人民の敵 公演情報 人民の敵」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-14件 / 14件中
  • 満足度★★★

    人民の敵
    森新太郎演出。約2時間50分休憩10分含む。個性派俳優のショータイム。役や設定が変更され、群像劇を見せるより社会構造を浮かび上がらせる意図を感じた。主役の医師を単純に善人として描かず、観客に常に疑問を促す。は~…やはり凄い戯曲。

  • 満足度★★★★

    最終日観劇
    四角い舞台に町の未来と健全さを巡って自己の主張の訴えようとする若い医師、そんな夫を支える出産間際の妻。
    多数が勝ちの方向には現代的でタイムリーな内容に感じたが、1幕は話を聞いてるだけでややぐったりした。2幕からの議論展開は劇場内を掻き回すように舌戦を繰り広げるマイクプロレスが面白く、渋くて濃くて愛嬌ある役者たちに眼福。ヨッパライの宮島さんの扱われ方にも笑った。

    ネタバレBOX

    医師の兄はその町の町長。
    医師が町の基盤施設の温泉施設を独断調査し、そこに問題があることがわかる。公になると大騒動になることは容易に想像でき、医師への行動の鎮静を助言するも聞き入れず。
    真実を暴露し理想的な社会を思い描くこと、一方、現在の損得を優先したい人、どちらも正しい主張のぶつかりあい。
    優先された未来に取り返しのつかない事態が起きたら、と想像したら、その世代の人々の困難さも想像させるし、またそれを考える民衆(観客)という効果的な構図。
    自分の意見に賛同しない人はみんな敵、見下す、卑下する。民衆の敵は、民衆なんだな。
    それまで告発を思い留めるようにしていた妻が、夫の四面楚歌の状態に、唯一(船長もだけど)の味方になり最後までサポートしているのは、彼の倫理観をずっと見ていた妻だからこそ、彼女なりの愛だったのかな。妻のお父さんも最初のイメージは援護してくれるかと思いきや、そうでもなかった。娘と生まれてくる孫可愛さに生活に困らないように資産を残そうとしたが、その思惑が外れ、好々爺から嫌味爺に変化。登場した時のルックスからして不気味な存在感だったが、あの父からあの娘へと、どういう育て方をしたんだろうか。ああ、でも告発騒動前の親子はいい関係のようだったから、夫に添う娘の行動も腑に落ちるか。

    自己信念が強い人ほど、生き残れる。
    日和見主義の自分がこの町の民衆だったら、どう行動して、どちらを選択していたか、どんな行動を考えるか、ぼんやり考えた。
  • 満足度★★★★

    四隅から役者が出入りする正方形舞台上で衆人環視の中。
    吼える主人公ストックマンが若い、というのが最大の特徴。厳しい面もあった、という意味を含むが、意表をつくストックマン像での「人民の敵」を体験できた。「厳しい」とは、脇を固める役者の凄腕ゆえに相対的に「作り切れてなさ」が若干みられた、という事かも知れない。全体としては休憩を挟んで2時間50分、イプセン作のリアリズム劇にがっぷり取り組んだ硬質な舞台が観れた。近々にあったサンモールスタジオでの同戯曲の上演と比較してしまうが・・ストックマンの民衆の前での演説と、最後の家族を前にして吐く台詞が、どう決まるかが勝負だとすれば、サンモールでの寺十吾のストックマンが数段腑に落ちた。 ただ、両舞台の大きな差は劇場規模。吉祥寺シアターを四面舞台に組み、観客を巻き込んで長時間臨場感を保たせたこちらの演出、また俳優、特に「悪役」側の青山勝、山本亨ら(紅一点の松永玲子も)が、練達を個人技でなくアンサンブルへ昇華させていた所が、印象深かった。 骨太な舞台となった。

    ネタバレBOX

    ストックマンが演説で語る正論(暴論)は、民主主義の否定というより民主主義を運用する人間に対する告発で、誤った運用の例として、自分を見舞った出来事を皮肉として差し出している。そこにはあるのは激情であって「正しさ」にこだわる意固地さではない。この違いは日本では大きい。
     社会的・政治的な事柄を理屈で語る人間は疎まれる。生活実感から語られれば、バックボーンがあって言ってる(言う資格のある範囲で言っている)という事で安心する。そうでなければ寒気が襲う。つけ込まれる「隙」として、そうした事が位置づけられてしまう社会になっている、という事だろう。ある意味でそれは正しい感覚だ。抽象論に物を言わせて実権を取った者が如何に残酷になるか、を本能的に知っていたりするのかも。
     この作品では、ストックマンは町に「温泉」産業を持ち込んだ人で、その温泉業が危うくなるからと、ストックマンが指摘する(温泉の)衛生面の問題を、町の有力者は封印しようとする。ただここでストックマンは、この「問題」の指摘を、町への貢献のチャンスとして浮き足立っている。専門機関に調べさせて、バクテリアが発見された、ともある。しかし彼は元々「温泉業」を持ち込んだ事によって、既に「貢献」への欲求はかなえられているのではないか、という疑問も生じる。ここは戯曲の弱点かも知れない。また、彼が来る前は温泉も無かった訳だから、一時的に以前に戻る事がそれほど困難な事か・・という疑問も。そこには人間の欲得が織り込まれているに違いないが。
     さてストックマンは言わば「愛国心」から、温泉に混じるばい菌の問題を「大々的に」発表しようとしていたので、それは波風も立つだろうという話でもある。が、イプセンの意図を汲み取るなら、如何に経済的な損害が生じようとも、「問題」があってそれを指摘する事は「栄誉」になるはずだ、という考えをストックマンが抱いている事が描かれる。純朴な公共心の発露。そこにほだされるからこそ、観客にはこの戯曲の顛末が受け入れられる、という面がある。 その点、今回の舞台でそのように演じられていたかは、「?」だった。
  • 満足度★★★★

    吉祥寺シアターで,イプセンの『人民の敵』を観た。
    吉祥寺シアターで,イプセンの『人民の敵』を観た。正義にめざめ市長と民衆のすべてを敵にまわし,それでも「温泉の水は汚れている!!」と叫び続ける。時間がたてば,真実は明らかになる。当面,博士は一部の人たちにだけでも問題の本質を明らかにしたかった。しかしながら,怒りにまかせ,自分自身を失う。逆上し,毒づく博士はどこか哀れだ。科学者なら,もっと冷静になってほしい。愚民と同じレベルに陥ってしまう。

    正しいことを思うこと,信念を持つ人もいなくてはならない。彼が,周囲から浮いてしまい,結果いじめになど会ったら最悪だ。逆境の中でこそ,人はその真価を試される。少し時間をかけて,策を持って,何が間違いで,何をするべきか,そのことを主張したい。イプセン作品の多くには,このような激しい,熱い性格はない。どこか冷めていて,人生に絶望しているようなところがある。ときには,イプセンも激昂するといった『人民の敵』だった。

    サンモールの方が戯曲に忠実で良かったかもしれない。しかし,博士は,吉祥寺の方が饒舌だった。また,斬新な演出を好む人も多いだろう。

  • 満足度★★★★

    本当の人民の敵は誰?
    イプセンの時代と今のこの時代が、ものすごくリンクして、ものすごくリアルに怖かったです。
    劇場に入った時にリングみたいと思ったら、森さんはプロレスのリングをイメージしたのだそうです。そこは戦いの場でした。正義を通すために闘う男、目先の利益のために彼をつぶそうとする男たち・・・・壮絶なバトルでした。
    見ごたえがありました。

  • 満足度★★★★

    思考停止する怖さ
    イプセンがこれを書いた時代と現代日本は、恐ろしいほど共通点がある。だから、この戯曲は今見るととても怖い。「世論」は流され、作られ、道を誤ることがある。そんな世の中で強く生きていくとはどういうことなのか。この舞台では、最後のセリフにそれが象徴されるのだが、3時間の上演の間、お客さんはプロレスリングのような正方形のステージで繰り広げられる物語のこの問題を考えることになる。

    問題をなかったことにして隠し、平穏な毎日を続ける。それは原発政策であり、安全保障の問題にも通じるかもしれない。問題を公表すれば職を失う、仲間はずれにされる。。。「まあ、そう事を荒立てずに」という会話は、日常生活でもよくある。思考停止する怖さを、吉祥寺へ感じに行こう。

  • 満足度★★★★★

    演劇の可能性を改めて見直した♪
    吉祥寺の町中でポスターを見かけた♪そりゃ行くよね♪
    さすが戯曲が良い♪しかし戯曲に負けない役者の演技も確か♪何より「民衆の愚かさ」を空間ごと描き切った演出の手腕が光る♪演劇はこうでなきゃ♪

  • 満足度★★★★

    -
    2時間50分、休憩1回。弁論を前面に押し出した戯曲。考えさせられるような内容だが、考える暇がない勢いなのが面白い。

  • 満足度★★★★

    客席にゆだねる答え
    出演者は燻し銀の実力者揃い!下手な音響・照明はいらないと思わせる。が、後半になると雰囲気ががらっと変わる。客席が飲み込まれる。観客ではなくその会議に参加しているものとして、その答えを各々が考えさせられてしまう。まんまとやられた演出だった。正義を貫いたトマスのその後、作者はどう描きたかったのだろう?また演出は観客にどう感じさせたかったのだろうと答えを考えさせられる舞台だった。























































































































  • 人民の敵
    7月に見た雷ストレンジャーズの公演「フォルケフィエンデ ー人民の敵ー」は舞台セットからして深刻そうだったので、そう言うものだと思って見てしまいましたが、今回は設定が違ったところがあるせいかいっそコメディにしちゃえば良かったのにと思いました。第2部で・・・

    ネタバレBOX

    人民のみなさんが出て来る(観客もその一部になってる演出)あたり「フォルケフィエンデ ー人民の敵ー」よりも説得力がありました。やっぱり“人民”がいないことには!アフタートークで外国でこの舞台を見たと言う演出の森さんによると、そこでは観客を巻き込んで実際に観客に意見を言わせたりしていたとのことで、そういう演出も面白いのでぜひやってほしいと思います。いっそもっと身近な原発問題とか自衛隊派遣についてとかで。そしたら第1部で眠たくならずにすむかも。
  • 満足度★★★★

    イプセンの普遍性
    吉祥寺シアターでまさかのセンターステージ&イプセンの普遍性に2度ビックリ!!

  • 満足度★★★★★

    愚民のひとりとして
    非常に耳の痛かった2時間50分。現代日本にもそっくりそのまま当てはまる内容。

  • 満足度★★★★★

    職業倫理
    めったに演じられない作品を、偶然にも7月と8月観ることができました。

    ネタバレBOX

    やはり、妻の父親が娘と生まれてくる孫に相続させようとしていた全財産を温泉の株を買い漁り、株券に変換してしまったところが素晴らしい脚本だと思いました。

    妻を通して自分および家族の暮らし向きが左うちわ状態になるという恩恵を受け入れるか、そんな美味しい話を拒否するか、それまでは社会正義、職業倫理を論じて展開するだけで済んだものが、一気に欲の皮と直接繋がるわけですから、本音丸出しが当然で非常に重たい選択になります。

    義父と結託した出来レースと勘ぐられ、そこそこのゆすりを受け続けることにもなりかねないとの考えもありましたが、主に医師としての力量で細々となら家族を支えられるとの判断から義父の思惑を断りました。

    最初はちょっと自画自賛で調子に乗り過ぎた面もありましたが、社会正義、職業倫理を貫きました。立派でした。
  • 満足度★★★★★

    装置として、また精神的も観客を巻き込む演目
    初日を観た。先月末に雷ストレンジャーズで観た別の演目と同じイプセン作品。非常によかった。実力者ばかりを集めた演者陣は盤石にして揺るがない。そして観客にストレスを強くかけても描ききる「大衆の愚かさ」を前に出した構成と演出。特にこの「愚かさの表現」が秀逸。先月腑に落ちなかった箇所が本作を観て収まった。いまさらながら本作が「誠実だが頭の足りない主人公による喜劇体裁の作品」であったとに気づく。(寅さんやチャップリンと同じね) ただ重要なのは、主人公を「笑い者」にすることで「釣られて笑う観客」を装置と演出の一部として劇中へ強制的に連結しているところだ。舞台は四方が客席の所謂囲み舞台。嫌でもゲラゲラ笑う客の顔が目に入る。つまりはそれが劇中で指摘している「考えもせず迎合する大衆の間抜け面そのもの」というつくりである。まあ構成も客にとっては「参加するつもりの全くない政治集会にいつの間にか参加してしまっている」という体でもあるし。センシティブな観客は悪意を感じるだろう。しかしこの施策は原作の主題とは合致している。
    「愚かな大衆」も板の上に乗っているだけならよいが板の外へはみ出すというと観る者の嫌悪感は激高となる。貞子がテレビの中から出てきちゃうようなものだ。素晴らしい演出(装置?客席配置?)である。

    ネタバレBOX

    この演目、観客にとって「笑ったら負け」という訳ではないと思うが、頭はいいけど愚かな主人公のストックマン博士をみんなで寄ってたかってイジメる進行であるがために、笑う客は都合「安全圏に居て嘲笑している愚者」に見えるのである。装置の一部としてだけではなく精神的にも観客を巻き込むいう点が本当に素晴らしいのかもしれない。

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