蜘蛛巣城 公演情報 蜘蛛巣城」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-5件 / 5件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2023/02/25 (土) 14:00

    マクベス。私にとってのマクベスといえば「メタルマクベス」なので、頭の中であの人はこの人で...と変換しながら観ていた。
    百姓から腕一本でのし上がった鷲津武時。夫を愛しすぎるが故に「こんなものではない」と出世を望む妻。この夫婦が特別野心家だったわけじゃない、たまたま、選ばれてしまっただけ。鷲津は妻を心から愛し、優しく、そして弱かった。

    マクベス夫妻の「相手がどんなに惨めになろうとも、たとえ壊れてしまっても、絶対に見捨てることは無い」という最期まで添い遂げようとする様が美しく悲しく大好き。

    ネタバレBOX

    春に予言を受け、夏をすぎ、秋に子を失い妻は壊れ、冬に命を止める。最期まで武時は妻を守ろうとする。死に様は壮絶なようであっけなく静か。
    泥水を啜って這いつくばって生きていた百姓時代。その生活から抜け出すために必死の思いで侍になって、主を殺し友を殺してまで城主になったのに、名も無き百姓が生き生きとして侍が苦しみ命を散らす...なんて皮肉なんだろう。
    「空が綺麗だ」と呟いた笑顔が、憑き物が落ちたような顔で、一の砦の主だった頃みたいな、あの頃に戻って静かにこと切れる。壊れてしまった奥方にはなにもわからない。ただ、雲雀を求めて空を見渡す。
    美しく、悲しい最期。

    銀粉蝶さんが、さすがすぎる。人では無いモノ。あの世界を「マクベス」にしてるのは間違いなく銀粉蝶さん。意味は分からないけどゾッとさせられるのは、その言の葉に確かに意味がのせられているから。ただ発しているのではなく、銀粉蝶さんの中に正解があるから。

    殺陣のSE、小さく聞こえたような気もしたし、無かったような気もする...大きく音が出てはいなかったと思う。
    太一さんの太刀筋は重たくて、人を斬ってる感じがして、良いなぁ。義妹と甥を斬った部下を鯰切りにする時の襟首からグリグリ突き刺していくヤツ、最高。太一さんが刀を振ると血の匂いがする。

    代表作、て言われるような作品になればいいなぁ。

    場転の時に舞台奥と上下の森が照らされているの「森が見ている」感じあって不気味だった。綺麗なのに、不気味。

    武人の荒々しさを表現するためかガラガラした低めの発声で、すこし台詞が聴き取りにくい。太一さんだけじゃなく他のキャストも。もしかしたら集音マイクの設定?マクベスの筋は知ってるから台詞が聞き取れなくても展開はわかるけど、はっきり聞き取れた方がストレスは無い。

    誰よりも舞が上手いのに舞えない設定の太一さん。雑炊が美味かった、初めて白い米を食べたと嬉しそうに語る武時に米好き太一さんがどうしても重なる(笑)
  • 実演鑑賞

    観る動機はもちろん黒澤監督の同名映画で、「どん底」もそうだが海外戯曲を日本に置き換えた傑作の躍動を味わいたく観に行った。演出が赤堀氏とははっきり認識しておらず全ては観劇当日に、という構えで臨んだのだが、よく見れば演出をはじめキャスティングも、変わった取り合わせ。企画が固まった経緯が気になる。その印象を裏付ける舞台でもあった。詳細後ほど。(余力があれば)

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    シェイクスピアと黒澤明という二大ビッグネームをふまえつつ、現代の舞台化に当たってどう新味を出すか。この舞台への関心と評価はその一点にかかるだろう。結論として言えば、見事な再創造だった。忠君・小田倉(長塚圭史)一家の悲劇をマクベス夫人とつなげる新たな副筋をもうけ、雑兵・百姓に重要な役割を負わせて武将の戦いを相対化する。

    小田倉の妻・若菜(新井郁)が、マクベス夫人・浅茅(倉科カナ)の妹にした。したがって小田倉一家の不幸が、マクベス夫人へ罪の報いとして降りかかる場面は重層的で、哀れさが増した。これを見ると、「マクベス」ではマクベス夫人は自滅するだけで、少々肉付けが弱い気がしてくる。

    雑兵・百姓に戦のむなしさを語らせたのは、ウクライナ侵略のいまに響いた。それはただの言葉だけでなく、鷲津武時の最後とも絡むことで、作品の奥底の主題として強く打ち出されていた。それとは別に、次々の暗殺によって、場内が疑心暗鬼になるさまを見ながら、スターリンの粛清政治を思い浮かべた。「マクベス」「蜘蛛の巣場」を見て今まで思い浮かばなかったが、初めてだ。これもロシアの侵略の情勢の影響と、この舞台のシンプルで力強いメッセージのせいだろう。

    俳優でいえば倉科カナが印象的だった。かわいい顔をしていても女は怖い。怖いけれど、狂っても美しく魅力的。どこまでも男を狂わせる存在である。

    優れた舞台機構を生かし、かなり頻繁なセット転換が迅速。英語でも日本語でもない人声が響く不気味で迫力のある背景音も効果的だった。大劇場ならではの贅沢な舞台だった。私が教えて、1週間前にチケットを買った女性の観劇友も「面白かった。見逃さなくてよかった!」と大満足だった。
    2時間20分休憩なし

    ネタバレBOX

    魔女に「将来は三木の息子が城主になる」と予言された当の三木義照(小林諒音、バンクォーの息子)が、最後に城攻めの混乱の中で若君を殺すのも意外だった。マクベスのような野心が、マクベス特有のものではなく、清廉の士のはずのバンクォーの血にも流れていることを示し、人間への怖さを増した。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    オリジナルは黒澤明監督の1957年の映画で、シェイクスピアの「マクベス」を日本の戦国時代に移したものである。私は10数年前にこの映画をTVで観て黒澤映画とシェイクスピア戯曲の面白さを初めて理解できたのであった。

    それが今回舞台化された。出演者を見てみると
    ・マクベス→鷲津武時(わしづたけとき):三船敏郎(37):早乙女太一(31)
    ・マクベス夫人→鷲津浅茅(あさじ):山田五十鈴(40):倉科カナ(35)
    となっていて、三船と山田という超名優に対して今回のお二人がどんな風に対抗してくるかがポイントである。山田さんは実際の年齢以上に見えてしまうのに対して倉科さんはかなり若く見える。それは三船さんと早乙女さんについても同じであってどちらも20歳くらいの違いにすら見える。重厚対新鮮の戦いやいかにというところか。

    最初から若くストレートな演技でぐいぐいと引き込まれた。そして残り30分までは星5つだったのだがエンディングは映画とは異なるもので私好みではなかった。そこだけが残念。

    ネタバレBOX

    『マクベス』、『蜘蛛巣城映画』、『蜘蛛巣城舞台』で気が付いたことを脈絡なく記す。それぞれ「マク」、「蜘蛛映画」、「蜘蛛舞台」と略記する。「蜘蛛映画」と「蜘蛛舞台」に共通することは単に「蜘蛛」とする。

    「マク」はいくつか省略したと思われるところがあって、長時間バージョンがあったのではないかと言われている。「蜘蛛」ではそういうところを補っているので「マク」にくらべて納得させられながら進んで行く。そう感じるところを重点的に挙げて行く。

    *スコットランド王ダンカン(=都築国春、以下では大殿と記すことが多い)の長男マルカム(=都築国丸)は目立った記述がないのだが「蜘蛛舞台」だけは道化の役目を与えられている。ここは原作よりもシェイクスピアらしい。次男のドナルペインは「蜘蛛」には登場しない。

    *ダンカンがマクベスの居城を訪問することは「マク」では直接マクベスに伝えている。「蜘蛛」では突然大殿の兵が居城の周りを囲んでしまう。この恐怖が鷲津が大殿を殺す決心をする大きな理由となる。まあしかしちょっと不自然ではある。さらに「蜘蛛舞台」ではその後の宴で大殿父子が浅茅を我がものにしようとするかのような言動をする。これは倉科には山田のような説得力のある冷酷な夫人はできないので、殺害の決心をするダメ押しの必要を感じて付け加えたのだろう。ここで浅茅と国丸が社交ダンスのように舞うシーンがある。かなり無理があるがここは倉科の特性を逆に生かしたものだ。

    *マクベスがバンクォー(=三木義明)とその息子フリーアンス(=三木義照)を殺害するが、「マク」では「他人の息子を王位に就けるために悪魔に魂を売ったのか(=ダンカンを殺したのか)」という不満が原因である。ここでは夫人でなくマクベス本人が主導する。「蜘蛛」では義照を養子にするお披露目の宴の直前に浅茅が身ごもってしまう(その後流産)。それが主要な動機になる。一方でマクベス夫人が妊娠することはない。

    *マクベスがバンクォーの亡霊を見る宴会は「マク」では通常の晩餐会だが「蜘蛛」では義照を養子にするお披露目のものだった。

    *マクダフ(=小田倉則保)は最後マクベスと1対1で戦い倒す、他方則保は「蜘蛛映画」では軍師として森を動かす指揮をとる。しかし「蜘蛛舞台」では妻同士が姉妹であることから序盤で気を許して大殿に対して不満があるようなことを鷲津に言ったりする。また最後には国丸に殺されてしまう。

    *マクベス夫人の名前は不明である。親兄弟の記述もない。浅茅も「蜘蛛映画」では親兄弟の記述はない。「蜘蛛舞台」では小田倉夫人の若菜が妹である。

    *マクダフ夫人(=小田倉若菜)と息子が殺されるシーンは「蜘蛛映画」では存在しない(そもそも夫人は登場しない)が「蜘蛛舞台」では子供の旭丸と共に殺されてしまう。若菜が浅茅の妹という設定が悲しみを深める。

    *最後まで生き残る人
    「マク」フリーアンス、マクダフ、マルカム、ドナルペイン?
    「蜘蛛映画」三木義照、小田倉則保、都築国丸、鷲津浅茅?
    「蜘蛛舞台」三木義照、鷲津浅茅:則保は国丸に殺され、国丸は義照に殺される。「蜘蛛舞台」は下剋上を徹底している。冒頭の戦いの謀反人も一家皆殺しにされている。他は本人だけ。

    *マクベスの出自の記述は無い。「蜘蛛舞台」だけは百姓出身となって独自のエンディングにつながる。もっとも農民と兵隊の兼業がほとんどだっただろうから区別に意味はないのかもしれない。

    *マクベス夫人は狂って自殺する、「蜘蛛映画」では狂うが生死不明、「蜘蛛舞台」では狂うも最後まで生きている。

    *ダンカンが殺されるのはマクベスが引っ越す前なのでグラームズ城(=一の砦)であるが国春の場合は鷲津が昇進して引っ越した北の館(=コーダー城)である。

    *あの魔女の予言の一つ「女から(自然に*)生まれた者にマクベスは殺せない」という理解が難しい言葉は「蜘蛛」では出てこない。しかしこれがないので普通の人間に一対一で殺されるわけには行かない。そこで映画では家来達の射た大量の矢で殺されることにした。しかし舞台ではそれはできないので落ち武者になって百姓たちの手にかかるシーンを追加した。百姓から成り上がって百姓に殺されるという形をとったのである。その結果、折角盛り上がった戦いのシーンからすっかり白けてのエンディングとなってしまった。
    ここで(自然に*)は後で「実は帝王切開で生まれたのだ」と言ってもインチキにならないためには日本語では入れる必要があるが実際にセリフに出すとネタバレになってしまうというジレンマがある。英語だとそんなことはなくて単に one of woman borne で後から帝王切開と言ってもああそうかで済むらしい。まあそんな説明をグダグダするのを嫌って「蜘蛛」ではそういう設定を止めたのだろう。

    参考文献
    Yu_Seさんのnote
    舞台 「蜘蛛巣城」 観劇レビュー 2023/02/25
    は大量の記述で圧倒される。この舞台に興味を持った方は必読である。
    リンクは検索してください。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    黒澤と『マクベス』を全く知らない方が楽しめるのかもしれない。一体何を観せられているのか途中不安になった。『マクベス』の翻案ものの最高傑作とされる黒澤明の『蜘蛛巣城』。それを下敷きにこんな作品を作る人間の業。「蜘蛛手の森」の妖婆の笑う声が聴こえるようだ。

    衝撃を受けたのは開幕から幕間ごとに流される曲。お経を英語でがなっているようにも聴こえたフスグトゥン(Khusugtun)の『Tes Gol』他。モンゴルの伝統音楽グループのニューウェーヴ。和洋折衷なおどろおどろしさ。この曲を選んだ人が今作のMVP。
    美術のセンスも良い。蜘蛛の巣の張られた背景を仕切る幕。

    主演の早乙女太一氏は声が通るので台詞が聞き易い。マクベスにしてはカッコ良すぎるが。弟の早乙女友貴(ゆうき)氏の方がこういう汚れた役は似合いそう。

    「蜘蛛手の森」の妖婆役は銀粉蝶(ぎんぷんちょう)さん。上品で声が朗々としている。

    黒澤明は『マクベス』を「自分の身の丈以上の地位を求めた故の悲劇」と語っていた。
    ちなみに黒澤明のシェイクスピア翻案ものは三作ある。『マクベス』は『蜘蛛巣城』、『リア王』は『乱』、そして実は『ハムレット』は『悪い奴ほどよく眠る』だったりする。(外国人からの指摘)。日本人よりも外国人の方が気付き易い。

    ネタバレBOX

    蜘蛛手の森が歩き出すシーンとラストの鷲津武時の矢ぶすまをどう表現するのかが注目ポイント、どちらもなかった。

    城主が妻を所望する描写や主人公の行動を正当化する要素を挿む必要はなかった。あくまでも主人公の心の出来事であるべき。逆に何の文句もない素晴らしい君主に描いた方がテーマがハッキリする。

    倉科カナさんはミスキャストだろう。山田五十鈴の役だぞ。
    ここまで弄るならマクベスと夫人が隣国に生き延びるラストでも良かった。(どうでもいい)。

    収録日だったのだが、城主が主人公の武勲を称え「北の館」の主に任命する場面、「北の館」を「一の館」と言い間違えてしまうハプニングがあった。

    『マクベス』の恐怖の本質は“罪悪感”だと思う。欲望に負けて主君を殺め、親友にまで手を掛ける。全て望みが叶った筈が“罪悪感”の後ろ暗さで不安で不安で堪らない。その不安と恐怖を掻き消す為に誰も彼もを殺していく。一体、自分が欲しかったものは何だったのか?妖婆の高笑いが聴こえてくる。精神の安寧、心の平穏こそが一番人間に必要なものだったのだ。

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