公演情報
「廃墟」の観てきた!クチコミ一覧
満足度★★★★
戦争どころか貧しさを体感したことの無い10代20代の若い人たちにはどう映ったのだろう。
私も含めて世の中のシステムが変革したしたことが無い、変わることが無いと思っている人々が大半である日本で、このような骨太な物語が上演され見続けられることが貴重で重要であるとも思う。
熱き想いが行き交う濃厚な会話劇に、たじろく人も嫌悪する人も二の足を踏む人も様々いるかと思うが
その熱量が今の日本の土台であったのだろうと感じられる舞台でした。
屋根裏部屋を上手く表現する舞台演出も、鋭く突き刺さる台詞も心に響く物語で心地よかった。
一つ残念だったのは、アンケートの記入を促すも、誰も回収しない、受付に誰もいないのはどうかと。
それならアンケートなどはやめてSNS一本にするべきでは。内容が良いだけに残念でした。
満足度★★★★
難しく、答えが出ない内容でしたが、その分考えさせられました。重厚な雰囲気の中の討論は惹き込まれましたが、声を張り上げすぎて煩い印象がありました(熱演は良いのですが)。物の溢れている現在、たった数十年前は、こんなに過酷な生活を送っていたかと思うと、何とも言えない気持ちになりました。考えさせられる良い舞台でした。
満足度★★★
鑑賞日2018/03/18 (日) 18:00
座席1階1列
演劇ユニット ハツビロコウ『廃墟』シアターシャイン
敗戦後の日本での普通の人たちの生活がリアルに感じられました。
こんな感じに国の未来や戦争について真剣に討論したことが無かったので、
こういう時代もあったのかと新鮮な感じでした。
照明効果や階下から聞こえる喧噪など、
リアルな演出の数々も素晴らしかった。
後半の白熱の論争劇は圧倒的な熱量で面白かったけど
大声でがなり立てる演技は5~10分が限界かなぁと思いました。
あまり長すぎると観ていて「まだ続くのか…」みたいに疲れてきます。
満足度★★★★
鑑賞日2018/03/16 (金) 14:00
この劇団は初めてなので、過去の公演は何も知らない。ただ、三好十郎の「廃墟」を上演する熱意と意欲に惹かれて、また、2015年の文化座と東演による新劇合同公演「廃墟」の印象がとても強いために、ぜひ見せていただきたいと思った公演である。小劇場での上演としては、よく工夫されていたし、あの空間が、廃墟にふさわしい雰囲気を醸しだしていて、若い人たちが多いのに、戦後の雰囲気をよく出していた。俳優の熱演のおかげで、予想以上に、面白い芝居に出来上がっていた。
満足度★★★★
鑑賞日2018/03/13 (火) 19:00
終戦直後、階下が焼けたため屋根裏部屋で生活する親族(+α)のひととき。ソリッド/硬派な印象はいかにもハツビロコウ。
そして理想的(?)な生き方を実践する父にも無茶をしがちな息子にも共感する。(実際ああいう局面になったら息子のような行動をとるのだろうけれど)
また、あんな荒廃したところから日本人たちは再起したんだなぁ、とも。
あと、会場の構造が屋根裏部屋にはうってつけだし、潔いと言うかバッサリ切って余韻を残す終わり方も良かった。
満足度★★★
鑑賞日2018/03/20 (火) 18:00
座席1階1列
率直な感想、三好十郎脚本の上演ということで、悪い方の予測があたった感じ。
何事でも挑戦が大事、一歩踏み出すことが必要ということも判るけれど、ハツビロコウにはこうした会話劇は似合わない感性なのかな。それとも演出が追い付いていないのか、ないしは台本が未消化なのだろうか。
ハツビロコウの過去作品は、敢えて言葉を省くことで、強い情念を示すことに長けていたように思う。沈黙をセリフとして使うような。そのために、かなり入り組んだ設定(時間軸が入れ子になったり、新たな事実が加味されたり)でも、コンパクトにまとめあげることが可能で、物語が拡散するとなく、深い親和性を獲得し観客が極めて同調しやすいものになっていた。
今回、最も気になったのは、会話劇であるがゆえに、熱量を込めすぎたこと。会話を継続するために抑揚ではなく、大声を張りあげる場面が多くなってしまった。まあ、三好十郎の脚本って、先鋭な言葉の応酬というのが特徴で、こうなりやすいのかもしれない。でもね、沈黙よりも強い熱量はないですよ。
うーん、期待とちょっと違いました。
満足度★★★★
ハツビロコウが初めて(?)鐘下辰男作品上演劇団の枠を出でて、三好十郎の重厚な議論劇に挑戦、なるほどと期待。私の結論を言えば、三好十郎のこの戯曲は、ハツビロコウの術は手に余った、であった。もっとも、それを言っちゃ古典戯曲の読み直しなどできない・・そんな声も聞えそうだ。焼け跡のまさに占領時代に書かれた戯曲を現代に「演劇的翻訳」するための何らかの策があったとすれば、それを具現するに技量が及ばなかったという事で、何が必要とされたのかが見据えられれば今後の挑戦にも光がさすだろう。そんな思いで辛口評を記す。
『廃墟』の近年の秀でた舞台は何と言っても2015年東演+文化座合同公演(もっとも他の「廃墟」は知らないが)で、小さな劇場の観客の目に堪える演技を、特に若手二人(対照的な兄弟二人)がやり切っていたのが記憶に新しい。
鵜山仁演出は、敗戦後の乾いた土と焼け朽ちた木、周囲を囲む植物的なもので舞台を覆い尽くし、「家」であると同時にそこが家屋の態を成さず「外」に通じる曖昧な空間(つまり囲いが無い、が外界とは一定の距離を保っている雰囲気)を作り、俳優をそこに置いた。これは生活を営む場の物理的な質感を出し、また思索の場にもなっていた。
敗戦後に残された道義の問題、責任の問題(1948年当時の情報で少なくとも作者の中で意識された問題)が示され、同時にこの問題が、2000年代の今も解決を見ていない事実が立ち上ってくる・・言わば戯曲の的確な読解と、現代への「翻訳」が為された舞台であった。
この2015年の「廃墟」がどうしてもモデルとなって立ちはだかり、見比べてしまう。
今回の舞台は、新劇サイドからの(正統的)アプローチでも、独自の方法論に基づく実験的アプローチというのでもなく、直感的に舞台を作って来たハツビロコウが、言わば自らを探る途上、新たな土俵で勝負した舞台、という風に言えそうだ。
だがハツビロコウ特有の、己を追い込んだ先に漏れ出るようなギザギザした発語が、この作品のテキストを通すとカバーしきれない部分が多かった。
シアターシャインの制約(左右の袖・壁に出入口が無く、奈落からの出入りしか使えないこと、舞台の奥行きが狭いこと)が、特に奥行きの狭さはマイナスして見えた。中央のテーブルの下が戦前あった地下防空壕に通じ、地盤が緩んだので修繕を行なっているから、これとは別の左右の床に空いた穴はこの“家”への象徴的な出入口かに見えたが、「天井裏」の設定に変えたのだとすれば、ここは「比較的自由に人が出入りできる家」というセミパブリック性を帯びた空間でなく、密室となってしまう。議論の口調は密室空間に親和性があり(ハツビロコウの得意技)、浮浪者の闖入は解釈不可能なまでに浮いてしまう。そうでなくやはり地上一階の床の上なのだと見れば、モードが密室であるのと齟齬がある。密室モードは、議論が起きればそれが人々の中心に置かれてしまう。何しろ他の関心事は台詞に書かれていないのだ。台詞が吐かれるところ、その言葉が舞台の、ひいては舞台上の人物全員にとっての関心事であり中心に据えられる、というのは家族のあり方にはそぐわない。鼻の頭を掻く者がいてもよいし、家族の営みを阻害する「議論」を行なっている事への疚しさが発語の端々に滲んでいたり、従って議論(というか口論)は舞台のどちらか片側でやっていればよく、でも厭でも耳に入るから家族皆に険悪の空気が伝染したりする。そのグラデーションの描写がこの舞台の条件では困難である事が、私には重要に思えた。父の本心吐露に至って家族はそれを中心にして存在する、という事がある・・こうして家族を描く、という側面が私はこの戯曲では非常に大事で、人物や集団の文脈を潜って出て来る言葉が、火花を散らすことで議論の言葉でなく「人物」が描かれることに帰着する・・この舞台が目指すべき地点はそういうことであったのではないかと思う。
まあオーソドックスではあるが、戯曲の台詞がそのように書かれている。その中からピックアップしたい議論、テーマがあったなら、それを軸にして改稿、翻案して上演するのが妥当だろうと思う。「廃墟2018」と題するだけの上演を貫くコンセプトが欲しかった、という事になるか。
満足度★★★★
敗戦の翌年に発表された戯曲とはいえ、劇中の議論の内容は(お花畑的発言でイライラさせてくれる発言者の存在も含め)現代と大差ない。以前ネットで戯曲をざっと眺めただけなので、今回の上演台本がどの程度手が入ってるのか分からないが、とにかく最後まで見入ってしまった。決して好きな話ではないけど…。
満足度★★★
平成も終わろうかというこの時代に、この表現はある意味貴重かも。
要所要所で感情移入しやすい場面は有るもののやはり演劇的魅せる要素に乏しいので面白味に欠ける。
満足度★★★★
『廃墟』2時間の作品を見せていただきました。前半は芝居に入っていけずあまり面白くありませんでした。それぞれの考え方の議論が展開されるあたりから面白さが一気に増してきます。役者さん達も熱演でした。戦争責任 どれもこれも一理あります。難しいことです。答えは出ないと思います。
満足度★★★★
この劇は会話のみの劇で音楽等一切なく静かな状態が続くので必ず携帯は切ってほしい。(他の舞台もそうだが)
座った席の前のほうから携帯のバイブの音が何度も何度も聞こえてきて気になってしまった。
舞台内容はずっしりと重い会話劇でタイトルの「廃墟」とは場所のみではなく各々の内側もさしているのではと。
犬小屋の人があまり触れられず勿体なかったような・・・
満足度★★★
会話が終始堂々巡りで、ラストは救いようがない。もっと生きる元気を与えるものを期待していたのは私だけか。唯一共感出来たのが父親と長男の対話に入って正論を言った娘の台詞でした。
満足度★★★★★
一幕の濃密な会話劇。台詞の応酬は迫力があり圧倒される。戦後1年という混乱期であるが、日常の生活は足元にあり、当初交わされる会話は淡々としている。家族が食卓を囲むが、団欒の場でそれぞれの主義・主張、心情が吐露されるにともない、物語は最高潮に達したその先にある出来事は...。
(上演時間2時間)
満足度★★★
初めて観る団体だったが、かつてのガジラファンだったのと、前回の公演の口コミが好評だったのとで期待値が高かった。
ウェルカムな心持ちで観ていたはずなのだが、学生が帰る辺りから足りないものを埋めながら観ている自分に気づき始め、次男の登場で若干盛り返すものの、全体的に求心力、軸を欠いているように感じた。
座学、ディベート、演出などが不足しているのか、熱量そのものが目的化しているかのようで、台詞が刺さりきらないのが気になった。
渡しきらずに諦めを漂わせてしまうとやり取りが重くなる。
敢えて行き詰まった感を選んだのだとしたらあまり賛成出来ない。
NHKでカラー処理された戦後の群衆の映像を見た時、当たり前なのだけれどその「リアルさ」に衝撃を受けたのを思い出す。そこには悲壮感より命のしぶとさ、逞しさすら感じた。
暗さ、湿度的なものが全体を覆ってしまったせいか、演者の身体も語らず、ストレートな内容なのに悪い意味で状況が分からない瞬間が散見された。
期待値が高いがゆえにネガなコメントが並んでしまったけれど、さらに発展させ、媚びずに独自性を追究してくれることを期待したい。
満足度★★★★
「どんなことをしても生き抜く」が「戦後の奇跡的な復興」につながったのではないか、を感じた。
三好十郎の作品はどれも骨太である。
したがって生半可には扱えないのだが、今回は自分たち用に脚本を書き直すことで、自分たちができ、観客に伝えられることができる作品に上手く仕上げていたと思う。
満足度★★★
鑑賞日2018/03/14 (水) 19:00
価格0円
チケプレをペアでいただきました。ありがとうございました。
感想は遠慮なく書きますのでご了承ください。
久しぶりの阿佐ヶ谷、久しぶりのシアターシャインでした。
入ってみると「こんなに狭かったかな?」と思うほど。席は50席ぐらいでしょうか。