いやむしろわすれて草 公演情報 いやむしろわすれて草」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.4
1-9件 / 9件中
  • 満足度★★★★

    四姉妹、病人のいる家族の日常を淡々と描く。
    今乗っている満島ひかりさん主演。
    四姉妹、病人のいる家族の日常を淡々と描く。
    大きな事件が起きるわけではない。
    外出できないベッドにいる自分と、自分だけがいない外の世界の家族。
    自分に気遣い、自分のために生活を変えなくてはいけない家族に、
    感謝はしても、非常に息苦しく、むしろ忘れてもらった方が気が楽になる、ということだろう。

    繊細な心の動きを感じさせる満島ひかりさんの演技がいい。
    それと同時に、小さい子がいる姉妹の日常的なケンカの何気ないシーン、本当にどこでもありそうな場面が、観ていて楽しかった。

  • 満足度★★★

    このメンバーでも
    少し退屈さを感じてしまいました。
    それでも黒田さんのシーンやラストの号泣につられ泣いてしまったり。
    よくわからないけどわかる気がする、不思議なお芝居でした。

    E列だったので満島さんの表情はばっちり見えました。
    ずっと背中側を見せられていたA、B列の方々を思うと、円形劇場でやる必要はあったの?と思ってしまいます。

  • 満足度★★★

    家族、姉妹だからわかる口の閉ざし方
    固定されたベッドを中心に他はセットらしいセットはなし。
    セリフの間に静寂と無音が目に見えて、言葉で聞こえてくるような舞台。つい子供時代を追想してしまう。
    軍人さんや文学青年が出てこない向田邦子みたいな良作品だった。
    舞台袖?舞台裏?の会話の使い方は良かったけど、この劇場では観づらいシーンが多々あったのが残念。
    約90分。

    ネタバレBOX

    クスクス笑いあえたり、チャチャの入れあいこしたり、人から見れば他愛無い事で喧嘩したりと日常を過ごす。
    直接的な表現が多用していたわけではない。感情も爆発させた所でどうなる訳ではない。だけど、周囲の優しさや暮らしぶりの犠牲心に、やるせなさや罪悪心も生じて苛まれる気持ちがひたひたと伝わってくる。
    切なくなりながらも、みんな泣き笑いしながら生きているのよねー。
    大輔さんの上手く言葉に出来ない泣き笑いの表情に、ついもらい泣きしそうになった。
  • 満足度★★★★

    綿毛のような
    姉妹の何気ない会話、静寂、些細な仕草から、痛いほど伝わるものがありました。作風としては大好きです。必ずしも円形劇場である必要はなかったかもしれませね。

    ネタバレBOX

    ここでエンディングか、と思いましたが、観劇後の余韻は悪くないです。

    人によって合う合わないがあるかもしれません。部屋に一人取り残された満島さんの静寂の場面など、私は好きでしたが、気持ちが乗り切れないお客さんもいたようで、円形だから飽きちゃってるお客さんの仕草がどうしても視界に入ってしまうのです。
  • 満足度★★

    もっと面白いはずなんだが…
    作・演出の前田司郎が、自身の劇団である五反田団で2004年に初演し、再演・再々演を経た作品を、今回はプロデュース公演として上演する。4人姉妹とその周辺を描いた切ない物語だが、中心となる三女に絶好調とも言える満島ひかりを配し、天才子役として注目された福田麻由子が2度目の舞台で四女、4度目の舞台の伊藤歩を次女、初舞台の菊池亜希子を長女、と、4人姉妹は注目の人材で、脇に五反田団周辺を配する座組。私が観た再々演は非常に面白く、時間軸の移動を暗転せずに認識させる巧みな演出など、今回も基本的には変わっていないと思うのだけれども、今一つ乗れなかった。この作品をこのサイズの舞台でやるためには、それなりの工夫が必要なのではないかと思った。

  • 満足度★★★★★

    素晴らしい脚本(構成)・演出・演技。
    日常会話をとてもうまく構成していて、なんでもないような会話が極めて精緻に伏線となって張り巡らされている。

    演出では、「間(ま)」の使い方が絶妙。

    主演の満島ひかりさんもそうだが、他の役者さんも、全員素晴らしい演技。

    ネタバレBOX

    死、それは生の問題。
    人はそれぞれに何らかの条件を背負いながら生きている。
    その条件から解放されて生きることは不可能だ。

    それは主人公:三樹の病気もそうだし、
    その病気の妹を持つ2人姉・姉を持つ妹、父、、、、、
    様々な条件を背負いながら、一人一人が生きている。
    観客である私たちも。

    父が病気で倒れたと同時に、家業の八百屋を辞めざるを得なかったという会話の中での、二女・三女(主人公)の台詞が印象的だ。

    新山タカシ:「でもおじさんはショックだったと思うよ」
    三女:「そりゃそうでしょ、必死だったもん」
    四女:「必死に野菜売ってたからね」
    二女:「まあ、どの職業も割と必死だよ」
    三女:「全体的にみんな必死だよ」

    それぞれの条件の中で皆必死なのだ。

    また、ラストのひとつ前のシーン「四女と三女(主人公)との会話」も印象的。
    主人公・三樹が退院したら、家を父と三樹だけにはしておけない。その為に、長女は結婚をしない、二女も家に戻ってこようかと言いだしているという話を受けて、主人公:三樹は「でも、そういうの困るんだよな」「そういう、自分を犠牲にしてる感じとか、」と言う。
    それに対しての四女の台詞。

    四女:「でも、それはしょうがないでしょ、、、 私だって、」
    三女:「、、春菜は東京いきな、行きたいんでしょ」
    四女:「別に、行きたいって程じゃないよ」
    三女:「でも好きにして欲しいの」
    四女:「、、」
    三女:「、、ふーちゃんも一美ちゃんも」
    四女:「そうは行かないでしょ」
    三女:「、、」

    「そうは行かない」という制約は人生のすべてに当てはまる。
    勿論、その前の三女の「好きにして欲しい」という言葉は、自分自身が病気という制約に縛られ続けて生きてきたが故に、
    姉妹にはそういう制約をできるだけ抱えてほしくないと考えての言葉だ。

    だから、タイトルは「いやむしろわすれて草」。(「わすれな草」に対してだろう)

    そして、次のシーンで、もう病状が厳しい主人公唯一の病院内での友達・伊藤夕子が最後に送ってくれた、夕子の好きな花の名前を三樹は忘れてしまっている。
    ちなみに、それ以前のシーンで、好きな花がその花なのかはわからないが、物語に出てきた花は、橘。花言葉は追憶(←ネット情報で裏はとってません)


    そして、ラストシーン。
    ボウリング場に家族で行こうとするも、主人公:三樹はかたくなに行きたくないわめく回想シーンで終わる。
    ボウリング場は、三樹が初めて男性とデートをし、男性から告白された場所だ。だが、タカちゃんのことを好きだったからという理由もあるかもしれないが、その後、すぐに入院してしまったせいで、それで終わってしまった関係。
    (そのボーリング場ももはや存在しない)
    ただし、時間軸も、はっきりと明示されていないので、デートをする以前の時間設定の可能性もあり、三樹が行きたくないという理由が、その男性との記憶のせいなのかどうかははっきりしない。
    その辺の解釈が開かれているところもとても良い。
    この作品は、観た人の数だけの解釈があると思う。
    特にラストシーンの意味は、捉え方によって様々だ。

    私にとっては、人生の背負う制約や条件という問題を受け取っていたので、そういう見方をした。

    そして、それを受けて、考えた。
    どんな人でも、様々な制約や条件の中で生きている。その中で判断している。だが、人は自分のことはそれでいつも悩んでいるのに、他人にも色々な制約や条件があるのだということを、つい忘れがちである。すぐに、自分の価値観を元に、相手が置かれていることなどお構いなしに、正義を押しつけてしまう。正義という暴力を。
    だが、これも難しい。その論理を突き詰めると、すべては相対的なのだから、他人の批判なんかするなという意見にまでなってしまう。それも、また別の暴力。

    難しいが、、、置かれた状況で、自分なりに最良だと思える選択をするしかないのだな。

    作品評からズレてしまいました。


    時間軸が入れ換わる演出も絶妙だった。

    素晴らしい作品でした。ありがとうございました。
  • 満足度★★★★★

    満島ひかりを食す。
    満島ひかり、前田司郎、青山円形劇場、と、僕的にキラキラしたカードがそろった。で、感想。非常に面白かった。エンターテインメントな舞台を期待すると寝てしまうだろう。これはお腹を満たしたい人向けの料理ではない。ひとかけらしか手に入らない旬の素材を深く深く味わうための料理である。映画では味わうことのできな満島ひかりがそこにいる。そしていまさらながらに、こういう逸品を出す小料理屋として青山円形劇場はぴったりの小屋だったのだなあと感慨深く思う。

    ネタバレBOX

    前田司郎さんの「宮本武蔵」がそうであったように、これは「病弱薄幸の少女の物語」の前田司郎版。「良くある物語」が前田司郎の手になると、新鮮な輝きを取り戻す。

    前田司郎さんの「宮本武蔵」では、宮本武蔵がコミュニケーション障害者として描かれる。人と優しくつながりたい。だが同時に人を恐れる気持ちが先回りして、仲良くなりたい人を敵として認識し殺害してしまう「宮本武蔵」=「コミュニケーション障害者」の「寂しさ」が滑稽に、そして切なく描かれていたのが前田司郎版「宮本武蔵」。

    今回の「いやむしろわすれて草」も同じ。「病弱薄幸の少女」という物語としては幾度も描かれもはや手あかのついたフォーマットが、前田司郎というフィルターを通して描かれることによって、たちまち新鮮な素材となり、切なく美しい姿を取り戻す。

    「病弱薄幸の少女」とは「宮本武蔵」と同じ「コミュニケーション障害者」である。仲良くしたいのに仲良くできない。さびしいのにさびしいと言えない。それをコミュニケーション障害と名づけるのは簡単だが、それは実のところ我々が日常的に患っている「孤独」の別名である。そんな彼女のコミュニケーション障害っぷりをこんなにもシンプルに滑稽に切なく描くことができるのはやはり前田司郎しかいないだろう。

    終演後楽屋を訪ねて満島ひかりちゃんに聞くと、前田司郎さんとかなり激しいバトルを繰り広げたようだ。しかし、そういうことがあったにせよ、彼女こそは前田司郎がこの物語で描こうとした本質を良く体現していたように思う。

    そして伊藤歩、福田麻由子、菊池亜希子というキャストが素晴らしすぎる。これに満島ひかりを加えた4人が4人姉妹として機能することによって物語がどれほど豊かになるか。キャスティングこそ演出の命と言ってもいいと僕はかねがね思っているがそれを改めて思い知らされる。福田麻由子ちゃんなんて、いままで見た彼女の演技の中で一番素敵なんじゃないか。
  • 満足度★★★

  • 満足度★★

    四人姉妹
    なぜにこの作品を円形劇場で行うのかがわからなかった。

    当日パンフの高校卒業アルバムなノリがいい。

    伊藤歩いい女優さんだった。

    ネタバレBOX

    八百屋「やおさく」の四姉妹、長女・一実(菊池亜希子)、次女・二葉(伊藤歩)、三女・三樹(満島ひかり)、四女・春菜(福田麻由子)。母が失踪?だかして、父・幸太郎(志賀廣太郎)の元で育った女たち。三樹は病気で入退院を繰り返し、父も病に倒れ、姉妹が久々に揃う。昔の暖かい日のことと、家族の情愛が描かれる現代を交互にみせる。ボーリングに家族で行くとなった在りし日、三樹は「わかんないー」と泣きながら嫌がり、一実に抱きしめ撫でられる…。

    一実…店番したり、妹らの面倒みたりと母代わりな長女。父と三樹の病のせいか、結婚をしないでいる。背が高いのがコンプレックス。
    二葉…気の強そうな次女。ピアニスト志望な新山タカシ(大山雄史)への反応がうまい。
    三樹…いつからか病弱になった三女。ボーリング場でとある兄弟のメガネが食い込んでる方に告白される。食い込んでない方(黒田大輔?)への想いは宙に浮いたままだったみたい。
    春菜…数字のない四女。幼少期はスチュワーデスの人形がお気に入りの泣き虫。一実が結婚しないことを迷惑だという三樹に、ほっとくワケにはいかないと言い切る。

    言えないことが多いけど、家族だから言ったら言ったでダメなのか。実際そんな言ったりしないしね。

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