立場(所属)の「対比」と、「通信機」への再評価
「通信機」を一つのテーマとした。
都会を暮らす市民にとって、「携帯電話」は肌身離さず保持しなければならないツールである。
それがフューチャーフォンか、スマートフォンか、といった機種の問題ではない。
いずれにしろ、「携帯する電話機器」なのだから。
北陸山脈で登山中、彼氏へ「通じる」ことが あれば、その女は スマートフォンの機体を より強く握り締めるだろう。
そして、「通じる」のレベルを上げた先が宇宙飛行士と地球の交信である。
私は、王子小劇場は幾度となく行っている。
だから言える。『劇団かさぶた』が造り上げた王子小劇場は新鮮なカツオだった。
中央へ「花道」を築き、客席はカーブを描く。
たとえば、惑星Aの漂流者が舞台上の通信機に語り出すと、「花道」の後方で地球からの音声をキャッチ!できる。
音響装置を一部、使用すると、 おそらく 通信機のリアリズムも備わったに違いない。
しかし、『劇団かさぶた』は既存概念を拒否して、(元々そういった目的こそ あったかもしれないが)効果的に「花道」を利用したのだ。
ライトアップされた地球人=「日本のジョンレノン」(研究所所長)は、惑星Aに漂流する者の考えた像ではなかったか。
「通信機」の放つ立体感を 教えている。
3Dを超えてしまった原因は、役者のマイクを使わぬ声。
地球の 3兄弟にしろ、「男を喰いたい」惑星A漂流者の3女性にしろ、 掛け合い自体、文句のつけどころは皆無だった。
兄弟ー男と女ー上司と部下
基本的な 掛け合い、それも内容の60%は「対比」の枠で収まる。
宇宙船の中の搭乗員4名が、ペアを組んでいたところを、ミックスして作業分担したのも「対比」を生む為だろう。
「化学反応」は、コメディへのオマージュであった。
「通信機」は、科学文明へのオマージュでであった。