すばらしい日だ金がいる 公演情報 すばらしい日だ金がいる」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
21-25件 / 25件中
  • 満足度★★★★★

    自分はどこまで頑張れる?
    自分がその状況におかれないと、わからないことっていっぱいあって、その状況におかれれば、おかれたで、どうしていいか、どこにいるのかわからなくなってしまう・・・・。
    欝は心の風邪というけれど、僕は骨折みたいな気がするな・・・の、一言がとても印象に残ります。ほおっておくと変な風にくっついちゃう・・・。

    膨大な言葉が舞台の上から飛んできて、それがとても生々しく思えたのは、そんな状況を見てきたからかもしれません。

    ポテチが本当に食べたかったか、食べたくなかったか・・・・最後の一口を食べてもわからないかもしれないな私は・・・・。

  • 満足度★★★★★

    凄まじい台詞の攻防と、台詞の圧
    “トーキング・リトル・エレファント”なのか“リトル・エレファント”なのか。
    「言葉はほとんど伝わらない」と考える。


    (ネタバレ長く書きすぎたかも…)

    ネタバレBOX

    アマヤドリの公演は、ひょっとこ乱舞時代から毎回期待度が高い。
    演劇としての醍醐味、ダイナミックな物語の展開があり、帰宅しながら公演を反芻する面白さがあるからだ。

    今回の作品もまさにそうだった。

    冒頭から、部下を、とてもイヤな言い回しで舐めるようにディスる上司。
    笠井里美さんが演じる上司・大野は、後で会社の同僚たちが噂するように、「殺人マシーン」のようだ。
    もの凄いテンポで、「(あとからわかるのだが、心の病になったから)医者に言われたので休暇を取りたい」という糸山和則さん演じる部下・天城をなじり倒す。
    速射砲のようなコトバが天城をなぎ倒してしまう。
    誰が見てもそれはそうだろうと思う。
    ひょっとしたら、それは冗談なのかと思っていたら、本気だったところに恐さがあった。

    しかし、大野にとっても、そのコトバは諸刃の刃であって、自らのストレスを高めていた。
    ストレスは周囲の環境によって軽減されることがある。例えば、家庭であり、例えば、職場である。

    職場の状況は、同僚たちの台詞にもあるように、部下の天城だけでなく、大野にとっても支援のネットワークとなっているとは思えない。
    家庭でも娘との関係が微妙なのことは、のちの短いシーンでも明らかになっていく。

    ここで、大野はストレスを溜めていきながらも、“過労死”へ突き進まなかったことがポイントではないか。
    “死”ではなく、“逃避”すること“逃げる”ことを彼女は選択した。

    そこには「娘との関係」が大きく作用しているのだはないのか。
    彼女は、娘に対しての気持ちがあるから、“死”によって断ち切ることができなかったのだろう。
    ひょっとしたら“うつ”に対する、何らかのヒントになるのかもしれない。

    ストレスは、「自分の思い通りにならない」ことから生まれる。
    大野にとっては、(使えない)部下だったり、義理の娘だったりする。

    娘については、“期待を持ち続けること”がストレスに変換されている。
    それは、自分についても同じことである。

    また、それらの行動は、実のところ、「人の期待に沿うように行動したい」という想いからやってくることがわかる。

    そういう状態にある人のことを「イイコ」と名付けた(正確にはそういう定義ではないが)学者もいる。その状態を表すには、言い得て妙のネーミングだと思う。
    大野もあとで出てくる勉強会のメンバーも、勉強会の主宰もイイコ(症候群)なのだ。
    この特性が強いほど、“自己イメージ”が低いと言う。
    勉強会の主宰が何度も口にする「個人化するな」と言う言葉がそれを指摘する。
    大野の状況はまさにそれではないか。娘との関係は「自分がいい母ではないからだ」と言う。

    グループセラピーのような勉強会がある。
    ここでのファシリテーターの役割を担っている、渡邉圭介さん演じる立花が、とても胡散臭くていい。
    この胡散臭さはどこから出てくるのかと思ったら、彼自身がグループのメンバーと同じな“うつ”であり、薬物中毒な様子である。

    勉強会の主宰であるが、彼もまた、この勉強会を通じて、実は治癒(寛解)することを望んでいるのではないのか。
    だから、ファシリテーターなのだが、“介入”の度合いが強い。

    相手から、自らのコトバを引き出すというよりは、ガイドしているようでさえある。
    「彼(立花)が望んでいること」を言わせているようなのだ。
    この点は、ラストにかかわってくるのではないだろうかと思った。

    勉強会にはさまざまなタイプの人が集っている。
    舞台の上では勉強会の、数回だけが演じられているので、それまでの経緯は不明だが、メンバーは主宰を信頼しているのはわかる。ただし、それには濃淡がある。

    彼らの“うつ”のタイプがさまざまであり、一見、達観したような元パン屋の児玉(宮崎雄馬さん)のような人もいるし、つい興奮してしまう桜井(石本政晶さん)のような人もいる。

    グループワークでは、参加者とのやり取りを通じて多面的に自己を確認できる。いわゆるグループダイナミクスの効果である。
    そういう“場”が、まさに舞台の上に表出していたのには、驚いた。
    台詞のやり取りが生きているからだ。

    ファシリテーターの立花が、(やや介入度合いが強いものの)グルーブ内での主導権を握り、“課題”を与え、エクササイズをさせる様が見事なのだ。
    いわゆる、“何をどう言ったのか”という「コンテント」だけに目を向けることなく、“感情”に焦点を当て、“背後にある気持ち”を探っていくことで、「パブリックの領域」から、「ブラインドの領域」へ、さらには「アンノウンの領域」まで自己理解を高めていく。
    舞台の上では、決して長くはないのだが、そうしたことが行われていることを察することができ、これがとても気配りされた戯曲であることがうかがえるのだ。

    立花を演じる渡邉圭介さんの台詞回しと動きがいい。
    焦点がボケるぐらいな距離に顔を近づけたり、スキンシップをとったり、主導権の握り方と、“場”の把握具合の演技(&演出)がとてもいいのだ。言語だけでなく、こうした“非言語”のエッセンスが入ることで、勉強会のステータスが感じられる。
    技法的なことを知らなくても、観客は、雰囲気を察知するであろうから、胡散臭いやり取りに引き込まれていく。

    また、立花は、「自分がまさにそうだから、勉強会の参加者のことがわかる」というようなことを言う。カウンセラーにありがちで、陥りがちな問題点をさりげなく入れたところも、戯曲の良さだ。

    「言葉はほとんど伝わらない」と思わせることで、“諦める”ことを覚え、大野の“他者(娘)に対する期待”が下がるということを示すのも上手いと思った。
    相手が“トーキング・リトル・エレファント”じゃなくて、“リトル・エレファント”ぐらいに考えていたほうが楽なのだから。

    勉強会では「〜すべきである」の「べき」が話題に上る。
    「べき」に囚われてしまい動きが取れなくなってしまっている。
    その状況に疑問を投げかけるメンバーもいる。
    そうした人は、その囚われから抜け出すところに来ているのかもしれない。

    なので、勉強会の対話は示唆に富んでいてとても面白いのだ。
    さまざまなタイプの人がいるから、“寛解”(治癒ではなく)に対する定義も、それへのアプローチも異なるのだ。
    それが勉強会のシーンで明らかになっていく。

    心のストレスを解消するには「アサーティブ」(相手を慮った自己主張のようなもの)のスキルを身に付ける必要があるという。
    勉強会ではそれが積極的に行われ、さらにラストでは、大野の気持ちが一気に噴き出す。
    しかし、大野のそれは一方的な自己主張であり、また大野の中の“気づき”というよりは、立花のガイドの力が大きかったためか、「ウソでした」と言い逃れてしまう。

    ただし、娘は、彼女が学生だったころと同じシチュエーションで、言葉が同じなのだが、返す言葉とともに母(大野)を突き飛ばしたことで感情を露わにした。
    そこで、大野の「お金貸して」である。
    互いの感情が交差した一瞬だったのかもしれない。
    大野が寛解していく一歩になったのかもしれないのだ。
    まさに「すばらしい日」となるのだろうと感じさせるいいラストだった。
    それを裏付けるように、群舞が作品を締めくくった。

    大野を演じた笠井里美さんの、恐いぐらいの台詞のテンポには参った。
    特に終盤の、椅子の上の台詞回しには、鳥肌が立った。
    妹役の小角まやさんとのやり取りも見応えがあった。
    あまりにもキツイ言葉の応酬で、実は姉妹の関係が、そんなには最悪ではない、ということがわかるようなのだ。
    信頼と期待が混在となっているからこその、激しい言葉であり、またそれが姉を追い詰めているという図式がいい。

    山小屋に妹たちが来るシーンで、虫を登場させたのが、上手いなあと。どうしてそんなことを思いついたのだろうか、とさえ思った。

    “うつ”をテーマにして、「言葉はほとんど伝わらない」と思うほうがいいと言いながらも、言葉に囚われて、言葉に裏切られて、だけど言葉に救われて、と、言葉を使う者から言葉を使う者へのメッセージとなっていると感じた。
    たとえ相手が、“ただのリトル・エレファント”であったとしても。

    見応えのある作品だった。
    これからもアマヤドリは見逃せない。

    付け加えるとすれば、中村早香さん推しの私としては(笑)、彼女が出てないことだけが不満であった。
  • 満足度★★★★

    「喜劇」とあるが、題材が題材だけにベースはシリアス。/約140分
    私には「鬱」の話だとも、「鬱と競争」の話だとも思えなかったが、私を含め多くの人が身に覚えのありそうな“心の状態”を扱っていて普遍性があり、また、話の舞台となる施設が面白く、最後まで興味を絶やさず鑑賞できました。

    タイトルと内容のつながりはよく分からなかった。

    ◆追記

    タイトルと内容のつながりは、後日、作品を反芻してみて分かりました。

    ネタバレBOX

    ヒロインは自己抑制を重ねた結果、心が息絶えそうになっている元キャリアウーマン。
    人間誰しも、長じるにつれ、自分を解放してありのままにふるまう機会は減っていく。
    そこから来る苦しみを共有する者として、ヒロインに少なからぬ共感を寄せながら観劇しました。

    思えば、人を「さん」付けで呼ぶ行為にさえ、呼び捨てを自制するという意味において、自己抑制は付きまとう。
    出会ったばかりのクラスメートにすぐ呼び捨てできた学生時代が、今となっては奇跡のように思えてしまう。

    ◆追記

    最後、ヒロインは「お金を貸して」と、再出発のための資金を人に借りますが、これは“金がないと何もできない”自由競争社会を表し、ヒロインがうつ病になった(症状から私は彼女が鬱病だとは思いませんでしたが)のはそんな“きっつい社会”のせいだと言いたいわけですね。
    ならば、「鬱と競争のお話」と事前に告知されていた通り、もっと作品全体として「鬱と競争」に焦点を絞って欲しかった。
    私としては、その点へのフォーカスは、かなり弱めだったと思います。

  • 満足度★★★★★

    熱弁
    笠井里美さんの超長台詞を見るだけでも価値があると思いました。

    ネタバレBOX

    鬱の人の発言ということもあって、と思って、良く分からないところはありましたが、とにかく笠井里美さんの超長台詞が素晴らしく見応えありました。

    社員に休暇を取らせると利益が出ないとすれば、それはそもそもビジネスモデルとして初めから成立していないのだとの指摘はスカッとして心地良かったです。

    インチキ占い師みたいな人の弱みを握ることこそ鬱の特効薬というのは皮肉で、理に叶っていて面白かったです。

    娘が母に、早くしないと(母の)妹たちが来てしまうよと言っていました。娘は亡夫の連れ子ということで血の繋がりが無いことに因るのだとは思いますが、叔母さんが来ると言わないところに、娘の結婚式の世話を焼いている割には気持ちが通じ合っていないことが分かり、普段からの関係性が大切だと感じ入りました。
  • 満足度★★★★★

    これは面白い
    開場し入ると囲み舞台,へぇ,吉祥寺シアターでもこんな形ありなんだ。公演時間は2時間20分,休憩なし~と案内がある,長いなぁ,っていうか,開演が7時30分なんで,終演が10時近くかよって,ちょっと不満も頭をよぎる。しかし,舞台が始まると・・・最初からストーリーに引き込まれ,長時間が苦にもならない。テーマは「うつ」と「競争」,わかるなぁ,いつもながら良い台詞が散りばめられている。途中,若干,理解が追い付かなかった部分もある。でも,そこは価値観が分かれるだろうなぁと思ったところで,考え込んでしまったため。あ~,この芝居は複数回観るべき芝居なんだろう,フリーパスを買うのが良いのかもしんない。お得意の群舞はひょっとこ~時代を思い出させる。とにかくこの芝居,自分の好みで面白く,観劇はとても満足するものだった。

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