嘆きのベイルート 公演情報 嘆きのベイルート」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.5
1-7件 / 7件中
  • 生きることに
    紛争、内戦、少年兵…そうした社会の中で、若者がもがきながら、如何に生きるかを探し求める姿が描かれていました。注目していた安藤聡海さんは、これまでの役柄とは違い、男・薬に身を落とす役どころに挑戦されていて、新鮮さと戸惑いを感じました。俳優さん女優さんの新たな一面を観られること、これも舞台の面白さですね。作品としては、脚本として展開が唐突だと感じる場面がいくつかありました。(市民【子ども】が被害に遭う場面など) セットも、紛争による破壊で廃墟に近い状態を表す意図なのか、長梯子を使った階段や建築現場の足場のようなもので、観る者としては不安を感じてしまい、楽しめませんでした。中央に置かれたバイクの演出も好みではありませんでした。魅力的だったのは、伊藤知香さんの演じる女性の母性。女と感じさせるセクシーさと、母性を漂わせる親族への愛情が見事に演じられていました。やはり宗教や文化や社会情勢というバックボーンが違う世界を描く作品の上演は悲劇のポイントを絞り込まないと難しいなと感じました。雑感として、なかなか席が埋まらない公演が多い中、たくさんのお客さんが詰めかけ、開場前には長蛇の列ができあがる人気ぶりに感心しました。

  • 満足度★★★★

    面白味が伝わりにくい
    ☆3.8
    個々の俳優の印象に残る見せ場が幾つも有るのだが、この劇団固有の特長をあまり感じられなかった。

  • 満足度★★★

    【追記あり】金属光沢を放つような硬質な芝居
    60を超える数の場を素早く転換することを可能ならしめた装置と演出は買うが、逆に「あ、もう次の場なのか」「また換わったのか」などと考えながら観ることになり忙しなく、入り込みにくい欠点も併せ持つ。
    そんな中で語られるのは紛争の続くベイルートでの2人の若者を中心とした物語。
    銃声や砲撃音が響く中での日常、当然のことながら登場人物は全てカタカナ名前、などから小説を原作とした邦人オリジナル脚本にもかかわらず翻訳劇的な印象。
    そんなこんなにより金属光沢を放つ(色はブルースティール)硬質で直線的な芝居で、なおかつ映画を舞台で再現したような感覚。(作者の狙い通り?)
    観応えもあったが、どこか取っつきにくさもあったというのが正直なところ。

    【追記】
    あと、音楽がクドいのには参った。
    個人的な感覚だが、アクションやコメディならまだしも、シリアスな芝居の場合、管弦楽を使った映画音楽風の大仰な曲を使われると醒めてしまう。
    「ここが山場ですよ」「さぁ、感動しなさい」などと押し付けられる気がするし、芝居自体で感動させる自信がないので音楽の助けを借りているようにさえ感じられてしまうのだ。
    (シリアスな)芝居には簡素なBGMで十分ではなかろうか?

  • 満足度★★★★

    麻痺した世界!
    そこでは、簡単に人を殺したり、殺されたりします。
    いろいろあるが、それに比べると私たちは平和な生活で、自由に暮らしていると感じていなければと思う。
    舞台上のスクリーン使用は良いと思うが、見づらくその効果は弱かった。

    ネタバレBOX

    ジョルジュ(いしだ壱成)の死ぬ場面の海老ぞり凄かった。
    こんな世界では、お金や愛よりも第一の望む事は自由に生きること。
    バッサームの”僕はただ鳥を狩りたかっただけ”と言う言葉が耳に残る。
  • 満足度★★★★

    背景
     1975年からレバノン内戦が始まった。然し、他の中東地域などと同様、この遠因というより、直接的原因は、第一次世界大戦でドイツと共に敗戦国となった旧オスマントルコ支配地域の、英仏による不自然で不条理な分断政策にある。今作で扱われるのは、1975年からサブラ・シャティーラ虐殺事件(1982年)迄の期間である。この認識が無いと、今作の意味する所は、捉えきれまい。
    上演中でもあり、大切なポイントだけを挙げておくと、元々のレバノンは、ファハル・アッディーンの支配地をベース(小レバノン)とし、ドゥールーズ派が多かったが、フランスが、この地域を含めシリア領域であったエリアを大レバノンと唱えて内部対立させ、独立派を抑えようとした為、レバノンという国家は、大シリアに統合された諸地域、諸宗教が、歴史的、文化的、社会的に自然な結合を無視した形で強引に成立させられた。これが為に、レバノンは極めて人工的な政治体制が組まれ、17ある宗派の其々が、どの政治的ポジションを取るかが決められていた。一応、国政調査に基ずいた人口比率によったのだが、その国勢調査自体、アリバイ作りの為に行われたに過ぎず、定期的に実行されるなど民意を反映するものでもなかった為、人口実態を反映させることができず、民衆の鬱屈は充満していたのである。このような中で、宗派対立などが、抑えきれなくなれば、人々のアイデンティティーは危機を迎える。そのように不安定なアイデンティティー問題も、今作では極めて重要な要素であることを意識して観劇すべきである。
    役者の力は、高いので、もっと観客席に踊り込むなど、観客に臨場感を持たれる演出が望ましい。また、若者の苛立ちや疾走感の象徴として置かれているバイクが、使われていない間、象徴としての機能を重んじるなら、スポットなどで、必要に応じてライトアップするなり何なり、何か工夫が欲しい。(追記後送)

  • 満足度★★★

    正攻法
    脚本・演出・演技、すべて正攻法の芝居。
    私には古典的過ぎる作風のため、あまり惹かれるものがなかったけれど、
    正攻法で骨太の作品が好きな人には良いのだと思います。

    テレビなどでも拝見する伊東知香さんは存在感があった。

  • 満足度★★★

    舞台として「何を観せたいか?」が整理できていなかったのでは?
    原作ありきのお芝居では、

    原作→脚本/演出の段階で、

    (基本的に)単行本一冊の物語にしても
    舞台演劇2時間程度におさめるにはとても長く、
    脚本そして演出の時点で

    「何を観客に観せたいのか?」

    「どういう気持ちにさせたいのか?」

    などを考えて見せ場とそうでない場面を分け、
    削っていく作業があると思います。

    しかし、本劇ではとにかく原作の場面場面を全て
    盛り込もうとでもしたのか、
    とにかく場面の転換が早過ぎる上に
    観客の理解が追いつかない形で場面転換してしまう為、
    置いてけぼりになる観客が多数だったと思います。

    ※ 僕は本作品の原作を読んでいないので
      これでも削った方なのかも知れませんが・・・

    ネタバレBOX

    【気になった点】
    ・ 当初、まるでサーカスのように高さと奥行きを持たせ、
      いくつものとても高い脚立(きゃたつ)で階段(?)を表現し、
      というセット構成を見て「何か期待させるもの」があったのですが、
      結局
      ・ 最後の船の場面
      ・ 主人公の1人バッサームの未来(旅路)を示すロープ(縄梯子)が落とされる場面
      以外なんの効果的な使われ方もしていなかったかと・・・

      お芝居中演者がかなりあぶなげに脚立を登り降りする場面に
      観ているこちらがハラハラさせられるぐらいなら、
      普通のセットを組んだ方が良かったのでは?
      (本劇内容からすると、このセット構成はまるで
      意味を持たなかったかと思います。)

    ・ 上に書きましたが最後のオチがバッサームの未来を予見させる
      「縄梯子が落とされる」だったのにはガックリきました。
      これは演出効果0だと思います。
      観せ方の工夫が足りません、道具に頼っても効果が低いと思ったら
      演技で観せて欲しいです。

    ・ あらすじを読んでいたので、始まり
      ・ 内戦下のレバノン
      ・ 荒んだ(すさんだ)国の中においても、
        生きる楽しみを失わないバッサームとジョルジュ、2人の青年の生き方
      には、本物語に対してこれからどう物語が展開していくのか?
      と期待させられるものがあったのですが、

      そこからが悪すぎました。

      ※ 上手(かみて)、下手(しもて)、
        どっちがどっちか忘れてしまったので
        右、左、と書きますが

      右上バッサームの部屋でのラナとのやりとりがあったと思ったら
      スタスタと左下へ移動し、そのまま「よく分からない」場面に転換するバッサーム。

      なんの説明もなしで主役が移動し、別の演技を始めるなど
      不親切にもほどがあると思います。
      ※ 本来なら前のお芝居のつながりで、次の場面に移動する(=観ていて分かる)、
        または同時刻の別場面を表現する、などが
        早い場面転換の上手い使い方だと思いますが・・・ 
      ※ もう少しだけ上手に「こういう場面である」という状況を
        演技や言葉で説明できなかったでしょうか?

      同様に場面場面の終わりも突然過ぎて、
      お芝居で言う「余韻」のようなものがまったくなく、
      観劇側の感情がまったくついていけませんでした。

      この場面転換がバンバン繰り返されていく様は、まるで
      「映画版 ハリーポッター 1作目」を思い出させるものでした。
      ※ 「映画版 ハリーポッター 1作目」は、
        とにかく原作に載ってるシーン全部を映像として入れ込んだあげく、
        (原作を知っている人間にすら)
        お話が見えない、と大変な不評を買った作品です。

    ・ 同じく観せ方として、
      空襲音とともにたまに(多分)戦時下のレバノンなどの映像を
      背景として登場させていましたが、
      これも「意図」が掴めませんでした。

      ・ 原作に当たる物語の背景に当たる国の状況を見せ、
        このような状況だからこそ人々の心が皆荒んでいった、
        という形でお芝居につなげたかったのでしょうか?

      ・ 単に原作の「戦時下の国」での「青年達の生き方」という事で
        戦時下である事をアピールしたかったのでしょうか?

      はっきりいって映像が使われるタイミングから何からが
      全然効果的ではなかったと思います。
      (お芝居を観る上で”邪魔だ”とすら思いました。)

      BGMやナレーションも同様でした。
      盛り上がりにかけている場面でなぜか「クライマックス」的な
      BGMがかかっても、観ているこちらは「訳が分からない」と思わせられる事多々。

      終盤、バッサームとジョルジュ2人の場面でジョルジュが
      「おれ(達)は戦場で1000人殺した」と語り、
      最後ロシアンルーレットで自らの命を断つ場面、
      あの場面ぐらいに本当のクライマックスだと分かる部分でないと・・・

      激しく盛り上げにかかるBGMが
      「この場面はこれから盛り上がるのか?」と
      誤解をさせてしまうだけだったかと・・・

    ・ 場面転換が早すぎて、色々な場面を描きすぎて、
      大事な場面を描ききれていなかったのでは?

      例.ラナという少女の存在について、観劇していて
        バッサームの彼女だったけど「国を出よう」とバッサームに言うたびに
        「まだだ(一攫千金してからだ)」と言う中、
        兵士になって金持ちになったジョルジュにいきなり
        しっぽを振っている、これではただのビッチに過ぎず、
        なんの深い背景もありません。
        あらすじに書くだけあって、もう少しラナの心がバッサームからジョルジュに
        動いてしまう部分にも深い何かがあったのでは?

      そういった部分を描かず、どうでもいい場面に時間をついやしたのは
      はっきりいって無駄だったと思います。


    申し訳ないのですが、気持ちを引っ張ってくれる場面や
    この観せ方は「上手い!」と思わせる場面などが見当たらなかった為、
    【良かった所】をあげられませんでした。。。
    ※ ほんの少しだけ入れられた笑いネタについても、
      本劇の空気がまったく掴めなかった為笑うに笑えませんでした。


    物語自体原作通りなのでしょうが、例えば
    「ロシアンルーレットの場面、ジョルジュは実は銃に細工していて自ら命を断った」
    とかだと、最後の最後にどんでん返し的に盛り上がったのでしょうが・・・

    本劇を観ていて思ったのは、
    「多分原作はそれなりに面白かったんだろうなあ
    (ジョルジュが夜襲をスポットライトのように
    「まるで映画俳優のようだったぜ」と語る場面などは少し気持ちを惹かれました)」
    ぐらいでしょうか。


    すいませんが、歯に衣着せず本音でズバリと書かせていただきました。

    PS.観劇途中、他の観客のあくびが結構聞こえてきてしまいましたが
      「お芝居においてけぼりを食ったらそりゃああくびも出るわな」
      と本来ならマナーが悪い、と取る事にすら同意してしまいました。。。
      非常に残念です。

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