ネザー(Su)ポット 公演情報 劇団しようよ「ネザー(Su)ポット」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    開演前、当日パンフレットの作家の文で「ほっておいてほしい。うれしいけれど、私の苦しみを今私が清算しようとしているだけだから」という言葉がありました。そのことに共感したのも束の間、その後の客席で「演劇におけるほっておくことの難しさ」を痛感することになります。

    ネタバレBOX

    舞台は、始発の地下鉄車内とホーム。酔っ払って飲み物を投げたり、カバンの中身を落としたり、ハンバーガーを食べたり……そんな行為も基本的には交わらないのですが、時々様子を伺ったり、距離をとったり、落とし物を拾ってうまく渡せなかったりする。それぞれがそれぞれの判断でそれぞれにとって適度な距離をとる日常が繰り広げられます。

    けれども観客は見るもの関わるものを選択することはできず、すべてを目撃します。目撃せざるをえません。ここは劇場だから、退場しない限り、目をそらしても音は聞こえてくるし、同じスピードで刻まれ続ける時間を過ごしきるしかない。現実だと好きにほっておくことができるのに。

    そんな環境のうえで観客に何を見せるか、何を見せないかは脚本と演出が提示します。同じ朝の時間(シチュエーション)を何度も繰り返し、その繰り返しにあたっては台詞が抽出され、動きが変わります。なにを観客に提示するかという作り手の選択により、焦点があたる言葉や人物が選ばれる。「もうすこしあそこが見たいな」「もっとこの人物を知りたいな」と思ってしまう。その構造は、私には「ほっておきたい人」と「ほっておきたくない人」がいるんだな、そして演劇ではそれを選ぶことができないんだなと気づかせました。
    さらに観客は、「見られること」も問われます。車内に配置された客席に座った2名(私の観劇時)は私たちに見られると同時に、彼らだけは私たち観客を見ることができます。
    見ること、見られること、見なければいけないこと……「見る」についての不自由さに強くさらされたことで、あらためて「他者」や「自分」を問い直すビビッドな体験でした。

    「見る/見られる」「認知/自覚」を観客に問いかける仕掛けが随所に施されているなど、演劇の影響について意欲的でもありました。とくに入場後のインパクト。観客も、後の俳優と同じく、改札を通って電車に乗り込み客席につきます。その美術は好奇心を刺激し、劇場の広さに対して電車の閉塞感を感じさせる照明は目線を引き込み、空間を充実させていました。

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    2026/07/02 13:54

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