殉職の夢を見る 公演情報 殉職の夢を見る」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★★

    次回も期待します!
    社会復帰がいつになるか分からない患者にとって、夢と目標をもつ人は憧れであったのだろう。彼らとの関係には言動も行動も強い覚悟と責任が必要、中途半端な正義は悲劇を呼ぶ。
    今後も目を逸らしがちな問題を取り扱って他の劇団との違いを出していってほしいです。

    ネタバレBOX

    精神病院の患者さんたちの生活がどんなものか知りませんが、蛭田役、瓜生役の演技は印象的でした。
  • 満足度★★★★

    人間の尊厳。
    アフリカン寺越企画初観劇。見応えのある舞台でした。


    上演時間:90分

    ネタバレBOX

    過剰な”思いやり”や”正義感”も、相手によっては時として仇となってしまう事もある。。。

    『死ぬまで生きる』という主人公の最後のセリフ。それでも自分は精一杯生きていくんだという固い決意が心に響いた。
  • 満足度★★★★★

    文句なしの○
    観劇後、アンケート用紙に“アフリカン寺越の演技”をまた観たいと思えば○、
    そうでなければ×をつけて、○が過半数なければ次の舞台は無いものとする、
    という崖っぷち企画。

    もし×でも、また仕切り直して新たに企画を練り上げるまでだと思うが
    ご祝儀アンケートではなく、文句なしの○をつけた。
    題材の選び方が巧いのと、脚本の完成度が高いことが理由。
    開演後まもなく、この小さな空間の役割と人間関係がすんなり理解出来て
    話の展開にずいっと入り込める。

    閉鎖的な社会における特異なキャラクターに寄り添うスタンスが優しく
    作者の取材の賜物だと思うが、役者陣も難しい設定によく応えて素晴らしい。
    例によって“善い人・悪い人・普通の人”の境界線をクールに描く視点が鋭く
    この点でも進化していると感じた。

    ネタバレBOX

    ゴールデン街の極小空間は、病院内にある畳敷きの粗末な警備員室になっている。
    ある日警備員(アフリカン寺越)が、患者のひとり蛭田(橋本亜紀)の自殺を
    未然に防いだことから、この部屋には蛭田を始め、瓜生(澤原剛生)、鵜飼(森由月)ら
    患者が出入りするようになった。
    警備員はあの日から子どもの頃の夢だった警察官になることを目指して勉強している。
    しかし医師の星川(末廣和也)、看護師(村田明子)は、ある葛藤を抱えて
    患者たちに日々に接していた。
    次第にここでの仕事に意義を見いだし始めた警備員の心に変化が訪れ、
    それが思わぬ事態を引き起こす…。

    自殺願望の強い患者が入院する精神病院が舞台である。
    患者のひとりを演じる橋本亜紀さんが秀逸。
    幻覚に苛まれる姿を人に見せたくないという心理、
    先に退院してシャバへ帰って行く仲間に対する微妙な心理が伝わってくる。
    “きっと死んでしまう”自分を抑えむ姿が痛々しく切なく、思わず泣けてしまった。

    終盤、“子どもの頃から弱い人をいじめてきた”医師と
    “子どもの頃助けられなかったから今度こそ警官になって弱い人を助けたい”警備員。
    実は“弱い人より優位に立っている自分を確認したい”という点で
    大して変わらないのだ、と指摘されて愕然とする。
    この境界線上に、社会の多くの人がひしめいているのが現実なのだ。
    境界線上にいる大衆のひとりとして暗澹たる思いにとらわれた。

    ちょっと唐突な印象を覚えたことがいくつかあって、
    コミュニケーションが取れなかった患者鵜飼が退院を前に急に饒舌になったこと。
    警備員の心の変化を見て自殺してしまう、蛭田の行動に飛躍が感じられたこと。
    彼女の死を医師が解説するというあのまとめ方はちょっと残念。
    蛭田の変化は解ったが、その理由を蛭田の言葉や態度で伝えて欲しかった。
    院長と話し合った末、驚きの方針を決定した医師と看護師の
    使命感と現実の葛藤があまり語られなかったこと。
    これらのプロセスがもう少し丁寧に語られたら、より説得力を持っただろうと思う。

    澤原剛生さん演じる患者の切羽詰った粗暴さ、
    大切なものの守り方を知らないままそれでも守ろうとする素朴さが良かった。
    医師役の末廣和也さん、
    いつもながら“嫌なヤツだけど実は単なる悪人じゃない”的なキャラが巧い。
    そして警備員役のアフリカン寺越さん、
    何かが正しいと信じて猪突猛進する男を演らせたら天下一品、
    その純粋さゆえに盲目的であり、物の見方が一方的なキャラが見事である。

    ラスト、自殺を止められた蛭田が初めて警備員室を訪れた日の
    再現シーンが素晴らしかった。
    警備員にとっては希望を得た日であり、
    蛭田さんにとっては新たな苦痛の始まりの日であった。
    人は誰も“照り返し”で救われることがある。
    誰かの努力する姿、誰かが変化する姿、その理由の一端を担った者として
    その姿を見ていると嬉しくて幸せな気持ちになることがある。
    だからそれを一方的に断ち切られると、途方に暮れてしまうのだ。
    人は様々なかたちで誰かに頼って生きているのだと、今さらながら感じた舞台だった。

    「犯罪者」「宗教」「精神病院」と来た作・演出の鮒田直也&アフリカン寺越のコンビ、
    次はどんな切羽詰った男を描くのか、楽しみでならない。




  • 満足度★★★★

    恐らく
    存続決定の後が問題だと思いました。

    ネタバレBOX

    自殺しそうな人を見たら助けます。命を懸けて生きていくと言われたら応援します。

    精神病院の正門脇にある警備員室奥の休憩所兼宿泊部屋が舞台。新聞販売店の住み込みの部屋と同じような巷の隅の隅、生きるのが下手なやや年を食った目がギョロンとした青年の話などこれまでの作品と共通点が多く、内容は悪くないのですがもういいかなとも思ってしまうのですが、アンケートで無印と×が多かったらやめると言われたら○をつけます。

    一年契約で精神病院の警備員をしている32歳の男青田は、自殺志願者蛭田さんの自殺を防いだことで子供の頃からの夢を思い出し警察官になることを決意します。年齢制限ギリギリで一回限りの試験ですが、合格を目指して頑張っています。ただ、蛭田さんを助けたことがきっかけとなって患者たちが休憩所に出入りするようになり、逆に親しくなったことで例え合格しなくても彼女らの自殺を防ぐために見守る生活でもいいかなと思ってしまい、合格へのがむしゃらさが無くなった途端、そこを見透かされて蛭田さんに自殺されてしまいます。

    自分の無力さに虚しくなった青田ですが、もう一度がむしゃらになろうと決意し直すのでした。

    自殺志願者には生きる意欲のない人とかまってちゃんの二種類があるのですか。

    資格を持ったスタッフが隠密裏に警備員をしているというのなら面白いと思いますが、医者が言っていたように普通は院内でチーム医療をしているわけで、警備員に心のケアの一端を担わせること自体そもそも有り得ない話です。

    これからもアフリカン寺越企画を見守ろうと○が多かったところで蛭田さんのケースのように死なれてしまうこともあり、最後は演劇志願者の決めるところだと思いました。
  • 見届けたい
    アフリカン寺越企画、第三作目。
    腹をくくったアフリカン寺越をはじめとする役者陣の芝居に引き込まれた。

    いまどきはやらない(かといって昔はやったというわけでもない)、泥臭い汗臭い笑いの要素も少なく、登場人物も愚かしかったり、嫌な奴だったり、めんどくさい人だったり、うっとおしい人だったりする(ある意味リアリティのある人物像ともいえるが)直球芝居。
    見終わった後のカタルシスもなければ、さわやかな感動も私には感じられない。
    (アフリカン寺越企画の芝居をみるたびに感じる印象がとても気になっていることがあるが、これは後ほどネタバレBOXへ)

    でも、アフリカン寺越企画が「○」が過半数を超えて次の芝居をうつのなら、私はきっと見に行くだろう。
    この垢抜けない芝居を私以外の人、いいかえれば社会がどのように受け止めていくのかを見届けずにはいられない。
    それだけ、このゴールデン街劇場の空間での1時間半はインパクトがあるのだ。
    (瑣末な感想だが休憩なしの1時間半という長さはちょうどいいと思う)

    ネタバレBOX

    以下、ネタバレというよりは私個人の主観を書いたものです。


    アフリカン寺越企画の芝居を見るといつも思うことがある。
    (アフリカン寺越が出演していたIQ5000のマンホールロケットでも思ったが)

    (ごく一部の人をのぞいて)人が「誰を愛し、何を大切にして、どんなことをしていたか」というその人が生きてきたからこその重みや歴史など、その人のごく周りの数人にしかさして知られることもないのだと思う。

    たとえばそれが痛ましい事件に巻き込まれて命を失った人でも事件によってはマスコミの報道したいように報道され実際の人物像とかけ離れた人物像になることもある。
    (桶川ストーカー殺人事件の被害者の女性などは特に顕著な例である)

    私には幾人かのすでにこの世にはいない人たちが、生きていた時、何を思い何を愛しどんな時に笑っていたのだろうか、と気になってたまらない人たちがいる。

    天童荒太著の小説「悼む人」では主人公の青年が、亡くなった人を悼んで旅をする話であるが、それらの気になってたまらない人たちに「悼み」をしたい、あるいはしてもらいたいと強く思わずにはいられない。

    話はアフリカン寺越企画の芝居に戻るが、この舞台の上で役者が演じる登場人物は、意図せずにその悼み(亡くなっているとは限らないが)を役者たちが大変丁寧に行っているように感じられてならないのである。

    その登場人物がいい人かとか立派な人かとかはすっ飛ばして、
    「どんな生育暦を持ち、どんな価値観で外界とコミュニケーションを取っているか」
    を感じられる生きた人物として現れてくる。
    (当日パンフが手元になく役名、役者名などはわからなくてすみません、あとで訂正するかもしれません)
    あくまでも私の主観だが、(役者本人がどのように役作りしたかは知らないし、私の推測は笑っちゃうくらい外れてるかもしれない)
    主人公の青田はハンバーガーなら照り焼きバーガー、カレーは中辛が上限、できたら甘口のほうがいい、というような子どもっぽい味覚をしていそうだとか、両親は忙しいかあるいは子どもに対して愛情はあるが、あまり興味を持たなかった人な気がしたし、
    末廣和也氏(この役者さんは得体の知れない人をリアルに演じるのがめちゃくちゃうまい、うますぎる)演じる精神科医は味覚障害でなにを食べても同じかあるいは極端な偏食、一人っ子で、親御さんある程度高齢になって授かった子なんじゃないか、と感じた。

    愚かだったり、失敗したり、不完全な人間が舞台上にいて、その舞台上ではやはり、愚かだったり、失敗したりを繰り返している。
    そこを彼らが演じる時、なんだかその不完全ゆえのしんどさが浄化されるような、あたかも供養されるような、そんな気がしてならないのである。

    ・・・アフリカン寺越のスキンヘッドが供養を連想させるわけじゃないよなあ、と思いながら。
  • 満足度★★★★★

    対他存在であるということ
     かつてM.フーコーは「狂気とは純粋な錯誤だ」と言った。つまり健常者の精神世界と精神病者の世界は別物だと解釈したのである。かれの判断が究極的に正しいか否かを判断する立場に自分はいないので、正否の判断は保留するが、この言葉に出会った時、自分が衝撃を受けたのは事実である。このような経緯から、一応、フーコーの判断を正しいものと仮定して、話を進める。その前に、問題を一つ。我々、人間のレゾンデ―トル(存在意義)とは何か? である。(追記第一弾2014.8.9)(最終追記2014.8.12)

    ネタバレBOX

     神でも仏でも無い一介の衆生に過ぎない我らヒトのレゾンデ―トル等無い、と為政者は言うであろう。然し、本当だろうか? 自分は、寧ろ、悩むこと、真摯に悩み得ることにこそ、人間のレゾンデ―トルはあるのではないか? そう思っている。
     ここで、上に挙げた問題と我々の存在意義を賭けての問いに戻ろう。人間が真摯に悩むのは、恋に落ちた時とか、大切な人を失って自らを振り返る時、失敗をして、自分が生きていて良いのか否かについて迷う時、仲間・恋人・親友など大切な人を裏切らざるを得ない状況に追い込まれた時などであろう。普通の人は、倫理を抱えている。して良いこと、悪いことの判断の分かれ目を持っているのだ。だから、悩む。そして悩むとは、自らが、社会的な価値・倫理に背いている、或いはそうなのではないかとの疑念から生じるのである。この意味に於いて、人間とはまさしく社会的(対他的)な存在なのだ。
    従って、人間的に生きるということは、己に連なる総ての対他的存在と倫理的に径庭ない付き合いをすることに尽きる。そして、そのような付き合いが最も難しいケースこそ、今作が扱っている、コミュニケーション不成立という事例なのである。分かり易く言えば、接点がまるでない、と考えられる人々と如何に関わり得るか? という問いである。
     実際には、完全に共有部分が無いわけではない微妙なケースが扱われているわけだが、扱いを間違えば、命に関わる。(更なる追記は、以下)
     実際、アフリカン寺越扮する、警備員の青田は、自殺を本当にする可能性を唯一持っていた蛭田のメンタルを読み間違え不用意な発言をした結果、何とか上向きかけていた彼女の自殺傾向からの離脱を逆に端的に落ち込ませてしまった。それは、無論、青田の所為で、彼女の自殺願望が和らいでいたからである。彼女は裏切られたと感じたことで、決定的な一線を越えて、屋上から飛び降りた。青田の目の前でである。蛭田の死後、警備員室にやってきたかまってちゃんの一人、瓜生の指摘は、痛烈である。「一番大切なのは、命だろう!」と彼は言ったのだ。自殺を幇助しているという病院の秘密を明かしていた、あやめ病院の精神科医師、星川の追求も、難しい症例を相手に誠心誠意尽くして来た医師の心情を語って雄弁である。
     然し、今作に光が見えない訳ではない。どんなに共有しようとしてもコミュニケーションを共有できない者同士が、命を最上位の価値として如何に良くそれを全うするかについて真剣に追求し続けることの中に、矢張り希望があるからである。青田というネーミングは、未完成や若さをもその中に含んでいるだろう。その青田が、“死ぬ気で生きて行こう”と決意することで、彼の失敗を通しての成長と今作に込めた、作者そしてアフリカン寺越の明日を見ようとする意志を見た。


  • 満足度★★★★★

    緩急自在
    看護師役の村田明子さんがご自身のラジオで事前に解説されていた「畳み掛けるようなセリフの応酬と、その間」が創りだす対比が新鮮。
    照明や音響も心地よく、重い題材なのに、単に重い芝居にならない良さを感じた。
    できれば◯が過半数になって欲しいし、次は熱量のあるコメディも観てみたい。

  • 満足度★★★★

    〇×の結果がとても気になります。
    劇場の大きさや雰囲気が物語の舞台となる警備員室の様で、警備員室で起こった出来事を覗き見ている様な気持ちになりました。警備員が、周りの精神病院のスタッフや患者と不器用でもどかしいながらも様々な関係を築いていくのが観ていて面白かったです。今回のお話の長さでも充分面白かったのですが、もう少しその後の警備員と周りの人達とのやり取りを観てみたいとも思いました。

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