ぼくの好きな先生(再演) 公演情報 ぼくの好きな先生(再演)」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.7
1-7件 / 7件中
  • 満足度★★★★

    松田るかちゃんが良かったです
    以前写真展でお会いした松田るかさんが、少年役で本当に可愛い青年でした。

    先生たちがいっぱい出てきても、いじめはどうすればいいのかテーマは重いですが、色々笑いもありました。

  • 満足度★★★★★

    6年前かぁ・・・・・
    見事にブラシュUP出来てたなぁと感心した1時間50分

    [る]Ver.を観劇です

    「いじめ」についての話ですが
    今ではネットの利用もあり
    より巧妙に隠れてたりとか
    サイバーな感じが強く出そうですが
    今作ではそのようなトコは出さず
    根源的な人と人のコミュニケーションの話に言及してて
    琴線に触れたなぁと

    ネタバレBOX

    舞台セットは主人公の本棚に囲まれた部屋であります

    34歳の中学教師である河合優は校内のいじめ対策に力を入れてる熱血教師
    付き合ってる女性との間に子供が出来て近日には共に住む予定の部屋に引っ越すつもりなのだが・・・勝手に部屋に出入りする不登校児=馬場翔太が引っ越し先までについてゆくなどと言いだして困っております

    いつも通りに二人で言い争ってる部屋に汽車の音が響くと壁に貼ってあるポスター通りのヤヌシュ・コルチャック先生が本棚スライドさせて出てきます・・・”世界教育者会議”の開催がこの部屋だというので来たと。 そして次々と現れる主人公の尊敬する”先生”達。 馬場君も交えて”いじめ”の話を聞きいったん現代のいじめ問題を探りに行く先生方・・。 

    物語が進むと手話しかできなかったアニー・サリバン先生は日本語で会話できるようになったりして馬場君の正体も判明し20年前に起きた悲劇が話されて、いじめについて向き合って担いで生きてゆくことを示唆して主人公が「引っ越し」を決意し馬場君も好きだった主人公のもとを去ります。

    印象の強い金八先生は前説(紙芝居が受けましたわ(^^)とチョット出&オチの「おしまい」ボード提示役でした

    コルチャック先生の言う「子供の集団はライオンと同じ、ジャレて遊ぶ時が一番危険だ。」が印象強く残ったです

    馬場翔太=主人公の同級生。20年前にいじめが原因で鉄道自殺し、以後主人公のそばに幽霊(?)として存在・・成長しなくてずっと中学生のまま=持ってる=読める漫画も変化無し・・・
    河合優(かわいまさる)=主人公。舞台となる部屋の主。教職に憧れ教師となりいじめの根絶に向け日々健闘している。中学の同級生だった玲子との間に赤ちゃんが出来て引っ越しをする予定。
    田中光一=通称「おつかれちゃん」口癖がそのまま仇名に・・。
    金田玲子=馬場君も好きだった同級生の女の子、二人で映画に行くような仲であったが。いまでは主人公の彼女。実は彼女にも馬場君が見えているが、彼女の馬場君は主人公の見ている詰襟制服の彼ではなく赤いのチェックのシャツに黒のスラックス姿で剽軽な性格です。
    馬場昌平=翔太君の父親。20年前の息子の郵便が届き、主人公に見せに来る。内容は明るい翔太君のボイスメッセージ(カセットテープ)で本人と親友であった主人公の似顔絵が入っていた。息子の自殺について「恨んではいないが、赦すことはできない。」と主人公たちに伝える。
  • 満足度★★★★

    やはり重い・・・
    初演に続いて2度目の観劇。コメディタッチなのだけど、やはり重いです。小中学生の頃、いじめたり、いじめられたりした思い出が蘇ってきます。やはり忘れられないものですね。年を取るにつれて、ますます響いてくる作品。多くの人に観てもらいたい。

  • 満足度★★★★

    苛めのけじめ
     大抵は置き去りにして忘れたつもりになったり、自己正当化することで記憶の表から消し去っている他者を苛めた記憶について考えさせる作品。

    ネタバレBOX


     コルチャック先生、宮沢 賢治・トシ、映画「今を生きる」に出てくる英語教師ジョン・キーティング、坊ちゃん、ヘレンケラーの家庭教師として有名なアニー・サリバンなどの有名先生にTVの金八先生を交えた世界教育者会議なるものが、教師河合の家で行われるが、彼の家には、馬場なる14歳の少年が纏わりついている。ところで馬場は、河合の中学時代の同級生で苛めを苦に鉄道自殺を遂げていた。従って登場するのは彼の残留思念という訳である。が、河合は死んだ馬場とは最も縁のあったクラスメートであった。更に、河合の子を孕んだ玲子は、馬場が憧れた女子であり、彼女も馬場の自殺には、後ろめたさを感じていたのである。
    (上演中故ここまで)
  • 満足度★★★★

    最初の
    関係性が本当は違うと分かり始めて真実が見えた時辛い感情が沸いた。
    当時はどうにもできない事だったのだろうけど・・・松田さんの熱演がとても良かった。可愛いのに男装が似合ってました。

  • 満足度★★★★

    嘘(エイプリルフール)では済まされない現実の問題【松田るかバージョン】
    春の季節、わが子の成長を待ち望む親心はいつの時代も変わらないだろう。その節目が卒業や入学ではないだろうか。子の成長に伴い、見守りから監視という受け止めに変わり、反抗・疎遠という一時期を経て、子も自らも親になっていくことだろう。この公演は、6年ぶりの再演ということであるが、作・演出の谷藤太 氏には感慨深いものがあるようだ。
    自分は、第18回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」の授賞式(2016年3月28日)に出席したが、その時の受賞作品「ソロモンの偽証(事件編・裁判編)」を思い出した。この賞は、2015年度に発表された、映画、TVなどのすべての映像作品の脚本の中から脚本家が選出するもの。今年は真辺克彦 氏が宮部みゆき原作を脚本化し映画上映されたもの。すでにネタバレかもしれないが、内容テーマは「いじめ」である。

    その「いじめ」は学校の時だけではない。社会人になっても「パワハラ」「セクハラ」「モラハラ」など言葉が多肢になるほど深刻さを増す。しかし、この公演では、別の角度で見せるなど、転換した視点が面白かった。

    ネタバレBOX

    この劇団の特長であるが、舞台セットをしっかり作り込み、印象付ける仕掛けもある。今回はタイトルの言葉にもある「先生」から、壁面をほとんど本棚で囲い、中央に座卓とテーブル、上手にベット、下手にハンガーが置かれている。空スペースに映画などのポスター、「いまを生きる」「コルチャック先生」、そして銀河鉄道の夜をイメージするもの。
    中学教師・河合優(千代延憲治サン)、その部屋に居る学生服を着た馬場翔太(松田るかサン)の2人が主人公のようだ。ストーリーテラー的には中学教師であるが、この学生服の少年の言動が「いじめ」という問題の本質を抉るシーンに心が痛む。

    この中学教師が尊敬するジョン・キーティング先生(いまを生きる)、ヤヌシュ・コルチャック、アニー・サリバン、宮沢賢治と妹トシ、坊ちゃん(小説に名前はない)が、始めは世界教育者会議参加のため架空世界や時空間を越えて登場する。そこで中学生・馬場にいじめ談義をする。しかし、少年の心は氷解することなく、逆に各先生の問題を暴き出す。実は、この少年は既に亡く(この中学教師の同級生で中学の時自殺)なっており、この中学教師が親友であったにも関わらず助けられなかった、という自責の念が生み出している妄想(亡霊)である。

    この既に亡くなったという設定(「ソロモンの偽証」も自殺した生徒の呪縛)は、見たことがあるものであるが、そこに直接関係のない”ぼくの好きな先生”たちが登場し、それぞれのスタイル(例えば机⇨テーブルの上)で諭そうとする。「いじめ側」と「いじめられた側」という両面だけではなく...解決策が見つけられない難しい課題を、今実在しない人物の言葉を借りて問題提起する。それは観客である自分に投げかけられたものとして受け止めた。あくまで、そして敢えてコミカルにテンポよく、(表層的に)見せることを意識した公演であった。
    それでも、セットの仕掛けという見せかけの奇抜さもよいが、出来ればもっと各先生との突っ込んだ話し合いを聞きたかった。

    ラスト、自殺した中学生が未来の自分にあてた郵便物。それを持って訪ねてきた父親の慟哭。生きている時の親子の距離は永遠の難問であるが、亡くなってからの距離は縮めることができないだけに悔しい、その思いがよく現れていた。

    気になるのが、河合先生が同僚の田中光一先生(橋本裕介サン)に諭す。かつて自分がいじめたであろう、友人に謝罪の電話を掛けたり、手紙を出す、または直接謝って回わらせる。たしかにいじめた側はその行為を忘れているかもしれないが、いじめを受けた側は忘れはしない。しかし、いじめる側はいつもいじめる側なのだろうか。いじめられた、だから今度は自分が弱いものを探しいじめる。そのいじめという不幸の連鎖になっているのでは...。そう考えた時、謝罪を通して受けたいじめの思い出(傷)は、何故自分だけが、という歪な感情に捉われないだろうか。そういう感情は了見が狭いのだろうか。この公演では理想形のようであるがきれい事のようで、今ひとつ真に感情移入出来なかった。

    役者陣の演技は素晴らしく、そのキャラクターがしっかり確立していた。なお、何かで松田るかサンは初舞台とあったが、コミカル、シリアスな演じわけが実に魅力的であった。

    因みに、偶然であるが「いまを生きる」は、アカデミー脚本賞(1989年)を受賞している。

    次回公演を楽しみにしております。
  • 満足度

    心に
    残念ながら私の心には響きませんでした。

    学生時代の立場の違いもあるのかな。

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