ロケット・マン 公演情報 ロケット・マン」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.6
1-17件 / 17件中
  • 満足度★★★★★

    壮大なSF叙事詩
    ある映画のビデオパッケージとブラッドベリの短編に想を得て20年前に書かれた作品の改訂2版にして光速に近い速度を目指す技術開発のテストパイロットを主人公に描く壮大なSF叙事詩。
    いろんなSFや映画を知っているとモチーフになったものや、そうではない(=作者自身が知らない)が勝手に連想したものがあり二重に面白い。
    前々回公演「ギャラクティカ・めんどくさい」が娯楽系SFであったのに対して、こちらは本格SFのオモムキか。
    (以外ネタバレBOXへ)

    ネタバレBOX

    「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」的なロマンチックな(?)冒頭に導かれて展開するのは未来版「ライト・スタッフ」な技術開発物語。
    が、ついに光速を超えて(だったかな?(爆))以降は特殊相対性理論から時間もの風を経て哲学的なところに到るのが壮大で「2001年 宇宙の旅」を想起させる。
    その終盤は実は冒頭部分とも繋がっていたというのも巧いんだなぁ。
  • 満足度★★★★★

    色々な意味で泣ける
    成功とか失敗とか関係なく限界に挑戦し続ける者達、そんな彼らに愛を乞う者達等、とにかく何かを求め抗う人達に感情移入しまくり、それが全て大団円的に結末を迎えた時、主要な演者さんがラストと言う事も輪をかけて万感胸にせまりました。
    これから、どうなるか分かりませんが前に進んで行って欲しい劇団だと自分の中で再認識しました。

  • 満足度★★★★★

    残念…
    とても好きな劇団だったので…
    多くで主役を務めてきたべスさんの退団はショックですね。

    今回もすごい好きでした。
    序盤多少入りづらさは感じましたが
    入り込んでからはのめりこんでしまいました。

  • 満足度★★★★★

    人生
    運命について。
    夢が紡がれていく感じが良い。
    ラストは感動。

  • 満足度★★★★★

    涙涙涙。
    物語の流れ、役者さんの熱量、どれをとっても、終演後「あ〜、良いお芝居観たなぁ!」と満足感、幸せ感たっぷりで劇場を後にできる作品でした。

    割と前半から、最後に至るまで、泣きっぱなし。
    ゆっくりじんわり涙が出てくる感じで。
    良い作品でした。

  • 満足度★★★★★

    感動の大作
    導入部分からは考えられないような中盤以降の展開に驚きました。ただのギャグだったところが真面目なシーンにしっかり生きてくるという、伏線の張り方も最高。

    光の表現が素敵でした。

    あとはもう少し全体として尺が短ければ…

    ネタバレBOX

    やはり色々な年齢層がいるのがこの劇団の特徴ではないでしょうか。はっきり言ってしまえばそこには全体の協調性が欠けるのが普通なのですが、今回はそこを含めても上手にまとめてあって良かったと思います。
  • 満足度★★★★★

    村松らしさが爆発!!!
    村松っていいな~!そんな作品になってました。自分,バブルさん作品が好きなのかも知れません(ボスすみません!)SFっぽくて実はそこじゃない!的なところ,男性キャストと女性キャストに微妙な関係性(距離感?とでもいうか)があるところとか...村松っぽかった(あくまで自分的に,ですが...)。それにしても,長く村松を引っ張ってきた,言わば看板とも言える役者さんが複数,休止されるということで,今後どんな感じになるのかが,ファン的にはちょっとだけ心配。また遭える日がくることを心から楽しみにしております!!!(DVDはネットでも販売して下さい!)

  • 満足度★★★

    前半より後半が気に入った!
    7日午後、中野のテアトルBONBONで上演された劇団鋼鉄村松公演『ロケットマン』を観てきた。
    まず、この舞台を観に行ったきっかけを簡単に記しておきたい。いつもなら舞台を観に行くきっかけは、出演者に知人がいるというのが大きな要因なのだが、今回はちょっと違う。浅草リトルシアターという劇場で行われた舞台を見に行った折、プログラムに挟み込まれたチラシの1枚に劇団激嬢ユニットバス旗揚げ公演というのがあって、面白そうなので観に行った。この公演で、正規の団員が急病となり代役として舞台に立っていたのが小山まりあという役者。激嬢ユニットバスのメンバーはなかなか実力と個性を持った役者たちだったが、この小山まりあはユニットバスの面々とはちょっと違った資質での存在感を感じさせられ、観終わった後非常に印象に残った役者だった。これは、彼女の舞台をさらに観て、その存在感の核心を見極めなくては。そう思って機会あるごとに検索して知ったのが、今回の鋼鉄村松の舞台であった。

    さて、舞台はロケットマンと呼ばれる宇宙飛行士カーフを巡る人間模様。この人間模様という言葉はなかなか曲者で、含むところの意味合いが曖昧かもしれない。ロケットマンではウラシマ効果という理論を巧みに利用し、過去・現在・未来という流れの人間関係にある次元における横の人間の繋がりというものに同時に目を向けている。人間関係、この場合家族・血縁関係と、宇宙飛行士という仕事関係の2面からのアプローチがみられ、これらが巧みに絡められて人間の愛情と居場所とはという本質的な問題に迫っている。

    舞台が始まった当初は笑いやドタバタなどで観客の気持ちを舞台に惹きつけようとする演出が表に出すぎていて、これはいただけないなぁと思ったのだが、中盤以降、舞台の密度が徐々に高まっていき、気持ちも自然に舞台にのめり込んでいった。そのきっかけは、主人公カーフが無表情になっていくのと同時に、女優陣によって舞台にメリハリが付けられていったこと。そう、カーフの無表情さの中に実は感情の高まりの凝縮を感じ、芸達者な女優陣が実に上手く生身の人間の感情を吐出しているのだ。特に日高ゆいは「8割世界看板女優」という肩書が偽りでない演技(その表情はなかなか秀逸)をみせたし、小山まりあは口元や手の小刻みな震え老婆の声色と、思っていた通りの細かな芸を駆使して役を演じきっていた。
    観るものにとって後半の感情の高まりは涙を誘われると思うのだは、個人的には冒頭30分ほどのドタバタ的なイメージを最後まで引きずってしまい涙するまでには至らなかったのが残念といえば残念。この劇団の実力確認には、まだ数回の鑑賞が必要のようだ。

  • 満足度★★★★

    びっくりするほどまっとうなSF作品
    冒頭こそコメディテイストがたっぷりあったのですが、物語が進むにつれてどんどんまっとうな人類挑戦のクロニクルに研ぎ上げられていくことにびっくり。

    しかもそれが最後までしっかりと貫かれていました。

    ネタバレBOX

    劇団がもつウィットのセンスは、物語のわかりやすさの部分に良く生かされていて、それが物語の歩みに観る側を置いていかない力にもなっていたように思います。

    冒頭のロリコンねたなどを観ていると、こんな展開になることは想像もできなかった。しかもそのロリコンねたが、きちんの物語の柱としておかれ続けていることにも感心。どこかでへたれるのではないかとも思っていたのですが、最初と最後もしっかりと結ばれて、だてに20周年ではないことを証明。
    そりゃ物理学的なこまかい突込みはあるのかもしれませんが、物語の流れに観る側を委ねさせる力があって、終演まで時間を感じることはありませんでした。
  • 満足度★★★★★

    愛は光速を超えられるか
    『ロケット・マン』とは、劇団鋼鉄村松自身のことであり、観客へのメッセージでもあった。

    2時間惹き付けられた。

    ネタバレBOX

    地球が1つの国になったぐらいの未来の話らしい。
    ロケットで光の速度を出そうという、プロメテウス計画がある。
    それに一生を捧げたロケットマン(宇宙飛行士)と彼を取り巻く人々の話。

    ウラシマ効果で、宇宙に飛び立ったロケットマンは年を取らない。しかし、地球に残された家族や友人たちは、彼が地球に還るたびに年を取っていき、最後には彼は1人になっていく。
    孤独と向き合うためなのか、宇宙に行くたびにロケットマンたちは、喜怒哀楽の感情が薄れて、クールになっていく。

    主人公のロケットマン、カーフは、宇宙飛行の前に、家族には「この飛行が終わったら、宇宙へは2度と行かない。地上にしがみついて生きていく」と言いながらも、宇宙に取り憑かれたように、何度も何度も宇宙に出ていく。
    そして、最愛の家族を失ってしまう。

    息子の代になり、その子どもの代になっても、カーフは宇宙に飛び出していく。
    ロケットマンになった者の宿命のようだ。

    しかし、彼が本当にたどり着きたかったのは、「彼が愛して」、そして「彼を愛した」者たちのところだった。

    質量のある物質は光速になることはできない、ということが確実になったあと、1つだけ光速を超えることが可能になることが発見される。
    それは、「人」としての形を失うことなのかもしれないのだが、カーフは新しいプロメテウス号に乗り、行くことを決意する。

    冒頭のいくつかのシーンを拾い上げながら、カーフは愛する者の前に現れ、消えていく。
    史上初のロケットマン、犬のライカとともに。

    このストーリーには、いくつかの「真実」がある。
    人は本当に自分が求めていることに対しては、どこまでも本気になれるということ。
    そのことでひょっとしたら家族や友人を失うかもしれないということ。
    しかし、家族や友人のことを忘れたわけでは、決してないということ。
    何度か出て来る「宇宙にいるときは地上のことを想い、地上にいるときは宇宙を想う」の台詞がそれを語る。

    そして、「最後に戻る場所」は「愛」のあるところだということ。
    「戻る場所」とは「帰る場所」ということではない。
    「いつも」心の奥底に「ある場所」で、人の「心の支え」になる場所ということだ。

    「自分の進みたい場所」と「愛のある場所」は二者択一ではない。
    つまり、どちらかを選ぶのではなく、「自分が進みたい場所」に向かうには、「愛のある場所(こころの支えになる場所)」が必要であり、また逆も真であるということなのだ。

    ロケットマンのカーフは、光速を超え、愛のある場所(過去に)戻って行った。
    それは、カーフの中での気づきである。さらに言えば、カーフの妻だった女性も、妻になる女性も「知っていた」(感じていた)ことなのだ。

    カーフの妻になる女性は「少女」、カーフの妻になった女性は「女」としか役名がない。とても大切な役なのに「あえて役名は付けなかった」のではないか。
    つまり、彼女たちは、名前を付けることでカーフだけの「愛のある場所」をにしてしまわず、観客に向けての「メッセージ」としての「象徴」にしたのではないだろうか。

    「自分が進む場所と留まる場所(愛のある場所)の2つは相反するものではない」というメッセージなのだ。
    カーフの求めていた場所も、「戻った」場所ではなく、「先」にあった。

    鋼鉄村松は今年20周年だったらしい。
    その記念公演でもある。
    その公演に、再演でもある『ロケットマン』を選んだ理由がこれにあるのではないか。

    失礼な言い方をしてしまうが、鋼鉄村松の皆さんは、これで食べているとは思えない。
    しかし、「演劇」を続けている。
    彼らは、「光速を超えようとするロケットマン」なのだ。
    「質量があるものは光速にならない」と確定しても、「イエーガーの壁」が前にあったとしても、「演劇」を続けることを選んだ。

    「この公演が終わったら、もう舞台には立たない」と家族に毎回言っているのかもしれない。
    「公演」のあとには、観客にはわからない「ウラシマ効果」があるのかもしれない。
    しかし、公演は続ける。
    そして、それと「愛のある場所」は二者択一ではない。
    両方があって成り立つものなのだ、ということだ。

    冒頭の、宇宙犬ライカのエピソードが効いてくる。
    ライカの乗った人工衛星は「スプートニク」という。
    「スプートニク」は「同行者」「道連れ」という意味である。
    カーフとのちに結婚する少女に、その意味を告げに行く、というシーンはこの作品のテーマに結び付き、胸に迫るシーンとなるわけだ。

    そして、「出ていかなければ見えないモノ(世界)」もある。
    劇中では、それを「光速に近い宇宙船から見える外の景色」として表現していた。
    地上にいては絶対に見えないものなのだ。

    だから、「出る」。
    本気になったから「出る」。

    これは何も「演劇をしてる人たちだけ」へのメッセージではない。
    どんな仕事をしていても、本気でそれに取り組んでいるのならば、ぶち当たるかもしれないものなのだ。

    さらに、「“愛のある場所”を大切にしないといけない」というメッセージをも込めているのではないだろうか。
    劇中のカーフのように、過去には戻ることはできないのだから。

    この公演で、いつも素晴らしい演技を見せてくれたムラマツベスさんと村松ママンスキーさんが活動休止に入る(あともう1人は誰なんだろう?)。
    彼らの劇団での最後の公演に、そういうメッセージが込められた『ロケット・マン』が選ばれたのは偶然ではないだろう。

    だから、舞台の上には「執念」のような熱さを感じた。
    ムラマツベスさんと村松ママンスキーさんの、最後の「執念」というだけでなく、演劇を続けていく劇団員たちの「執念」も加味されたのだろう。
    そう感じてしまうのだ。

    全編、テンポの良さ、会話の絡み具合が見事であった。
    舞台に立ち、観客に向かって延々モノローグを言うだけのシーンが多いのに、物語を感じ、引き込まれていく。
    「脚本」や「演出」の良さもあるのだろうが、それよりも役者の情熱のほうが強かったのではないだろうか。
    集団で2時間全力疾走している中で、誰一人脱落者はいない。
    トップスピードの役者の速度、息に合わせ、突っ走っている姿があった。

    客演がこれだけいるのに、この一体感は素晴らしい。
    言ってしまえば、それぞれの役者の力量に合わせて、うまく設計されていたのだと思う。
    長距離が走れない者には、それに合った距離を。速度が遅くなりがちな者には、そうとは見えないように、それに合った速度を。そうしたきめの細かい演出と配役があったからこそ、能力以上の力が発揮できたのだろう。

    演劇はその日その日が違う。生き物のようなものだ。
    だから、観た日が、奇跡のような、特別な日だったのかもしれない。
    しかし、全体の構造がこのようにできているのだから、結果として、どの回も素晴らしい出来だったことは想像に難くない。

    主役のムラマツベスさんが出色の出来だ。
    いつものベスさんで、完全に当て書きであることを想像できるのだが、それでも淡々とモノローグを語りながらも、感情がこぼれ落ちてくる様が素晴らしい。

    出落ちだったり、ワンポイント的な出番が多いイメージの、ボス村松さんも、この作品では総司令官・ハインツをフル回転で演じていた。やはり、例の「容姿」を使った出落ち的なものも入れてきたが、役での「執念」が演技の「執念」とリンクしていたように見えた。
    彼の最後のシーン、「プロメテウスが私の指の間からすり抜けるようにして飛び立っていく」(正確ではないが、そんな台詞)あたりの畳み掛けは、後方の壇上に立つベスさんとの「画」としても、カッコ良すぎた。

    ラストに見せる、カーフとハインツの関係性が素晴らしい。
    グッときてしまう。

    カーフの「年を取ったほう」の「妻」(笑)を演じた日高ゆいさんも良かった。8割世界で見せる彼女とは違い、カーフへの愛情と、そこから来る「待つ女」という内面を、控え目に、そしてうまく演じていた。

    カーフの「若いすぎる(笑)恋人(のちの妻)」を演じた浅倉美桜さんは、声がいい。しかもうまい。おっさん率が高いこの劇団の舞台にあって、カーンと声が響き、特にオープニングの滑り出しが彼女の演技によって心地良いものとなった。

    アームストロングとホルストを演じた村松ママンスキーさんは、かっちりした渋さが良かった。

    もちろんほかの俳優さんもみんな良かった。

    鋼鉄村松は、台詞が過剰までに多い。
    特にバブルムラマツさんの作品は、主人公のキャラをどっしりと立たせ、過剰すぎるセンチメンタリズムに溢れる台詞、モノローグを言わせることが多い。

    今回も、主人公のカーフと総司令官ハインツともに、センチメンタリズムに溢れた台詞を舞台の上に撒き散らしていたが、それは単なる言葉の羅列ではなく、まるで「感情の噴きこぼれ」のようであり、まるで80年代ぐらいの、アングラ芝居を思わせる熱量だったと言っていい。

    鋼鉄村松の特徴は、80年代ぐらいのアングラ芝居とは異なり、そのセンチメンタリズム溢れる台詞のあと、「どうですか!」という「余韻」を持たないところにある。
    非常にクールなのだ。
    細かい内容よりも、耳に残る単語や、音のリズムを観客に届けているのだはないだろうか。
    いちいち、感傷的にさせずに突っ走る方式なのだろう。
    なので、観客によっては、その台詞に「引っ掛かり」を見出せず、延々台詞を聞かされる、退屈な時間ととらえてしまうこともあるだろう。
    それは仕方がない。

    鋼鉄村松はそうすることを選んだのだ。
    彼らは、彼らの方法で「光速を目指すロケット・マン」となったのだから。

    終演後、ふと思い出した歌がある。
    原田知世のデビュー映画の主題歌で彼女が歌った歌だ。
    『時をかける少女』
    この歌詞は、この作品にリンクしているな、と。
    まるでカーフを妻と妻になる者から歌ったような歌詞だ。


    時をかける少女

    あなた 私のもとから
    突然消えたりしないでね
    二度とは会えない場所へ
    ひとりで行かないと誓って
    私は 私は さまよい人になる
    時をかける少女 愛は輝く舟
    過去も未来も星座も越えるから
    抱きとめて

    ゆうべの夢は金色
    幼い頃に遊んだ庭
    たたずむあなたのそばへ
    走ってゆこうとするけれど
    もつれて もつれて
    涙 枕を濡ぬらすの
    時をかける少女
    空は宇宙の海よ
    褪あせた写真のあなたのかたわらに
    飛んで行く
    時をかける少女 愛は輝く舟
    過去も未来も星座も越えるから
    抱きとめて
    (作詞:松任谷由実)

    話は変わるが前回公演に募集したファンクラブは今回限りとなるという。
    残念である。
  • 満足度★★★★★

    泣いた
     ほかに語る言葉は要らないので、ここにコメントするつもりもなかったのだけれど、それでも、何か言わずにはおれなかった。


     泣いた。


     光の速さで駆け抜ける鋼鉄の村松に幸あらんことを。

  • 満足度★★★

    味付け
    良くできていて皆さんお上手な舞台なのですが、後半になると、下を向いてチラシ見たりアンケート記入を始めたりしているかたがチラホラ。他の回の評価は高いので、この回だけかもですが、一本調子な感じで、役者さんの演技も意図してか全員同じ感じに見えて、私が今まで見たこちらの劇団の公演のなかではダントツに心が動かされませんでした。皆さんお上手で、よくできている舞台なんです。きそれは確かです。でも、心が動かされませんでした。でもこの回だけたまたまかもしれません。

  • 満足度★★★★

    面白いけど中盤以降は寝落ちに注意!/約120分
    主役のロリコン宇宙飛行士・カーフの愛する10歳の女の子はかなり早い段階で登場。
    年は倍以上とおぼしき女優が子供らしい無邪気さと明るさを活き活きと表現しながら演じてのけるこの少女がとても可愛く、ツカミはオッケー!
    彼女に代表される幼い少女がいかに好きかをカーフが力説するくだりなど、序盤はコミカルなシーンがふんだんでとても楽しい。

    が、光速到達実験に真面目に取り組む謹厳実直なロケットマンとしてのカーフが前景化してくる中盤以降はコミカルなシーンが減っていく上、ストーリーを進める上での必要性から同じような話がループ。
    ぶっちゃけ、このあたりは“寝落ちゾーン”と言ってよく、舟を漕ぐお客さんもチラホラ。

    私は繰り返される科学的議論や哲学的論議に懸命に耳を傾け、それらを理解しようと神経を尖らすことで難を逃れたが、難しい話を聞かされると眠くなるという人はよくいるし、私にもその傾向はあるので、この方法が眠気を制する最良の方法だとは正直断じがたい。
    “皆さんが最良だと思う方法でそれぞれに頑張ってください”
    これから鑑賞される方には、こう言う他ございません。

    私個人は、そうして一睡もせぬままなんとかラストシーンまでを味わい尽くし、最後まで観て良かったと素直に思えた。
    それくらい、私にとっては味わい深い結末でした。

    ネタバレBOX

    自動ドアをくぐる際のドアの開閉音、遠くの者と交信する際に相手のホログラムが出現する音などを役者が口で表現する演出はどうにかならなかったのか?
    技法としてちょっと古くさい上、何度も繰り返されるのでくどい印象は否めない。

    可能ならばはえぎわの公演のように、リアルな効果音をかぶせるなどして欲しかった。

  • エンターテーメントのバブルワールド
    ロケットマン、鑑賞してきました。
    鋼鉄村松を支えてきた役者、ベス村松さん、村松ママンスキーさん、村松かずおさんの長期休演前の最後の舞台でした。
    お話は複雑な言葉に隠された、単純明快。
    回っても、回っても最後に捧げたい気持ちを人間は持っているんだというシンプルさと、素直になれない男という生き物の愛情が哀愁とともに表現されています。
    その哀愁をベス村松さんのあの猫背が見事に語ります。
    ロマンチストで、少年の心を忘れない方に、お勧めです。

  • 満足度★★★★★

    ロケット・マン
    ロケット・マンをソワレで観てきました♪
    鋼鉄村松さんの舞台はガチゲキからの二度目まして…
    笑いから心に沁みる悠久の時、はじまりの意味がようやく繋がった時は目の汗が溢れそう(T_T)
    みおちゃんの可愛らしさ!納得(≧∇≦*)(笑)
    こやまりさんの演技そこに時を生きてきた存在があった!

  • 満足度★★★★

    神の領域に入らんとする?!
    コミカル・サイエンス・ファンタジー。

    しかし、単なるコメディーではない!

    “神のみぞ知る領域を以って、275年の時をかけ、
    人類の「夢」、人間の「欲」、「葛藤」、そして「愛」を描いた物語。”

    劇団20周年の力量を感じた舞台だった!

    恐るべし“鋼鉄村松”!ブラーボ!

  • 満足度★★★★★

    ものすごくよかったです
    とってもサイエンスファンタジー。ですが、理論を理解する必要はないので、ストーリーに入り込むのは簡単でした。
    全部とってもよかったのですが、特筆するならムラマツベスさんの演技が本当によかったです。でもみんなよかったです。
    11月9日追記:開始30分ぐらい?までは、レイ・ブラッドベリ『宇宙船乗組員(スペースマン)』にだいぶ似ていて、最後までこのままだったらどうしよう?と不安になりました。途中から全然違う話になって、そこからは安心してのめり込めました。書き手がこの作品を知っている(ことを隠していない)ヒントがちりばめられてはいましたが、知らない人はオリジナルだと思っちゃうかなと。ちなみに私は萩尾望都の漫画化版で知りました。

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