熱海殺人事件 公演情報 熱海殺人事件」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-9件 / 9件中
  • 満足度★★★★★

    すごい集中力
    役者さんの凄まじい集中力に、客席まで集中している感じでした。あまりつか作品は観ないのですが、友人の役者さんに勧められて行ったところ、もう衝撃でした。演出、そして4人の役者さん、最高ですね。特に木村伝兵衛役の宮川さんが魅力的でした。ただ、選曲は確かにセンスを感じましたが、それだけに自己主張が強すぎる気がして。邪魔にならなければいいというものではないし、難しいとは思いますが、かえって集中力がそがれたときがありました。

    ネタバレBOX

    これだけプロの役者さんが揃っていると、ちょっとでも集中力のない人がいると、すぐに悪目立ちします。私の観た回は、途中のダンスシーンで後ろの女の子が、照れながら(?)踊っているのがものすごく素人くさく見えました。
  • 満足度★★★

    熱演
    2時間10分の公演。
    熱演でしたが、台詞が聞き取れない部分もあり、次回の公演に期待します。

  • 満足度★★★★★

    B公演鑑賞
    全体的にスマートな印象に仕上がってましたねv( ̄∇ ̄)

    ネタバレBOX

    時折、長台詞を棒読みと思しき箇所が有りましたが、個人的には初めて観る演出の箇所があり、とても新鮮でした。
    なんでも、「新熱海殺人事件」と「売春捜査官」のミックスらしいです。
  • ゆるやかな「変貌」に引き込まれた
    笑いが 「零れ落ちる」、まさに そのような表現こそ相応しい。

    劇作家•つかこうへい氏の代表作『熱海殺人事件』を、2013年の最新ワードや昭和の歌謡曲を扱い、新たな作品として変貌させた。
    劇作家に対する、これほどのオマージュもないだろう。
    幕開け、キャスト紹介の後、「つかこうへいリスペクト!」と、プロレスのマイク•パフォーマンスを彷彿させる口調で語った そのコトバは本物であった。


    キャスト紹介前の約15分間にわたって繰り広げられる冒頭のシーンは、部長刑事•木村伝兵衛(宮川浩明)の人物像を 探るには十分な時間だったと思う。
    過去、上演され続けた『熱海殺人事件』において、木村伝兵衛は異常者として描かれるケースが占めるが、本作も「常道」を選んだらしい。

    私は「新たな作品として変貌させた」旨を述べた。
    そして、「変貌」というのは作品全体の話だけではなく、最新ワードー昭和歌謡曲の「変貌」であり、コメディーシリアスの「変貌」を指す。
    違和感を生じさせない。
    ある程度、観客も把握できるほどの「変貌」ではある。
    ゆるやかな起点を示し、観客を引き込んでしまう構成は、圧倒的な「調整力」に他ならない。

    ネタバレBOX

    大山金太郎(永里 健太郎)の登場シーン、それはボクシング•タイトルマッチの入場を思わせる。

    試合の内容を紹介すると、『サザエさん』(長谷川町子 朝日新聞社)の「タラちゃん」や、郷ひろみ のカラオケ大会が始まるなど「コメディ」一色。
    すっかり その流れに安心してしまい、誰もが「このまま続くのかな…」、あるいは『熱海殺人事件』を知ってる観客であれば「どの段階で、熱海のシーンに切り替わるか」を考え始めた。

    だが、被疑者の 大山が ノリのまま話すのに対し、明らかに他の三刑事の表情は曇る。
    「キッカケ」があり、それに合わせる形で他の登場人物が「シリアス」へ変わったのなら、まだわかり易い。
    流れの中で、それも観客が把握できる勢いで「変貌」したシーンだった。

    『熱海殺人事件』は大山を常識人として描くケースも あるが、一人ひとりの登場人物の「像」は幅広い。


    「熱海の回想シーン」について述べると、メインキャスト唯一の女性にして木村の部下である水野朋子(黒澤はるか)に触れないわけにはいかない。

    スーツをスタイリッシュに着こなす彼女は、一流モデルのプロポーションだ。
    まるでクリスタル•グラスの清潔感。

    そんな女性が、「長崎一のブス」になり切る。
    風俗店で「苔」の役割を担わされる「ブス女」を、一流モデルのプロポーションを有した女性が なり切るのである。

    格差社会に囲まれ、また一人の女としての「涙」を流す彼女は ある意味、センセーションだった。
    「演劇」を考えた場合、こういったギャップには触れるべきではないかもしれない。
    ただ、木村=宮川の頭髪、大山=氷里の風貌を 「笑い化」したシーン等を考慮すれば、狙った面も あるだろう。


    シーン全体に話を戻すと、やはり「迫力」を感じざるをえなかった。
    氷里(役 大山)の本領発揮とともに、激流の展開は作品全体のハイライトである。


    作•演出の松本和己は、マツモトキヨシ創業者の孫で、元衆議院議員だ。
    どうせなら、観劇した人用の「マツキヨ•クーポン」が欲しかった。

    といっても、私は松本和己の政治家の顔を強調したい。

    「玄海原発、…要りませんよ」(冒頭 木村のセリフ)


    最新ワードと昭和歌謡曲を織り交ぜたのは すでに明らかにしたが、
    原子力発電所の話題を持ってきたのは元衆議院議員だからこそ。
    彼が脱原発の政策メニューを取り揃えているのなら、それを舞台に活かすのも手だ。

    つかこうへい自身、現代社会に住み着く「権力」「差別」といったテーマを 織り込んだ劇作家だろう。
    社会構造の中の、「男と女」は極めつきだ。
    シェイクスピアから続く伝統である。

    旗揚げ公演にて「つかこうへい」作品を上演するからには、一種のDNAを継承してほしいとすら思う。


    文句ではないものの、ラストの展開は「カットも有りかな」だ。

    騙されたのは事実だ。
    木村のキャラクター性が増幅したのも確かだ。

    しかし、今までの「変貌」ぶりから比べると、それが過ぎたのだ。


    「掃除のオバサン」の役で出演した マミ スーに関しては、生歌を聴く機会を あと一回は与えてほしい。
    配分が どうだったのか、極めて疑問ではある。
    だとすれば、今こそ「調整力」の出番ではないか。
  • 満足度★★★★★

    芝居も音楽も良かった。
    とても良い芝居だったと思います。
    とくに、大山がアイコを殺した直後、木村の足元に縋り付いたあと、
    花束で大山をたたく、花が散りばめ、
    そして、そこに流れる曲、一瞬あの曲何だっけと思いましたが、そうです、パピヨンのラストにかかるテーマ曲です。非常にマッチしてて感動しました。
    その他、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番はもちろん、よろしく哀愁(郷ひろみ)、青春の輝き(カーペンターズ)、マーラー交響曲第5番と挿入曲とても芝居を引き立てていたと思います。ダンスも良かったですが、黒澤はるかさん超美形ですね、涙流してたところ見えました好演でした。(男性陣は文句なく上手い)

  • 満足度★★★★

    機関銃のような台詞が心地よい
    今年だけでも熱海殺人事件は10回以上みてきたが、木村伝兵衛の機関銃のように繰り出される台詞はとても心地よかった。他の三人も台詞が聞きやすく、それぞれの役に溶け込んだ演技をされていた。47Engineの舞台は幕末純情伝、猿人プロジュースのロンゲストスプリングに続いて3度目であるが、毎回つか作品をハイレベルでリメイクされており、安心して見ることができる。今後も他のつか作品をされることを楽しみにしておこう。

  • 満足度★★★

    愛と成長
    チケットプレゼントにて鑑賞。130分。

    ネタバレBOX

    前半は面白い。
    後半がダレた。シャープさがないというか。熱量が落ちたというか。

    宮川浩明の木村部長はいい。声とか脂ぎった感とか。水野君を演じた黒澤は美人でその点いいけど、アイコの時のひん曲がった感というか人間くささがもっとほしかった。
  • 満足度★★★★

    つか演劇とは何か?
     ご存じ熱海殺人事件であるが、本当に諸君は、熱海殺人事件をご存じだろうか? こんなことを言うのも、無論、つか こうへいの作品には、基本的に台本が無いからである。前にも書いたが、彼は演劇の一回性を非常に意識した人であった。同じ物は、二度と演じられない。厳密に言えば、そうなのだ。その時の役者の体調、観客のレスポンス、トラブルなどの有無、事故の可能性、演出家の気分、ハプニング、科白や音だしのきっかけのトチリ等々、違ってしまう要素は無限にある。だから彼は、毎回、本番中であっても練習時間を長くとり、口立てなどという手間の掛かることをして、日々作品がより役者に合うように作り変えていったのである。だから、厳密には、まるっきり同じ舞台は存在していないのだ。
     今作も、かなり初期のバージョンを基に、それだけでは現在分かり難いと判断して、後期のバージョンをミックスして構成してある。従って、他のどこもやっていない形になっている。つかの作品は、だが、このような可能性を一定の条件つきで可能にする。
     では、その条件とは何か? 既に作家が鬼籍に入ってしまった以上、その答えは作品の中に求める他にあるまい。ズバリ、それは、役者の存在である。そう言い切ってしまって間違いないだろう。つか作品の特徴は、あの叩きつけるような、科白のシャワーである。そのパワーである。チャイコフスキーの大音響の只中、科白が聞こえようが、聞こえまいが口角泡を飛ばしてまくしたてる速射砲のような科白のシャワーで役者は己の存在そのものを舞台に観客に叩きつけてくる。その存在の熱さ、厚み、体重の総てを掛けて、観客に訴えてくるのだ。人間という生き物の持つ温かさ、ぬくもりを。これが、つか演劇の本質、魅力である。つか本人が、居た間は、つかが口立てという方法でそうなるように実践していたわけである。然し、彼が鬼籍に入ってしまった以上、このような、メッセージを伝える為に作家がやっていたことを引き継がなければならないのは、演出家だろう。その意味で演出家の役割は極めて大きいと言わねばならぬ。
     で、今回、結果としてそれが、為せていたか、ということであるが、かなり良い線迄行っていると判断した。本質を掴み、つか自身が持っていた温かくデリケートなメンタリティーまで表現できていたように思う。更なる高みを目指す為には、役者は、プロの技術を一旦、捨てる覚悟で舞台に臨む必要があるように思う。ミロやある時期のピカソが、子供のような絵を目指したように。彼らの絵は、プロとしての絵は、頗る早い段階で完成の域に達していた。その上で、子供のような絵を目指し、本当にそのような絵を描く為に生涯を費やした。そのような意味に於いて。

  • 満足度★★★

    熱い!
    長い台詞をがんばってました。最初は音が被さって、何言ってるか良くわかりませんでしたが。。。
    熱いお芝居の中にも笑いもあって、楽しめました。

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