エゴ・サーチ 公演情報 エゴ・サーチ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.8
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★★

    一週間経って2度目の観劇で観やすくなりました。新メンバーによる次回公演が楽しみです。
    一週間経って2度目の観劇。
    前回、セリフの言い回しが聞き取りにくかったり、間合いが悪かったり
    していましたが、そういった点は改善されて普通に観れるようになりました。
    あらためて、基本となる技術の大切さを知った感じがします。
    セリフと演技を観客に正しく伝える、すべてはそこからということ。

    初演時、大久保綾乃さん、高橋奈津季さん、山崎雄介さん、古河耕史さん
    というメンバーは良くも悪しくも、生真面目で重い印象が強くなっていたのが
    今回は軽やかな印象に変わりました。
    そして、小沢道成さんや小野川晶さんは余裕の演技で安心して観れる。
    新メンバーによる次回公演が楽しみです。

  • 満足度★★★

    劇団創設時メンバーと、後から入団したメンバーとのスキルの差が歴然。
    お気に入り「虚構の劇団」の第9回公演は、2010年第5回公演作品の再演。
    あれから大久保綾乃さん、高橋奈津季さんが退団。
    山崎雄介さんも古河耕史さんも出ない。
    当然ながら違う印象になる。

    けれども、それ以前の問題として、
    劇団創設時のメンバーと、あとから入団したメンバーとの
    スキルの差があまりに歴然としている。

    せっかくのセリフがまだ落とし込めていない、
    自分のものになっていないようで、
    特に笑えるはずのせりふのときの間合いが悪くて笑いにくかった。

  • 満足度★★★★

    鴻上さん
    鴻上さんと聞いて期待大。今後も見て行きたいです。久々にこりっちに感想書きますが、なんだか世代交代も感じました。鴻上さん、、、

  • 満足度★★★★

    いきものがかり
    ネット社会の功罪を織り交ぜながらの話でしたが、あっち方面の話でもありました。

    ネタバレBOX

    大学の同じ学年、同じサークルに一色健治という同姓同名がいたら、誰だってその時点でお互いの存在に気付きます。誰が俺の名を騙ってインターネットにアップしているんだと怒るのならともかく、今頃になって同姓同名がいるなどと驚くのは辻褄が合わず、全くもって腑に落ちませんでした。

    それでも、微妙に違う経歴の謎が解明されると、そこには辛い過去があったことが明らかになりました。同僚の広瀬が好きなのは実は一色だったということに気付いていたらまた別の展開になっていたでしょうにと悔やまれ、そしてそれはそれで困ったことにもなりますが。

    冒頭部分の彼女は小説の中の存在でしたが、あとは幽霊としての存在でした。結局は幽霊物、そして一番嫌いな幽霊の言葉を復唱して伝える者がいるという、この場合はキジムナーという妖怪もしくは妖精でしたが、心情を伝える工夫のかけらもない一番安直な方法が取られていてがっかりしました。

    生きている人の記憶から消えたときに人は消滅するという考え方が幽霊にも当てはまるという説は面白く聞きました。

    結婚詐欺師になった広瀬に引っ掛かった女性が自ら風俗で働いて貢ぎ、最後まで詐欺師と気付かないなどという描き方も女性蔑視的で嫌いでした。

    ただ、ゆずに憧れて始めたフォークデュオ「骨なしチキン」にこの女性がファン第一号となってついて回り、見た目いきものがかりのようになったのには笑ってしまいました。

    それにしても、いったんネットに流出したら二度と消せない過去となる一方で、逆にネットをコントロールして就職に有利なように自分を良く見せることもできるというのは、どちらも怖い話でした。
  • 新旧交代!?
    鴻上さんが“鴻上節”を次の世代に愚直なまでに残そうとしている姿勢に好感を持つ。

  • 別々のシーンが「竜巻」に合流する!


    鴻上尚史氏は劇場を訪れた観客を大切に扱う演出家だ。

    公演終了後、必ずロビーに顔を出し、小走りの観客へ微笑みを贈呈する。また、配布物の用紙を広げれば、キャンパスノートを切り取った「手書き」(コピー)の挨拶文が載っている。

    私は鴻上作品を観劇する たび、その中身を 読み解く。

    今公演の『虚構の劇団』とは違うが、紀伊国屋サザンシアター『リンダ リンダ』(2013.3)の公演で配布されたキャンパスノートを 発見したので、少し紹介したい。


    「(略)インターネットが人間の感性を変えたと しみじみします。
    それぞれの人生の今を、こんなに
    簡単に知ってしまうことは、直感でしかないのですが、僕の人生そのものに決してよくはないだろうと思います」

    「誰かの人生を知るには、インターネットのない時代は、自分の今と引き換えが条件でした。
    (中略)
    けれどインターネットは、こっちの人生を まったく提出しないまま、相手の現在を知ることができるのです」


    なんと、今作『エゴ•リサーチ』(再演)のテーマを、別の劇団による別の公演の挨拶文で語っていた事実が存在するのだ。







    ネット•メディアは「SNS」(ソーシャル•ネットワーキング•サービス)を中心に私たちを覆う膜へ拡大した。

    「インターネット」は蜘蛛の巣のごとく、世界中をITの糸でつながる様子から名付けられたことは 多くの方が ご存知だろう。
    ただ、今は むしろ私たちの頭上すら覆う「巨大な膜」の感が否めない。

    糸を放出する本体の蜘蛛は、「決して絡まない」生物学的本能を有するのだ。新聞社や出版社は獲物にあたる情報を知っても、蜘蛛に捧げるような真似は しない。
    では、サーバーを管轄するアメリカのネット企業は どうなのかといえば、消極的に大多数のユーザーを裏切り、そして「協力」してきた事実を私たちは覚えておく必要がある。

    一方、日本の新聞社•テレビ局がいい加減になった理由は、「ネット•メディア」の相対化だろう。

    テレビ局の報道力は90年代頃が最もであり、それまでメディアの権威だった新聞社がバブル崩壊後の広告収入低迷のため衰退した「相対化」といえる。

    佐藤栄作首相が退任記者会見で「新聞記者の諸君は出て行っていれ」と促した1972年7月6日を「逆転の日」と捉える向きは多いが、90年代のテレビ報道の「スクープ合戦」は新聞の後追い報道現象まで生んだ。


    雑誌ジャーナリズムに関して言及すると、田中角栄首相と宇野宗佑首相は月刊誌、週刊誌の報道が元で失脚したリーダーである。1989年(『サンデー毎日』のスキャンダル報道により参院選大敗、辞任)が、「紙の媒体」の見せた最後の権威だったのかもしれない。

    2000年代以降のテレビ報道で特徴的なのは、新聞社の権威に対抗し、「下品」ばりのドブ板取材で鍛えてきた報道力の衰えである。
    2011年の東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故は そのシンボリックなケースだった。

    詳細は あえて示さないが、先日、早稲田大学や東中野の映画館で開催された「ふくしま映像祭」を鑑賞した私は、テレビ報道側の言い分を聴いた。

    ローカル放送局•福島中央テレビが
    2011年の年末に放映した検証番組は、視聴者からの声として次のような 意見を読み上げる。

    「なぜ、海外のメディアでは爆発のシーンに“音”が あるのに、日本のテレビでは聞こえないのか」

    つまり、日本のテレビ•メディアによる隠蔽がネット上で話題になっているという。

    福島中央テレビは、「そもそも音声は記録できないカメラだった。
    一部の海外のメディアがセンセーショナルな表現のため、意図的に入れた音声。
    それがネット上に出回ったらしい」と反論した。

    もちろん、放射能被害を煽るネット•メディアの脆弱さ、無責任体質への批判に他ならない。
    私は、「大きな爆発音があった」という周辺住民の証言は本当だろうし、テレビ局側の反論も事実だろうと思う。ニュース映像を改変したこと自体、ジャーナリズム精神に反するわけだから、この件については海外のメディアに非がある。

    しかし、それは原発事故報道をめぐる問題の本質ではない。


    今まではテレビ報道こそがメディア一家の「カツオ」で、新聞報道は「ワカメちゃん」だったのだ。
    そうした構造にネット•メディアという「二代目カツオ」が新しく現れたことが、テレビの報道力を削ぎ落とした最大の理由ではないか。

    こうした「相対化」は現場、編成陣の意識の問題であり、「対ネット融合」が進まない一つの証拠だ。


    鴻上作品は、複雑なシチュエーションが後半にかけて一体化する竜巻のような勢いが魅力だ。
    恋愛を描けば青春色だし、若者を描けばコメディ色である。

    やっぱり、鴻上作品は若者が出演して こそ出せる色合いだろう。
    インターネット論、メディア論など考えさせる題材を、かなり客観的に扱っている。
    それは、「もしも」の現代社会を的確にえぐる演出である。

















  • 満足度★★★★

    初虚構でした
    ホチキス「クライシス百万馬力」で拝見した、小沢道成さん。
    空想組曲「虚言の城の王子」で拝見した小野川晶さん。
    このお二人のホームってどんな感じなんだろう、が観劇のきっかけでした。

    のびやかで巧みで、愛しくてたまらなかったのは、やっぱりこの二人でした。
    終盤、ヒロセに感情移入してしまったようで、もどかしくてせつなくて苦しくて、一瞬にして涙がこぼれて止まりませんでした。

  • 満足度★★★★

    再演ということで
    初見の方とはちょっと違った感想になります。やはりどうしても、初演との違いに目が行ってしまう。初演が好きすぎること、そして鴻上さんの作品ということでどうしてもハードルが高くなってしまうのですよね。楽しいのですけど、すごく好きな演目ですけれど。今現在に再演することの意味まで考えてしまうのはやはり演劇人として頂点に立つ鴻上さんの作品だからこそなのでしょう。いや、でもやはり初演で6回通った作品でした。好きでした。初演と変わった部分と変わらなかった部分への雑感はネタバレ欄に。

    ネタバレBOX

    まず、脚本・演出は細かい時事ネタを除いて全く変わっていませんでした。劇団員の配役も。セットや役者さんの立ち位置も。そして劇中で使われる音楽や写真までも。なのでまるで3年前にタイムスリップしたかのようでした。
    しかし大きく違ったのは、やはり演技力。特に晶ちゃんと小沢くんが凄まじく達者になっていて(初演も凄かったのに!)余裕さえ感じて頼もしかったです。晶ちゃんは初演でコメディエンヌとして新境地を開くことに相当苦労したとの印象がありましたが、3年経った今ではその分野の演技をすっかり自分のものにしていてとても楽しそうでした。小沢くんもより存在感に深みと厚さが増して・・・今思うと初演はテクニカル優先だったキジムナーの演技が、今は小沢くん自身がキジムナーそのものになっている感があり、その立ち姿のオーラの違いに目を見張りました。

    ただ、客演さん達の部分は・・・私が初演のキャストが好きすぎるせいも大きいと思いますが。山崎くん&古河さんのペア、そして綾乃ちゃんの緻密な演技、奈津季ちゃんのスタイル抜群でキレのある演技には少し及んでない気がします。まだまだ初日なのでどんどん上がって行く事を祈って、また観に行きます!

    ※初演の山崎くんと古河さんのクライマックスは圧巻でした。数秒ごとに切り替わる過去と未来。持続する緊張感。役者さん、そして演劇そのものへの力をヒリヒリと感じるシーンでした。そして驚いたのは、キスシーン。再演では笑いが起きていて、屋上での、佐伯の気持ちの誤解のときにも笑いが起きていたので驚いてしまいました。それはやはり、初演との緊張感に温度差があったからなのかなぁ・・・。鴻上さんの演出の狙いは全く変わってなかったと思うのですけどね。

    ※あと、さほちゃんがびっくりするほど女らしくなってしまったので、同じ役なのに全然印象が違いました。無邪気な元気さが抑えられて、なんだかとても可哀想な印象に。

    ※杉浦くんは金髪にしたと同時にキャラが自然に変わってました。そしてギターがめっちゃ上手くなってましたw 確か初演の頃はギターを始めたばかりで死ぬほど練習をしたと言ってた気が。もうすっかり慣れたものでした 笑

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