人民の敵 公演情報 オフィスコットーネ「人民の敵」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    四隅から役者が出入りする正方形舞台上で衆人環視の中。
    吼える主人公ストックマンが若い、というのが最大の特徴。厳しい面もあった、という意味を含むが、意表をつくストックマン像での「人民の敵」を体験できた。「厳しい」とは、脇を固める役者の凄腕ゆえに相対的に「作り切れてなさ」が若干みられた、という事かも知れない。全体としては休憩を挟んで2時間50分、イプセン作のリアリズム劇にがっぷり取り組んだ硬質な舞台が観れた。近々にあったサンモールスタジオでの同戯曲の上演と比較してしまうが・・ストックマンの民衆の前での演説と、最後の家族を前にして吐く台詞が、どう決まるかが勝負だとすれば、サンモールでの寺十吾のストックマンが数段腑に落ちた。 ただ、両舞台の大きな差は劇場規模。吉祥寺シアターを四面舞台に組み、観客を巻き込んで長時間臨場感を保たせたこちらの演出、また俳優、特に「悪役」側の青山勝、山本亨ら(紅一点の松永玲子も)が、練達を個人技でなくアンサンブルへ昇華させていた所が、印象深かった。 骨太な舞台となった。

    ネタバレBOX

    ストックマンが演説で語る正論(暴論)は、民主主義の否定というより民主主義を運用する人間に対する告発で、誤った運用の例として、自分を見舞った出来事を皮肉として差し出している。そこにはあるのは激情であって「正しさ」にこだわる意固地さではない。この違いは日本では大きい。
     社会的・政治的な事柄を理屈で語る人間は疎まれる。生活実感から語られれば、バックボーンがあって言ってる(言う資格のある範囲で言っている)という事で安心する。そうでなければ寒気が襲う。つけ込まれる「隙」として、そうした事が位置づけられてしまう社会になっている、という事だろう。ある意味でそれは正しい感覚だ。抽象論に物を言わせて実権を取った者が如何に残酷になるか、を本能的に知っていたりするのかも。
     この作品では、ストックマンは町に「温泉」産業を持ち込んだ人で、その温泉業が危うくなるからと、ストックマンが指摘する(温泉の)衛生面の問題を、町の有力者は封印しようとする。ただここでストックマンは、この「問題」の指摘を、町への貢献のチャンスとして浮き足立っている。専門機関に調べさせて、バクテリアが発見された、ともある。しかし彼は元々「温泉業」を持ち込んだ事によって、既に「貢献」への欲求はかなえられているのではないか、という疑問も生じる。ここは戯曲の弱点かも知れない。また、彼が来る前は温泉も無かった訳だから、一時的に以前に戻る事がそれほど困難な事か・・という疑問も。そこには人間の欲得が織り込まれているに違いないが。
     さてストックマンは言わば「愛国心」から、温泉に混じるばい菌の問題を「大々的に」発表しようとしていたので、それは波風も立つだろうという話でもある。が、イプセンの意図を汲み取るなら、如何に経済的な損害が生じようとも、「問題」があってそれを指摘する事は「栄誉」になるはずだ、という考えをストックマンが抱いている事が描かれる。純朴な公共心の発露。そこにほだされるからこそ、観客にはこの戯曲の顛末が受け入れられる、という面がある。 その点、今回の舞台でそのように演じられていたかは、「?」だった。

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    2015/09/02 00:56

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