ネザー(Su)ポット 公演情報 ネザー(Su)ポット」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.3
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    開演前、当日パンフレットの作家の文で「ほっておいてほしい。うれしいけれど、私の苦しみを今私が清算しようとしているだけだから」という言葉がありました。そのことに共感したのも束の間、その後の客席で「演劇におけるほっておくことの難しさ」を痛感することになります。

    ネタバレBOX

    舞台は、始発の地下鉄車内とホーム。酔っ払って飲み物を投げたり、カバンの中身を落としたり、ハンバーガーを食べたり……そんな行為も基本的には交わらないのですが、時々様子を伺ったり、距離をとったり、落とし物を拾ってうまく渡せなかったりする。それぞれがそれぞれの判断でそれぞれにとって適度な距離をとる日常が繰り広げられます。

    けれども観客は見るもの関わるものを選択することはできず、すべてを目撃します。目撃せざるをえません。ここは劇場だから、退場しない限り、目をそらしても音は聞こえてくるし、同じスピードで刻まれ続ける時間を過ごしきるしかない。現実だと好きにほっておくことができるのに。

    そんな環境のうえで観客に何を見せるか、何を見せないかは脚本と演出が提示します。同じ朝の時間(シチュエーション)を何度も繰り返し、その繰り返しにあたっては台詞が抽出され、動きが変わります。なにを観客に提示するかという作り手の選択により、焦点があたる言葉や人物が選ばれる。「もうすこしあそこが見たいな」「もっとこの人物を知りたいな」と思ってしまう。その構造は、私には「ほっておきたい人」と「ほっておきたくない人」がいるんだな、そして演劇ではそれを選ぶことができないんだなと気づかせました。
    さらに観客は、「見られること」も問われます。車内に配置された客席に座った2名(私の観劇時)は私たちに見られると同時に、彼らだけは私たち観客を見ることができます。
    見ること、見られること、見なければいけないこと……「見る」についての不自由さに強くさらされたことで、あらためて「他者」や「自分」を問い直すビビッドな体験でした。

    「見る/見られる」「認知/自覚」を観客に問いかける仕掛けが随所に施されているなど、演劇の影響について意欲的でもありました。とくに入場後のインパクト。観客も、後の俳優と同じく、改札を通って電車に乗り込み客席につきます。その美術は好奇心を刺激し、劇場の広さに対して電車の閉塞感を感じさせる照明は目線を引き込み、空間を充実させていました。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    まず言及したいのは舞台美術の再現力の高さでした。

    ネタバレBOX

    劇場に入るやいなや、そこには緻密に設計された電車の車内空間が広がっていて、思わず歓声が漏れてしまいました。その車内を通らねば客席に辿り着けない造りになっていて、さらにキャスト陣は役としてすでに電車の座席に座っていたりもするため、ドキドキしながら車内を通り抜けました。「物語の世界を経由して客席に着く」という流れが、作品への没入感を手伝う導入として大きな効果を発揮していました。

    内容としては、その車内空間で起きる出来事をリフレインして描いたワンシチュエーションもの。ディズニーランドに向かう二人組、泥酔している若い女性、ベビーカーを伴う母親、あまりうまくいっていなさそうなカップルなど、それぞれ属性や背景が異なる人物が乗り合わせていて、リフレインの度に焦点が当てられる乗客や出来事が変わることによって、乗客たちの心の内や社会の暗部が徐々に露わになってくる様子が興味深かったです。

    基本的には日常会話が語られているのですが、時折挟まれる独白によって人物造形が具になったり、また角度を変えて同じ場面を繰り返し描くことで、1ターン前には気づかなかった表情や動きを発見できる面白みがありました。なかでも、終始肩身の狭そうな表情をしている母親の、疲弊し切った心が発露するシーンでは、身に覚えのある痛みに胸が詰まる思いがしました。育児中に抱えるストレスや社会からの孤立。「何か手伝いましょうか?」と思わず声をかけたくなるけれど、「乗客」でなく「観客」である私にはそれが許されない。その状況が、奇しくも『では、「乗客」の時は果たしてそれができるのか』という問いとして迫るような思いにもなり、他者に手を伸ばすことの必要と難しさを逡巡しました。
    一方で、全ての乗客にスポットが当たるわけではなく、ポイントに絞られているため、テーマが偏り、その一方でメッセージは散漫としてしまっているような感触も受けました。多くが語られないことによって想像力を駆り立てられた節もあるのですが、もう少し一人ひとりを相対的ではなく、絶対的な存在として見てみたかったという心残りがありました。しかしながら、舞台美術こそ素晴らしい虚構であるものの、ここで描かれていたことはほぼ私たちが生きる上で経験する日常でもありました。「帰りの電車での風景が行きと比べて違って見える」という点が、本作が導いた最も大きな体験だったような気がしています。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    「電車内を観察する演劇」

     劇場に入ると客席と平行に組まれた電車内を模した舞台美術にまず驚く。そこでは出演者が目を閉じたり、スマートフォンを見たりと思い思いの格好で席に着いている。観客である己が作品に参加しているかのような感覚になる本作は、いわば「観察する演劇」であった。

    ネタバレBOX

     最高気温が30度以上に達しようとする日の始発の地下鉄に、ぼそぼそと乗客が集いはじめる。ホームのベンチでサンドイッチを頬張るなおこ(信國ひろみ)は、友人の友人であるみほりん(福原瑞穂)に誘われ車内に座り、彼女のディズニーうんちくを戸惑いながら聞いている。金髪の青年リュウト(杉田一起)は、酩酊している朝帰りのニナ(花純)にあからさまに不機嫌な態度を示す。ベビーカーを押して入ってきたさなえ(池田きくの)の顔は暗く、我が子の泣き声が周囲に迷惑でないかとオドオドしている。自宅に帰る愛梨(小林瑠衣)と見送りに来たケイタ(沼田亮平)のカップルには、やや不穏な空気が流れている。車内で朝マックを食べ始め白眼視された高木(公社流体力学)は、ニナが生真面目そうな羽田(穂積宏和)の眼の前で戻す様子を見てしまい、思わずホームに走りつられて戻す。そこで発車ベルが鳴ると奥にいた木村(田中サキロウ)が手に持ったライトを上に挙げる。するとそこで時間が止まり、出演者たちは一度舞台奥へ消えていく。

     以降同じ場面が繰り返し上演されるのだが、一巡目とはややニュアンスが異なる。二巡目では、一巡目で愛梨が話題に挙げていたもり子(山本祐太)という人物に焦点があたる。もり子は電車の一両目に頻繁に現れる人物で、電車に「けんとくん」と親しく話しかける。もり子は、一巡目の終了時に車内に放置されたままだったベビーカーの子どもをまるで我が子であるかのようにあやすのだった。そして発車ベルの音とともに木村の合図で時間が止まり三巡目、ここではこの子の母親であるさなえの心の内が吐露される。この繰り返しを木村と、一巡目から車内にいる人物たちを終始不安そうに見つめ、ときに撮影している田中さん(筒井詩菜)が共に過ごしている。最後まで観続けるとこの二人の正体が観客に明かされることになる。

     20分弱の同じ場面を繰り返しながらそこで展開される人間模様をつぶさに見せる本作は、刺激的な試みに満ちていて興味が尽きない。公共空間で居合わせた他人の来し方に思いを馳せる、という誰しも口には出さないが日常的にやってしまう行為を舞台上に出現させた光景を私は初めて観た。時間の都合か焦点を当てる人物が限られてしまうのは残念だったが、もり子やさなえ以外の人物の内的独白も聞いてみたかった。上演台本に記された各登場人物の説明をほとんど実際の舞台にあげない姿勢は奥ゆかしいが、内容を刈り込み登場人物を絞って盛り込んでもよかったのでは、という気にもなった。

     圧巻の舞台美術はもとより控えめな照明変化や、タイムループの合間に挟まるユーロビートなどメリハリが効いたスタッフワークが、俳優の芝居を浮き立たせていた。

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