アンケートなどから
遅ればせながらアンケートより「テキストが面白い、生々しい視点、素敵なフレーズ」と感じたいくつかを一部抜粋して掲載致します。
ネタバレBOXにしまっておりますので、是非どうぞ。
遅くなりました
ハセガワさんの考え方はとても好きなのに
作品に魅力を感じられないのは自分が未熟なのか。。
作品をポジティブにとらえようと試行錯誤してみましたが
駄目でした。。
満足度★★★★
頭使って観劇を。
「戦争」、性別はもちろん、初演とはあれこれいろいろと違い、当時を引きずらない印象。
「赤鬼」、当世風坂口安吾みたい。厭世感と非現実感。
椅子にどっかり腰かけて背もたれにしなだれかかり
「さあ、エンターテイメントを期待。」
というスタンスの人にはMUは合わないだろうなあ と思いました
「観劇」を一方通行の「受信」とは捉えず、観てあなたも何か考えてください、という姿勢が強いので。
逆に言うとあら探しとも言えるような見方をする人、前のめりになって舞台をまじまじと観るひとはきっと観ていて面白いのだと思います。
満足度★★★★★
マルホランドドライブが日常に降って来たかと思った。
<戦争>
男女反転するとこんなにも痛々しくなるものか、と。
男にはあった余裕が女にはないものなんですね。逆だと思ってたのに。
ただ女の子が「戦場に行った」という方がより打算的。
最後五味さんが外の世界に殴り込みに行くのは、前の男性のときはものすごいヒーロー的だったけど
女性になるとほんと捨て身。悲しくなりました。
青木さんは女性になるとぐっと魅力的ですね。
あとフリッパーズの小山田の方がやたら好みの顔でした。
<赤鬼>
最初は話の仕掛けが気付かなくて、
結局一番強者とされてる副所長が一番イタい、みたいな話かと思ったけど、
最後の方の、鬼塚が不二家の箱を持って出てきたシーンでわーっと。解けました。
これは和田さんが見た夢で、夢っていうか、眠って見た夢でもあって願望の夢でもある。
鬼塚をやったのは野間ではなくて自分ではなくてはならない、
なぜならそれが町子が戻ってくる理由だから。
だから、町子が別れたいって言ってきたときに
その新しい男を殺すというのは和田さんの夢見たことであって、
それが昏睡の中で実際に夢で出てきたことでもあった。
というのがわたしの解釈です。
殺したのが野間じゃなくて「自分でなくてはならない」というのが
一番の根底じゃないかと思ってます。
「マルホランド・ドライブ」でダイアンが死ぬ間際に(もしくは死ぬその瞬間に)
自分の理想像としてベティの夢を見たように、
和田さんも昏睡の中で、自分の願望通りに進む夢を見た。
ハセガワアユムさんがblogで文学を叫んでいた意味もものすごく分かったし、
わたしにとって「マルホランド・ドライブ」ってすごく特別な映画なので、
こういう形で再会できて、それも驚きでした。
あれはデビッドリンチにしかできないもんだと思ってましたよ。
それが東京の、日常に降ってくるなんて。最高。あーもう1回見たい。
満足度★★★★
わかってる短篇集。
小説は短篇集が割と好みで、割と短気な性格がでているんだと思う。
でも、演劇のオムニバスはだいたい小気味の良さがなくて嫌なんである。
その点MUは、短篇の作り方がこなれていながら、鋭さも感じさせる。
意地悪な感じだけど、意外と厭世観のようなものもないし、カラッとしている。
ハセガワアユムはそういう筋肉で戯曲を書いているんだなぁという感じ。
私は、「戦争に行って来た(反転)」の方が割と好み。
役者も揃いも揃ったりで言うことなし。
戯曲への理解度が高い役者がいることは幸せなことである。
特に気になったのは二人。
池田ヒロユキは、本当に不器用な達者さがたまらなく愛おしい。
岡田あがさは、抱えてる系の女をやらせたら迫るものがある。
また、作風もルデコの雰囲気に合っていたようである。
逆に言えば、劇場でやるには難しいような気もしてしまう。なーんでか。
そして付け加えるならば、小説ではこの短篇集はつまらないだろうな、と。
人が動くことでようやく生きるお話である。
次こそ上段に座ってみたい。
今回はコメントを読んでから出向いたので、ついてくぞ!ついてくぞ!ってな具合に、頭をぐいぐい突っ込む勢いで観ました。あっちこっち物語が始まるのは嫌いじゃないみたいで私は楽しめましたね。
印象に残ったのはこまつさん、永山さん、池田さん。
個人的にはどちらかの作品をじっくり観たかったかな。できれば赤鬼。
そしてやっぱりクッションとかない会場なんですかね、お尻が痛い・・・・
満足度★★★
皆さん書かれているように・・・
ちょっと詰め込みすぎで焦点がボケている印象でした。
個々に見ていくと、それだけを広げていくと面白くなりそうなのにな・・・、という感じなのだけど、あまりにも早く次々と話が移り変わりすぎて、印象に残らなかったり。
岡田あがささんが素敵でした。
後、はらぺこペンギンの川本さん、相変わらず面白です。
満足度★★★
なんとも・・・
設定が中途半端なせいなのか舞台で白熱するほど・・・・冷めてしまったところが・・・劇場ではなくギャラリーでの上演意味はあったと思う。
満足度★★★
置いてけぼり感
戦争に行って来た(反転)
45分の短編なのに、妙に長く感じたのは脚本のせいかイスのせいか。
戦争に行ってきた女性達の、前半から後半への狂気が突然で
ちょっと置いてけぼりになったような気がしました。
しかし、あの三人が戦争に行ってきたとは思えない。
戦争で相方を失った女性三人の方がすっきりするかも。
死んだ赤鬼
どこからが夢でどこまでが現実なのか、最後まで謎のまま。
きっとそういう見え方で正解なんでしょうけど、
ちょっと置いてけぼりになったような気がしました。
両作品とも、川本喬介さんが上手いです。
満足度★★★
描きたいことが多すぎるのでは?
パンフの設定含めプロットやらストーリーやらが自分で決めた枠に収まりきれずに溢れてしまっているよう。もっと削いでもよい気が。111分。
満足度★
げきだん=閉鎖的な存在?
悪意とかは全くないのですが、劇団というのは、もしかしてとても閉鎖的な空間なのかな、とか自己評価の高さに周りもひきずられているのかな、とか思ったので、こういう意見もある、という一例になればと、投稿しました。この為にここに登録したんで、あー素性不明だからこの意見は重視しないとか切り捨てよう、とかもあるかもしれませんが、一応他にもこういう意見はあるだろうと確信したので。きっと表現者である限りは今のものに満足!!ってことはないだろうと期待しつつ。正直な感想は『未熟』、扱おうとしているテーマが”狙ってる”だけに強烈に『ださい』と感じさせてしまう。二本とも、きっと作者なりのオリジナリティはあるのだろうけれども完成レベルまでに達していないが為に(役者の未熟など)テーマ的にも陳腐に感じてしまったり、ああまたかもう飽きたな、とか思わされた気がしました。多分こんな風に展開するのかな、とか、こんな風にオチつけるのかな、とか雑念がはいり早く終わらないかな、とか。次は?わくわく!もっと見ていたい!という魅力が全くなく、短編なのに長く感じて辛かった。ドラマになっていない、それこそ台本形式の本にすれば、と。別に自然な演技とかだけを求めているわけではないんですよ、戯画化されていてもそれがそれなりのぼくらの生きている世界の描き方であれば。ただ分裂したものを詰め合わせただけみたいになっていて、もう、後味もとても悪い。出来の悪い芝居は、出来の悪い映画より何倍も体力使うし、落ち込みます。特に終わりが『赤おに』だったんで…。自己満足的な言葉遊びやメタファーのちりばめではなくて、『伝わる』芝居にして欲しかったです。
満足度★★★★★
両A面と冠を付与するにふさわしい2作品
サバイバル・ホラーと不条理なサスペンス、両A面と冠を付与するにふさわしい2作品でした。
2作品とも上演時間はそれぞれ約45分。あいだに休憩時間が約15分あります。両方観てだいたい2時間弱ぐらい。ちょうどいい時間。ストーリーも理路整然とまとまっているので観やすい。
まずはじめに『戦争に行って来た(反転)』からスタート。
掃いて捨てるほどあるウソと現実。
よくある日常の風景のはずなのに、人質となった恐怖体験を経た彼女達には異質な世界に感じている。
ルポ写真の向こう側、喫茶店の窓ガラスの向こう側では戦争がある。
生き残るか、殺されるか。
物語を観て、不条理なサバイバル・ホラーだなと感じました。
『戦争に行って来た(反転)』で印象に残ったシーン。
「現実をなめんな!」というセリフ、恐怖におののいている件(くだり)が鮮明に記憶に残っています。
休憩の後に続いて『死んだ赤鬼』がスタート。
物語はサスペンス。
弱い人間は、誰とでもなかよくしたいと思っている。
『泣いた赤鬼』の童話になぞられて赤鬼と例えている。
強い人間だって皮一枚はがれると、か弱い。同じ人間、赤鬼。
強い人間が赤鬼を死なせてしまった。
強かったはずの人間が、あっけなくもろくなる。
物語の結末は意外なものでした。
『死んだ赤鬼』で印象に残ったシーン。
男二人が、ある小物を鼻と口の上にあてて呼吸するシーンがあります。
実は二人とも病室にいるらしい。実際はよくわからない状況なのです。
まるでベットの上で酸素吸入器で生きるか死ぬかもがき苦しんでいるような姿に見えました。
胡蝶の夢のような・・・
『戦争』はチラシの嘔い文句の通り、核を同じくしながらも皮膚への迫り方が初演とは異なる角度で興味深く拝見。
初演は戦争体験の方から迫ってきて、今回は今そこにある危機の方から迫ってくる。いずれもボディーブローには違いないが。
『赤鬼』はこの8人のために書いた!って感じで役者それぞれの持ち味が遺憾なく発揮されておりグルーブ感がすごく心地よかった。
「薄皮1枚」という言葉が孕む難しさや危うさや救いは作品のみならずそれを観ている己にまで響いてくる。
街の騒音まで味方につけて、あの空間でやる意義のある公演だった。