岸田國士原作コレクション 公演情報 岸田國士原作コレクション」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.1
1-10件 / 10件中
  • 20130608
    Cはいけん(^・ェ・^)「風俗時評」しげきてきでした

  • 満足度★★★★

    C公演観た
    3作品のオムニバス。作品が進むごとに演者が増えていく。トップバッターの一色洋平の一人芝居が良かった。

    ネタバレBOX

    『モノロオグ』一色洋平の一人芝居。彼(彼女)が醸し出す空気と台詞で序盤から一気に昭和初期の世界に引き込まれる。テーブルと椅子だけの舞台装置なのに、もうそこは昭和の家屋にしか感じられない。絶対に空調とか存在しない雰囲気。

    更に不思議なもので、身体能力に優れ無茶苦茶いい体している一色洋平が華奢に感じる。色気や哀愁があって艶っぽい。その制御能力には感心。大きい動作は勿論のこと、呼吸、視線、姿勢といった細かい部分まで。

    説得力のある上野友之演出とそれに応える一色洋平の演技。それを正に手が届く距離で観れたことに満足。今後なかなかこういった機会は訪れないかもしれない。一色洋平は今後活動の枠がますます広がっていきそう。

    『クロニック・モノロゲ』金子侑加、熊谷有芳の二人芝居。停電というシチュエーションがすでにレトロなんだが、こちらも雰囲気がすごく良かった。ストーリー展開とマッチした湿っぽい感じが馴染んでた。熊谷有芳が妙にカッコいいのが印象的。

    『風俗時評』前ニ作品のしっとりとした雰囲気から一転…というのが辛かった。休憩を挟んでなお気持ちが乗らない。舞台美術と出演者の人数からどうなるかがある程度予測できたため、演出にもサプライズを感じない。オムニバスゆえに流れが悪く残念。
  • 満足度★★★★

    Cプログラム
    「モノロオグ」
    担当した外国人入院患者に対する看護師の思慕の行方を描いた一人芝居。
    女性役を男優が演ずるも、序盤の所作(と着物の柄)からしっかり女性に見せて違和感無し。とか言いつつ「女優だったら誰がイイ?」などと考えながら観ていたりもして。
    ところで「ラヴィアンローズ」は戯曲の指定?

    「クロニック・モノロゲ」
    夫婦の話だが女性2人が演ずることでなまめかしさ・妖艶さが強調される感じ。
    また、随所に笑いが織り込まれていて主旋律のバックに別のメロディをさりげなく潜ませた編曲の如し。
    停電シーンで実際に照明を落とし、観る側の目が慣れるにつれて次第に見えてくる、という演出も劇中人物の視点(?)を観客に共有させて有効。
    金子侑加嬢の「昭和の婦人」ぶりと熊谷有芳嬢の男装もなかなかに◯。

    「風俗時評」
    人々が次々に奇妙な痛みに襲われる出だしは筒井康隆などの作品を思わせるがやがて軍事クーデターへと展開。
    が、OPに2.26事件の記録映像らしきものがありそれが予見されたのがやや残念。EDだけの方が観ていてのインパクトがあり良かったのではないか?

  • 満足度★★★★

    Aプログラム
    「留守」
    主人の留守でくつろぐ女中のもとに近所の仲良し女中が訪れて羽根を伸ばす2人…なおハナシ。
    箪笥や火鉢などの見立てにより昭和の日本家屋があの空間に出現するのが見事。
    昼下がりの陽射しの照明表現も秀逸。

    「麺麭屋文六の思案」
    彗星接近を題材にした物語で「留守」同様諧謔味があって楽しい。
    また、後半で彗星について力説する学者をビデオカメラで撮して壁にその映像を大写しにする演出も印象的。

    「屋上庭園」
    こともあろうに(笑)ロフト的な場所で演ずるとは!
    そこでの演技を見上げることで「屋上感」たっぷり(笑)。
    が、現実では客は空中にいる位置関係なワケで、言わば「神の視点」から観ることになり、独特の効果アリ。

  • 満足度★★★★

    Bチーム
    岸田國士のことを何も知らないので、難しかったらどうしようなんて心配してましたが、予備知識がなくても問題なく楽しめました。

    ネタバレBOX

    そのまま落語のネタにできそうな「取引にあらず」で緊張がほぐれ、過剰なテンションがいいアクセントになっていた「ヂアロオグ・プランタニエ」で空気が一転し、親の心子知らずならぬ、兄の心弟知らずの「ここに弟あり」でちょっとしんみり。三作のバランスもよかったと思います。
  • 満足度★★★★

    岸田國士が面白すぎる(さらにA)
    C、Bに続いてAを観ました。

    前の二つのVersionの観劇で、期待いっぱい。
    ハードルを上げて観にいきましたが、
    それをもやすやすとクリアして・・・。

    岸田戯曲に加えて演じる役者と、その織り上げる空気に、
    それはもうがっつりつかまれました。

    ネタバレBOX

    場内の座席はちょっと不規則。
    中央の、舞台と思われるスペースにも客席があって。
    流石にそこはちょっと遠慮に思い、
    一列後ろの、でもフロアーのテーブル席に着席。

    場内の上部には役者が居続け、
    となりのテーブルには鮭を加えた熊の木彫りが置いてあったりも。
    すでに、女優がひとり、
    中央のテーブルに板つきで、雑誌など煮目を通しながら、
    食事などを始めたりも・・・。
    全体に解けた空気のなかで開演を待っていると、
    外から声がかかって、その女優とともに舞台が動き出します。

    『留守』

    気風のよい江戸言葉での言い回しに、
    すっと空気が染め変わって・・・。
    ものの一分も立たないうちに、
    場には、それぞれの家の、主人の留守をよいことに羽根を伸ばす、
    女中二人の世界が魔法のように立ち上がる。

    別にたいしたことを話しているわけではない。
    愚痴をいって、噂話をして、
    ついでに
    煎餅をちょろまかしたり、
    高価な奥様の化粧水を使ってみたり・・・。
    髪を結ってあげたり。

    役者たちには、戯曲に込められた会話を
    主人たちがいない解放感に解いて
    どこか滑稽で、
    でも本音がすっとあふれるような時間の肌触りに
    仕立てあげていく。

    その風情に観る側も染められて、
    ふたりの見栄の張り方や、本音を、
    外からただ眺めるのではない、
    二人の呼吸や空気で受け取ってしまう。
    共感することも、ちょっと気に染まぬことも、
    感情というか思いの機微として訪れてくるのです。

    八百屋の男衆が登場するころには、
    戯曲の言葉では感じ取れない、その行間にあるような
    滑稽さや下世話さが場に満ちて。
    その先に浮かび上がる市井を生きる女性の、
    淡々と日々を過ごす諦観と
    刹那を埋める瑞々しい想いが漉き上げる風景に
    心を掴まれる。

    そんなに長い作品ではないのですが、
    一シーンごとに見応えがあって、
    ほんと、面白かったです。

    『麺麭屋文六の思案』

    麺麭=パンであることも知らなかったのですが・・。
    戯曲が書かれたころはそれなりに
    ハイカラな食べ物だったのかも。

    そうは言っても、家庭の夕餉の風景は
    極めて日本的で・・・。
    表層のプライドと内の度量にちょっとギャップをもった
    主人の人物造形がなかなかにしたたかで、
    どこかマイペースで家庭を守る妻の、
    刹那ごとの細かい空気の作り方が、特に前半の場トーンを支えて。
    息子の学問を志すことの建前的なものや
    青臭さのようなものも良くデフォルメされ、
    娘の一途さには表層だけではなくロールの芯の強さが
    観る側にしっかりと伝わってきて。

    さらには、丁稚の子供の躾けきれていない感じや
    下宿人の先生の所作や、隠しきれないどこか喰えない感じも、
    その家の雰囲気をさらに編み上げていく。

    教条的な理想やモラルと、
    それと乖離した日々の生活が
    舞台上にそれぞれ丁寧に描かれていて。
    ひとつずつのロールの造詣がとてもしっかりとしているから、
    よしんば時代が違っていても、
    戯曲に置かれた男たちの表層と内側の薄っぺらさが
    陳腐にならない。

    で、そこに、隕石が落ちてくるという話が飛び込んできて、
    明日に地球がなくなるという態で
    それぞれのロールの表層が剥がれる。
    映像まで絡めた勢いのある舞台が一気に立ち上って。
    その狼狽からこぼれ出てくる男たちの姿が
    なんとも滑稽に思える。

    奇想天外な部分が、
    その時代の奥にあるものを晒し、可笑しさを引きだす中で、
    映像をつかった今様な部分でのデフォルメや
    記者の勢いに、個々のロールが流されることなく
    したたかに貫かれて。

    どこかシニカルな語り口の中に、その時代の風情がおもしろくリアルに伝わってきたことでした。

    『屋上庭園』

    この戯曲はいろんな方が上演していて、
    何度か観たことがあったのですが、
    たぶん今回みたものが一番シンプルだったようにおもいます。

    淡々と交わされる台詞、
    過度になりすぎない抑揚、
    ベースをしっかりとおもったロールのトーンが
    それが戯曲本来の力を導き出して、
    二人の男たちの想いを観る側に
    伝えていく。

    それぞれの妻たちの醸し出すものも、
    男たちが作り出した色合いをうまく纏っていて、
    ナチュラルな中に、男たちの想いとの距離を
    しなやかに作りこんでいて。

    実直に歪みなく、
    シチュエーションが観る側に渡されて。
    そのなかでの、終盤近くの、
    夫婦の会話が凄く良いのですよ。
    去っていく夫婦の風情が良く作りこまれているから、
    場に残った夫婦に一層のペーソスが生まれる。
    そこがうまくいっているから、
    残された夫の行き場のない思いが映え、
    さらには、夫の見栄を包み込むように、
    妻の想いが、しなやかに抑制された感情に
    温度を持ち、ひとつずつの言葉毎に、
    色を醸し伝わってくる。
    そこには、物語の顛末に留まらない、
    夫婦の時間の俯瞰が生まれ、
    観る側を浸潤していくのです。

    観終わって、なにか、二人の時間が
    深く、愛おしく、感じられて。

    終演後も、少しの間、
    その余韻から抜け出すことがためらわれたことでした。

    *** ***

    合計9編の岸田戯曲を観終わって。
    なにか名残惜しい気持ちに捉われて。

    この作り手たちの岸田戯曲、
    さらには、岸田を担う役者たちを
    もっと見たいと思ったことでした。


  • 満足度★★★★


    いい作品だけど、中央机にも客席つくると普通に邪魔でしょ。

    ネタバレBOX

    「取引にあらず」
    又蔵(宮崎雄真)が主人のタバコ屋に若い男(野口卓磨)がやってきて、手持ちがないから尺八を担保に売ってとせがむ。その後に老紳士(蓮根わたる)がきて、その尺八が値打ち物であり、300万出してでも買い取りたいとせがむ。又蔵が中間に入って男から100万で譲ってもらい、老紳士に高く売ってやろうとほくそ笑むが、二人はグルだったと分かる…。
    又蔵のアッパーテンションと冷めた妻(でく田ともみ)と娘(土屋咲登子)らの対比がいい。転換を利用した詐欺師二人のアッパーなダンス(とパニる又蔵ら)も○。そして、島岡は学生には見えない。

    「ヂアロオグ・ブランタニエ」
    とある男に好意を寄せるセーラー服な由美子(小宮一葉)と奈緒子(遠藤留奈)。女心が衝突してしぼんで爆発し、ハイテンションで着替えて外に飛び出す…。
    男が別の女とくっ付いたら死ぬという由美子と、逆に男を殺すという奈緒子の違いがいい。実際は男は由美子を選んでいるワケで、それでも自信なさげな由美子が一見いじらしく、虚勢を張る奈緒子も乙女心全開の作品。女の子らしくかしらないけども、突っ切った先に弾けた表情で着替える演出が気に入った。表情豊かで動きの軽快な遠藤がかわいい。

    「ここに弟あり」
    音大出の洪次郎(後藤剛範)と同棲する紅子(安川まり)の家に、洪次郎の兄・基一郎(兼田利明)がやってくる。同棲の相談もなく、どこの女かも知らず、親からは反対されているという現状に心配する基一郎は、紅子に一旦家へ戻るよう説得し、自分がケツを持つと約束する。よく話を知らない洪次郎は、感情的に出てけと兄に言い放ち、兄は出て行く。誤解だったと知り、また紅子に金を渡した兄の真意を知った洪次郎は、ピアノを弾き鳴らす…。
    親の心子知らずな作品。そして、弟からしてみればコンプレックスな兄への微妙な心を描く作品。後悔にくれる洪次郎もいいが、兼田の兄演技が抜群にいい。ずっとずっと弟と想って想ってきて、弟から誤解され疎まれても、それでも想う兄の姿がかっこよくて眩しすぎる。

    90分。
  • 満足度★★★★★

    岸田國士C
    演出に惹かれての観劇。
    愛に悩む女性の一人芝居「モノロオグ」
    濃厚で作られた空気に引き込まれ続けます。

    愛故の哀しさ二人芝居
    艶やかでそこはかとなく漂うエロチズム。

  • 満足度★★★★

    岸田國士がおもしろすぎる(続いてB)
    5/25のCに続いて、5/26のマチネでBを鑑賞。

    Cとはまた異なる会場の雰囲気があって、
    作品それぞれが、独自の面白さを持っていて。

    前日に続いてがっつりたのしんでしまいました。

    ネタバレBOX

    前日(C)とは異なる位置に一番大きな、
    半分ステージ代わりになるテーブルが置かれていて・・・

    Bも雰囲気の全く異なる3作品、
    時間が経つのがあっという間でした。

    「取引きにあらず」

    落語のような噺なのですけれどね・・・。

    会場の使い方がとてもしたたか。
    外への扉を大きく開けて、
    看板娘がそちらを向いて座れば、
    そこは町のタバコ屋の風情。
    マチネだったので、通りの風景なども見えて・・・。
    で、父と娘のロールが本当によく作りこまれているのですよ。
    ちょび髭のおやじのちょっと見栄っ張りで強欲なところと、
    そんな父親に対して少々楯突いて、距離を置いたりはしても
    実は気立ての良い娘・・・。
    隣人も、妻も、その店を訪れる客たちにも、
    昔の東京の下町の風情や気風が感じられて。

    その雰囲気だから、
    噺の筋立てにも実存感が生まれ、
    詐欺師たちの企てが
    じつに見事にはまり込んでいくのです。

    会場の外までも使って、
    店の内外を編み上げたり、
    その父親の愚かさに対しての
    女性たちのちょっと醒めた感じも絶品。

    なんて、風景を持ったお芝居だろうと思った。

    高座で上手い噺に巡り合ったような
    良質のおかしみに浸され、充足感が残りました。

    「ヂアロオグ・プランタニエ」

    始まりは・・、
    女学生ふたりの、一人の男性をめぐる
    レトロで、ストイックで、どこか甘酸っぱい会話劇、
    でも、その表層の言葉使いに
    二人が身体で紡ぐ心情のビビッドさが重ねられていきます。
    役者たちには、一行ごとのセリフの確かさがありつつ、
    その身体に異なる内心を紡ぎだす表現の技量があって。

    最初は、繫がっている身体と台詞に、
    耽美な空気を感じるのですが、、
    次第に、身体から刹那にあふれ出てくるものが、
    言葉で織り上げられる空気から乖離し、
    二人の世界に立体感を醸し出す。
    古風で慎ましい言葉たちが織り上げる
    心情の移ろいの美しさをベーストーンのように聞きながら、
    観る側の眼前には、
    女性たちそれぞれの、表情や、四肢や、呼吸からの
    異なる心情の移ろいが溢れだして・・・。

    戯曲が内包する少女たちの踏み出しが、
    役者たちの身体から紡がれる切先と彩りを持った表現に、
    アンニュイな感覚に閉じ込められるのではなく、
    豊かな感性に満ちた
    女性へと解き放たれていく終盤が圧巻。

    やがて恋慕から抜け出して、
    セーラー服の縛めを自らはずして・・・。
    ラフに塗りあうルージュ、
    ピンヒールの靴、
    戯曲につづられた会話劇のデリケートな質感を滅失させることなく
    言葉に置かれた想いの内側を切り出し、描きだし、
    踏み台にして。
    思春期の少女の舫を解き、
    女性に踏み出す刹那を導き出す、
    その表現の圧倒的な広がりに息を呑む。
    ラストの素敵なグルーブ感と遊び心に目を見開き、
    そのビビッドで、洗練され、解放感と遊び心にあふれた
    「あっかんべー」の質感に
    圧倒されてしまいました。

    「ここに弟あり」

    前2作にあった場内の解放感がすっと消えて、、
    場内は若い男女が暮らす、東京の小さな家へと、
    空気をかえて。
    今様の暖房器具を火鉢に見立て、
    ちょっと貧しい風情のなかに、
    二人の生活が浮き彫りになっていきます。
    その場の夫婦の雰囲気が丁寧に置かれ、
    なんというか、二人の事情や、
    言葉では刻み得ない距離感が
    とても自然な肌合いで伝わってきて。
    役者のロールの持ち方が実にうまいのですよ。
    日々に解けた時間の肌合いで場を満たしながらも、
    ふたりが、たがいに抱く想いや遠慮が、
    戯曲の描く如くにしっかりと作りこまれていて。

    そして、その共に実家と疎遠になっているその夫婦に、
    田舎から夫の兄が訪ねてくる・・。

    兄の演じ方も本当に実直で確かでした。
    二人が織り上げた空気にすっと入り込んで、
    けれんなく、でも、薄っぺらくなることなく、
    戯曲に描かれた兄自身を織り上げて、
    さらなる弟や女の思いをも引き出し、照らし出して。
    で、そんな風に、
    兄の矜持や弟の意地に女の勝ち気さや頭のよさが重なると、
    刹那ごとのロールたちの想いにとどまらない、
    それぞれの内心の色がすっと立ち上がり、
    戯曲の仕掛けがその真価を発揮して、
    物語にペーソスとぬくもりを与えつつ
    観る側を染めていくのです。

    そこには、戯曲に綴られたとおりの骨組みの面白さに加えて
    それぞれの背負うものや意地がすっと消えて残る、
    ロールの息遣いを持った、
    互いをいとおしく想う心情が満ちて。
    べたな言い方なのですが、
    はかなくともその場にある、
    小さな幸せとペーソスに深く浸潤されて・・・。
    なんだろ、
    人情なんて言葉にするとべたついてしまう・・。
    うまく言えないのですが、ロール達の生成りの想いが、
    しなやかに残されていて。

    役者や演出によって
    戯曲本来の味わいが引き出されるにとどまらず、
    その、冬のひと時の風景に血が通い、
    生かされていたように感じたことでした。

    *** *** 

    Cに続けてBを観て、
    岸田戯曲本来の面白さと、
    作り手が切り開く間口の豊かさに更に魅了されて。

    Aが今から待ち遠しくてなりません。

  • 満足度★★★★

    岸田國士がおもしろすぎる(まずはC)
    知識が浅いもので、
    岸田戯曲がこんなに面白いなんて知りませんでした。

    会場も演出の創意を解き放つに十分な
    フレキシビリティを持っていて。
    作品に加えて見せ方にも様々な工夫が感じられて・・・

    まずはC観ましたが、どの作品にももれなく引き込まれ、
    しかも一つずつの作品に異なる魅力がありました。

    ネタバレBOX

    まずは、5/25ソワレにてCの三作を・・・

    「モノロオグ」

    女性の一人語りなのですが、演じるのは男優。
    役者が登場の際にはちょっとびっくりするのですが・・・。
    女優が演じると、ちょっと生々しくなりそうな戯曲が
    ジェンダーが変わることで、骨格のおもしろさや、
    良い意味で上手く削がれた想いの姿として
    織り上がっていく。

    しかも、役者の身体の使い方が、なにげすごいのですよ。
    左右の足の動きが、しっかりと直線で内外に交差して、
    ぶれない。
    そのタイトさが、女性の線の細さとなり、
    その上にのる手や首の動きも
    女性のものとして観る側に女性が醸す様々なニュアンスを伝えていく。

    最初こそ、男性の演じる女性という印象で観ていましたが、
    ちょっと客をいじる枕のような時間の中で、
    語られることは紛うことなき女性の物語になって。
    しかも、女性がことばを濁し隠すような想いの内側すら
    男優だと逆に違和感なく舞台に乗せられていって。

    戯曲に描きこまれた女性の心情が、
    女性の色で揺らぎ、観る側に伝わってきたことでした。

    「クロニック モノロゲ」

    短編の戯曲なのですが、構造がちょっぴり複雑で、
    物語の進行にしたがって、
    その場のありようや、物事の真相が
    変わっていく。
    戯曲がもつ構造を、二人の女優がジェンダーを乗り越えて、
    一歩ずつ観る側とともに歩んでいきます。

    この作品も、
    役者たちの身体の使い方がさりげなく裏打ちされていて、
    台詞に加えて、そのナチュラルな動きで
    舞台を満たしていた冒頭の女性の視座が
    やはり女優が演じる男性の表層に導かれ、
    次第に塗り替わり、
    男性の想いの表裏の様相に置き換わっていく。

    作品が2人芝居として演じられるなかで、
    表見上の男性を女優が演じることが、
    冒頭の女性が二役の如く
    その内心の声となることの違和感を拭い去っていて。
    また、それは、冒頭から女性の色香がしっかりと描き込まれ、
    男の所作が、身体の使い方も含めて
    良く作りこまれていることにも担保されていて。

    この作品を同じジェンダーの2人で演じることで
    戯曲の構造に内包されているニュアンスが
    さらに際立って伝わってきたようにも思えました。

    最初の2作品は上野演出でしたが、
    ともに女性の振舞いや伝わってくる内心が
    とても細微に女性の質感や美しさを伝えていて。
    女性の美しさを、あざとさを持たずに
    とてもナチュラルに導き出す
    演出家ならではの戯曲の取り込みに惹かれたことでした。

    「風俗時評」

    休憩をはさんで、場内の雰囲気も緩んだ場内に、
    いきなり20人近い役者たちが、
    制服や戯画的な衣装を纏って
    それこそ軍靴の音を響かせるように入り込んでくる。
    元々そんなに広い会場でもないわけで、
    役者たちが客席的なエリアすら舞台に変えて
    場内には一気に溢れかえるような混沌が形成されます。

    そこに章が切られ、
    様々なシーンが重ねられていく。
    最初は、医院で、
    突然ある部位を痛みに襲われるという奇病を治療する姿なのですが、
    やがて、警察や学校、さらには床屋や家庭やホテルにまで
    舞台は移り、
    次第にその時代の、様々な階層のありようが
    切り出されていきます。

    その、一つずつのシーンはどこか突飛で、
    デフォルメされていて、
    時に薄っぺらくコミカルでもあるのですが、
    シーンを支える役者たちには、
    そのなかに織り込まれた人物のありようと
    見識や思想の深浅をしなやかに担保するに十分な力量があって、
    会場を満たし続けるテンションと、
    積み上がっていくそれぞれのシーンが、
    そして痛みの有無や現われ方につづられて・・・。
    もっと言えば、役者たちが、それぞれのロールを
    その空気の中で貫いているからこそ、成り立ち、
    見続けうる作品でもあって。
    気が付けば、その時代の様相や閉塞に
    会場全体がどっぷりと浸されている。

    それと、この作品、
    実はシーン自体やそれを繋ぐ役者たちの動きが
    とてもよく研がれていて、
    メリハリや切っ先をともなって
    観る側に常にインパクトを与え続け、
    その世界のありようを描き続けていて。
    そこには実にしたたかな舞台のフォーメーションや
    所作があって、
    台詞で紡がれる世界観を
    群舞のごとき動きが要所でしっかりと支えていることにも
    思い当たる。

    最後に、それが2.26事件の直前の
    姿の描写であることが差し入れられます。
    (戯曲のまま)
    舞台は映像などとともに
    しっかりとその座標をさだめて・・・
    そこに、時代の、生き物の如くの、
    抗うことのできないうねりを感じて、
    底知れない感覚に深く捉われたことでした。

    *** ***

    まだ、公演期間の前半ということで、この舞台、さらに様々に熟していく予感もあって。

    また、他のバージョンを観ることも本当にたのしみになりました。

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