nora(s) 公演情報 nora(s)」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.9
1-9件 / 9件中
  • 満足度★★★★

    原作の印象を崩すことなく
    原作を読んだのははるか昔だし、別に予習をしていったわけでもないので、原作の細かいディテールとシーンを結びつけることはできませんでした。

    それでも、だいたいの物語の骨格にシーンたちをぶら下げることはできて、それぞれが突飛に感じられることがなく、描かれるものもよく研がれ新鮮に感じられました。

    ネタバレBOX

    入場して、板付きの役者達を観ていると、それぞれの表すものが微妙に違う。
    漫然とながめた舞台が、すでに絵面としてニュアンスを持ち、編み続けていることに気が付く。

    下手の女性には、すこし動きがあって、舞台全体の静かさのなかで、その時間を生きる感じ。
    中央で座り込んだ女性は時々何かをつぶやき、想いのコアを滲ませる。
    さらには眠る女性が目覚めない意識の置かれ方に思え、舞台奥の夫の存在も全体のなかの座標として印象に残る。さらには、上手にはまだ動くことのない、解き放たれていく女性の印象があって。

    開演すると、切り出された様々なシーンが描かれ、それは時に台詞により綴られ、歌により溢れだし、韓国語と日本語の重なりによって醸された表層から内面までの厚みによって形をなしていく。で、観る側にとっては、それらが舞台上の単独のパフォーマンスとしてやってくるのではなく、常に刹那やシーンごとに舞台全体のミザンスや空気とともに物語られるものとなり訪れるのです。また、舞台のどこかに強い印象があっても、その場に座標をあたえる空気の作られ方が舞台全体として途切れることなく行われていることにも感嘆。

    観終わって、とても端正で、常にシーンの空気があって、でもそこには、ビビッドさ生々しさが失われることなく残っていて。
    なによりも、主人公(達)の想いの遷移がちゃんと終盤の台詞に束ねられ、実存感とともに組みあがっていることに驚く。

    韓国語と日本語の重ね合わせは、韓国語が全く理解できないこともあって、内心の無意識の想いと意識下の想いの織り上がりにも感じられて。
    そして、その印象を編み上がりのさきにある2人の役者たちのバラケなさから呼吸の整合の技のようなものに思い当たり、改めて演者たちの技量を感じたことでした。
  • 満足度★★★★★

    「カミソリの刃」を連想。
    shelfの作品を拝見する時、私はなぜかいつも「カミソリの刃」を連想する。今回も、そんなイメージが私の頭の中をよぎった。

    その舞台空間に、引き込まれた。


    以下、ネタばれ。

    ネタバレBOX

    イプセンの「人形の家」の枝葉・末節をすべて刈り取り、核の部分を再構成したつくり。


    shelfのノラ(たち)は、官能的だった。生きることに対して、官能的だった。そこがとてもよかった。
  • 満足度★★★★

    理解が進む
    ノラが独立する理由により説得力がありました。

    ネタバレBOX

    夫の病気療養のための借金をする際に父親が保証人になる必要が生じたものの、そのとき父親が病気だったこともあって無断で父親の署名を捏造したノラですが、借入目的が正しく、当然保証人になってくれるはずの父に無用な心配を掛けさまいと、むしろ正しい行動をしたと彼女は信じていました。

    それが法律違反だとつけ込まれ、夫の態度も法律違反に対処するもので、人道面を主張したノラを擁護するものではありませんでした。

    ノラは法律に無知だったことを悟りながらも、人道的に良しと思ったことが法律違反とされた現実に、本当に今の現実が正しいのか、別の法律で覆せるのではないか、もしそういった法律が無ければ人道面を優先した法律を作るべきではないか、それには自ら勉強しなければならないと考えるに至り、可愛い可愛いで済まされていたこれまでと決別するためにも家を出る決心をしました。

    家を出る理由がものすごく前向きで、一歩踏み込んでいて、説得力があり理解が進みました。
  • 満足度★★★

    見事空間
    舞台セットはなく、暗くシンプルな照明の中で、5人の役者さん達による60分に凝縮されたノラの世界。美しく、見事な空間でしたね。難しい理屈は正直よくわかりませんが。

  • 満足度★★★★★

    犀の如く独り歩む
     演出家、矢野氏のイマージュとしては、原作を一旦、分解してfragmentsにした上で、現在・ここに絡めて本質だけを再構成するという手法だ。それだけに緊迫感もあり、説得力もある。

    ネタバレBOX

     韓国から来ている女優のハングルで開始された科白は、日本の女優の翻訳兼日本語に拠る掛け合いで重ね合わされ、初めて聞く、美しく身体化された言語の響き合いとして立ち現れる。ここでいう身体化された言語とは、肉体に言霊が、憑依することではない。寧ろ、溜めを作った上で、肉体そのものでも言語そのものでもない新たな次元に属する表現として、立ち現れた関係性を獲得した“実体”だ。
     実に、微妙で純粋な、謂わば太初の光だけで編まれた詩的実存とでも言ったらいいだろうか。こんな表現ができるのは、演出家が、既成の衣(習慣・風習・既存価値・概念等)を脱ぎ捨てることのできる役者だけを選んでいることと大いに関係がある。
     それは、冒頭述べた通り、古典を含め、評価の定まった作品を今、上演するに当たって、脚本家・演出家が先ず最初に考えるべき問題であろう。評価の定まった作品というものは、決して固定化されているということではない。常に新たな発見があるということである。つまり、その作品と出会う者にとって常に格闘の対象として立ち上がってくる“実体”なのである。そのような“実体”を演劇という媒体で表現する時、採り得べき形の一つが、それも有力な形の一つが、今回のような形であることを評者は信じる。なぜならば、この表現に斬新さが在るからである。この斬新さこそ、この作品創造に当たって、作る側の皆が、原型と格闘した証であるのだから。
     結果、今作は、現在、我々が此処で生き、暮らしている日常性そのものに対する鋭い問い掛けとして立ち上がって来た。多くの者が、現在、ここで、仮死或いは居眠り半分の意識しか持っていないように見える。政府、マスコミの情報操作を見抜けないことによる洗脳を意識することもない、体たらくである。謂わば、訓致されることに馴らされ、家畜として生かされていることに対する問題意識を失くせば失くすほどこの問題提起は、遠く見える。然し、眠りに就いた者も、ヴィヴィッドに生きていたいなら、目覚めなければならない。そして目覚める以上、よりよく生きたいではないか? その時、我々自身の価値基準・判断基準の根底を何処に置くのか? 
     ノラは、所謂、近代的自我が、社会の中で個人をアイデンティファイする際、目指すべき出発点を示した。そして、今作は、イプセンを借りて、再度、その切実な問いを発している。その問いに応えるのは我々自身の責務である。演劇という媒体であるから評者のいうような直接話法ではない。解釈は自由である。ただ、観る側も精神を裸にして相対すべき作品であることは確かだろう。
  • 満足度★★★

    shelf
    いい演技だった。準備時間の都合で難しかったかもしれないが、二か国語同時進行の箇所は若干のずらしがあったものの、もう一工夫欲しかった。

  • 満足度★★

    ストイックな語り
    イプセンの『人形の家』を再構成した60分間の作品で、音響を用いず、照明の変化も控え目の演出で、役者の声や身体がストイックに現れていたのが印象的でした。

    時間軸に沿った戯曲通りの展開ではなく、終盤のノラと夫の対話の場面を前後に分割して、その間に様々な場面の断片が挟まれた構成でした。開場すると既に4人の女性と1人の男性がそれぞれ異なる姿勢で佇んでいて、そのまま静かに始まりました。
    女性は基本的に4人ともノラを演じつつ他の役も演じ、男性は場面によっては落語の様に1人で2役の会話を行うこともあり、アイデンティティーについて考えさせられました。
    ほとんど動かずに台詞を語り、動く時もとてもゆっくりですが、緊張感に満ちていて独特の求心力がありました。原作には無い歌が挿入され、繰り返し現れる度に歌い方が異なり、強く印象に残りました。

    「近代的自我」というテーマに焦点を絞った構成で、パフォーマンスとしての個性と強度は感じましたが、原作に備わっている様々な思惑の交錯によるスリリングなドラマ性が除外されていて、この戯曲が発表当時にテーマが先進的だったということだけではなく、物語としても面白いという一面が損なわれているのが勿体なく思いました。
    何も無い素舞台での上演でしたが、5人の立ち位置の配置や動きが美しく、空間的な物足りなさは感じませんでした。

    主宰の矢野靖人さんの開演前・終演後の挨拶が丁寧でありながら程良くフランクで、とても印象が良かったです。

  • 満足度★★★★

    堪能しました
    この空気の雰囲気というか、台詞の余韻が醸し出す感じが実にいい。言語の発語の違いは想像以上に大きいが、仕草は東アジアに共通したものを感じた。堪能しました。

  • 満足度★★★★★

    素晴らしい空間演出 そして演技!
    空間演出が素晴らしかった。

    役者の演技も素晴らしかった。
    特に、韓国の女優:Cho YuMi さんに魅了された。

    芝居自体は☆4という印象ですが、Cho YuMi さんの魅力に☆5です。

    ネタバレBOX

    素舞台に5人の役者が独立して存在している。

    それぞれが自分の時間を有し、無軌道に動き、その中で言葉を発する。

    まるで無限に広がる宇宙に孤立している人間存在の姿がそこにあるかのように。そこでは、役者の身体がそのものとして投げ出されている。

    言葉は虚空に響き、誰に受け止められるわけでもなく漂い続ける。
    そこでは、言葉は意味を失う。
    そして、言葉そのもの、想いそのものとなって投げ出される。

    その身体、言葉が、時に出逢い、重なり、そして離れる。

    舞台という小宇宙に、見事なまでに人間存在の孤独が描かれている。


    このようなシンプルな舞台を成り立たせているのは、
    役者の強度。素晴らしかった。

    川端優子さんが歌った「サン・トワ・マミー」は特に素晴らしかった。
    その歌の中に人間が現れていたと感じた。

    そして、Cho YuMi さん。
    彼女の言葉は韓国語なので何を言っているのかわからないのだが(と言っても、川端さんの台詞と重ねて〈ちょっとズラして〉語られているので、おそらく川端さんの日本語と同内容だろうが)、その言葉そのものの響き、その微細な演技、、、本当に魅入ってしまった。

    素晴らしかった。

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