満足度★★★
随所で不覚にもうとうとしてしまったためかラストがラストと判らず、台本を購入。妄想する人物と妄想との関係は判りやすいが、関連し合うエピソードの「謎解き」性が弱く、「妄想」をめぐる思索の結論として、作者の真の動機が滲み出るようなものを期待したが今一つ「そうか」と思わせるドキッとさせる瞬間もなく、部分部分面白さはあるのに深め足りない感が残った。際どいテーマに触れる予感もあるが、「焚き付け方」がうまくないのか熱して行かず、勿体ない。凡そ人間の営みは「幻想」「妄想」の介在無しに為しえない・・人間の本来的使命に属するものでさえも(例えば恋愛・生殖・仕事)。・・そんな自己理解を現代人は既に獲得しており、一般的な形で妄想を語られても「そうかもね」で終わってしまうのではないだろうか。この芝居のエピソードの具体性、リアルさを「一般論」の俎上に戻すのでなく具体性を掘り下げる方へ持って行けばどうだったか・・・そんな感想。(いや、そうしたつもりだと反論されると、そうかも知れないなと思うが。具体から出発すると「妄想」というテーマも確定ではなくなる、という意味。それはさすがに・・だろうか。)
満足度★★
■約80分■
妄想を扱うと知った時点で、なんと大胆な、と思った。
「妄想がテーマですよ」と宣告した上で芝居を打つのは、「面白い話をするね」と前置きしてから話を始めるのも同然で、相手の期待値を否でも応でも高めてしまう。
だって妄想である以上、作者は現実原則に縛られず、自由に、放縦に、持てる創意を駆使して、自分の信じる“とびきり面白い物語”を作りうるのだから。
が、予測のついたことではあるが、作中で展開されるいくつかの妄想のうち、いたずらに引き上げられたこちらの期待値を上回るものは一つとしてなかった。
今後は、「妄想」の二文字を軽々にタイトルに入れ込むのは控えたほうがよいのではないだろうか?
満足度★★★★★
鑑賞日2016/12/26 (月)
無題1995(16-285)
19:30の回(晴)、19:00受付、開場、椅子席、ひな壇。
舞台3辺、壁沿いに椅子が並び、その上には逆さになった椅子が天井から吊られている。
椅子の多くは壁側を向き、いくつかの舞台を向いている椅子には玩具のブロックのようなものが置いてある。また、フラフープのような輪が中空に静止している。天井、中央付近にも大きな輪があり裸電球がある。
19:22前説(スモーク用のマスクあり、空調を切ると暑くなることがある、80分)。
19:25全身白の衣裳、男がゆっくり舞台に出てくる、開演~20:48終演。
こちらは初めて。先日、TABATHA(17日@キラリ☆ふじみ)の公演に行ったとき、工藤さんが出るというのを知り、観に来ました。
桜美林の方々だそうで、そうすると前日の「カミグセ」に続いて2日連続、だけではなく23~24日で水越朋さんX木村愛子さんのダンス公演を観ているので4日連続になりました。
4章立て、説明に「妄想喜劇譚」とあります。本作の妄想はかつて萩尾望都さんが講演でおっしゃっていた「創作」に繋がるものではなく自己認識を阻害し、自我が崩壊するようなものを表現しているようです。人は自分が意識している(と思っている)ように動きつつ、どこかでもっと奥深いものとの間で壮絶な葛藤が生じているのではないかと思います。脳組織は外界の刺激を、種として生きるために最適化した方法で処理し、自己の遺伝子を存続させようとします。そこに亀裂が生じたときに何が起きるのか。あるいは肉体と精神とが一致しない場合は、等々、際限なく。
小難しい展開にはならず、珍妙な展開が意外と分かり易かったです。
で、工藤さんがどのような役ででてくるのが楽しみにしていたところ、現れたのは正しくTABATHAの工藤さん(!)だったので嬉しい。
佐治静さん「モンテ・クリスト伯(2012/3@APOC)」「Nazca -ナスカ-(2011/8@吉祥寺)」「童貞キューピッド(2014/1@王子)」。
金原並央さん「untitled(2011/6@SENTIO)」「ナイゲン(2015/10@にしすがも&同/11@FACE)」。
竹内もみさん「Shambles(2012/7@711)」「白夜王アムンゼン(2012/1@BIG TREE)」
中藤奨さん「お暇をこじらせてⅡ(2015/1@アゴラ)」。
西村由花さん「現在地(2016/12@春風舎)」「露出狂(2016/6@王子)」。
米田沙織さん「靴屑の塔(2016/9@吉祥寺)」「ダンス花 2015 vol.23(2015/9@セッションハウス)」「Marina bay Sans(2015/6@PRUNUS HALL)」。
工藤響子さんはTABATHA公演で、「シアター21フェスvol.94 "冬編"(2014/1セッションハウス)」から。