死んだ赤鬼/戦争に行って来た(反転) 公演情報 死んだ赤鬼/戦争に行って来た(反転)」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.5
1-15件 / 15件中
  • アンケートなどから
    遅ればせながらアンケートより「テキストが面白い、生々しい視点、素敵なフレーズ」と感じたいくつかを一部抜粋して掲載致します。

    ネタバレBOXにしまっておりますので、是非どうぞ。

    ネタバレBOX

    「『死んだ赤鬼』も妙に親近感が湧く感覚でした。人の弱さをあまり認めると、人はどんどん弱くなってしまう。そんな気がしました。」(30代・男性)

    「「これが現実」と「それは夢」と各々の短編で足利さんが言うのが面白いなと。45分の短編2本で、間に休憩もあって観やすくて良いですね。ギャラリー公演という雰囲気も良かったです。」(女性)

    「2つとも分かり易くて面白かったです。個人的には『赤鬼』の方が、トレインスポッティングめいた夢と現実の境感(原文ママ)とかが、めまいみたいにあふれてきて面白かったです。全部夢見たいで、でも現実で、やっぱ夢みたいなところとか凄く好きです。」(男性)

    「『戦争〜』は、反転バージョンではまた違った切実さがあり、息苦しくなった・・。絶対的暴力に立ち向かうのが、より力の弱い女性になったことで、その意志の強さが際立った気がします。」(20代・女性)

    「ラブより人間性のはなしをされているように感じました。ちょうど自分の中の分岐点にいるのでぐらぐらきました。」(20代・女性)

    「女性の反戦、平和系、市民団体のうさんくささはものすごく興味深い設定だなって思っていて、彼女らの「立派さ」と「嘘さ」は面白い。いや、決して笑っているのではなくて、笑われていることに対する憤りには共感も覚えるという意味で。」(20代・男性)

    「同じセットなのに世界が全然ちがって面白かった。」(女性)

    「(気になったキーワードは)「もうひとつの現実」。芝居自体がもう一つの現実だな、と思った」(女性)

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    さらに、MUで喜んだことは『TokyoHeadLine』での宣伝から、ふだんお芝居を見られない方にもご来場戴けたことです。以下抜粋しての転載です(詳しくはリンク先をご覧ください)。

    「演劇とか舞台の類って、コンテンポラリーダンスしか観たことがなくて、特に演劇ってジャンル自体自分には無理な気がして全く興味無しだったんだけど、電車で移動する時に暇つぶしで読んでた『TokyoHeadLine』(フリーペーパー)にちっちゃく載ってたお芝居の記事がなんとなく気になって、場所がよく知ってるギャラリーだったこともあり、最終日の最終回を観てきた。

    かなり直前まで迷ってたんだけど、短編の2部構成だし、私が苦手意識を持っている「演劇=目の前で激熱」ではなさそうな雰囲気だったので初めてトライするには丁度いいかも、安いし、と意を決して。」(以下略)

    『植えては枯れるベランダ園芸』さんのblogより
    http://utkr.jugem.jp/?day=20081130
  • 遅くなりました
    ハセガワさんの考え方はとても好きなのに
    作品に魅力を感じられないのは自分が未熟なのか。。
    作品をポジティブにとらえようと試行錯誤してみましたが
    駄目でした。。

  • 満足度★★★★

    頭使って観劇を。
    「戦争」、性別はもちろん、初演とはあれこれいろいろと違い、当時を引きずらない印象。
    「赤鬼」、当世風坂口安吾みたい。厭世感と非現実感。

    椅子にどっかり腰かけて背もたれにしなだれかかり
    「さあ、エンターテイメントを期待。」
    というスタンスの人にはMUは合わないだろうなあ と思いました
    「観劇」を一方通行の「受信」とは捉えず、観てあなたも何か考えてください、という姿勢が強いので。
    逆に言うとあら探しとも言えるような見方をする人、前のめりになって舞台をまじまじと観るひとはきっと観ていて面白いのだと思います。

    ネタバレBOX

    「病気」「バンド」「ボールペン」「東京」「金」「暴力」「こっち側(と、あっち側)」あたりはキーワードだったなぁ と思います
    どなたかも書いていらっしゃいましたが、
    「戦争」で最後にしてただひとつの武器であった「ボールペン」が、「赤鬼」で世界を認識するための道具になっていたとき、ぞっとしました。

    あと「鬼塚」って苗字に反応。笑
  • 満足度★★★★★

    マルホランドドライブが日常に降って来たかと思った。
    <戦争>

    男女反転するとこんなにも痛々しくなるものか、と。
    男にはあった余裕が女にはないものなんですね。逆だと思ってたのに。
    ただ女の子が「戦場に行った」という方がより打算的。
    最後五味さんが外の世界に殴り込みに行くのは、前の男性のときはものすごいヒーロー的だったけど
    女性になるとほんと捨て身。悲しくなりました。
    青木さんは女性になるとぐっと魅力的ですね。
    あとフリッパーズの小山田の方がやたら好みの顔でした。

    <赤鬼>

    最初は話の仕掛けが気付かなくて、
    結局一番強者とされてる副所長が一番イタい、みたいな話かと思ったけど、
    最後の方の、鬼塚が不二家の箱を持って出てきたシーンでわーっと。解けました。

    これは和田さんが見た夢で、夢っていうか、眠って見た夢でもあって願望の夢でもある。
    鬼塚をやったのは野間ではなくて自分ではなくてはならない、
    なぜならそれが町子が戻ってくる理由だから。
    だから、町子が別れたいって言ってきたときに
    その新しい男を殺すというのは和田さんの夢見たことであって、
    それが昏睡の中で実際に夢で出てきたことでもあった。

    というのがわたしの解釈です。
    殺したのが野間じゃなくて「自分でなくてはならない」というのが
    一番の根底じゃないかと思ってます。
    「マルホランド・ドライブ」でダイアンが死ぬ間際に(もしくは死ぬその瞬間に)
    自分の理想像としてベティの夢を見たように、
    和田さんも昏睡の中で、自分の願望通りに進む夢を見た。

    ハセガワアユムさんがblogで文学を叫んでいた意味もものすごく分かったし、
    わたしにとって「マルホランド・ドライブ」ってすごく特別な映画なので、
    こういう形で再会できて、それも驚きでした。
    あれはデビッドリンチにしかできないもんだと思ってましたよ。
    それが東京の、日常に降ってくるなんて。最高。あーもう1回見たい。

    ネタバレBOX

    コリッチも拝見しました。
    別れ話を聞いた直後から妄想が始まったと書かれてる方がいましたが、
    わたしは別れ話をされて、鬼塚を殴打して、自分の足をボールペンで刺した、
    までは現実だったんじゃないかと思ってたんです。
    だって本当の理想は別れ話すら、鬼塚すら存在しないことだから。
    それが存在するということは、そこまでは現実で、
    その後の展開を願望を込めて湾曲しているのかな、と。
    というのは、結局靴が何のメタファーなのか分からなかったんです。

    でも帰ってきてネットで他の方の解釈を読んで、靴が生命維持装置だった!と分かって。
    ってことは町子が靴を置いて出て行った、そこまでが現実で、それ以降が夢の世界だったんだと。
    あーだからボールペンも痛くなかったんだ、って。
    (このボールペンてのがまた!戦争でこっち側の世界の唯一の武器だったボールペンってのが!)

    ただ靴を境界にしちゃうと、なぜ和田さんは瀕死だったのか、
    そもそも鬼塚もなんで頭に包帯を巻いてるのか、がつじつま合わなかった。
    靴を脱ぐのは全てが起こる前だし。
    でもそのつじつまはあんま大事じゃないっていうか、
    それよりも靴を脱ぐ→その靴が別の物の(現実世界にしか存在しない、
    夢の世界の中では話にも出てこない物の)メタファーになってる、ってことはつまり
    靴を脱ぐという儀式がストーリーのゴングというかチャイムというか、そういう合図になってるのかなと深読みしました。
    マルホランドにもブルーボックスとブルーキーが出てくるみたく。
    わたしはそっちの方が好きなので、そういう解釈にしときますね(笑)

    けっこう「分からない」って書いてあった方もいましたが、
    わたしも見た直後では理解度6割ぐらい。
    帰ってきていろいろ解釈を読んで、やっと分かった感じです。

    ただ「分からない」が「つまらない」「良くない」になってしまう暴力にはほんと悲しくなった。
    わたしは普段お芝居って多く見ませんが、こういう新しい作品が増えるなら
    もっと見てみたいって思うし。この赤鬼は、ほかの演出家にリミックスされたり、
    それこそ他メディアにクロスオーバーされたりそういうのがあったら超見たい。

    とにかく!赤鬼、最高面白かったです。
  • 満足度★★★★

    わかってる短篇集。
    小説は短篇集が割と好みで、割と短気な性格がでているんだと思う。
    でも、演劇のオムニバスはだいたい小気味の良さがなくて嫌なんである。

    その点MUは、短篇の作り方がこなれていながら、鋭さも感じさせる。
    意地悪な感じだけど、意外と厭世観のようなものもないし、カラッとしている。
    ハセガワアユムはそういう筋肉で戯曲を書いているんだなぁという感じ。
    私は、「戦争に行って来た(反転)」の方が割と好み。

    役者も揃いも揃ったりで言うことなし。
    戯曲への理解度が高い役者がいることは幸せなことである。
    特に気になったのは二人。
    池田ヒロユキは、本当に不器用な達者さがたまらなく愛おしい。
    岡田あがさは、抱えてる系の女をやらせたら迫るものがある。

    また、作風もルデコの雰囲気に合っていたようである。
    逆に言えば、劇場でやるには難しいような気もしてしまう。なーんでか。

    そして付け加えるならば、小説ではこの短篇集はつまらないだろうな、と。
    人が動くことでようやく生きるお話である。

  • 次こそ上段に座ってみたい。
    今回はコメントを読んでから出向いたので、ついてくぞ!ついてくぞ!ってな具合に、頭をぐいぐい突っ込む勢いで観ました。あっちこっち物語が始まるのは嫌いじゃないみたいで私は楽しめましたね。
    印象に残ったのはこまつさん、永山さん、池田さん。
    個人的にはどちらかの作品をじっくり観たかったかな。できれば赤鬼。
    そしてやっぱりクッションとかない会場なんですかね、お尻が痛い・・・・

  • 満足度★★★★

    一歩踏み込んだ脆さと危うさ
    物語の骨格にも創意があって、脆さと危うさがじわっと伝わってくるような作品でした

    ネタバレBOX

    「戦争に・・」は外側からの暴力に崩れていくものが、見事に浮かび上がっていました。反戦を語る者が本当の戦いにさらされる時にこそ体験する脆さの表現に目を見張りました。

    「赤鬼・・・」の脆さには強者や弱者を問わずに持つ人間の心の
    奥底の危うさがしっかりとあぶりだされていたと思います。

    役者も好演で、この役者たち(座組み?)でなければ表現できないものがあったように感じます
  • 意図が
    読み辛かった。

  • 満足度★★★

    皆さん書かれているように・・・
    ちょっと詰め込みすぎで焦点がボケている印象でした。
    個々に見ていくと、それだけを広げていくと面白くなりそうなのにな・・・、という感じなのだけど、あまりにも早く次々と話が移り変わりすぎて、印象に残らなかったり。
    岡田あがささんが素敵でした。
    後、はらぺこペンギンの川本さん、相変わらず面白です。

    ネタバレBOX

    「戦争へ行ってきた」はまだ見れるのだけど、でも戦争というテーマを扱っている割には戦争を軽く扱いすぎている感じでちょっと受け付けない部分もあったり。
    あれなら別に戦争でなくても良かったような気がしてしまいました。
    単に何かの事件の人質になって有名になっていればいいだけのような。
    って、戯曲賞を獲得した作品に素人が偉そうなこと言えないですが。。。

    「死んだ赤鬼」は話の主軸がわかりづらくて見ていて入り込めませんでした。

    MUは最初に見た「愛の続き/その他」が良すぎただけに、その後は肩透かしを食らっているので「次こそは!」という気持ちがあって、結局見に行ってしまうのですが。。。
  • 満足度★★★

    なんとも・・・
    設定が中途半端なせいなのか舞台で白熱するほど・・・・冷めてしまったところが・・・劇場ではなくギャラリーでの上演意味はあったと思う。

  • 満足度★★★

    置いてけぼり感
    戦争に行って来た(反転)

    45分の短編なのに、妙に長く感じたのは脚本のせいかイスのせいか。
    戦争に行ってきた女性達の、前半から後半への狂気が突然で
    ちょっと置いてけぼりになったような気がしました。

    しかし、あの三人が戦争に行ってきたとは思えない。
    戦争で相方を失った女性三人の方がすっきりするかも。


    死んだ赤鬼

    どこからが夢でどこまでが現実なのか、最後まで謎のまま。
    きっとそういう見え方で正解なんでしょうけど、
    ちょっと置いてけぼりになったような気がしました。

    両作品とも、川本喬介さんが上手いです。

  • 満足度★★★

    描きたいことが多すぎるのでは?
    パンフの設定含めプロットやらストーリーやらが自分で決めた枠に収まりきれずに溢れてしまっているよう。もっと削いでもよい気が。111分。

    ネタバレBOX

    キャラの人数分だけ物語を描いてしまっているようで、そのせいか結局ドコに落としたいのか、誰に焦点を当てたいのかが発散してボヤけてしまってる気がする。おかげでどう終わるのかが分かりにくく、観終わった感覚がスッキリこない。

    また、人に対しての描写や台詞の比重が高いせいか、物語自体の求心力がちょっと弱く、提示しなきゃ伝わらないものと想像させて足るものがアンバランスになってしまっている。

    演出的も二話目の「死んだ赤鬼」は設定上激情型の演技が合っているが「戦争~」の方はシーンのメリハリと大げさな演技のマッチングが悪いのか観ていてなんか居心地悪い感じも。

    いっそ出演者を二~三人に絞って90分ぐらいの中編の物語をつくってみるとスタイル的に意外と合っているように思えるんだけど・・・。
  • 満足度

    げきだん=閉鎖的な存在?
    悪意とかは全くないのですが、劇団というのは、もしかしてとても閉鎖的な空間なのかな、とか自己評価の高さに周りもひきずられているのかな、とか思ったので、こういう意見もある、という一例になればと、投稿しました。この為にここに登録したんで、あー素性不明だからこの意見は重視しないとか切り捨てよう、とかもあるかもしれませんが、一応他にもこういう意見はあるだろうと確信したので。きっと表現者である限りは今のものに満足!!ってことはないだろうと期待しつつ。正直な感想は『未熟』、扱おうとしているテーマが”狙ってる”だけに強烈に『ださい』と感じさせてしまう。二本とも、きっと作者なりのオリジナリティはあるのだろうけれども完成レベルまでに達していないが為に(役者の未熟など)テーマ的にも陳腐に感じてしまったり、ああまたかもう飽きたな、とか思わされた気がしました。多分こんな風に展開するのかな、とか、こんな風にオチつけるのかな、とか雑念がはいり早く終わらないかな、とか。次は?わくわく!もっと見ていたい!という魅力が全くなく、短編なのに長く感じて辛かった。ドラマになっていない、それこそ台本形式の本にすれば、と。別に自然な演技とかだけを求めているわけではないんですよ、戯画化されていてもそれがそれなりのぼくらの生きている世界の描き方であれば。ただ分裂したものを詰め合わせただけみたいになっていて、もう、後味もとても悪い。出来の悪い芝居は、出来の悪い映画より何倍も体力使うし、落ち込みます。特に終わりが『赤おに』だったんで…。自己満足的な言葉遊びやメタファーのちりばめではなくて、『伝わる』芝居にして欲しかったです。

    ネタバレBOX

    『戦争~』のほうがまだ面白みを感じる可能性はあるのかもしれません(設定にちょっとわくわくっとしました、バンドが出てくる前)が、後半はもう『写真は嘘だ』とか『もうひとつの世界』とか、きっと難しいセリフなんだろうけど、セリフがセリフ負け、言葉負けして”鳴って”いなくて、あーもう痛々しいなと。『飽きちゃったんですよね、世界に』とかがちゃんと響くキャラでもないし。そんなに暴露しないでしょう、今時の若者って。ぶつけてこないでしょう特に東京では。ものすごく熱い青春大学生以外は。リアルでなくてもいいんだけど、あまりにあまりな、ふたりでした。そんな感情の流れも盛り込みすぎで全く唐突な空中分解した脚本に、乗り切れていない役者を見て、なんで客が気まずい思いをしなければならないんだ、と。拳銃はなんなんだ、と。戦争がなくなるかなくならないかというのは全く別のそれはそれの問題で、詰め込みすぎかと。舞台上舞台なんだからさ、見せかたに気を配ってくれと。それは『赤鬼』の暴行のあとのあえぎシーンとかびんたシーンとか、見てて赤面というか辛いです。緊迫感もなく、だるい。『痛くない』というのもべただなー!!!!という感じ。
  • 満足度★★★★★

    両A面と冠を付与するにふさわしい2作品
    サバイバル・ホラーと不条理なサスペンス、両A面と冠を付与するにふさわしい2作品でした。

    2作品とも上演時間はそれぞれ約45分。あいだに休憩時間が約15分あります。両方観てだいたい2時間弱ぐらい。ちょうどいい時間。ストーリーも理路整然とまとまっているので観やすい。

    まずはじめに『戦争に行って来た(反転)』からスタート。
    掃いて捨てるほどあるウソと現実。
    よくある日常の風景のはずなのに、人質となった恐怖体験を経た彼女達には異質な世界に感じている。
    ルポ写真の向こう側、喫茶店の窓ガラスの向こう側では戦争がある。
    生き残るか、殺されるか。
    物語を観て、不条理なサバイバル・ホラーだなと感じました。

    『戦争に行って来た(反転)』で印象に残ったシーン。
    「現実をなめんな!」というセリフ、恐怖におののいている件(くだり)が鮮明に記憶に残っています。


    休憩の後に続いて『死んだ赤鬼』がスタート。
    物語はサスペンス。
    弱い人間は、誰とでもなかよくしたいと思っている。
    『泣いた赤鬼』の童話になぞられて赤鬼と例えている。

    強い人間だって皮一枚はがれると、か弱い。同じ人間、赤鬼。
    強い人間が赤鬼を死なせてしまった。
    強かったはずの人間が、あっけなくもろくなる。
    物語の結末は意外なものでした。

    『死んだ赤鬼』で印象に残ったシーン。
    男二人が、ある小物を鼻と口の上にあてて呼吸するシーンがあります。
    実は二人とも病室にいるらしい。実際はよくわからない状況なのです。
    まるでベットの上で酸素吸入器で生きるか死ぬかもがき苦しんでいるような姿に見えました。

    ネタバレBOX

    『戦争に行って来た(反転)』

    掃いて捨てるほどあるウソと現実。
    男女それぞれのグループでカネと恋愛の駆け引きを始めていたはずなのに、知らないおじさん(怖いお兄さん)たちとの戦争になっていく。
    窓ガラスの向こう側は戦場。生き残るか、殺されるか。ボールペン1本で立ち向かっていく。現実をなめんな。

    濡れたジーンズ。毎回、水風船かなにか仕込んでいるのには大変な労力がかかっているだろうなと思います。乾かすか、他のジーンズを複数用意していたりするのではないかと思います。

    反戦家のリーダーの女性より、バンドのマネージャーの男が一枚上手だった。
    バックマージンをより多くもらうよう仕向けたはずなのに、利益を100パーセント全部もっていかれた。

    他の方のコメントで「誰が被弾したのかわからない」とありましたので、僕が観た記憶を話します。

    フォークバンドのデュオが、撃たれた由季(あがさ)が車の中に押し込まれたのを、喫茶店の窓ガラス越しに見ていた、と思います。

    圭(カメラマン)が改造モデルガンだったから役に立たなかったのではというセリフを言っていたように記憶しています。
    由季(あがさ)が改造モデルガンを撃ったときに暴発したようです。
    印宮(ヤクザ)にはあたらなかったのではと思います。
    外の銃撃戦では返り討ちにあったと思います。
    銃声は1発か2発。聞こえにくかったのが原因の一つかもしれません。

    (舞台裏ではクラッカーか銃のおもちゃの火薬を鳴らしていたと思いますが)

    逆にヤクザに命中して、女の車に乗せたと仮定すると、喫茶店の外から様子をうかがっていた「知らないおじさん(槇原組のヤクザ)」が黙って見過ごすとは思えません。

    状況的にリーダー、マネージャーを含め3人ともやられた。
    カメラマンとバンド・デュオの3人がボールペンで目つぶしを狙って玉砕する。

    こういう結末を迎えただろうと思いました。

    -----

    『死んだ赤鬼』
    物語の結末は夢オチだったけど、話の展開や演出が素晴らしかった。
    先を読ませない。

    切多摩湖のほとりに死体を遺棄する、完全犯罪を狙う展開が、エンディングで実は夢・まぼろしだったとわかる。
    殴り殺してしまった元・彼氏が、2度も言ったセリフに納得、合点がいくようになりました。
    「足にボールペンを刺しても痛くもなんともないんだ。これは夢にちがいない」

    物語の冒頭、警棒で殴らないでからエンディングまでのわずかな時間に、元カレの頭には、妄想をふくらませる何かが分泌されていたのです。

    2作品とも不条理ながら、体と脳がぞくぞく震えてしまう、両A面級の作品でした。
  • 胡蝶の夢のような・・・
    『戦争』はチラシの嘔い文句の通り、核を同じくしながらも皮膚への迫り方が初演とは異なる角度で興味深く拝見。
    初演は戦争体験の方から迫ってきて、今回は今そこにある危機の方から迫ってくる。いずれもボディーブローには違いないが。

    『赤鬼』はこの8人のために書いた!って感じで役者それぞれの持ち味が遺憾なく発揮されておりグルーブ感がすごく心地よかった。
    「薄皮1枚」という言葉が孕む難しさや危うさや救いは作品のみならずそれを観ている己にまで響いてくる。

    街の騒音まで味方につけて、あの空間でやる意義のある公演だった。

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