Die arabische Nacht|アラビアの夜 公演情報 「Die arabische Nacht|アラビアの夜」の観てきた!クチコミ一覧

★ 満足度の平均 ★ ★ ★ ★ ★ 4.2
1-5件 / 5件中
  • 満足度★★★★★

    一般的に思い浮かべる「演劇」とは別のところにあり、扱いにくいはずなのに、面白過ぎるという、結構面倒くさい(笑)戯曲『アラビアの夜』。それをshelfだから見事に捌くことができた。


    (以下はネタバレboxへ)

    ネタバレBOX

    ホテルやカフェがある、おしゃれスポット(笑)CLASKA内のギャラリー公演。
    shelfにはこういう、いわゆる劇場とは異なる空間での公演が似合う。

    shelfの公演は、舞台があって客席があって、舞台の上では演劇を、客席には観客が、という「安定した場所」を嫌うところがあるからではないだろうか。
    つまり、「日常の中」に「異物」のように「演劇」が入り込むという感覚がshelfの得意とするところ。
    なので、セットを組んだりしないし、装置も極めて少ない。

    役者の台詞と演技(演出)ひとつで、日常に異空間の空を広げて見せてくれる。

    今回の作品は、まさにその最たるものであったと思う。

    時間、空間を、不自然に行き来するのだが(マンションの階数が異なる空間だったり、砂漠だったり、瓶の中だったりする)、観る側にはそれは苦にならずにすんなりと入り込むことができる。
    空間が異なる登場人物たちが、「同じところ」にいるのもかかわらず、すんなりと飲み込める。

    今までのshlefでは「台詞の間」にイメージが広がっていたが、今回は「台詞そのもの」でイメージが広がり、さらにもう一歩奥への広がりが、観客にゆだねられる感覚であった。

    その「ゆだね方」が見事だ。無理がまったくない。

    shlefの舞台では、例えば『小さなエイヨルフ』という作品を上演しても、場面展開や場所の移動は、舞台の上に「イメージの世界」を出現させるだけて、セットを変えるなどということをするわけではない。フィヨルドであっても家の中であっても、観客が実際に目にしているのは「素の舞台」である。
    そういう意味において、今回の作品はshlefにふさわしい作品だったとも言える。
    ほかの劇団であったら、そのあたりは苦労したのではないかとも思う。

    結構、取り組みにくくて、「演劇」っぽくない戯曲だと思う。
    その「演劇っぽくない」戯曲はローラント・シンメルプフェニヒの作。

    これがとにかく面白すぎる。
    おっ! という展開から、おおお! となる。
    ほぼ全編が登場人物たちの独白で占められ、誰もが考える「演劇」とはかけ離れているのだが、「演劇」として面白いのだ。
    この感覚は今までなかった。

    つまり「演劇っぽくない」はずなのに、「演劇じゃなければ面白くない」戯曲でもある。
    時空の重なり方、一瞬の変化など、「同じ舞台の上に別の時空にいることになっている役者が立っている」ということの、面白さがあるからだ。

    この公演を見終わったときには、ローラント・シンメルプフェニヒの戯曲を読みたくなった。
    すぐにローラント・シンメルプフェニヒ『アラビアの夜/昔の女』『前と後』を読んだ。
    やはり面白い。
    shlefでまた取り組んでほしいと思った。


    全編奇妙な感覚で「面白い」のだが、私の観た回に「え? ここで笑う」という観客がいた。
    若い男が次々と女のところで引っかかっていくあたりが面白いと思っていたようだが、そこは笑えないシーンではないかと思った。というか、非常に怖いシーンである。瓶の中や砂漠と同じぐらいの「悪夢の中」に彼はいる。
    仏教的なそれぞれの「業」で「地獄」に彼(ら)はいるに違いないのだから。
  • 満足度★★★★

     今作の作家は、ローラント・シンメルプフェニヒと言う作家で、現代ドイツ語圏で最も多くその作品が上演されると評判の作家である。1967年西ドイツ生まれというから50歳ほどの作家ということになる。今作の舞台はかつてホテルだった学芸大学のCLASKAというアトリエでの公演だ。現時点で花よつ☆(追記2017.6.21)

    ネタバレBOX

    Shelfの公演は、キッドアイラックや春風舎、横浜の古いビルの一室、そして今回のギャラリーといった非劇場の公演が多いようである。まあ、春風舎は一応小劇場ではあるが。何れにせよ、ギャラリーの床はそのままで、床面に白い長方形が描かれ、客席は品川方面に向いている本物の窓の前を除く3辺に沿って作られている。因みに窓には赤い文字・而も英語表記で、成田空港までの距離は64.2Km、品川4167mと書いてある他、床には、劇中の科白やエントランスの位置、物語の鍵になる鍵束の落ちる位置、回廊、唯一実際に置いてある家具らしい家具であるソファーの位置指定、実物は無いが在るとされているサイドテーブルが矢張りアルファベットで記されていたりする。他小道具としてコニャックの少し残った瓶。ソファの周りに脱ぎ散らされた女物の衣類そして、ソファには女が寝そべっている。これだけ舞台美術がシンプルだと、想像力を最大限に強いる舞台だということが、良い刺激となって観客に伝わる。而も異国情緒のエッセンスであるアルファベットが部屋中に踊っていると言う訳だ。象徴性でいうならば、窓に書かれている外界へのアプローチが、閉鎖系としての上演中の劇空間に対する現実世界への通路(窓口)を表していると同時にヨーロッパ人にとってのアラブ人、アラブ世界という異国趣味をも表象している。無論、この話はそんなに単純なものではない。但し、それが日本人に簡単に理解できるという話ではさらさらない。調べれば調べるほど深みの増す作品であろう。
     アラブ系文学の代表作として、誰もが即座に思いつくのが「千一夜物語」だろうが、今作には、この物語に出てきそうな、ヨーロッパから見たアラブ世界の魔法の感覚のようなものが感じられる。現在に即して言えば、ボルヘスやマルケスに代表されるようなラテンアメリカ作家のマジックリアリズムに近いと言えるのかも知れぬ。何れにせよ、移民が人口の多くを占めるヨーロッパ先進国の日常空間に於いて、異国文化に対する様々な反応や戸惑い、憧憬や反発が複雑に絡まり合って成立している状況を感覚的受容を含めて上手く吸い上げた作品ということなのであろう。残念乍ら、自分がドイツ人と話をする時はフランス語を使っているので、フランス語のできるドイツ人としか基本的には話さないのだが、その狭い窓から見えたのは以上のような世界であった。
  • 満足度★★★★

    公演では、マンション内は断水という設定であるが、観劇日はドシャ降りの雨という皮肉。最寄り駅から徒歩12分とチラシに書かれており、行くのを躊躇ったが、観に行って良かったと思う秀作であった。原作は、ドイツ人作家・オーランド・シンメルプフェニヒ氏だが、その翻訳劇は外国作品というような違和感を感じなかった(登場人物名は原作通りのようであるが)。
    (上演時間1時間30分)

    ネタバレBOX

    文化が国民性を創るのか、国民性が文化を創るのか分からないが、翻訳劇ではその違いが怏々にして違和感を持たせる。しかし、この公演は国民性を越えた人間の深い思いと典型的とも思えるような行動が観てとれる。その観せ方は、特に照明や音響といった舞台技術に頼ることなく、役者の演技力・その体現のみに依る。にも関わらず、情景と状況はしっかり伝わるという心象形成は見事だと思う。

    会場はCLASKAの8階ギャラリー。窓からは、都心の夜景が濡れて幻想的な光景を見せている。舞台はコンクリート床にソファー、その傍らに残り少なくなったウイスキー瓶。周りを囲うように線が引かれ、その外側に客席(パイプ椅子)。

    役者が発語する擬音のブザー音、パントマイムによる状況説明など、「ト書」と「台詞」を起用に区別して物語を展開させる。その世界観は、過去と現在の交差。その繋がりがこの部屋にある。
    この部屋(マンション8階。この会場と同じ階数にした状況演出か)には女性2人が住んでいる。登場人物は、この2人、マンション管理人(男)、部屋女の彼氏、この部屋を覗いている男(後の闖入者)5人のみ。それぞれが自分の思いを遂げようとしている姿がコミカルに描かれる。

    上演前からソファーで眠り続ける女性、20年ほど前に旅行先で両親をはぐれ迷子に…その記憶・心の彷徨や嫉妬と呪いを思わせるような描写が滑稽と怖ろしさを感じさせる。同時にその女性に対する男性の本能、それを抗い切れない行為が可笑しい。
    これら全てが、役者の発する言葉と表現する身体で観せる作品、堪能した。
    なお、ギャラリー会場ということもあり、柱を舞台の区切りにしていた。自分の席(演技者との間に柱がある)から闖入男が女性を(脚立の上)覗いている演技が観にくく、その見切れが残念であった。

    次回公演を楽しみにしております。
  • 満足度★★★★★

    鑑賞日2017/06/02 (金) 19:00

    ローラント・シンメルプフェニヒの「語りの演劇(Narratives Theater)」とはそういうことだったのか。本来、演劇とは「語るな、演じろ」ということが基軸だと思っていたし、説得力を感じていた。しかし、壁も扉も階段もない空間で、床に示されている位置や状況のみを説明する文言。登場人物は舞台装置の変換ではなく、自身の発する言葉で、今の自分の状況を示し心情を吐露する。始めは何とも違和感を感じたけれど、進行するうちに、その最小限とも言える身体表現が言葉で膨れ上がり、何よりも大きな説得力を持ってくるのである。なるほどね。

    ネタバレBOX

    フランツィスカは6歳の時、両親との旅行中イスタンブールで誘拐される。そして、とある首長の下に連れてこられ、第何番目かの妻として、たいそうかわいがられ、20歳にして本当の意味で妻となる。しかし、彼女への過大な寵愛を嫉妬した第1夫人は、フランツィスカにつらく当たるが、それを見咎めた首長は第1夫人を処刑。その時の呪詛の言葉が、現代のフランツィスカを覆っている。彼女は月を見ることができず(睡魔と記憶の欠如が毎夜彼女を襲う)、彼女と口づけをした者は死に至る。
    カルパチ、カリルは次々と摩訶不思議な死を遂げるのだけれど、その後、ローマイヤーはどうなったのだろう。
    矢野靖人氏は、パンフでこの芝居を「実存」というテーマで語っている。確かにそうした見立ては悪くない。でも一方で、伝奇であり幻想譚でもある。タイトルからも連想されるように舞台には終始アラビアンナイトの趣があり、何ともエキゾチックだ。
    そして、よくよく思えば、かなりエロチックな芝居だ。
    フランツィスカは終始ほとんど全裸なのだし、カルパチは覗きに精を出し、カリルは複数の女性と情を交わす。ローマイヤーの下心もあけすけだ。
    矢野靖人さん今度は、もっと耽美的な演出ではいかがでしょうか。でも、そうなると全く別物になって、「語りの演劇(Narratives Theater)」ではなくなるでしょうね。
    劇場ではないので四方に窓がある、夜の回だと、ちょうど舞台上の時間と重なるように、日の光が宵ばりに変化してとても舞台の雰囲気を盛り上げてくれた。
    そう、この舞台が演じられたのは、舞台設定とおんなじ建物の8階なのです。
  • 満足度★★★

    ギャラリーの空間を利用しての表現。5人による、言葉と表現、自然まかせの人間の効果音となかなかよかった。90分

このページのQRコードです。

拡大