フタリニミエタ 公演情報 フタリニミエタ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.1
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★★★

    笑う人?泣く人?
    悲劇から始まるのが人生なのかもしれず、悲しみややりきれなさが深いほど愛がそこにあるのかも。といろいろ思っても、後味の悪くない舞台にいつも感心させられる。演じることが天職だと感じさせられ役者さんに会えることもうれしい。、

  • 満足度★★★

    チケットプレゼントにて。
    チケットプレゼントにて初めて見させていただきました。
    開演15分ほど前に3列目のちょうど真ん中ほどに着席。しかしお客さんが予定より入ってないので開演が少し遅れる、というアナウンス。
    正直、これに関してはどうなんでしょうか。演出上暗いので途中で中に入られるたびに外の光が漏れるのはちょっと・・・というのは分かりますが。
    本編に関して。一言言うならば「暗いなら真っ暗で通して」、という感じです。初見なので毎公演どんな様子か分かりませんが、中途半端に笑いどころ?を作るぐらいなら真っ暗で通した方が雰囲気は良かったような。(曖昧な笑いが客席にあったので)
    光やスクリーンの演出は素敵でした。
    そして、これは座席の問題だとは思うのですが、舞台に寝てる役者さんがまるっきり見えませんでした。プロジェクターで上からの様子が映されていましたが、遠目で誰なのか認識できず。(自分の視力の問題もありますが)
    ストーリー全体でいうと、暗いのか暗くないのか、何を伝えたいのか、イマイチ分からなかった部分があったのでこれはもう少し私の中で考えたいと思います。

  • 満足度★★★

    相変わらず暗い
    笑いも有りスタイリッシュにもなって飽きさせぬ工夫を感じた。

    仕事帰りに立ち寄って観るには照明の暗さが眠気を誘う、・・・・。

    ネタバレBOX

    前作同様、シンプルな舞台装置と全体的に照明が暗い演出は相変わらず。

    声を上げて笑うシーンも多々あり、前回より楽しめる仕上がり。
  • 満足度★★★★★

    た、確かに
    そうでした。

    ネタバレBOX

    人が何人かと猫が一匹死んだ街の話。ムショ帰りの男の話、事故でちょっと精神障害を負った弟と弟に構い過ぎる兄の二人が野良猫を探す話、かつて好きだった女がバイク事故で死んで嘆く男の話が交錯したストーリー。

    ムショ帰りの男が相模で、他も山中や河口ということで、神奈川方面を想定しながら観ていました。

    山中兄弟は、兄の方が共依存体質で弟離れが必要です。

    さらば青春の光の森田哲矢さんが演じる河口は、女が別の男のバイクに乗って事故死したことでその男を恨み殺そうとまでしました。迫真の演技は素晴らしかったのですが、終演後に当日パンフレットを見ると、その男は彼女の婚約者とあり、なんだ彼女の気持ちに応えるべきか悩んでいる最中に死んだんじゃない、彼女の気落ちを断った後で彼女は恐らく時間をかけて考えた末に別の男と正式に婚約したんじゃないか、自分を責めるのは分かるけど婚約者を責める資格のない大馬鹿野郎の大間違い行動でした。

    殴られて目がぼやけて月が二つに見えるという台詞が題名に通じるのかと思い、私だって三日月が三つに見えるぞと思っていました。しかし、始まったときから上手側の天井からカメラで真下を撮った画像が下手側の幕に映し出されていましたが、ラストで舞台上では河口が一人倒れているだけなのにスクリーンには彼女が覆いかぶさる画像が映し出され、そうかこれかー、確かにフタリニミエタと驚嘆し、技術の素晴らしさと随分長い前振りだったことに感心しました。

    彼女は河口に未練はあったかもしれませんが、彼女の気持ちは今や婚約者に向いていたと考えると、ラストはバイクによる自殺で死に瀕した河口が見た希望的妄想であったのだと思いました。例えその男の属性が婚約者だったとしても、もし当日パンフレットに婚約者と記載されていなかったら別の感想になったとも思い、少なくとも想像の幅は膨らんだのではないかと思いました。
  • 満足度★★★★★

    空間美。
    舞台セットはほとんどなく小道具や役者の方がつくる空間、映像などで緻密にリアルに物語のシーンがつくられていくお芝居に感動しました。舞台上の空間をとても美しく思いました。物語の軸は悲劇的な暗いモノに感じましたが、台詞や役者のやりとりに笑いの要素も交じっていて、最後まで飽きることなく観入りました。


  • 満足度★★★★

    死と暴力の気配
    小さな町で一晩に起こった3つのエピソードをオムニバス形式で描きながら
    最後はそれらがひとつに繋がっていく。
    濃密な死と暴力の気配が観る側にも緊張感を呼ぶ。
    ラップや朗読形式などバラエティに富んでいる一方、若干唐突な感じも受けるが
    表現に立体感があって3Dな空間はOi-SCALEらしい気がする。
    それにしても林灰二さんって“、飄々としてるけど実は怖いおじさん”を演らせたら天下一品だ。
    ほかの出演者も“危ない雰囲気”がすごく出ていてビビる心理がリアルに伝わってきた。
    映像の使い方がユニークで面白いと思っていたら、ラストですんごい驚かされた。


    ネタバレBOX

    久しぶりに町へ戻って来た男と、彼を迎える昔の仲間らしい男達の話から始まる。
    「久しぶり~」な感じの会話が次第に町を牛耳る一族の報復を恐れる話になる辺りから
    不穏な空気が流れ始める緊張感のつなぎ方が上手い。
    男が“出所して戻って来た”という事情が分かってから
    ますますヤバい雰囲気はエスカレート。
    「うわっ」となったところで暗転する演出も嫌いじゃない。
    相模の強くて怖くて面白いキャラクターを林灰二さんが魅力的に演じていた。

    2つ目のエピソードは、事故で精神に障害を負った弟と
    彼を気遣いながら過干渉になったあげく仕事と生活のバランスを崩していく兄の話。
    必要と依存の微妙な境界を見誤る二人に、さっき痛めつけられた男、
    相模が軽く絡む。

    3つ目は自分が棄てた女が、交通事故で死んだと聞かされた男の話。
    女はある男のバイクの後ろに乗っていて死んだ、そしてバイクの男は生きている。
    相手の男を「ぶっ殺してやる」と息巻くならなぜ女を棄てた、という話だが
    理不尽で身勝手な思考回路をねじ伏せるだけの、
    やり場のない怒りと哀しみが伝わって来る。
    身勝手な河口を演じる森田哲矢さんの途切れない緊張感が素晴らしい。
    この河口が自分自身事って死んでいくとき、
    最期に見る風景が映し出されるシーンが秀逸。
    映像のセンスが良く、しかもウィットに富んでいて大変驚いたし面白かった。

    3つのエピソードの底を流れる死と暴力の匂いが、
    露骨な描写なしで濃く立ちのぼるところが好きだ。
    途中ラップや朗読スタイルが入ったのはちょっと唐突感が否めなかった。
    だが常に挑戦的な姿勢は必要だし、ラストシーンのように大成功するものもあるから○。
    林灰二さんという強烈な個性が牽引する劇団はやはり目が離せない。


  • 満足度★★★★★

    「よく晴れた真冬の午前2時頃のような澄んだ空気感」は健在
    同じ夜に起きた3つの出来事…バラバラに思えたそれぞれの流れが次第に関連付いてゆく後半は完成に近付くジグソーパズルの如し。
    映像や朗読を併用した演出も効果的でラストの鮮やかな「仕掛け」にはまんまとしてやられる。
    ただ、(それぞれの流れが断片的に示される前半は特に)物語性よりも「様々な人の想いを感じる」Don't think,feeeeel!的タイプにつき、好みは分かれるかも?
    ちなみに個人的には Oi-SCALE の「よく晴れた真冬の午前2時頃のような澄んだ空気感」が大好き。
    ピュアな雰囲気と言おうか、色で喩えれば限りなく透明に近いブルーと言おうか。
    林さんが(やや強面のおっさん然とした見かけとは裏腹に(爆))ピュアな人だからだろうなぁ。

  • 満足度★★★

    演劇の本質
    は、他者との関係にあり!! にゃ!!!!~~~~~っつ! ふぎゃ!

    ネタバレBOX

     演劇の本質は関係にある。無論、総てが関係の中に在るのであるから演劇についてだけそういうのはオカシイと論ずる向きもあろうが、ドラマがドラマティックであり得るのは、二項対立か三項対立という代表的な対立形式があればこそである。二項対立はデュアリズムに照応し、三項対立は弁証法に照応する。ドラマチックな総ての戯曲は、このどちらかに分類できるのではないか? 無論、有史以来総てのドラマティックな戯曲がである。
     総てが関係の中にあるのに、戯曲についてだけ関係を持ち出すのはオカシイと言う人々に対しては、こう答えよう。戯曲は、対立する関係を浮き彫りにする為にこそ、論理的に構築されるのであるし、その意味では、総ての関係に目配りをした上で、対立関係に収束させるタイプの芸術なのだ、と。
     この定義から、今作は若干ずれている。何故なら、明確な対立項目が主観の外に設定されていないからだ。結果、関係性はイマイチ不明確で不分明なものにならざるを得ない。登場人物のキャラクターが、総て、作者の影に過ぎないからである。これでは、各キャラクターが異質なものとしてぶつかり合うことが不可能である。自らの解析を通してキャラクターを析出するしんどさは理解するし、影が生まれてくる心理状態は自分にも経験がある故、否定したりはしない。然し、それならば、ベケットのように演劇の不可能性迄追求したら良いのだが、それもできまい。出来ない理由は簡単だ。ベケットは一旦、外の世界から、自分を見つめて作品をものしたが、本作の作者は外の世界から自らを観たことは無いように思う。其処が決定的な差なのである。一旦、世界に飛び出すべきだ。その上で本当の勝負になる。

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