現代能楽集Ⅵ 『奇ッ怪 其ノ弐』 公演情報 現代能楽集Ⅵ 『奇ッ怪 其ノ弐』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
1-20件 / 22件中
  • 満足度★★★★★

    読売演劇大賞
     昨年は前川知大の年であったと言ってもいいのではないか、というくらいに彼の活躍が中央から遠く離れた福岡でも観ることができた。
     『抜け穴の会議室~Room No.002~』『散歩する侵略者』『現代能楽集Ⅵ 奇ッ怪其ノ弐』の3作が立て続けに上演され、そのどれもが演劇によってしか表現できないいくつもの「仕掛け」によって、劇場を異空間へと誘っていた。
     それは、具体的には象徴的な舞台美術であり照明であり、もちろん前川戯曲そのものが常に「SF」である点に起因しているのだけれども、特に『奇ッ怪 其の弐』は、能舞台をイメージした舞台上舞台を設置し、俳優たちには、夢幻能を思わせる緩慢な演技と、日常的な演技とを演じ分けさせることによって、まさしく虚実皮膜の世界を構築していた点において3作中、白眉であった。これまでの読売演劇大賞作品には、どうかなと首を傾げたくなる作品もあったが、今回は多くの人に支持される受賞であったろう。
     残念なことに、もう一つの新作『太陽』は、福岡まで来ることがなかった。リチャード・マシスンや藤子・F・不二雄に触発されて書かれた作品であることを、前川氏自身が語っているので、今後、福岡での再演の機会があるならば、何を置いても観たいと思う。

    ネタバレBOX

     何十年ぶりかで故郷の村に帰省してきた矢口(山内圭哉)は、実家の神社がすっかり廃墟となっている様子に茫然とする。そこに住みついているという山田という男(仲村トオル)に、矢口は「奇妙な話」をいくつか聞かされることになる。

     荒れ果てた寒村、そこで来訪者が出会う死の影を漂わせる人々、出だしはまるでエドガー・ポー『アッシャー家の崩壊』だが、「現代能楽集」シリーズとして判断した場合、発想の元となったのは夢幻能『求塚』だろう。
     菟名日処女(うないおとめ)が自らの「生前」を旅の僧に聞かせたように、山田ももちろん「死者」なのである。そして彼の語る物語も、さらに来訪してきた役人の橋本(池田成志)や曽我(小松和重)の「物語」も、彼らの「生前」の「執念」が凝り固まって、この村の底によどむように、「来訪者」の前で繰り返し繰り返し、語られていくのである。
     それぞれのエピソードは特に繋がりはない。まるで夏目漱石『夢十夜』のように、独立した現代社会の奇談として語られる。しかしそれらはやがて、この村を襲った災厄の物語へと次第に収束されていく。
     それはまるで菟名日処女(うないおとめ)を取り合った二人の男にもスポットを当ててエピソードを重層化させたような、「『求塚』の複数化」といった趣である。

     しかし同時に、『奇ッ怪 其の弐』はある“二つの”作品との極めて酷似した構造を持っている。それに気がついたのは、曽我や橋本が、「自分が死者であることに気がついていない」のに対して、山田は「自分が死者であり、そのことを『物語る』ためにここにいる」という「自覚」を持っていることが示された時だ。
     曽我や橋本は、彼らの「物語」の中で、何通りもの「役」を演じる。他の役者も同様だ。だがその役を演じている間は“その役になりきっていて”、自分が“与えられた役を演じているだけ”だとは自覚していない。しかし山田は違う。彼はこの物語のただ一人の「演出家」だ。
     前川知大が生粋のSFファンであることは、その作品傾向からしても自ずと知れる。意識とその具現化はSFの重要なモチーフだが、その枠をファンタジーやアニメーションのカテゴリーにまで広げると、特に共通項のある2作が浮かび上がってくるのだ。一つは「夢幻」の中における「死者と創造主」の物語、C.S.ルイス『ナルニア国物語』であり、もう一つは「夢幻」の中における「俳優と演出家」の物語、押井守『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』である。即ち「山田」は「アスラン」であり「夢邪鬼」なのだ(これに藤子・F・不二雄『モジャ公』のエピソード「天国よいとこ」の「シャングリラ大神官」を付け加えてもいい。藤子Fファンであることを前川は公言しているからである)。

     ループSF作品の先例は枚挙に暇がない。「同じ時間を永遠に繰り返す」パターンは、時間遡行ものやモダンホラーの諸作に多く見られるから、具体例を出さずとも誰でも容易に2、3作は想起することが可能だろう。演劇でも後藤ひろひと『ダブリンの鐘つきカビ人間』がそのアレンジパターンであった(奇しくも池田成志がこの作品にも登場している)。
     だが、「祝祭の前日」に硫化水素ガス漏れによって村人も役人もみな死に絶え、「同じ日を繰り返し続けている」という設定から判断するに、やはり「文化祭前日」を繰り返した『うる星2』を前川知大は確実に意識していたと思しい。

     先行作に発想の源があるということで、この作品の評価を下げるべきだと主張したいのではない。むしろ逆で、殆どのループ作品が、その霧のルング・ワンダルングの中から脱出する方法を発見するのに対し、本作にはそういった「救い」が用意されていない点に、前川のオリジナリティがあるのだ。
     死者たちは決して生き返らない。彼らの妄念が解き放たれることは絶対にない。彼らには「同じ話を繰り返し話し、同じ行動を繰り返し取る」ことしかできないのだ。言ってみれば――語弊が生じることを承知でたとえるが、「認知症の老人が同じ話を繰り返し語るのに付き合わされる」苦痛に等しい。彼ら老人たちも、自らの「夢」の中にいる。そう考えた時、初めて気付くのだ。“これは果たして本当に「死者だけの」物語なのだろうか”と。
     「死んでいるのは確かに俺だが、生きてる俺は誰だろう」――落語『粗忽長屋』ではないが、我々が信じているこの「実存」が、「誰かが見ている夢の中のキャラクターではない」と、証明できるものだろうか。あるいは、たびたび舞台に登場する面を被った人物たち――彼らが「自分と同じ顔をしていない」とどうして言いきれることができるだろうか。
     ここでその物語を聞かされ続けるのは矢口だが、彼の抱く不安は、容易に観客に伝播する。矢口は現実世界に戻る(ように見える)が、死者たちはやはり永遠の牢獄の中で彷徨い続けている。それを見ている矢口も実は死者として「ここに来た」のではないかという余韻を残して。
     山田は我々に語っているのだ。さながら『アマデウス』のサリエリが、観客に向かって「未来の亡霊たちよ」と語りかけたのと同じように、このように。

     「アナタハ、ジブンガ、イキテイルト、シンジラレマスカ?」
     「アナタハ、ホントウニ、シバイヲミニキタ、オキャクサンデスカ? ココガ、シシャノクニデナイト、ドウシテダンゲンデキマスカ?」

     前川知大、戦慄すべき戯曲家である。
  • 満足度★★★★★

    満足した
    色々なエピソードを繰り広げながらラストにすうっとまとまる感じが良かった。前作が面白過ぎたため「能」になったらどうなるだろうと心配してたが杞憂であった。今作も面白かった。大満足。

  • 満足度★★★★★

    語られる奇怪だが泣ける物語の数々。仲村トオルのおっとりした暖かさ、池田成志の達者な語り口。
    偶然出会った男たち。
    そして語られる奇ッ怪な物語の数々。

    仲村トオルさんの語る、一見関連性の無い
    いくつかの不思議な話と、意外な真実。

    仲村トオルさんの、あったかさ、
    池田さんの語り口の達者さ、強さ、可笑しさ、
    他ではエキセントリックな役が多い山内さんの
    普通の役が実にいい。

    特に前半部分の物語が良いです。

    それぞれの話の導入部から引き込まれ、
    語り口に魅せられ、最後に泣かされます。
    「その一」より良かった!

    DVDが出たら絶対買う。

  • 満足度★★★★★

    不思議な世界へ
    前川さんの演出の完成形を見たような気がする。
    散歩する侵略者も素晴らしい演出だったが、さらに一歩先をいった気がする。
    最後のシーンは、まさに奇ッ怪!
    主人公と共に迷い込んだ世界に取り残された気分になった。

    仲村トオルさんは、チーム・バチスタ3のドラマと平行しての仕事だったのか、
    ちょっとあちらのキャラが入っていましたね(^_^;

    火山ガスで全滅した集落に里帰りした主人公。
    実家の神社には仲村トオル演じる謎の男が住んでる。
    それを胡散臭い不動産屋と調査に来た学者さん。
    4人が奇っ怪な話を紡いでいく。
    そんな話。
    話の最中に、生者でない死者を思わせる仮面の男女達が、
    何かの動作をしながら舞台上を横切る。

    物語は、集落最後の日を語る段になると、
    今まで死者だったと思われる人々の動きが分かる仕掛け。
    生きていた人の動きが、あの仮面の人々と一緒なのだ。
    ガスで一瞬で死んだ人たち。
    自分たちが死んだことに気がついていないか、
    そこにあった営みを繰り返し行っていたのだ。

    ここに震災と被るが、
    何か得体の知れない怖さと悲しさを感じた。
    しかも最初から登場していた、
    不動産屋と調査に来た学者も死んでいたとはねΣ(´∀`;)

    笑いありの途中から、ラストのしっとりと終わる様は、
    まさに能というか、上手い落語の話を聞いているような、
    凄いものをみたという感じをうけた。

  • 満足度★★★

    もう少しマッチすれば
    前川作品独特のSFさはいつもどおりなのですが、
    ”能楽”といまいちコラボしきれていないように感じました。

    ちょっと惜しいな。

  • 満足度★★★

    能より狂言寄り?
    かな?
    体をわずかに動かす、振り向く、それだけで違う話が始まるという手法は好き。

    笑わせてもらいました。
    だからこそ
    浮き出る人々の動きが、ラストでリンクした瞬間の怖さといったら。
    鳥肌がたちました・・・。

  • 満足度★★★★

    まさに、現代能楽だった
    面白かった。

    幽霊たちが行き来する場所で、突然過去の出来事が現れたりする。
    仮面の使い方、舞台の使い方も素晴らしく、こちらとあちらにどんな橋が横たわってといるのかと、確かに現代の夢幻能と言える。
    しかも、お話の中に出てくる小道具を変えれば、どの時代の「現代」にも変えられる。

    永遠に繰り返される「あの日」、自分の実在性に疑いすら持ってしまう「実存性」の問題と、人間にとっていつの時代にも繰り返されるテーマを描いている。


    池田氏の悪乗りが少し目立ち、役者たちの演技が崩れてしまったのは残念だったが、全体にはとても良い舞台だった。

  • 満足度★★★★

    あのお面ほしい。
    仲村トオルさんはくずしても二枚目演技ではありますが、脇を固める池田成志さん・山内圭哉さん・小松和重さんの笑いある演技がマッチしてよろしかったです。最後につながる伏線もまとまってました。

  • 2回見て、
    2回寝た。しかも熟睡。あきらかに寝不足。睡眠時無呼吸症候群のせいらしい。とほほ。。。舞台前方しか使ってなかったのでは?

  • 満足度★★★★★

    すばらしい前川節
    「イキウメ」の前川さんの2回目の「奇ッ怪」。前作よりも、より緻密な物語構成。演者さんも素晴らしい。特に中村トオルさんは格段に素晴らしく、素敵だった。他のメインキャストの御三方ももちろん、すばらしい。比較的笑えるシーンも多く、楽しく見る中、最後に心に滲みる。「イキウメ」は大好きな劇団ですが、説明過多な気がしていたが、今作は色々想いに浸りながら帰途についた。DVD化しないのが本当に残念でならない。 舞台は生ものでアドリブらしき部分やとちった部分、メインじゃない部分もコミで素晴らしいが、時間が経つと再度観たいと思っても観れずにいつも哀しい。 本当に素晴らしい舞台で全力で拍手をし、感謝の気持ちで一杯でした。

  • 満足度★★★★★

    心に沁みました。
    22日(I列)に観て感動して、29日にも観てきました。29日は3階だったのですが、顔の表情もよく見えますし、俯瞰で見ることができたのでI列では気づかなかった繊細な照明の効果まで楽しむことができました。
    死者の思いの上に生きる思い、残されたものの思い。出演者の演技はもちろん、脚本・演出・美術・照明・音楽などこの作品の全てが心に沁みて、楽しんだとともに、私は鎮魂されました。

  • 本当に怖いものは
    『奇ッ怪』其の壱に圧巻されて、其の弐も期待して拝見しました。
    其の壱では、小泉八雲の原作を時代劇的な感じで取り入れた着物でのシーンがあったり、エンターテイメント感の強い中で怖さを感じていたのですが、其の弐はぐぐっと現代にフォーカスされていて、新鮮な気持ちで見ました。
    語りからテンポよくシーンが移り変わり重なっていく手腕はやはり見事で、楽しい。
    笑いもったぷりあって思わず吹きだすシーンもたくさんあったけど、終幕に向けて、壱とは違う角度の怖さがじわじわと少しづつ積もってゆきました・・。
    無念さ、無常感、という意味では、今回いっそう怖かった気がする。

    ネタバレBOX

    現代にフォーカスがあたっている分、生霊などの能を思わせる現象そのものより、人間の心の中の闇や狂気、現代社会の構造や人間関係のかかえる闇、といったものがじわじわとボディブローのように効いてくるようでした。

    其の壱との印象の違いに最初はちょっとだけ戸惑う感じもあったのですが、終わって見ると「一番怖いものは、逃れようのない時代、この現代社会そのものかもしれない」と、ぞくっと背筋が凍って震えたのでした。

    俳優はみなさすがの好演だったけど、私は特に岩本幸子さんの好演が印象的でした。
    これからも彼女の出る舞台を見たいなぁ、と素直に思ってしまいました。
  • 満足度★★★★

    役者がうまい
    噛んだり、なるしーのアドリブで吹き出してしまったり、細かいことは多少あれど、それを軽く乗り越えてしまう技量の高さがあった。もちろん、本も演出もよかった。

  • 満足度★★★★★

    コミカルだけど切ない
    夏の怪談めいたお話で、映画「異人たちとの夏」をほうふつさせる。
    すごく笑えるけど切ない内容。

    とにかく脚本と演出がうまい。
    同じ役者でもどんどん役が変わって、舞台装置の転換もなく、突然、時間も場所も変わっていくのだが、不思議とついていける分かりやすさ。
    その緻密な脚本は、ちょっとしたカンドーでした。

    芸達者な役者さんが多くて、どこまでがアドリブか分からない自然な演技で、ものすごく引き込まれました。
    今後シリーズがあるならもっと観たい。

  • 満足度★★★★

    死者の幻影に彩られた舞台が秀逸
    やはり、如何にも前川作品。

    いつもは、笑いを取る役の多い山内さんのスタンスが新鮮でした。

    小松さん、以前も何度か拝見していて、それほどに感じなかったのに、この舞台、彼の発声がほとんど聞き取れず、閉口しました。脳内で、クロスワードパズルを解くように、小松さんの台詞を予想する作業を強いられ、前川作品に素直に没頭できなかったのが、かなり残念でなりません。

    でも、それでも尚、前川さんの作品には、過剰な台詞を排したが故の、目に訴える印象が鮮やかで、舞台を観る内に、個人的に親しかった逝ってしまった人々や、震災で亡くなった方々への想いが交錯し、不意に涙ぐみそうになる瞬間が多々ありました。

    静に心に染み入る舞台作品でした。

    ネタバレBOX

    舞台が、奥に長く続く道のような構造で、ちょうど、京都駅の外側の通路のよう。これは、能舞台もイメージしたものなのでしょう。
    たくさんの穴があり、人物がそこから現れたり、落ちたりするのは、歌舞伎では、死者や霊などがスッポンからせり上がる決まりだから、それをヒントにしたのかなと感じました。(よしさんが、能では別の霊登場の決まりがあると教えて下さったので、昨日の、私の能に関しての誤解コメントを訂正しました。)

    いろいろな死者のエピソードが、語り芝居のように、役者の演じ分けにより、披露されて行く手法で、その積み重ねの中で、山内さん演じるところの、神社の息子の心象風景が焙り出されて行く構成がとても印象的で、素晴らしいと感じました。

    最後の、キャスト総出の場面は、明るく語る様子を長く見せることで、その後の顛末を衝撃的に表出したかったのだろうと思うのですが、私の個人的な体感で言うと、数分長過ぎたように思いました。
    原稿用紙で3枚ほどの刈り込みがあった方が、最後の山内さんの盆踊りのような仕草がより生きたように感じます。

    イキウメと奇怪チームの合同公演風な味付けで、私は、其ノ壱より、自分好みでした。
    最後の場面が、福島の現状とダブり、心が張り裂けそうな感覚を覚えました。

    震災後の劇作家の作品は、私に、その人が本物か偽者かの判断基準を提示してくれていると感じますが、この作品を拝見し、前川さんは、やはり本物の劇作家だと確信できました。
  • 満足度★★★★

    限りなくイキウメっぽい。
    初めてのパブリックシアター!
    2階席でしたが、充分楽しめました。

    舞台も素敵だし、役者さんたちもみんな上手いし、安心して観られる感じ。
    「狂言」も「能」もなじみがない自分には、前作のほうが面白かったけど・・・。

    「怪談」「狂言・能」ときて、次は何が・・・?
    楽しみです。

    ネタバレBOX

    前方の板の間(?)、後方に続く道のような所に「穴」が。
    そこから出入りするのは魂(?)だったり道具だったり・・・。

    魂だけの存在になっているのは自分なのか?周りの誰かなのか?
    何に縛られ、何をしたいのか、何を伝えたいのか・・・。
    現代風に語られる「狂言」や「能」は、じわじわと恐怖を感じさせる。


  • 満足度★★★★★

    前作に続き、楽しめました
    前作を観ていたので、期待して観ました。
    「怪談」の怖さではないものの、現代の自分達の日常に渦巻く「怖さ」を、
    うまく表現してくれていたと思います。

    ラストシーンは、鳥肌が立ちました。

    笑いもあり、非常に楽しめました。もう一度みたいです。

    「奇ッ怪 其ノ参」を期待してしまいます。

  • 満足度★★★★

    とても長く感じた(いい意味)
    前半の
    一つ一つの話や切り替えの早さと
    後半の
    間とスピードの違いが原因なのか

    上演時間 1時間40分が 2時間40分にも感じた。
    そんだけの密度をもった舞台。

    もっと、それぞれの話が
    絡み合ってくれば よかったのにとも思う

  • 満足度★★★★

    渋めの幽霊譚
    ラストシーンが秀逸。
    池田&小松のおふざけに仲村(苦笑)という図は前回同様。
    3階席からでも十二分に楽しめる。
    大量の女性客は仲村トオルファンなのかな。

    ネタバレBOX

    内田慈らが端役過ぎたのは残念だった。
  • 満足度★★★★★

    トークショー付きの日に観た
    シンプルなアレンジされた能舞台?前作同様、軽妙な語り部を交えつつ先の展開が読めないまま進んで行く、と思っていたらしっかり収まり、面白かった。
    能楽集の括りなので、複雑かなと思いきや世界観の深さに思いっきり引き込まれ、結末わかっているけど、また見たいと思った。

    ネタバレBOX

    能の「シテ」の語り部にあたる山田、脇役にあたる「ツレ」という認識で良かったと思うけど、そんな事考えなくても充分面白かった。

    あの村の人々はちゃんと成仏出来たのか、成仏を懇願しているようにも思え、菩提を弔う事が出来ない矢口に悔悟を感じ、自然の喧噪のような「明」から、一気に静寂の闇に変わった瞬間が、特に心に沁み入った。
    現世の人間の生と死を静かに見つめているんだろう。
    やっぱり愚行ばかりやっているように見えるんだろうな・・。

    当日、作演出の前川さんと役者4人を交えたトークショーあり。
    覚えている限りでは、
    作品(戯曲)が出来たのが、公演直前の8月前半だった。(日付忘れた)
    その流れで稽古も休んだりしたが、前川さんは「大丈夫です」と穏やかに役者さんに話されていたとか。
    舞台穴から出てくる所作は、ちゃんとムービングか振付け指導があった。お祭りシーンの後に踊るシーンがあった、ちゃんと振付けまでやっていたが、ふとした時に「無くてもいいんじゃない」という事でなくなる。それを稽古場で前川氏に指摘したのが小松さんだったが、その前夜?に池田、山内と呑んだ席で出た話だったらしく、わかってんならお前言えって言う流れで話したそう。

    公演始まってまだ数日だが、池田さんは台詞11行跳ばした。仲村さん必死に戻そうとするが4〜5行くらいに戻すのが精一杯だった。また、池田さんは間違ってもそれを認めず、目力でかえって相手のせいにさせているんだとか。あまりにも細かい指摘だったので池田さんから日記つけとるんやないか、と言われる。
    その仲村さんは、とある役名を忘れてしまい、浜田さんを巻き込んで結局「あのじいさん」で通してしまった。
    池田、山内両名が変顔に近い形で小松さんを笑わせている。

    他、山内さんの「鎮魂」連呼と美味そうなビールの呑みっぷり、小松さんがずーとマイクの形状に興味を示してほとんど会話に参加してなかったとか。
    それはそれで面白かったです。

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