羅馬から来た、サムライ 東京公演 公演情報 羅馬から来た、サムライ 東京公演」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-3件 / 3件中
  • 満足度★★★★

    羅馬(ローマ)からのサムライ(宣教師)
    スクエア荏原・ひらつかホールは、空席が目立っていたが勿体無い。江戸時代中期の出来事であるが、その外見(衣装や仕草等)のリアリチィに拘ることなく、その底流にある西洋・東洋(日本)の精神の教えがしっかり観て取れる。精神支柱の相違などが、分かり易い台詞で説明される。

    この物語は史実のようであるが、自分はまったく知らず実に興味深かった。
    そして、声楽家の歌イメージは実に深窓...。
    (上演時間1時間40分)

    ネタバレBOX

    舞台セットは、階段状で中央上部に額縁のような枠。そこに聖母マリアをイメージさせる青色のヴェール・ドレスを着て、ゆったりした衣下には見えないが赤ん坊を抱いているような...。 舞台美術はシンプルであるが、逆にそれだけ脚本の良や演出力が求められるところ。

    梗概...江戸時代中期。チラシ説明には、寛文8年とあったが、新井白石が活躍する時代と合わないような気がする。
    屋久島に和服を着て刀を持ったイタリア人、ジョバンニ・バチスタ・シドッチが上陸するが、密入国の罪で捕えられ長崎から江戸に送られる。
    この時、幕府からシドッチ(宗教家)の取り調べを命じられたのが新井白石(朱子学者)であった。当初、オランダ語の通訳のせいで誤解が誤解を生むが、徐々にお互いの言葉の意味を理解するようになり、2人の間は日ごとに変化していく。それは友情にも似た不思議な関係に。
    自然科学に対する遣り取りは興味深い。事実に基づく理解(白石は自然科学に対するシドッチの知識に敬服)は早いが、精神的な考え方の相違は相互受容するのに時間がかかる。

    当時は鎖国、三代将軍・家光の時には「島原の乱」があり、キリスト教の話は聞くこともしない。白石にとって仏教が唯一。
    白石はその後、シドッチとの対話をもとにして『西洋紀聞(せいようきぶん)』を書き後世に影響を与えることになる。また、「西洋は自然科学の分野は優れているが、精神面では劣る」との認識は和魂洋才の思想のもとにもなるという。本公演で史実の知らなかったことを知る、知への好奇心がくすぐられるようであった。

    シドッチが牢獄にいるときに、その世話をしていた老夫婦は、シドッチの日常に感動して洗礼を受ける。そこには言葉も通じない老夫婦を改宗させるだけの裏話が...。先人の宣教(宗教)家との邂逅するような出来事が謎めいている。

    声楽家の2名が素晴らしい歌声で魅了してくれた。聖母マリア(五東由衣サン)が絵画から抜け出して洋楽を、6代将軍・家宣の生母・長昌院(?)やオペラオロンテーアの(新宮由理サン)が権威を誇示する歩きで歌う対比も面白い。それもソプラノ、メゾ・ソプラノという異なった聴かせ方...その演出が巧い。

    最後に、観客へのサービスであろうか。客席中を新井白石(奥田直樹サン)とシドッチ(榊原利彦サン)が歩き回る、観客に話しかけるということは必要だろうか。舞台上の演技に集中して観たいところ。

    次回公演を楽しみにしております。
  • 満足度★★★★

    声楽家がもったいない
    しっかりした話で感動しましたが、声楽家のお二人(新宮由里さんと横山慎吾さん)の出番が何となく唐突で、ミュージカルというわけでもないのに突然朗々たる歌が出てくるのにちょっと違和感がありました。もっと芝居のなかで歌への前振りをしてうまく繋げばお二人の歌も引き立つのに、なにかもったいない感じがしました。

  • 満足度★★★★

    骨太なシナリオ
    だが、若干かむシーンが多かったのは残念。

    ネタバレBOX

    寛文8年(1668)、屋久島に奇妙な侍姿の大男が漂着した。男の名は、ジョバンニ・バチスタ・シドッチ、高位の宣教師であった。島原の乱以降増々キリスト教弾圧を強めた鎖国中の日本へ来て堂々と自らの身分を明らかにした彼は捉えられ、翌年から江戸にあった切支丹屋敷に幽閉される身となった。彼はローマ法王から直々のミッションを与えられていた。そのミッションとは失われたアーク探しであったと言われる。何れにせよ、幕府としても疎かにはできない問題であり、吟味役として賢者の誉れ高い新井 白石が任じられた。
     シドッチの高い知性に感じた白石は、数十年ぶりに日本を訪れた宣教師から世界の新たな情報を得ようとの考えもあってイタリア語の理解にも勤しんだ。高い教養を身に着けたシドッチにも白石の知能の高さは自ずと伝わり二人の間には互いを尊敬しあう関係が生まれていった。一方、シドッチの日常生活の世話を命じられた長介・はる夫婦が身に着けていた十字架を見たシドッチは、復活祭に当たって彼らに洗礼を授けてしまう。信仰は大切だとしながら、法では禁じられた受洗を受けたことで長介ははると共に自首し、囚われの身となってしまった。白石は彼らの助命の為に動こうとするが、事実が発覚した時、それは既に白石の力の及ばぬ所で進行していた。白石は、学ある者の勤めとして本を書く。書名は「西洋紀聞」優れた書物は、時を越え、所を超えて生き残ることを知っていたからである。座敷牢で亡くなった3人の人間に対する白石のノブレスオブリージュとレクイエムは、2014年4月4日切支丹屋敷跡から発見された3体の遺骨のニュースとなり、今作上演にも繋がった。

このページのQRコードです。

拡大