サロメ 公演情報 サロメ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.7
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  • 満足度★★★★

    「神は善なるものと同様に,悪なるものの中にさえ存在する。」
    オスカー・ワイルド作『サロメ』になって,それまでのサロメと決定的にちがう点は何か。それは,それまでのサロメ像は,母親のいいなりの小娘であったが,ワイルドのサロメには意思がある。一人の女としてのあふれんばかりの,欲望がある。それは,自然なものであって,押し殺そうとしても,隠そうとしても,結局はどこかで爆発するのである。

    そういう意味で,貞淑な女などどこにもいないのだ。芸術家にとって,この奔放なサロメ像が魅力的であったのだ。最後で,あっけなく,サロメは殺されてしまう。しばらく監禁でもされて,後日放免という軽い処分もあったであろう。そもそも王が,悪いのだ。すけべ心を起こして,裸同然で小娘が踊るのをにやけて眺めたかっただけだから。結果的に,王は墓穴を掘った。いくらヨカナーンが,うるさい正論を述べても王位を奪う力はない。しかし,イエスの弟子でもあるものを,さほどの罪もないのに,単にのぼせあがった小娘の機嫌を損ねたという理由で命まで奪うのは後味も悪いのだ。

    エロチックに踊る女は,みなサロメとみなされる。女性解放の象徴に祭りあげられる。 一人のありふれた純真な女性こそが,無邪気であるがゆえに,残酷さもあわせもっているのか。新訳聖書に出て来る小娘は,もしかして,まだ子どもだったかもしれないのだ。そういえば,反復の多いたどたどしい子どもならではの会話がならんでいる。

    美しい処女,サロメの残忍性,それを,文学では,散文にすべきか,詩にすべきか,はたまた,演劇にすべきか,ワイルドは悩んだ。というわけで,サロメは,演劇のかたちは取っているが,ある部分小説的であり,詩的であるのだ。

    「神は善なるものと同様に,悪なるものの中にさえ存在する。」これは,マクベスで魔女が呪文で,きれいは汚い,汚いはきれい,と似たような文章である。ということは,魔女の呪文は,そのような聖書の世界から導かれたものなのかもしれないということになろうか。

    ユダヤの預言者ヨカナーンと,ヘビライ語でいうと,これは,旧約聖書の世界になり,イエス・キリストの先駆者的な意味になるだろう。ヨカナーンは,神の国を絶対視する。善と悪の二元論を貫こうとする。

    参考文献:光文社『サロメ』田中裕介解説

  • 満足度★★★★

    『サロメ』は,聖書の中にもあるお話である。
    『サロメ』は,聖書の中にもあるお話である。

    王は,かつて,自らの兄弟の妻を簒奪して,王位についたものである。聖者ヨハネは,この経緯を許さず,批判し,獄につながれた。娘サロメは,あるとき聖者ヨハネを垣間見て,恋に落ちる。しかし,相手にされないとわかるとこれを憎むようになる。あるとき,気分の良かった王が,娘に何でも望みのものを与えようという約束をする。

    后は,もともと聖者ヨハネのことを疎ましく思っていた。母の教唆により,娘サロメは,この際聖者ヨハネの殺害を企てる。首尾よく,聖者ヨハネは首をはねられるが,これに口付けする娘の異常さに愕然とした王は,娘を殺害してしまう。

    オスカー・ワイルドによる戯曲『サロメ』(1893年)が有名。これはフランス語で執筆され,1896年にパリで初演された。イギリスにおいて,上演禁止が解かれたのは,1931年。1905年には,歌劇化されていて,こちらの方も有名であるが,戯曲としても世界中で読まれている。

    見事だった。見事に,踊ってくれた。褒美をつかわす。
    なんなりと,お前のほしいものをつかわそう。
    今すぐここへ,銀の大皿にのせて・・・
    わけもないことだ。一体なんなのだ。何をほしいというのだ。
    聖者ヨハネの首を。
    ならぬ。それはならぬ。サロメ。

  • 満足度★★★

    演技&演出
     シナリオは、ワイルドの原作をかなり忠実に訳す、という形をとっているので、多少エキセントリックな世界を描いている以上余り問題はないと思うが、男性に女性の役を演じさせたり、逆に女性に男性の役を演じさせたりした割には、演出家のそのように表現したかった必然性が表せるレベルの演技ではなかった。唯、男が、女を演じ、女が男を演じるに過ぎなかったからである。ワイルドの生きた時代に、性的マイノリティーであるということは、リンチを喰らって死ぬことすら覚悟せねばならないほどのことであったはずだし、現在もその問題を引き摺っているのであれば、男性は己の内にある男を殺す、女性もまた己の内にある女性を殺すことで滲む己の内側にある異性を表現して初めて、この物語の原点に立つことになるだろう。このような仕掛けを創った以上、それは目指されるべきであった。
     演者の多くが若いせいもあろうが、演技に溜めが無い。一所懸命になる余りに、劇場のサイズも考えずに声を張り上げるのも頂けない。役者たちも己自身の特性を良く知るべきである。これは、年齢には関係ない。生きる時に、何に注意をして生きているかである。電車の中で、メダカのように群れてばかりいては決して見えてこないものを知るべきである。表現する者として生きてゆくのであれば、生涯、孤独に探求を続ける覚悟はしなければならない。表現する者には、それしか生き残るすべは無いからだ。例え、恋人と一緒に時を過ごしていようとも、それは、同じことだ。我々にとって実存が本質的に孤独なものであるなら、恋人とともにいることは、孤独が一つから二つになったに過ぎまい。
     と、この程度のことは、自分自身で突き詰めて臨むべき舞台であろう。言っておくが、この程度のことは二十歳前後になれば、誰もが通過していて当然のレベルである。もし、本当にマイノリティーであるならば。
     これらの前提が全然、見えなかった。一所懸命なだけではいけない。

  • いいっ!ヘロディアス最高!!
    すみません、ヘロディアスが台詞言う度に大笑いしてしまいました。いい味出してるな~と。帰りの電車でも笑いが止まらず・・・・。劇団の意図とは大きく違ってしまったと思いますが、私はコメディとして楽しみました。ごめんなさいです。でも、こういうのも有りだと思います。コスプレサロメとでもいうか・・・・。しかし、ヘロディアスが強烈で、サロメがかすんでしまいましたね。中途半端に本当にきれいにしようとしたのがまずかったのでは。サロメはユダヤの王女様ですから、ゴスロリでも貴金属ジャラジャラは必須だったと思います。シックにまとめるには金銀はよろしくないというので着けなかったのだと思いますが、マーカサイトなどのアクセサリーでシックゴージャスに決めて欲しかったです。それにサロメの衣装には黒のレースやシフォンを足して欲しいなぁ。アクセサリーは普段あんまり見かけないどっしりしたアンクレットや足指輪など。色の白い俳優さんだったので、きっとよく映えると思います。

    ネタバレBOX

    サロメの踊り、これはもう、パラパラしかないかと・・・・。パラパラでも十分に妖艶さを出せたと思いますが。正直演技は評価外ですが、私はこのテイスト好きです。オカマバーのノリで全体を貫くとものすごく面白くなると思う。サロメの衣装といい、踊りといい、こうした明確な輪郭が無かったので中途半端に終わってしまい残念。しかし対比とは恐ろしいもので、ヘロディアスが出てきた途端、サロメが可憐に見えてきた。ヘロディアス恐るべし。首の部分をちょん切るチケットも楽しい。

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