東京ブギウギと鈴木大拙 公演情報 東京ブギウギと鈴木大拙」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-1件 / 1件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

     尺115分、休憩無し。舞台美術が美しい。華4つ☆

    ネタバレBOX

     登場する人物は総て実在した人間である。(即ちモデルが存在した)描かれる住居(京都・鎌倉)の建物も現存している。殊に重要なことは、敗戦直後の日本で大流行した笠置シヅ子の唄った「東京ブギウギ」の歌詞を書いたのが「息子」のアランであったということだ。そして大拙は二番の二行目に記された歌詞の一節を大変に嫌った。アランの見解とは真っ向から対立したのである。
     因みに何故、禅の哲学の大家として知られる大拙の息子の名が外国人名・アランであるのかを不思議に思う読者も居るだろうから、一応説明しておく。大拙の妻は彼がアメリカに渡って出版社に勤務し禅の思想を英訳していた頃、恋に落ち結婚したビアトリスがアメリカ人であったことに関りがある。といっても父と息子の決定的な断裂は、第一段落で書いた二人の対立に表されている通り決定的で、ある意味避けられなかった断裂でもあった。アランは2人の実子ではなかったのである。アランは本当の母が誰であるかを生涯知ることも無かった。而も時代は太平洋戦争前夜、ハーフが極めて少なかった時代の日本である。父・大拙は禅の思想を英訳し英文読者を獲得したことで世界的権威としてもてはやされる大哲学者、妻もその大拙と理想を共に追い掛け夢を結んだ外国人として一般日本民衆には高嶺の花。然るにその息子は間子であり、而も実子に非ず、子供時代から問題行動を起こしてばかりの、顰蹙を買いこそすれ、評価するに足りないとされたのは、dépaysementの苦悩を知らぬ人間、大拙・ビアトリスのように純粋で理想を追求することを自らの天命とし邁進できるラッキーフューと大多数の海外の実情を知らぬ日本人にとっては当然の成り行きであったかもしれない。 因みに自分がここで用いているdépaysementという単語は、その存在の根底が毀損されていることでアイデンティファイしようにも自らの核を自らの存在そのものの歴史性に求めることが出来ずに違和感と居心地の悪さに常時苛まれる者の在り様を指す。これが「東京ブギウギ」二番の二行目の歌詞で歌われていることに大拙が猛反対した理由となった訳である。つまり、この歌詞がこのようであったのは、アランが往時世界の強国の租界があった上海で暮らし、生まれて初めて間子である自分がdépaysementの苦界を気に病まずに済んだことがあったであろうことは確実だ。
     この辺りの微妙な心理表現をこの大きさの箱で充分観客に伝えることは至難の業。この点が今回上演の難しさに在るように思う。何となれば、演劇の舞台という物は、役者の身体・台詞の全量と観客の想像力の交感関係に掛かっているからである。

このページのQRコードです。

拡大