満足度★★★★★
心地の良い疲労感?
客席がコの字型になっていて役者さんが観れたり観れなかったり。
なので想像をかなりかきたてられました!
テンポも良くて会話がポンポンと続いていきます。
日常的な描写ですがでもなぜか考えさせられる。
不思議なみせ方だったからか、とても心に残った舞台でした。
満足度★★★★
新しくないのに新しい。
何度も再演されている平田オリザさんの本。
新しくないのにその表現方法はなんとも新しい。
すごいものを観たなぁ、と。
会話と会話と対話の交差。
ステージを囲んでコの字型の観客席になっており、座る席によっては聞けない会話、演者の表情もあり、また、どちらも聴ける位置だったとしても瞬時にどちらの会話を聴くかを選択していく。
演じる側は集中と集中の集合体。
見る側は選択と集中の連続。
なんだか、自分が神様になって、地球の人間模様をいろいろ覗き見しているような不思議な気持ちになりました。
非常に面白かったです。
フェルメールの「光と陰」を演劇的に試みる粋
美術館の休憩スペースを舞台に、「名もなき人々」が織り出す会話劇。〈コの字〉型の客席は、上部か、側面か、下部の線かで 全く違った風景だろう。側面だと「対話する役者」を観察できる。一方、上部もしくは下部だと、概ね「対話者としての役者」だ。観る角度次第で、各々が違った感想を持つはず。特に上部か下部の線に座る観客であれば、後ろ姿を観察するわけにもいかず、対話者の「レスポンス」を注視してしまう。そして、周りの美術館客の影響さえ受ける「レスポンス」が、「繋がりとは何ぞや」を想起させてくれた2時間…。
日本の美術館は、料金が高い。特別展なら「千円」を超え、パリ市民における「休日の憩いの場」とはいかない。第一、映画館すら「1800円」の価格設定が効いてしまい、一人当たりの映画鑑賞数は「年間一本未満」の状況だ。それでも、TOHOシネマズやワーナーマイカルシネマズ等が中心となり、「デジタル化上映」(DCP)「シネマコンプレックス」他、「映画の日」「サービスデイ」「レディースデイ」「高校生友情割引」などを設け、ユーザーの獲得に力を入れている。
美術館に同じキャンペーンができない理由は、学割(こども料金)が安価だからだろう。映画館の場合、大人正規料金1800円に対し、こども(中学生以下)正規料金は1300円。両方の価格差を比べると約30パーセント。ご利用された方は お分かりと思うが、美術館の場合、50〜80パーセントである。しかも、都民の日や文化の日といった祝日になれば、無料開放デイを設ける必要も出てくる。(多少の予算が計上されたとしても)美術館の財務体力にダメージを与える状況なのだ。
やはり、学割(こども料金)を映画館、アミューズメントパーク並に引き上げ、収入を確保することが先決。フランスのサルコジ大統領(当時)は2009年、18歳を迎えた成人市民を対象に新聞一紙を一年間無料で提供する政策を発表した。この報道は日本でも取り上げられ、「業界支援ではないか」とする批判も巻き起こった。だが、新聞を「活字文化」の範疇に置けば、国が市民の文化生活を支える「フランスらしさ」である。すなわち、日本も、国が美術館を財務援助し、たとえば20歳の市民は「100円均一」などの政策を考慮すべきだ。また、映画館の「映画の日」に負けじと、「美術館の日」を設定しなければなるまい。毎月A日を「入館料半額」に値下げしては どうか。映画館が「映画の日」を実施するのは値下げしても利益が確保されるからであり、美術館が年数回 無料開放デイを設ける非経営性はない。半額にして月一回 大量の市民を呼べば、必ずユーザーはリピーターになる。
美術館の営業において細かい点を指摘すると、「月曜日定休」と「17時閉館」の慣行が時代に取り残されている背景ではないか。今、「○曜日定休」などの看板を掲げた店は少ない。かろうじて商店街の洋食屋さん 等は定休制だが、なぜシフト運営が可能であるはずの美術館が個人経営の店と同じスタイルなのか。「17時閉館」は高齢者しか寄れない時間帯だろう。
こうした時代遅れの制約を取っ払い、「コンビニ化」を進めた姿が、「市民の通う美術館」である。私は美術館がレディースデイを設けない一点は評価している。それは、性差別主義に抗した「パブリック・カルチャースペース」である。国が支えるに値す「場」だ。
満足度★★★★
淡々と・・
開演間際に到着したので、あまり予備知識を持たずに、淡々と演じられていく目の前の光景を食い入るように、時折ぼんやりと鑑賞してましたが、・・・。
・・・抒情的な味わいやおかしみを織り交ぜながら色々な楽しみ方を出来る舞台なのだな、と。
作家が伝えたかったメッセージとしては、やや弱い印象。
満足度★★★★★
たくさんの名画に囲まれて
そんな現実もゼロではないから、なんとなく不気味。違和感。
絵画を楽しむ平和なここと、かなり離れた(ヨーロッパは僕には遠いのです)戦争してるあそこ。経済やら政治やら世界は繋がっていて、ここもかなり影響されてるみたい。でも僕が見ている美術館のロビーには、ミサイルは飛んでこないからちょっとだけ安心。
東京ノートを初めて観ました。しとしとアップテンポな戯曲といった印象です。ひととひととは、相手の情報を知れば知るほど、その関係性が妙に変わっていくし、そんな妙に変わっていく関係性に僕はついていけるのかなーと、ちょっと切なくなりました。不器用なので・・・。
学芸員の平山さん(だったかな)の素敵な笑顔がとっても好印象でした♪
満足度★★★★★
日常と非日常の混在
先日観た青年団『もう風も吹かない』(作・演出:平田オリザ)と同様、全くのSFでもなく、なさそうでありそうな特殊な環境下における人々の日常と非日常を見ることは、脳に心地良い刺激を与えてくれます。
満足度★★★★
日常の風景から感じとること
ある美術館のロビーが舞台。
今回の美術館の目玉ははフェルメールの絵画である。(おそらく特別展)
そこには多種多様な人々が集まる。そしてその会話もまたしかりである。
役者たちは淡々とそれを演じている。まるでビデオカメラで写したようだ。
それはフェルメールの絵にも通じるものがある。(実際オランダのデン・ハーグにあるマウリッツハイス美術館で観たがデルフト風景などは絵というより写真に近い)
そして、そんな中にもドラマはある。芝居であるがゆえそのドラマはいくつも登場するが実際はそれほど多くはないだろう。
制作者側が何かを訴える特別な意図を持つものではなく、観る側の主観に全て委ねる芝居であった。
満足度★★★★
観るものの想像力をかきたててくれる演出
舞台を3方向から観れるような客席の配置になっていて客席の位置によって会話中の表情がみられる役者さんがいればみられない役者さんもいるといった具合に、絵画を観るような感覚で舞台が観られるのと同時に観る側の想像力をかきたててくれる演出が特徴的でまた魅力的でもありました。
淡々と流れる会話(説明が少なくある意味あまり親切でないかもしれませんが)の中にも、その人の価値観や考え方、人間性が現れるセリフがさりげなく入り込んでいて、人のありようは時々刻々変化してゆく立体的なものであり、時間も含めいろいろな方向や切り口からみないとその時その時の姿がみえてこない、そのような印象の残る作品でした。