満足度★★★
もしもし私の声、届いてますか?
前回の「お父さんの背中」観劇後、若干残ったもやもや感が、「明日も明日も、そのまた明日も」には、それが無く、観劇後すっきり感が残った。
立場(所属)の「対比」と、「通信機」への再評価
「通信機」を一つのテーマとした。
都会を暮らす市民にとって、「携帯電話」は肌身離さず保持しなければならないツールである。
それがフューチャーフォンか、スマートフォンか、といった機種の問題ではない。
いずれにしろ、「携帯する電話機器」なのだから。
北陸山脈で登山中、彼氏へ「通じる」ことが あれば、その女は スマートフォンの機体を より強く握り締めるだろう。
そして、「通じる」のレベルを上げた先が宇宙飛行士と地球の交信である。
私は、王子小劇場は幾度となく行っている。
だから言える。『劇団かさぶた』が造り上げた王子小劇場は新鮮なカツオだった。
中央へ「花道」を築き、客席はカーブを描く。
たとえば、惑星Aの漂流者が舞台上の通信機に語り出すと、「花道」の後方で地球からの音声をキャッチ!できる。
音響装置を一部、使用すると、 おそらく 通信機のリアリズムも備わったに違いない。
しかし、『劇団かさぶた』は既存概念を拒否して、(元々そういった目的こそ あったかもしれないが)効果的に「花道」を利用したのだ。
ライトアップされた地球人=「日本のジョンレノン」(研究所所長)は、惑星Aに漂流する者の考えた像ではなかったか。
「通信機」の放つ立体感を 教えている。
3Dを超えてしまった原因は、役者のマイクを使わぬ声。
地球の 3兄弟にしろ、「男を喰いたい」惑星A漂流者の3女性にしろ、 掛け合い自体、文句のつけどころは皆無だった。
兄弟ー男と女ー上司と部下
基本的な 掛け合い、それも内容の60%は「対比」の枠で収まる。
宇宙船の中の搭乗員4名が、ペアを組んでいたところを、ミックスして作業分担したのも「対比」を生む為だろう。
「化学反応」は、コメディへのオマージュであった。
「通信機」は、科学文明へのオマージュでであった。
満足度★★
連関
描かれているのは、木星の衛星、エウロパ、地球、天国の3世界。然しシナリオの論理に必然性が無い為ドラマとして結実していない。この原因は、作家が、各々の場所に固有の体系をではなく、自分が最も簡単に捉えることのできる知識を羅列しているに過ぎないことにあると考える。戯曲が戯曲らしい戯曲として成立する為の最低条件は、描かれた各々の場所で、登場する生き物の個々の事情に即したイメージトレーニングを行っているか否かに由る。今作では、その作業が行われていない。時間、当てにした資金の調達不可、矢張り当てにした人間関係の不如意等々、事情はいくらでも上げることが出来よう。然し、結果はこのようであった。観客に伝わらなかったのだ。これが、最早、陳腐と言えるほどになったディスコミュニケーションに対する新たな異議申し立てである可能性は否まないが、仮に、其処まで意識していたなら、違った形に仕上げただろう。少なくとも、自分が、作・演出をするなら、全く異なる形を採る。
もう一つ、気に掛かる点がある。劇団名である。“かさぶた”という名を名乗る以上、傷が癒えたらサヨナラ。即ち無用の長物、という意識なのだろう。自らを全否定はしないが、全肯定は愚かしい、と思っていると取らせて貰った。表現する者が逃げてどうする?
満足度★★
明確なメッセージを!
発想は悪いとは思いませんが、訴えたいことが良く解りません。
私には、現実とはかけ離れすぎて、客観的にしか観ることが出来ませんでした。