実演鑑賞
満足度★★★★★
シェイクスピアと黒澤明という二大ビッグネームをふまえつつ、現代の舞台化に当たってどう新味を出すか。この舞台への関心と評価はその一点にかかるだろう。結論として言えば、見事な再創造だった。忠君・小田倉(長塚圭史)一家の悲劇をマクベス夫人とつなげる新たな副筋をもうけ、雑兵・百姓に重要な役割を負わせて武将の戦いを相対化する。
小田倉の妻・若菜(新井郁)が、マクベス夫人・浅茅(倉科カナ)の妹にした。したがって小田倉一家の不幸が、マクベス夫人へ罪の報いとして降りかかる場面は重層的で、哀れさが増した。これを見ると、「マクベス」ではマクベス夫人は自滅するだけで、少々肉付けが弱い気がしてくる。
雑兵・百姓に戦のむなしさを語らせたのは、ウクライナ侵略のいまに響いた。それはただの言葉だけでなく、鷲津武時の最後とも絡むことで、作品の奥底の主題として強く打ち出されていた。それとは別に、次々の暗殺によって、場内が疑心暗鬼になるさまを見ながら、スターリンの粛清政治を思い浮かべた。「マクベス」「蜘蛛の巣場」を見て今まで思い浮かばなかったが、初めてだ。これもロシアの侵略の情勢の影響と、この舞台のシンプルで力強いメッセージのせいだろう。
俳優でいえば倉科カナが印象的だった。かわいい顔をしていても女は怖い。怖いけれど、狂っても美しく魅力的。どこまでも男を狂わせる存在である。
優れた舞台機構を生かし、かなり頻繁なセット転換が迅速。英語でも日本語でもない人声が響く不気味で迫力のある背景音も効果的だった。大劇場ならではの贅沢な舞台だった。私が教えて、1週間前にチケットを買った女性の観劇友も「面白かった。見逃さなくてよかった!」と大満足だった。
2時間20分休憩なし