満足度★★★★
無題1049(14-088)
18:00の回(晴)。17:35受付、開場。18:01前説、ややおして18:08開演〜19:47終演。初日も観ているので2回目です。
作演出の大畠さんは日芸では映像の方だったそうで、白い外壁に黒いガーゴイルを左右対称に1体ずつ配置、天井の釣鐘を消失点の一つとしたかのようにみえる(3点透視図)のでした。
白い外壁の内側で何が行われているのか(聖なるものか、性なるものか…直接は描かれていませんが)、醜い鐘つき男、命を持たないがゆえに永遠である石像、魔女となってしまった女、産まれた子、忌み嫌われる性、ドロドロになって流れる血、全ては喪われ再生へ至る、石像の目に映るもの、醜怪なものに宿る命…とても面白い物語(奇譚)でした。
とは言うものの、①副司教とエスメラルダ、少年修道士たち、花守と警備隊長について掘り下げができたら深み+凄みが増した(その分、時間もですが)のではないかということ②舞台上に大勢いるのに逆にお芝居が弱まって見えてしまうこと③セリフが被ると一部ですが聞き取れないこと④警備隊長はもう少し(ガチャガチャ)銃刀を身につけて物々しさを表現してもよかったこと(教会では許されないのか、もしかしたら、逆のことを言おうとしていたのか…)。
満足度★★★★★
■立体的な演劇。
客席と舞台の両方を縦横無尽に行きつ戻りつする役者たちの動きが演劇場の屋内を全部使い切っての立体的な工夫を見せていて、圧倒される。
観に行って、ほんとうによかった。そして、終演してしまったということが、あまりにもさびしい。また再演がればよいのに、と心から望んでいる!
役者の演技は的確で無駄がなくダイナミックで、音楽のメロディーも美しく、衣装の色彩やデザインも細部までこだわっていて、総合藝術としての可能性を開拓していて、見事だった。
ほんとうに良質な舞台藝術づくりをされたすべての関係者に心から拍手を贈りたい。
満足度★★★★★
■異形の者たちの慟哭の凄まじさ。
役者たちの鬼気迫る演技と流麗なる舞に痛切なる歌声がひびきあい、さらには怒号とうめきが交錯しつつ舞台は血に染まる。
あまりにも醜くも美しい歴史的世界を垣間見させた演出の秀逸さ。
最初から最後まで、ガーゴイルたちの美しさに目を奪われっぱなしだったた。両手の猛獣的しぐさだけで、ゴーガイルの醜悪さを表現している美しき役者たちのキュートさ、というギャップが滑稽でありながらも切ない。「ゴーガイル1」の片山歩美の石像としての静止の演技が藝術的で、「ゴーガイル2」の金子彩奈の一途な思いに満ちた切なさの演技が観客の心を強くゆさぶる。両人とも優雅でバレエ的な舞と会話劇のテンポの良さを笑顔でこなしていて自然体の姿が役者としての質の高さを証明していた。
「司教」役の松田大知の服装がみすぼらしく、司教らしくなかった(歴史的にはありえない地味さで、その点は時代考証的にミスとも見えなくもないが)。それは、もしかして「意図的な演出」なのだろうか。必要以上に厳格なる司教の高潔さと貧相さをデフォルメしたというならば納得がいくのだから・・・。不機嫌さと傲岸さを格好よく演じているからこそ高潔さが前面に出てくるのかもしれない。スタイリッシュでありながらも、心の葛藤や貧弱さをも時折みせてくれていて、なかなか高度な演技力であった。ピアノを弾きながら歌う場面も粋な演出で、とてもよかった。
「白痴の子」役の樋口仁美の見事な演技。圧倒的で。よく研究して演じているとおもう。最初から最後まで一貫して、そのものになりきっていて、驚嘆させられた。いとおしい人間の可憐さと純真無垢さが際立っていた。死んで横たわったままの場面の微動だにしない演技も優れており、しかも最後の場面の歌のうまさにも圧倒された。
「花守」役の上埜すみれの洗練された気品と絶望感が居丈高でもあり、かよわくもあり、相手をかばう強さと同時に泣き崩れる罪深さという二つの方向性の絶妙な落差を自在に行きつ戻りつしているグラデーションの工夫が優れていた。すっと立っている姿、そして無駄のない動きが役者としての誠意として凛とした美しさを表現していた。
「鐘撞き男」の大畠奈菜子の声色が哀愁とボケを同時に醸し出すという意味で、茫洋とした雰囲気の奥底に潜む不気味さをうまく表現していて、おまけに演技も「のたうちまわる痛さ」を観客に味わわせるような見事さだった。醜くも聖なる人間の苦悩を体当たりで演じており、たましいのふるえを痛切に訴えている姿が印象に残った。
「少年修道士1」の石黒徳子の勇猛果敢さと「少年修道士2」の島貫実梨の秘められた情熱が交錯する様子が「あふれだす感情のうず」を的確に表現していた。身体の限界と闘いながらも、生きようとして愛する相手に積極的に向き合っている姿が「人間のいのちの輝き」を示しているようで、よい演技だと感嘆させられた。
「エスメラルダ」の鈴木千慧の思いやり深さと狡猾さのブレンドされたような重厚かつ軽妙な動作が嵐のようで、華やかでありつつも寂寥感を垣間見せており、会場全体を疾走する体当たりの演技は立体的で、最強でありながらも、決して勝手な独走をするわけではなく、きちんと全体の流れに沿っていて、実力の凄さを感じさせる。
「山羊」の大竹太郎のコミカルで勇ましい演技は絶えず流れゆく河のように移り気で、それでいて一本木のけなげさを巧みに表現していて、なかなか工夫した演技だと感心させられた。
「猫」の冨士枝鈴花の軽快で、お祭りを盛り上げる「けしかけるかのような動作」が敏捷で、狩りをする動物の獰猛さを連想させるような面白さが漂う。
照明も音響も美術も、まさにフランス的な世界観を丁寧に追究しつつも簡素な演出をとおして素朴に表現しており、役者たちの演技を引き立たせる適度な舞台空間を創り出していた。
今後も期待している!!!
満足度★★★★
無題1041(14-080)
19:00の回(曇)。18:30受付(2階に上がって )、開場(下におりて)。この会場は2年ぶり(3.14の「宇宙船」2012/1)。「説明」によると、ここは教会。正面にやや見上げるかたちで建物の外壁、装飾が施され、幾分奥へ傾けてあることもあり、実際より立体的に見えます。両側にステンドグラス、屋上への階段。下手、テーブルと椅子。上手、ピアノ。白が基調、薄汚れた雰囲気。椅子席のひな壇、高低差あり観やすい配置。不気味に低いBGMが唸る。
19:05役者さんお二人による前説(90分)、19:10開演〜20:51終演。上埜さんが出ていらしゃるので観にきました(2012/7@上智大公演からで3作目)。
「ノートル=ダム・ド・パリ」をモチーフにしたとあり(読んだことがなくほとんど知らなかったので)終演後にわか学習…異形のものの蠢きがよく出ていました。
こちらは3作目で、あらためて劇団のことをみると、大畠さんは日藝なんですね。今月、日藝に関係するお芝居(「etecolza」「鮭スペアレ(こちらはトークゲストで)」)も3作目だったのですが、3/20にみた「チームホッシーナ」の保科由里子さんも「日本大学芸術学部(音楽学科)」でした。