マリア 公演情報 マリア」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-17件 / 17件中
  • 満足度★★★

    惹かれるキャラはいないが
    個人的にはそれ程惹かれるキャラはいなかったが、実際にいそうなキャラだったからか、世界観には引き込まれ、時間は長くは感じなかった。なかなかには面白かった。
    オマケもいつも以上に下らなかったー(笑)(誉めてます)

  • 満足度

    口淫シーンは必要だったのか?
    主人公が布団にくるまりモゾモゾ身じろぎしていると思ったらじつは恋人にフェラチオされていたり、そういうことで客に驚きを与えようとする安易なやり口に閉口。「絶望と再生の物語」と謳いながら主人公の再生への道筋が示されていない事にも不満。

  • 満足度★★★★★

    冷徹でふくよかな時間のボリューム感
    そこまでの時間とキャラクターたちの想いが、
    作り手の視座から歪みなく描かれているからこそ、
    最後に用意されたシーンは圧巻でした。

    冷徹で繊細な作り手の語り口から紡ぎ出される、
    刹那に重なるベクトルの、
    その先の時間と
    異なる熱と生きる質感に深く捉われました。

    ネタバレBOX

    冒頭のシーンは、ただ見るだけ。
    そこにはさしたる色もなく、
    どこか閉塞した感触の男女の交わりに、
    二人の関係があるがごとくに淡々と伝わってくる。
    とはいうものの、役者たちには、次第に浮かび上がる、
    キャラクターたちの刹那で観る側を舞台に引き入れる力があって、
    観る側の記憶にさりげなくエピソードが刻み込まれていきます。
    男女の、それぞれの時間がありつつ、
    しかも同じ色の想いがありつつ、
    それぞれが背負うものや、ベクトルの異なりも
    肌触りのようなもので、観る側の意識の領域の一歩内側に置かれて。
    二人の時間は、切なく、危うく、いとおしいものとしてそこにあって、
    時間の先には
    当然のごとくというか、訪れるべくして訪れる結末があって・・・。

    そして、この結末が起点となって
    その後の二人のありようが
    シーンとして積み重なっていきます。
    上手と下手、ふたつのスペースに、
    別な世界が設えられて、
    そこに二人が織り込まれた風景が綴りこまれていく。
    一年くらいずつ時が進んで、
    場ごとのエピソードたちにそれぞれの過ごす日々が垣間見えて。

    時間の経過自体は、
    シンプルにテロップや台詞のワンラインで伝わってくるだけなのですが、
    舞台上には、その時間経過に裏打ちされた
    様々な質感のリアリティが育まれる。
    台詞で語られる感覚や想いはもちろんのこと、
    小さな仕草や小道具、
    さらには役者たちの表情や醸す空気が
    時間とその場の空気をルーズに繋ぎ、
    刹那の向こうに日々の重なりのボリューム感が生まれ、
    物語全体のなりゆきへと組みあがっていくのです。

    下手の部屋での男の生活や、心のキャパや揺らぎ方が、
    友人たちとの会話の端々からやってくる。
    リアルでありつつ恣意的にステレオタイプな、
    秀逸な母親の演技が紡ぐ日々の感触に、
    男の不安定さや浮き沈みが細微に映し出されていく。
    そして、上手の喫茶店では、
    マスターに心惹かれ心を解く女性の表情やしぐさが
    内に芽生えた温度までもしなやかに織り上げ、
    やわらかく観る側をも染めていきます。
    主人公たちや、その周りで時間を紡ぐ役者たちの
    たとえば、所作や会話はもちろん、
    その会話の間にしても、
    台詞のないプレーンな時間にしても、
    偶然のありようにしても、
    この作り手に編まれる舞台上のことが
    すべて観る側にとってひとつの時間の風景やニュアンスとなって。

    さらに時がすすみ、
    女の元夫からの再婚へのシンプルナメッセージの
    想いの巡りから時間の質量が浮かび上がる。
    男の恋人が読む書類やその後から、
    男の背負い続ける時間が伝わってくる。
    男と女の時間はゆっくりと醸されるひとつの時間のなかに
    触れ合うことなくたゆたい・・・。
    そして、終盤、上手で携帯のコールを切る女性と、
    切られた男性の姿に、
    それぞれに過ぎた時間が熟し、
    交わりえない両極へと踏み出す刹那が
    鮮やかに浮かび上がる・・・。

    舞台の物理的な転換という事情もあるのでしょうけれど、
    比較的長時間の映像やテロップが流されて。
    これがまた実に効果的なのですよ。
    最初の映像がかりそめの幸せな時間を焼き付ける。
    その舞台に切り取られた時間全体を包むように流れるクレジットが、
    二人が歩んだ時間への感慨を呼びおこして。

    そして、語られた顛末の先に
    冒頭のシーンがリプライズされるとき、
    特に感慨もなく眺めていたその刹那が、
    もはや手の届かない、 時の流れの向こうに置かれた、
    なにげない記憶への愛おしさと喪失感に変わり
    観る側を深く浸潤していくのです。
    そこには、作り手が供する「絶望」と「再生」があって、
    でも、言葉などでは括りきれない、
    それらが醸成される日々の歩みの俯瞰からやってくる、
    行き場のない痛みや充足感にこそ、浸され、
    静かに深く凌駕され、立ちすくんでしまう。

    終演後の鎮痛剤のようなおまけ芝居を観て、
    一瞬消えたように思えた感覚も、
    それが終われば再び蘇って・・
    会場を離れて、降りだした雨の中に歩み出して、
    でも、その感触は散ることなく、
    心のどこかに深く刺さり置かれていたことでした。

  • 満足度★★★

    うつ病
    面白い。

    ネタバレBOX

    シゲル(野田裕貴)…バンドメンバー。うつ病。母子家庭の影響か、女に甘える。まりやと別れたのち、真理と付き合うが…。
    まりや(百花亜希)…山内の妻。シゲルと不倫するが別れ、横井と結婚し懐妊する。
    真理(鮎川桃果)…バンドのファン。マサトと別れた後、シゲルと付き合うがマサトとの浮気がもとでシゲルに殺される。
    横井(金丸慎太郎)…喫茶店店主。まりやと結婚する。
    マサト(松澤匠)…バンドメンバー。真理と寝た日に死んだ。
    ノブオ(野田慈伸)…バンドメンバー。実家が金持ち。横井が好きくない。
    カヨ(佐賀モトキ)…バンドメンバー。横井とノリがあう。シゲルとも寝てた。
    山内(岡野康弘)…まりやの元夫。DV。再婚後のまりやにメッセージを送る。
    佳子(岩本えり)…シゲルの母。母子家庭のせいかシゲルに甘い。

    ラストに、序盤のシゲルとまりやのやりとりを持ってくるのが上手い。手をつないだままと言ったまりやと、横井の子を身ごもった笑顔のまりやの対比。DVに怯えた時のまりやと強く生きているまりやの対比。確かに絶望と再生か。

    それと、佳子へのキスで暗転するのも上手い(佳子を演じた岩本は色々上手かった)。こっちは再生へも絶望へも向かわなそうだけども。

    人が人を求め、どこに行き着くのか。そんな面白さのある舞台だった。あと、うつ病でも魅力ある男はモテルんだなと。
  • 満足度★★★

    客席を
    昆虫臭くしてすいませんでした

  • 満足度★★★★★

    痛い
     とてもいたい。なぜ彼は僕の心の中をこんなに知っているのか。

     この感覚どこかで……と思ったら、

    ネタバレBOX

     太宰治だった。

     まさに現代の太宰治。平成の人間失格。名前も大庭だったし。

     非現実なまでに生々しい。バンギャの清楚系ビッチな感じとか。いるよね。


     ただ、主人公の幼さという点においては、太宰より容赦ない。残酷なレベル。僕はもう少し反省があったほうが好みです。好みの問題ですが。


     僕は女にもてなくて本当によかったと思います。はい。
  • 満足度★★★★★

    土日の雨で水を含んで落ちた庭の紅い躑躅を拾いながら思ったこと
    これは中高生に観て欲しいと思った。

    以前に大阪のどっかで
    別にカッコ良いと言うほどでもない中途半端な音を鳴らす
    それほどカッコ良いとも思えないバンドに
    知り合いの女の子たちがキャーキャー言ってる端の方で
    別の女の子たちがこの世の地獄みたいな顔をして恨めしそうに眺めていたのを見たときのことを思い出した(苦笑

    自分はそのとき、
    「この人たちの音に別に良さはないし、
    カッコ良いわけでもないと思うよ」
    とは彼女たちに言わなかった(逆に「良んじゃない」くらいは言ってたかも。他に言いようがないし、友達感覚なら(苦笑

    ただ、その子たちもその男たちのことなのか別の何かなのか
    あとでその周りでみてた子たちのような顔をしだして、
    「そーなのかな?」
    と、ぼんやり思ったことを覚えている(なんとなくだけど

    ・・まぁ、人生こんなもんだ(苦笑

    でも、それを冷静に描くのはなかなか難しい。

    同じようなことを繰り返す若い女の子は多いけど、
    自分は
    「後悔しないで前向きに進めば別に致命的ではないし良い経験になると思う」
    と内心思うけど、
    それを実際口に出して女の子たちに言うほど状況に詳しくもないし、
    逆に死ぬほど辛い言葉かもしれないと思うので
    敢えて口に出しては言わない。

    死んで灰になったりするよりは生きて血の廻った体でいる方が
    余程良いと強く思うのだけれど、
    そうでない子も結構いるようだ(苦笑

    土日の雨で水をふくんで地べたに落ちた真っ赤に色づいた躑躅を拾いながらそんなことをふと思った。

    ・・まぁ、それがメインテーマかはよくわからんが。

    ネタバレBOX

    開演後1時間半は死ぬかと思った(苦笑

    どこにでもありそうな展開は退屈でもう終わったとさえ思った。

    ただ、最後の30分ほどの怒涛の展開もまた予想外だった。

    薄っぺらにも見えた物語がシーソーゲームのように視点が五転六転していく(最終的に何回転がったのかもよく分からない(苦笑

    前半部では、主人公を振ったまりや(30歳・女性)の方が、主人公(22歳・男性)の子供っぽさに飽きれることが分かりやすく描かれる。

    ところが、フラれた挙句女性の旦那を怪我させてしまい、事件になって事務所(河西裕介事務所と思われる)を首になってバンド活動を休止した主人公のもとに、やっぱりベースにフラれたバンギャ?のちょいフシギ系?の女の子がやってきて、二人が好きなマスコットキャラクターの「しろたん」(30歳のまりやは子供っぽさの象徴として斬って捨てた)をきっかけにしてくっつくところから、
    「ひょっとして真っ直ぐな主人公の方がまっとうなのでわ?」
    という気に、ちょっとだけなってくる。

    ところが、その主人公と彼女がくっつくと、その彼女を昔振ったハズのベースの様子がちょとおかしい。

    やがてベースが死んだこと(自殺?)をきっかけに主人公に彼女が別れを切り出してくる。

    実は、彼女はベースが死ぬ直前に彼と浮気をしていたようだ。


    「あの素晴しい愛をもう一度」 を安っぽく歌ってベースは死んだんではないかと想像してみた(ナオト・インティライミのようにとは言わないが(汗
    「死んだ人が実際の裏主人公である」という国分寺の法則(自分が勝手に読み取った
    に従えば、河西氏の分身はこの舞台ではベースではないかと想像してみたりした。

    彼女が別れを告げて出ようとすると
    主人公は泣きわめいて縋りながら
    「なんで自分の好きな人たちは自分から離れていくの?」
    と言うと、彼女は
    「みんな主人公のことが好きだから離れるの」
    と言って部屋を出る。

    これはいろいろ読み取れそうだけど、
    「真っ直ぐなままの主人公を見ていると真っ直ぐになれない自分の醜さ?を常に見つめなければいけないからそばにいるのが耐えられない」
    だと、自分は勝手に解釈してみた
    (これはおフランスの作家ロジェ・グルニエの得意技である。こういうのをたくさん読むと、実際にこういう場面に遭遇しても何とも思わなくなるかもしれない(保証はしない

    ここからの主人公の行動が意外だった。

    主人公は部屋を出ると血まみれにになって戻ってきた。

    自分は、ここまで片親で甘やかされてきたために(自分は母親には甘やかされた記憶が無いのでよく分からないが
    マスコットキャラクターのようにしてしか女性を愛せない主人公の様子が読み取れたので、
    てっきり育て方を間違えたと言って逆恨みして母親を殺してきたのではないかと思ってしまった。

    ところが、母親が後に出てきて(ここで殺されたのがさっきの彼女だったと分かる。ここでの時間差での描き方がとても上手い
    主人公は悪くないと言って彼を庇い(この描写からすると、父親は相当立派であったが甘やかされた主人公はただのクズということになる
    主人公は母親とキスする(描写がリアルなため気持ち悪さも倍増する(苦笑

    一方では、元カノのまりやが人付き合いの良さそうな関西弁の旦那と
    妊娠の喜びを分かち合っている。

    ここで幕が下りてstarrringが上映され、
    なんか後味の悪いラストだったな、
    河西裕介事務所とかthanksのとこに書いてあるけど、
    バンドを首にしたのってここ?

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    舞台美術の作り方もうまく、舞台美術の上の方が完全になくなっていて、
    セットの向こう側が見える。
    最初から「この物語は虚構の世界です」と宣言しているようなものだ。
    そのなかで物語の設定をさりげなく
    starringの上映のなかに持ち込んで遊ぶあたり(ホントに河西裕介事務所があったらスミマセン)どこまで本気か遊びか分からず面白い(笑
    -----------------------------------------------------------
    だとすると物語でバンドをハブるかもしれないと言われていた
    悪の?事務所の所長って河西氏かね?
    とか思っていると、
    最初のシーンに戻って、え、まさかの夢オチ?

    でも全然安易な感じはなく、
    良く考えればラストの非現実的なまでの怒涛の展開を考えれば、
    夢オチにした方が教訓としては呑み込みやすい。

    描写としては、夢オチ後のつなぎは初出時の流れとさほど変わらないが、
    夢の教訓を生かして、
    女性をマスコットキャラクターのようにしてしか愛せないただのマザコンとして終わるのか、
    これから自分から離れないようにしっかりと心をつなぎとめられるのかは
    彼の心次第であると自分は思ってみたりした。

    ちなみに、またしても知り合いの大阪ガールの例で悪いけど、
    最初に書いたのとは別の知り合いの「女子in Osaka」
    に、お袋と社交ダンスに通ってるって言ったら自分がマザコンだと思われていたのか(苦笑
    「マザコンの男は女の子に嫌われるで」
    とかおばちゃんぽく自分が言われた時のこと(つい先日)を思い出してみたりした。

    「・・マザコンとかじゃないと思うんだけどな。女の子に負担を掛けないように料理を勉強しろと言うし(あんましできない)、一緒にやってる社交ダンスも、女性のことを考えた動きを身につけるようにとの指示で、厳しいんだよ。でもやってみて良かった。世の中勉強になることばかりだ。・・今のところ嫁探しにはまったく生かせてないけど(苦笑」
    とかなんとか言ったっけな。

    別にウチのお袋は優しくはないが(津波になったら自分を見捨てて逃げろとは言うが
    自分は甘やかされて育ったとしても
    マスコットキャラクターのように女の子を愛したいとも思わないし
    そういう風に愛されたいと思う女の子に興味もないんで(ただ今のところその女の子の区別がつかないかも(苦笑
    逆に最終的に気持ち悪い結末になりかけたけど
    この物語のラストの夢オチの健全さにこそ救いはあると強く思ったりした(笑

    作品としては夢オチにしない方が評価が高いかもしれないが、
    フリッツ・ラングの「飾り窓の女」のように、
    観客を気持ちよく帰らせながら教訓めいた感触を持ち帰らせることも重要だと思う。

    Smells Like Teen Spiritのように、
    「灯りを消せば、危険は減る」?
    - With the Lights out,it's less dangerous -

    それは気のせいで、夢の教訓を現実に生かせなければ、
    人生の先もまた無いんだぜっ。
  • 満足度★★★

    説明不足に感じました。
    役者全員が演劇っぽくない低いトーンでたんたんと進む芝居。

    ダメ男がなぜかモテるが破滅に向かっていくという
    どこにでもあるようなお話でした。
    要所要所でなぜああなったのか説明が足りない気がしました。
    何故ラストの主人公はああなったのかの説明が
    無いのは観客に考えてもらいたかったから?
    それとも私がバカでわからなかっただけかな。

    マスター役の方がナチュラル?で軽い人でとても良かったです。

    おまけ芝居(芝居か?)も、役者さんの違う面が見れて楽しめました。

  • 満足度★★★★★

    言葉
    言葉によって励まされたり力をもらったり深く傷ついたり
    した 事を
    考えてみると 私が
    言葉を発する時に少し考えてしまいそうで
    でも、考えずに発して
    しまうのかもしれません

    ネタバレBOX

    2場面の距離が 
    どんどん離れていって、

    一緒に居るって 言ってたのに
     


    会沢さんを 劇場で見かけると、
    制作の光の戦士 だ 
    と、
    思い出します きっと
  • 満足度★★★★★

    葛藤のその先
    わかりやすい絶望。「孤独で不安で寂しい」普遍的な気持ちを過剰なエログロナンセンスでしっかりエンタメに仕上げていて、作・演出の河西さんの作る世界は毎回観劇するたびに居心地が良いなと思います。出演者の方達も見事に世界を体現していて、なんでもない会話の言葉1つ1つが物語世界を引き立てているなと思いました。

    ネタバレBOX

    国分寺大人倶楽部の過去作品を幾つか見ていますが、これまでの作品を通じて繰り返し用いられる思いの共通項のようなものは何だろうなと考えました。

    例えば「閉ざされた空間での内向的な人間関係」。物語の中の登場人物の中だけで世界が完結していて、彼ら彼女らはどこにも行けないんだろうなという寂しい感じ。過去作品を振り返ってみても、会話や設定から、物語の外側はほとんど描かれてないように見える。

    「現実はこんなもんだと突きつけるような暴力的でシニカルな視点」。永遠の愛なんて無いことを、死や暴力や絶望でこれでもかと見せ付けるシーンは、どの作品にも共通しているのかなと思います。

    「常に緊張感の漂いながら観客を引きつけて離さない展開の早い盛り上がりの連続の物語構造」。キラキラした一瞬が面白くて、その間の余白も、その後の長い人生にも興味がないように思う。

    それらが浮かび上がらせる物語は、極端な自己肯定感の喪失や共依存を通じての逆説的な問題提起なのかなと思います。ご都合主義なほど絶望的な物語が突きつけられるほどに、反面希望が浮かび上がってくるところが不思議です。もっと周りの大事な人を、そして自分自身を信じても良いよなと逆説的に感じさせてくれるところが面白いと思います。

    開場中に流れる神聖かまってちゃんの「死にたい」を連呼する歌詞を聞きながら待つ開演、目の前は天井から布がたらされていて舞台美術が見えない。この時点で既にテンションあがってしまう!開演して作りこまれた1LDKの部屋の舞台美術にびっくり。そして、しばらくして場転してシーンが変わると舞台美術がガラッと転換!!左半分に主人公の実家の自室、右半分は喫茶店になって2つの異なるシーンが並列で語られるのに再度びっくり、すごい作りこまれてる。

    今作の主人公のシゲルは、作中に3年間の時間が流れても全く成長しない。五体満足で家族も仲間もいても、自分は誰にも愛されていないと感じる自己肯定感の低さ。一方でありふれた幸せを見せて、他方でそれらは自分以外の人の手にあって僕の手元にはないという認知の歪み。

    物語のラスト(2013年)
    舞台の左側では、愛されたいと思うけど皆離れていってしまうと思ってしまう主人公シゲルは、最後は血まみれで母親とキスをする。それは絶対に裏切らない無償の愛を与える母親への、現実逃避なのかなぁ。
    舞台の右側では、過去(2011年)にシゲルと「ずっと手をつないでいる(一緒にいる)」と話していた彼女(まりあ)が、別の男と幸せに生きていく風景が描かれる。
    ラストでシゲルは絶望して、まりあは幸せになったように終わっているけれど、2人にも、もちろんそれ以外の登場人物にも、その後の長い長い余生があって、その瞬間の幸せや不幸だけで人生は規定できないんだけれど、その瞬間、刹那が全てだと錯覚してしまう感じ。まさとの死や、あっという間に物語が1年後に進み、その間の情景が最小限にとどめられているのは観客に想像する余白を多く持たせるというよりも、そこは面白くないから省略といった感があるのかなと考えてしまいます。あくまで観客が見たいものを見せるエンタメ精神に徹する姿勢はスゴイなと思います。そうした物語の内側の余白を想像させるよりも、外側を想像させる。登場人物達のその先、葛藤のその先に思いを馳せることが本質なのかなと思います。

    そしておまけ公演。こんなにスゴイ作品作ってる役者さん達が、グダグダでバカバカでめちゃくちゃなことを演じることで、物語は全部嘘なんだと、改めて突きつけるところも含めて、やっぱり好きだなぁと思います。
  • 満足度★★★★★

    凄いリアルな演技&演出、脚本の伏線も見事
    凄いリアルな演技&演出。役者と演出の妙。
    脚本の伏線の張り方や問いの残し方も見事。

    (観劇直後の印象で★4つにしていましたが、色々考えたら、様々な伏線など、考えることがたくさん湧いてきたので、★5つに変えました。)

    ネタバレBOX

    脚本の伏線の張り方も上手いし、謎の残しか方も上手い。

    その為、すっきり感想や評を書くことが難しいので、思い浮かんだままに書きます。
    他の作品評以上に、散漫ですし、うろ覚えのため台詞なども正確ではありません。悪しからず。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    舞台の最後、エンドロールあけのオールラストで、冒頭のシーンが反復される。
    ほぼ同じ台詞だが、冒頭で語られたものの一部分が削られている。

    それは、2人の男女(主人公)がベッドの中でしりとりをていて、女(栗原まりや)が「く」で終わる言葉を発し、それに対して男(大庭シゲル)が「栗原まりや」と答える部分。
    反復されたオールラストでは、男は「く、く、く、、、思いつかない」となる。
    そして、また冒頭のシーンと同様に、男は怯えたようなそぶりをし、「まりやがいなくなってしまうかと思ったら、怖くて、、、、」というような台詞を言う。それに対して女(まりや)は、「この手をずっと話さないよ」というような主旨のことを言う。

    これは、作品全体のテーマと関わっていて、ずっと離れないと言っていた栗原まりやが、物語の途中で離れて行ってしまい、そして絶望した所に現れ、恋人になった橋本真理もラストシーンで離れていってしまう。独りになることに大きな恐怖と絶望を持った主人公大庭シゲルは、橋本真理をなのか、無差別に誰かをなのかわからないが(おそらく前者だろう)、人を刺して(刺したとは断定できない、その前に、栗原まりやの夫を刺してしまったことの伏線を考えてそうかなと、、、)血だらけになって戻ってくる。そこに母が現れる。自暴自棄になってなのか、絶対に自分を見捨てない存在としてなのか、その母にキスをする。そこで幕。
    そのラストシーンの右側の舞台では、栗原まりやが新しい恋人で結婚を約束している相手:横井亮と(左の舞台と同じ瞬間に)キスをして終わる。そのお腹には、新しい命が宿っている。

    解釈を加えれば、主人公大庭シゲルを全面的に肯定し、絶対に離れていくことのない母の存在こそがマリア(聖母マリアとも重なる)であり、同時に栗原まりやも、新たな恋人と家庭を築き、母マリアとなる。

    面白いのは、
    私には、他者と新たな命を育もうとするあり方は希望に見え、母と子という信頼関係の中に救いを求める(すがっている)姿はこの上ない絶望に見えたということ。(母との信頼が構築できている者はまだ良いが、母のいない子や、母子関係さえ破綻している者には、その最後の救いさえ残されていないことを考えると尚更。)
    だが、どう考えても、舞台の力点はその絶望の側に置かれている。
    では、他者と幸福な関係を結べない(持続できない)者はどうすればよいのだ、、、、
    それは、たぶん作者も、そして多くの絶望を抱えた人も共通して持っている感覚だと思う。私もそのひとりだ。では、何に救いを求めればよいのか。
    安易な答えが舞台で提示されていないのがよかった。
    それは自分で見つけていくしかない。見つからないかもしれない。
    いや、何かに救いを求めようとすること自体が不毛なのかもしれない。
    その絶望を受け止めて生きていくことしかできないのかもしれない。

    冒頭のシーンをオールラストで反復させ、主人公に「栗原まりや」の名前を語らせなかった意味は何か?
    なぜ、楢崎マサト(バンドのベースで、主人公:大庭シゲルが栗原まりやの次に付き合った橋本真理の元恋人)は死んだのか?(自殺か?)
    結局、マリアとは何を意味しているのか、「まりや」「真理」「聖母マリア」、、、、
    それは、希望か絶望か、、、、

    これらの様々な問いの意味を、観劇後に考えている。


    おまけ演劇『会沢ナオトインティライミ』も面白かった。
    所謂過剰な演技や演出の芝居をデフォルメして、嘲笑しまくっているようなコメディ。最高です。
  • 満足度★★★★

    いや~参りました
    狭い人間関係の中でNANA的にグダグダ、ダラダラと恋愛やっていて、なんじゃーと思うけど、これがめっぽう面白い。のめり込んでしまいましたね。ドッタン、バッタンしてたけど、セットチェインジ見事でした。オマケのアフターイベントは笑える。こっちもマジメに長編化して欲しいです。

  • 満足度★★★★

    それでもやっぱり面白い(*゚▽゚*)
    ナヨナヨした男子をフィーチャーした作品を他所でよく観ているので多少食傷気味ではあるが・・・。

    ネタバレBOX

    開場時間が二転三転した受付のスタッフワークに難があったので、星マイナス一つ。
  • 満足度★★★★

    面白かったはずなんだけど
    面白かったはずなんだけど、舞台転換がすごかったのと、照明がきれいだったのと、百花亜希が素敵だったのと、おまけ演劇なるブツが相当に酷かったのくらいしかなぜだか覚えてない・・・^^;

    でもそうですよ、ほんとに舞台転換が見事で、照明が印象的で、百花亜希が素敵だったです。
    そんでもって間違いなくその三点によって、この『マリア』という作品の持つ「同じ光に照らされていた時間」への思いが、生き生きと劇場内に立ち上がっていたんじゃないかと思う。

    客入れの音楽に「あれ」を使っていたのは、作品の世界を萎ませていてしまってたような。
    個人的に嫌いってのもあるけど。

  • 満足度★★★★

    無題669(13-094)
    19:30の回(曇)。18:45受付(整理券あり)、19:00開場。白いカーテンがあり舞台は見えません。大きくプロジェクト名が映っています。パイプ椅子席、その「文字」は相当高い位置に…となると、舞台もそうかと思ったのと客席に段差があったので2列目に座ってみました。でも普通の高さでしたので最前列でも首が痛くなるようなことはありません。今夜はオタノシミの「オマケ」付(会沢さんが出るのかと期待…いつも当パンに書いてあるように余韻は吹き飛びますが好きです)。舞台の造り方、物語の進行、見せ方は面白かったのですが、このグダグダの関係(設定)、今はちょっと…なので、お話としてはも一つでした。19:29前説(130分)、19:34開演〜21:43終演、オマケ21:50〜22:01。

    ネタバレBOX

    2011〜2013年、それぞれの春、やはり幸運の女神には前髪しかなかった。

    精神的に不安定な男(シゲル:バンドのメンバーだがもはや曲ができない)は処方された薬をビールで流し込む、女(マリア)はDVから逃れこの男と付き合っているが、結局は男から離れる。残された男はメンバーの女(真理:元ファン)と付き合うことになるが、これも破綻する。一方、DVの夫と別れた女はカフェのマスターと結婚して子を宿し、バンドメンバーの1人は死に、男は母に…。

    舞台を左右に分け、下手に男の部屋、上手にカフェ。同時進行的な展開。正の部分はカフェへ、負の部分は男の部屋へそれぞれ流れている。

    最後、男の服が赤く染まっていたのはなぜだろう、母親に口づけしたのはなぜ…。

    最初、一続きの部屋でしたが、暗転、カーテンを下ろしガタガタやって明転、ガラッと変わっていました(下手、男は実家で臥せっている/上手、お客が少ないこじんまりとしたカフェ)。オープニングの大音響がすっとコンポに収斂したのは粋。

    バイクを移動させる、店を閉めるにしては戻るのに時間かかりすぎ、と感じました…ギター(ストラトタイプ、B、メイプルネック)のチューニングあっていたのだろうか…最初のシーンを一部変えて繰り返したのはなぜだろうか…
  • 満足度★★★★

    遅刻
     4分ほど遅刻し入場したのは開始時刻から9分か10分後だったので、最初の演出でどんな工夫をしていたのか、残念乍ら観ていない。科白の聴き取りにくい所が、時折あったものの、総じて演技は、中々高いレベルであった。

    ネタバレBOX

     シゲルの幼い精神に対して、三角関係になる女たちのプラグマティズムは、タフである。観ながら、太宰治の「人間失格」を思い出した。青年の甘ったれた感傷、傷と挫折だ。ところで、シゲルの世界に逃れられない通奏低音の如きものがあるとすれば、それはどのようなものなのだろうか? 彼は薬を飲んでいるが、躁鬱症の薬なのだろうか?
  • 満足度★★★★★

    オレならどうだったんだろうと思って観ました
    入りで圧倒されました。
    なかなか露骨な感じをもってきたなぁと思いました。
    主役のシゲルを通り過ぎていく女との別れの中で苦悩と絶望が
    伝わってきました。正直な奴だよなと自分でもグッとくるものがありました。
    途中随所で、ノブオがいい感じで笑いをとってアクセントになっていたと
    思っています。
    最後のおまけは、本編の内容を大切にしたいと思いましたので、
    観ませんでした。


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