心の中を蝕む問題を「笑い」をもって
    浮かび上がらせ、激しさと厳しさを合わせ持つ「優しさ」で
    その問題の解決に繋がるヒントを提示してくれる。
     あくまでもヒントまで。それが鴻上さんの優しさ。
    答えを観客に考えさせてくれる事で、より観客の
    想像力を刺激してくれる。それが「ものさし」作りの
    大きな力となる。このお芝居もこのような魅力満載の
    作品となっている。

     場面はお葬式から始る。故人の死因は自殺。作家志望の
    故人は生前ブログを書いていて、参列者から
    「死後そのブログはどうなるのだろう」という疑問がわく。
    そのブログには故人が書いた小説がいくつか掲載されており、
    参列者は死の直前に書かれた作品に目が留まる。
    物語は葬式から、故人の最後の作品へと場面が移る。
     その小説の舞台は、地球から遠く離れた惑星。登場人物は
    その惑星に住む人々と、その惑星を支配する地球人達。
     設定はSFだが、観客は直ぐにそれが今の日本の現状を
    置き換えたものだと気付く。役立たずの民主党政権、
    外交問題、差別、偏見、そして放射能・・。
    鴻上さんは、現在の日本が抱えている問題を
    観客に笑いをもって問いかけている。
    それらは故人が生前不安に思っていた事である。しかし、
    それらが自殺の原因ではない。
    物語が進むにつれ、登場人物の中に故人を投影した者が
    いるのに気付く。その人物の言動から、この
    小説は不特定多数の人ではなく、ある特定の人物達に
    宛てられたものだと分かってくる。そして何と
    その特定人物達とは、故人の自殺の原因を作った者達だと
    分かるである。という事は、小説の中に、その者達を
    投影した人物も登場しているのである。その者達は
    完全な悪人ではない。どんな人も直面してしまう
    悩みや苦しみに勝てなかった普通の人間なのだ。
     その小説からは故人がその者達に言えなかった言葉を
    何とかして届けたいという思いが痛いほど伝わってくる。
    何年経ってもいい、いつかその者達にこれを
    読んでもらいたい。そして、読んだ後こうしてもらいたい、
    と。まさに遺書だ。
     この小説を読んで、その者達が何を思い、何を行うのか?!
    それがこのお芝居の最大の問いなのだ。その者達とは、
    つまり今という時代を生きている私達そのものを投影しているのだ。
     その者達を投影した登場人物達は、答えを出しているが、
    それはあくまでも答えの一つの例で、ヒントにしか過ぎない。
    答えは何通りとある。
     現実では、このように答えが非常に難しい問題がいつ自分の
    身に襲い掛かってくるか分からない。親類や知人・専門家に
    助けを求めたとして、表面的な事は解決できても、深い部分・
    心理的な部分まで解決してくれる可能性はかなり低い。
     人の意見を聞き力を借りたとしても、最後は自分だけで
    問題の本質を解決しなければならない。そのためには
    「ものさし」が必要だ。小説の登場人物を自分に置き換えて、
    そもそも自殺される原因を作らないという確固たる「ものさし」、
    それとは正反対に、悩みや苦しみに負けた事を一生背負い続ける
    「ものさし」もあっていいと思う。「ものさし」は人の数だけある。
     その「ものさし」を最終的に作り上げるのは、親でも友でも
    先生でもマスコミでもネットでもなく、自分ただ
    一人だけなのだ、という大きなヒントを鴻上さんはこの作品でも
    掲示してくれたのである。

  • 満足度★★★★

    大変遅くなりました、、
    感想を書いてませんでしたすみません。ネタバレ欄にブログ記事の転載をします。

    ネタバレBOX

    10年間封印されていた第三舞台の封印解除にして解散公演。主宰の鴻上尚史さんの心境はもちろん想像できませんし、本当の気持ちなんて誰も理解できないのかもしれない。と、客入れで固い表情をしている鴻上さんを見て思いました。

    で、初めて観た第三舞台。感想は単純に。

    鴻上さんすごいな!!!!! 役者さん達もすごいな!!!!!!

    いつも虚構の劇団を拝見してますが、やっぱり一世を風靡したベテランは凄まじい、と。蜷川シェイクスピア「じゃじゃ馬馴らし」でも驚愕させられた筧利夫さんがダントツで凄かったです。これほど凄い役者さんがいるなら、鴻上さんも楽しいだろうな、劇団も安泰だろうな・・・なんて思ったけど。そんなに単純な話じゃないから休止&解散しちゃうってことですよね。。

    客席はもちろん往年のファンだらけで。どんな思いで解散公演を観てるのだろうと思うと、切なくなってキュンとしたりして。

    虚構の劇団が解散、なんて考えたこともないけれど。そのとき私は何を考えているのだろう、と。あ、でも今は考えなくていいですよね。
  • 満足度

    記念以上の意味はない
    ライブビューイングにて観劇。
    その為、前の人で見えない、音が聞き取れない、などの不満は全くなし。
    反面、当然ながら、舞台の空気を感じることはできなかった。

    作品のネタはありふれていてたいして面白くもない。
    他のカンパニーの舞台ならもっとうまい芝居ができる人も、下手な芝居を見せている。

    長年の記念。それ以上の意味を全く感じなかった。

  • 満足度★★★★★

    本年最後の観劇が最初で最後、最高の第三舞台だった!
    大晦日、横浜公演の千秋楽。
    チケット入手困難のための追加公演が、私も初のKAAT神奈川芸術劇場ホール。
    3列目!良かったー!
    目の前で筧さんたちの表情、演技を満喫できた。

    生第三舞台は、これが初、でも解散公演。
    最近の鴻上さんのホンらしく、『ネット遺産』などIT系の時事ネタを
    からめたファンタジー。珍しく、異星を舞台にしたSFもの。
    日米安保もちらちら顔を出す。
    しかし、芯にあるのは、友の死や友情と裏切りとノスタルジー。
    これも鴻上さんらしい。

    筧さんら、中年男女のダンスパフォーマンスも楽しく、
    みんながただ会話しているだけでも面白くて。

    「幻覚を破るための意味不明なアドリブ」、
    小須田大統領のアドリブ・ダンス、この時の筧さんのセリフ「踊りなめてる?」
    のセリフのイントネーションが、この回は絶妙で爆笑、大好きです。
    (このあと2度目の鑑賞の時では、イマイチのイントネーションだった。)
    長野さんの着ぐるみかもめダンスも可愛くて良かった!

    そしてつくづく思うのは、筧さんのセリフの多さ・しゃべりっぷりや、
    高橋さんの「アドリブを我慢できなくて素で笑ってしまった…」
    という体(てい)の自然な演技とかに感心しきり。

    また、高橋さん演じる「若さはじけていたころのハツラツな演技」
    に、初々しさを感じて泣いてしまう!
    クライマックス、異常な量の黄色い紙吹雪も見物でした。

    おまけに何と!KAAT千秋楽+大晦日サプライズか、
    元劇団員・勝村政信さんが飛び入り出演!いまひとつで微妙なアドリブも可笑しかった!

    KAAT千秋楽だったのでカーテンコールで舞台に上がった鴻上さんから
    1人ずつ紹介もあり、「ウコンのちから」大入り袋撒きもあり、大満足。

    第三舞台という"くくり"ではもう観れなくても、
    皆さんの芝居はまたどこかで観れるし、第三舞台の雰囲気は
    同じく鴻上さんの「虚構の劇団」にも受け継がれていくでしょうから
    今後はそちらで楽しみましょう。

  • 満足度★★★★

    最終ステージ
    いろいろあるけれども、最終ステージの場にいあわせたということ、その事実がもっとも大きな感想。
    ほんとうに、おつかれさまでした。

    ネタバレBOX

    最後のステージにいあわせなかった長年このカンパニーをウォッチした方へ、少しの申し訳なさを感じる。
  • 満足度

    残骸の底から
     第三舞台は80年代後半から90年代にかけて、演劇界において確かに天下を取った。しかし、第三舞台とは何だったのか、演劇界におけるその功罪は、と考えた時、罪の方がはるかに大きかったと判断せざるを得ない。未成熟なアダルトチルドレンの自己肯定(=甘え)を、それらしい社会的なテーマやキワモノ的なガジェットで粉飾して、傷つきぶりっこな観客に媚を売ってきた、結局はそれが第三舞台の正体ではなかったのか。
     90年代後半当りから、鴻上尚史の舞台に失望させられることが多くなっても、それでも先入観は捨てようと思って観劇した。だから冒頭のキレのよい“いつもの”ダンスパフォーマンスには、懐かしさも含めて好意的に観始めることができたのだ。しかし、期待感はすぐに失速する。陳腐で幼稚な物語、学生演劇特有の間を無視したデタラメな演技、ぐちゃぐちゃな場面転換、虚仮威しの照明、既製作品及び自分たちの過去作からのパクリ寸前の引用と、「演劇がやってはいけない」ことのオンパレード。
     しかし、かつて彼らと「同世代」だった我々が応援していたのは、そのデタラメさゆえにであった。新劇などの既製作品にない爆発的なエネルギーだったのだ。だから「これは本当はもの凄く下手くそでつまらないのではないか」と感じつつも、あえて旗を振ってきたのだ。しかしデタラメは結局デタラメでしかない。そのことに観客は次第に気付いていく。この20年あまりで、第三舞台のメッキはすっかり剥げてしまった。元のファンの多くは自らの不明を恥じつつ、彼らのステージから離れた。
     「時代の寵児」でしかなかったことを痛感しているのは鴻上尚史自身であろう。第三舞台から産み出される新しいものはもう何もない。第三舞台は変わらない。変わり続けもしなかった。解散公演は、みっともなくモダモダと愚作を発表し続けてきた鴻上の、最後の潔さだと言えるだろう。

    ネタバレBOX

     舞台となる惑星の名前が「アルテア」と聞いて、なんだ『禁断の惑星』のパクリかとガッカリしてしまった。「人間の意識が具現化する」という設定も全く同じ。もっともこれはSF作品にはよく見られる設定ではある。しかし既製作品のアイデアを借りるのであれば、そこに独自のアレンジを加えるのが作家としての矜持だろう。鴻上尚史にはそれがない。
     同じアイデアを元にしていても、フレドリック・ブラウン『プラセット』はスラップスティック・ギャグとして昇華させていたし、スタニスワフ・レム『ソラリスの陽の下に』は哲学的深淵まで覗かせてくれていた。梶尾真治『黄泉がえり』はリリカルSFの一つの完成形を見せてくれもした。『深呼吸する惑星』は先行作のどれと比べてもはるかに劣っている。

     鴻上尚史がSFファンであることは、これまでの作品に「引用」されてきたキーワードから容易に理解できることであった。それこそ藤子・F・不二雄『ドラえもん』からフィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』、ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』あたりまで、幅広い読書量を誇っている。『ドラえもん』に至っては、自身で舞台化までしたほどの入れ込みようだ。
     しかしそれらのSFガジェットは、戯曲自体のテーマと殆ど絡むことなく、単に「自分が好きだから作品に引用してみました」程度の意味しか持ってはいなかった。それはそうだろう。それ以上にSFの提唱するテーマを自らのものとして内省し、作品として昇華させる能力が鴻上にはなかったからである。
     柴幸男『わが星』が岸田戯曲賞を受賞した時、選考委員の中で鴻上だけが唯一「ワイルダー『わが町』のままではないのか」と受賞に反対した。しかし、鴻上がこれまで何をしてきたかを熟知している者には、彼の発言の裏が容易に理解できるはずである。『わが星』は確かにワイルダーやブラッドベリ『火星年代記』をベースにしてはいるが、その上に幾重にも柴自身のオリジナルアイデアを積み重ねている。鴻上の「引用」にはそれがない。鴻上は自らの劣等感から、柴に嫉妬したのだ。

     もともと、自作に好きな作品をこれでもかというほどに引用しパロディ化する手法は、80年代、吾妻ひでおやいしかわじゅんら「ニューウェーブ」の漫画家たちが好んで行っていた手法だ。文学畑では栗本薫が評論『文学の輪郭』や『エーリアン殺人事件』でそれを試みていたのだが、鴻上は演劇でそれを大々的にやって見せた。それだけのことである。
     ところが演劇界の人間は、昔から文学方面にこそ眼を向けてはいたが(稚拙な文学コンプレックスゆえであるが)、漫画やSF、それらを含めたサブカルチャーの動きにはとんと疎かった。だから「鴻上尚史が新しく見えた」のである。単なる模倣に過ぎない底の浅さに気がつかなかったのだ。
     『テアトロ』2月号では、小山内伸が『第三舞台、「深呼吸する惑星」までの30年』と題して、その活動を包括し賞賛している。しかし、そこで小山内氏が指摘する第三舞台の三つの特徴、「複数の世界を並行してゲーム的に描く」「一人の役者が状況に応じて即興的に別の役に早変わりしたりする入れ子構造」「日常や社会を戯画化する一方で、物語は虚実の反転を繰り返して核や深層に到達せず、あくまで状況をオータナティブに示す」などは、全て、“漫画の中で吾妻ひでおがとっくにやっていた”ことなのだった。

     それでも鴻上尚史と同世代である我々は、彼とそして第三舞台を支持した。その「罪」は、結果的に、小劇場演劇に安易な笑いとベタな人情話を浸透させる結果となってしまった。
     更なる第三舞台エピゴーネン、たとえば演劇集団キャラメルボックスや劇団☆新感線、ヨーロッパ企画といった劇団に至る、「演劇って、この程度でいいんだ」という「極めて低いライン」を産み出してしまったのだ。
     鴻上は、『深呼吸する惑星』のパンフレットの角田光代との対談で、「阪神淡路大震災以後、観客が難解な作品を拒むようになった」と発言している。確かに、ここ20年ほどの観客の低レベル化は私も実感していることではあるが、その原因を震災による人々の現実逃避に求めるのは短絡的に過ぎるだろう。アニメーションの世界などでは、むしろ95年以降では難解な作品が増えているくらいで、それはもちろん大震災と同じ年の『新世紀エヴァンゲリオン』の影響下にある。『エヴァ』を自作中に引用したこともある鴻上なら、その事実に気付いていないはずはない。観客が幼稚化したのは、鴻上の芝居が難解でも何でもなく、もともと幼稚だったためで、マトモな観客が呆れて次第に離れていったのは当然の結果だったと言えるだろう。言葉を装飾して小難しく見せかけたところで、所詮、「虚仮威し」は見透かされてしまうのである。
     鴻上の『朝日のような夕日をつれて'97』に、象徴的なシーンがある。既成の演劇を登場人物たちがマネをしてからかうシーンだが、「新劇病」「ミュージカル病」「小劇場病」などに続いて、平田オリザの現代口語演劇を「イギリス静かな演劇病」と称して演じてみせるのだ。皮肉なことに、これが役者たちの演技力が一番発揮されていて面白かったのだ。それまでの絶叫型演技が覆され、役者たちが接近し、普段の口調で喋るのだが、緊張感は倍増ししている。鴻上は平田オリザをからかったつもりで、自らの演出が平田の足元にも及ばないことを露呈してしまっていたのだった。

     90年代後半からの鴻上の凋落は、目も当てられないほどであった。
     熱狂的なファンでも、鴻上が映画畑に進出した『ジュリエット・ゲーム』や『青空に一番近い場所』の惨憺たる出来に茫然とした。90年代に入る頃から、「鴻上尚史って、実はただの馬鹿だったんだ」ということに気がついて、去っていった者が少なくなかったと思う。近作『恋愛戯曲』に至っては、映画、演劇界の双方で酷評ないしは黙殺と言った状況になってしまっている。

     私が、それでも「何か引っかかるもの」を感じて、鴻上作品を追いかけてきたのは、鴻上作品の底流にある“喪失感“、この正体は何なのだろうと気にかかっていたからだ。寡聞にして、私は商業演劇化する以前の、早稲田大学時代の第三舞台を知らなかった。旗揚げメンバーの一人、岩谷真哉が事故死していた事実を知らなかった。それを知ったのは、10年前の活動封印作『ファントム・ペイン』を観劇したあと、戯曲の後書きを読んだ時だった。
     鴻上の劇作の多くに、「失われた友」の影が、形を変え、さながら変奏曲を奏でるように描かれていく。『深呼吸する惑星』でも、冒頭は「葬儀」のシーンで始まり、放置されたままのブログ内の小説の話が語られ、そして幻想惑星アルテアで、神崎(筧利夫)は死んだ友(高橋一生)に出会う。それは確かに『ソラリス』からの引用ではあるが、同時に自作『天使は瞳を閉じて』や『トランス』などの変奏曲でもあるのだ。
     第三舞台にいる限り、鴻上は、帰ってこない友への思いから逃れることはできなかった。その「進歩の無さ」を、進歩がないゆえに批判することは簡単である。しかし、進歩ならざることがまさしく鴻上の「人間性」なのだ。理性として、鴻上作品が駄作のオンパレードであることはもっと指弾されなければならないだろう。しかし「情」においては、それはまた別の問題なのである。
  • 満足度★★★★★

     2度目の観劇で、本当に最後。はじけぶりは大晦日が上。アドリブの違いを大いに楽しむ!
    2度目の観劇で、本当に最後。はじけぶりは大晦日が上。アドリブの違いを大いに楽しむ!
    2度目になると、「幻覚を破る意味不明なアドリブ」や、
    小須田大統領のアドリブ・ダンス(踊りなめてる?)の違いを大いに楽しんだ。

    そしてつくづく思うのは、筧さんのセリフの多さ・しゃべりっぷりや、
    高橋さんの「アドリブを我慢できなくて素で笑ってしまった…」
    という体(てい)の自然な演技とかに感心しきり。

    もちろん、長野さんの着ぐるみかもめダンスも可愛くて
    微笑ましくて楽しい!
    また、高橋さん演じる「若さはじけていたころのハツラツな演技」
    に、初々しさを感じて泣いてしまう!
    クライマックス、異常な量の黄色い紙吹雪も見物でした。

    第三舞台という"くくり"ではもう観れなくても、
    皆さんの芝居はまたどこかで観れるし、第三舞台の雰囲気は
    同じく鴻上さんの「虚構の劇団」にも受け継がれていくでしょうから
    今後はそちらで楽しみましょう。

    こんどは「虚構の劇団」に筧さんが客演する爆笑コメディとか
    観てみたいなぁ…。

  • 満足度★★★

    ライブビューイングでしたが
    解散・千秋楽のライブ感は伝わりました。過去を見ていた方達の温かい拍手とかねぇ、舞台内容は優しくもちょっとユルイ話なので物凄いモノを見た!という作品ではありませんが、最後を見れた事に価値があったと思います。ブログの感想も体した事かけませんでしたし・・・

  • 止まない決まっているさ。
    もー
    手拍子がね。
    「緞帳あけたるでー!!」な意気込みがね。
    「もいっかい、出てきてもらうでー!!」な欲張りさんがね。
    解散公演の大千秋楽なのに、場内大爆笑で締めくくる。
    感極まって泣いている人も笑っている。

    どんなに辛いときでも、人間には娯楽が必要なのだと、改めて思った。

    カメラが入ってる事なんか忘れて友人と爆笑しながら役者陣とハイタッチ。
    楽しい思い出をありがとうございました。

  • 満足度★★★★★

    最初で最後
    もっと早くに見ておくのだったというのが素直な感想。
    こんなにインパクトのある舞台はイキウメ、キャラメルボックス以来。
    それも飽くまで私の個人的感想です。
    しょっぱなからのダンスというかあの動きは一気に物語に引きずり込んでくれる。
    見れてよかった。観れて幸せだった。

    ネタバレBOX

    入口にいた鴻上さんは思ったより小柄で普通の人だった。
    本は何冊か読ませていただいていたけど、本通りの優しい感じの
    演劇人でした。
  • プライスレス!最初で最後の第三舞台観劇!
    個人的には、非常に楽しめた!
    横浜の映画館で千秋楽を鑑賞。
    公演後、鴻上尚史氏から出演者全員の紹介があった。
    やっぱり千秋楽らしく、映画館でありながら拍手が沸いた。
    私は第三舞台観劇は初めてであったが、会場全体の高揚感から一緒に楽しめた!
    最初で最後の舞台なので、満足度の評価はしない。

    ネタバレBOX

    最後、映像で第三舞台の全公演名、第三舞台を作った人の名前が全員流れた。そして最後に「and you」という文字が。
    それを見て、隣の席の年配の女性が泣いていた。
    最後の舞台、観劇して良かった。
  • 満足度★★★★★

    大千秋楽 パブリックビューイング
    おおさか難波の映画館での観劇。衛星中継ということで見に来る人どれくらいいるかなと思いましたが満員でした。

    今回の公演、思い入れのまったくない人には物足りないものだろうと思います。ただ、思い入れのある人、とくに80年代からの、劇団と一緒に歳を重ねた人にとっては最高の舞台だったのでは。私はここ3年ほどの浅いファンですが、それでも解散公演として最高だった、これ以外にはないのではと思いました。

    鴻上さんの言葉、自分にとっては突き刺さるものが多いです。今年、鴻上さんの舞台に大高さんが出られるように、解散ですがまた鴻上さんの舞台に第三舞台出身の方が出られることを願っています。

    第三舞台、ありがとうございました。

    ネタバレBOX

    開演前。スクリーンの向こうに会場の最後列に立つ、ノートを持った鴻上さんが。今観ている人はツイッターでメッセージくださいとのこと。ツイートのあった場所を鴻上さんがノートに書いてくれます。全国で観ている人がいるのってあらためてすごいなと思いました。
    すべての公演が終わり、カーテンコール、鴻上さんによる役者紹介とあいさつも終わり、最後はスクリーンにエンドロール。第三舞台を作った(関わった)役者・スタッフの全員の名前が流れて行き、最後に「and you」。
    全員が一体となった公演だったと思います。
    でもそれでも鳴り続ける拍手に、最後は大高さんと鴻上さんが出てきて、「次に進むために終わることが大事」と。
    本当に良かった。中継がすべて終わった後、なんばの会場にも暖かい拍手がおこりました。
  • 満足度★★★★

    僕たちの青春の一つだった人たちの、青春、の終わり。
    と、誰かさんが言った。
    まさにその通りの。

    オープニングでもカーテンコールでもちょっと泣けちゃったね。
    皆んな年取ったな、とも思ったけど、キレは多少減っても「普通の人達」が見せ方動き方であれだけカッコイイんだよね。残念だったのは切れよりむしろ声量だったかもね。

    小須田さんは「それは建前であんたの本心じゃないだろう!」と言うツッコミを受けて「いや、それでも一周してこれこそが望む道への答えなのだ」的なことを言う演技の説得力が重くて、鴻上作品にはやっぱ欠かせない役者だよね、多分。

    行けて良かったよ、ライブビューイングも行くよ。
    今、僕の机の上には、僕の上に降ってきた紙吹雪のひと塊があります。
    しばらく見つめてはによによします。

    ネタバレBOX

    以下ライブビューイングの感想。
    ・「長いな」と思ってた暗転がそれほど気にならず、福岡はサンシャインより狭く、紀伊国屋に近いのかな、で舞台転換が早いのかな、と。ハッシャ・バイの時に鴻上さんは「(舞台である)美しい砂浜を表現するのにはサンシャインの広さが相応しい。紀国屋では狭い。」と言ってたけど、この芝居はサンシャインでは広かったのかも。
    ・おかげで芝居の「疾走感」が少し戻ったかな。
    ・カーテンコールの大高さん「嵐でも堂本光一君でもなく、第三舞台を見に来てくれてありがとう。」いいですね。
  • 満足度★★★★

    東京千秋楽
    第三舞台を生で観劇するのはこれで最後。
    さすがに5回目となると自分の頭の中でストーリーが先に進行してしまい、純粋な観劇はできませんでした。
    でも観に行って良かったです。

    今は感謝の気持ちと、第三舞台所属だった皆さんのご活躍をお祈りしております。

    ネタバレBOX

    今日は前から10列目位で、右端の席だったため、どうしても表情が見えないところが多く残念でした。大阪で観た10列目の真ん中あたりが一番良い席でした。
    ただ、その代わりに、大高さんが投げた大入り袋をゲットできました。宝物として大事にします(中身はウコンのちから)。

    あと、伊藤さんが映像だけでなく舞台にも上がられたところに立ち会えたのも良かったです。
  • 満足度★★★

    ふ~~~ん
    この劇団を観るのが最初で最後になるので
    今回のアレンジが平均的なレベルなのかどうか
    良くわかりませんけど、
    今回観たものを演劇的に純粋に見れば、暗転がやたらと多くテンポが悪い、
    セリフに対する感情の盛り込みがイマイチ不足だったのを感じました。

    それと、これで解散なのだから、終演後に出演者や鴻上から挨拶の一つでも欲しかったところですが何も無し。

    拍子抜けってカンジですね。

  • 満足度★★★★

    終わりなんだ
    私が初めて自分でチケットを買って観た舞台が第三舞台でした。
    第三舞台の歴史のなかではほんの少しですが、数回観劇しました。
    その全てが紀伊國屋ホールだったので、そこで観たかったですがチケットがとれなかったので仕方がない…。

    ネタバレBOX

    最初の客入れの音楽から泣きそうになりました。
    序盤は暗転が多かったために、途中で寝るんじゃないかと心配しましたが、20年前を思い出させてくれるような、役者さんたちのおかげで引き込まれました。
    これが初見だと、作品としてイロイロ言いたいこともあるでしょうが、あの時代のファンにしてみれば、観たいものをみんな盛り込んでくれた舞台でした。
    群読がないのは残念でしたが…。
    シーン、シーンにさよならが込められていて、ああ、終わりなんだなと納得しました。
    サプライズで私の一番好きな勝村政信さんが登場してくれたので、余計に第三舞台の最後を受け止められたのかもしれません。
    この劇団がなかったら、私は舞台に立つことはありませんでした。
    ありがとうございました。
    今後の個々でのご活躍を期待します。
  • 満足度★★★

    初見
    これを30年前に見せられたらファンになったと思う。
    往年のファンには嬉しいだろう演出も自分には良く分からず距離感があった。
    これで解散ということだが、役目を終えたのかもしれない。

  • 満足度★★

    期待し過ぎました
    80年代に大人気で、2001年に活動を封印した劇団の封印解除&解散公演で、最盛期の頃はまだ幼くて観る機会がなく、今回初めて観ました。古臭さを感じるのは敢えてそうしたのかも知れませんが、過去の経歴から(勝手ながらにも)期待していたレベルに全然達していませんでした。

    地球と友好関係を持っているある惑星を舞台にした、映画『惑星ソラリス』を思わせるSF的設定の物語で、現代の日本を皮肉るネタやベタなギャグ、劇団自体について言及する様なエピソードを織り混ぜながら、死んでいなくなった人との関係を描いていました。
    現代の日本とアメリカの関係を思わせる場面等、政治的なトピックも触れられていましたが、あまり深く掘り下げられずに描かれているので、ただ「社会的なことも考えていますよ」というポーズを取っている様にしか見えず残念でした。

    役者達は流石ベテランと思わせる場面もありましたが、会話のやり取りの間が良くなくて、ただ決められている通りに台詞を喋っているだけに見える箇所も多く気になりました(特に男性陣)。
    終盤の映像を用いた演出は効果的でしたが、それ以外の美術や照明、衣装等の視覚的表現は劇場のサイズに合ってなくて貧相に感じました。

    オープニングのダンス、BGMの使い方、ギャグの多用等、個人的に苦手なタイプの作品でしたが、今回の作品がこの劇団が活動していた当時と同じ作風であるのならば、その様なスタイルの源流として今でも若い劇団に影響を与えていることに凄さを感じました。

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