蜘蛛巣城 公演情報 KAAT神奈川芸術劇場「蜘蛛巣城」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    オリジナルは黒澤明監督の1957年の映画で、シェイクスピアの「マクベス」を日本の戦国時代に移したものである。私は10数年前にこの映画をTVで観て黒澤映画とシェイクスピア戯曲の面白さを初めて理解できたのであった。

    それが今回舞台化された。出演者を見てみると
    ・マクベス→鷲津武時(わしづたけとき):三船敏郎(37):早乙女太一(31)
    ・マクベス夫人→鷲津浅茅(あさじ):山田五十鈴(40):倉科カナ(35)
    となっていて、三船と山田という超名優に対して今回のお二人がどんな風に対抗してくるかがポイントである。山田さんは実際の年齢以上に見えてしまうのに対して倉科さんはかなり若く見える。それは三船さんと早乙女さんについても同じであってどちらも20歳くらいの違いにすら見える。重厚対新鮮の戦いやいかにというところか。

    最初から若くストレートな演技でぐいぐいと引き込まれた。そして残り30分までは星5つだったのだがエンディングは映画とは異なるもので私好みではなかった。そこだけが残念。

    ネタバレBOX

    『マクベス』、『蜘蛛巣城映画』、『蜘蛛巣城舞台』で気が付いたことを脈絡なく記す。それぞれ「マク」、「蜘蛛映画」、「蜘蛛舞台」と略記する。「蜘蛛映画」と「蜘蛛舞台」に共通することは単に「蜘蛛」とする。

    「マク」はいくつか省略したと思われるところがあって、長時間バージョンがあったのではないかと言われている。「蜘蛛」ではそういうところを補っているので「マク」にくらべて納得させられながら進んで行く。そう感じるところを重点的に挙げて行く。

    *スコットランド王ダンカン(=都築国春、以下では大殿と記すことが多い)の長男マルカム(=都築国丸)は目立った記述がないのだが「蜘蛛舞台」だけは道化の役目を与えられている。ここは原作よりもシェイクスピアらしい。次男のドナルペインは「蜘蛛」には登場しない。

    *ダンカンがマクベスの居城を訪問することは「マク」では直接マクベスに伝えている。「蜘蛛」では突然大殿の兵が居城の周りを囲んでしまう。この恐怖が鷲津が大殿を殺す決心をする大きな理由となる。まあしかしちょっと不自然ではある。さらに「蜘蛛舞台」ではその後の宴で大殿父子が浅茅を我がものにしようとするかのような言動をする。これは倉科には山田のような説得力のある冷酷な夫人はできないので、殺害の決心をするダメ押しの必要を感じて付け加えたのだろう。ここで浅茅と国丸が社交ダンスのように舞うシーンがある。かなり無理があるがここは倉科の特性を逆に生かしたものだ。

    *マクベスがバンクォー(=三木義明)とその息子フリーアンス(=三木義照)を殺害するが、「マク」では「他人の息子を王位に就けるために悪魔に魂を売ったのか(=ダンカンを殺したのか)」という不満が原因である。ここでは夫人でなくマクベス本人が主導する。「蜘蛛」では義照を養子にするお披露目の宴の直前に浅茅が身ごもってしまう(その後流産)。それが主要な動機になる。一方でマクベス夫人が妊娠することはない。

    *マクベスがバンクォーの亡霊を見る宴会は「マク」では通常の晩餐会だが「蜘蛛」では義照を養子にするお披露目のものだった。

    *マクダフ(=小田倉則保)は最後マクベスと1対1で戦い倒す、他方則保は「蜘蛛映画」では軍師として森を動かす指揮をとる。しかし「蜘蛛舞台」では妻同士が姉妹であることから序盤で気を許して大殿に対して不満があるようなことを鷲津に言ったりする。また最後には国丸に殺されてしまう。

    *マクベス夫人の名前は不明である。親兄弟の記述もない。浅茅も「蜘蛛映画」では親兄弟の記述はない。「蜘蛛舞台」では小田倉夫人の若菜が妹である。

    *マクダフ夫人(=小田倉若菜)と息子が殺されるシーンは「蜘蛛映画」では存在しない(そもそも夫人は登場しない)が「蜘蛛舞台」では子供の旭丸と共に殺されてしまう。若菜が浅茅の妹という設定が悲しみを深める。

    *最後まで生き残る人
    「マク」フリーアンス、マクダフ、マルカム、ドナルペイン?
    「蜘蛛映画」三木義照、小田倉則保、都築国丸、鷲津浅茅?
    「蜘蛛舞台」三木義照、鷲津浅茅:則保は国丸に殺され、国丸は義照に殺される。「蜘蛛舞台」は下剋上を徹底している。冒頭の戦いの謀反人も一家皆殺しにされている。他は本人だけ。

    *マクベスの出自の記述は無い。「蜘蛛舞台」だけは百姓出身となって独自のエンディングにつながる。もっとも農民と兵隊の兼業がほとんどだっただろうから区別に意味はないのかもしれない。

    *マクベス夫人は狂って自殺する、「蜘蛛映画」では狂うが生死不明、「蜘蛛舞台」では狂うも最後まで生きている。

    *ダンカンが殺されるのはマクベスが引っ越す前なのでグラームズ城(=一の砦)であるが国春の場合は鷲津が昇進して引っ越した北の館(=コーダー城)である。

    *あの魔女の予言の一つ「女から(自然に*)生まれた者にマクベスは殺せない」という理解が難しい言葉は「蜘蛛」では出てこない。しかしこれがないので普通の人間に一対一で殺されるわけには行かない。そこで映画では家来達の射た大量の矢で殺されることにした。しかし舞台ではそれはできないので落ち武者になって百姓たちの手にかかるシーンを追加した。百姓から成り上がって百姓に殺されるという形をとったのである。その結果、折角盛り上がった戦いのシーンからすっかり白けてのエンディングとなってしまった。
    ここで(自然に*)は後で「実は帝王切開で生まれたのだ」と言ってもインチキにならないためには日本語では入れる必要があるが実際にセリフに出すとネタバレになってしまうというジレンマがある。英語だとそんなことはなくて単に one of woman borne で後から帝王切開と言ってもああそうかで済むらしい。まあそんな説明をグダグダするのを嫌って「蜘蛛」ではそういう設定を止めたのだろう。

    参考文献
    Yu_Seさんのnote
    舞台 「蜘蛛巣城」 観劇レビュー 2023/02/25
    は大量の記述で圧倒される。この舞台に興味を持った方は必読である。
    リンクは検索してください。

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    2023/03/10 00:45

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