【全公演終了!】東京ユートリア【ご来場誠にありがとうございました。】 公演情報 【全公演終了!】東京ユートリア【ご来場誠にありがとうございました。】」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.1
1-10件 / 10件中
  • 満足度★★

    う~ん・・・
    話はなんとなくわかるのだけど、正直面白いのかと言われると困ってしまう。悪くはないんですが。ジェネレーションギャップもあるのかな。

  • 満足度★★★★

    社会派あるいは思想派?
    時代を問わず常に言われ続ける「最近の若いモンは…」や大人って何?その境界は?などについてあれこれ考えをめぐらせながら観る。
    その意味で社会派あるいは思想派と言えるのではあるまいか?(「オトナ帝国」も想起したけれど(笑))
    また、舞台中央の構造物に空けられた「穴」の使い方をはじめとして随所に漂う「クロムらぶ♪」にはニヤリ。

  • 満足度★★

    何を・・?
    言いたいのか、よく分かりませんでした。ストーリー自体、把握出来なかったです。脚本を書かれた方が、ゆとり世代という言葉に被害意識をもっているのかな?と感じた舞台でした。ストーリー自体は「?」という感じでしたが、舞台の使い方は工夫されていたし、所々に組み込まれたダンスはセンスがあって、視覚的には楽しめました。

  • 満足度★★★


    魅力に欠ける。

    ネタバレBOX

    ゆとりの町・東京ユートリアって設定とか大人との対立構図自体はいいけども、舞台的な面白さが感じられず眠くなった。

    ラスト、ゆとりのままの若者と大人たちとの抗争って展開もいいけど、そこに行き着くまでがまどろっこしくて。序盤から要所要所で惹きつける何かを配置してほしかった。
    「ゆとり」世代でないためか、「ゆとり」「ゆとり」と連呼され、大人がこうでという台詞が頭に残らずピンとこなかったのかもしれないけども。

    ダンスのフリは面白かったし、舞台の穴?を利用した演出も好きだったけど、残念な印象だった。
  • 満足度★★★★★

    東京ユートリアは別に悪いことじゃない
    「東京」ということは、大阪にもありうるんだろうか?

    あるいは京都、岡山、鹿児島・・・いろんなところに。
    ゆとり世代の集まる場所、物理的に。
    自分はそんなところは東京以外にないんではないかと思う。
    だからこそ、東京に地方の目ぼしい若手が集まってくるんだと思う。

    携帯の画面上には、いろんな町それぞれ集う場所があるかもしれない。
    しかしそれは携帯を使っている以上、政府に監視可能な統制された場所。

    地方の大学があるいはそうかもしれないが、
    それは時間限定の場所で、
    その町に就職先がすくなければ(京都のように
    4年後には大半の人が全国に散ってしまう(それは東京の大学だってそうかもしれない

    物理的に集まれない人たちは
    ネット上で、あるいは消費によって細分化されていく。

    情報、あるいは消費財を求める欲望の塊としてメディアには扱われ、
    集合した意識を持たない断片として、
    短絡的にメディアの流す情報に反応しながら
    永久に終わらない不安に苛まれていく。

    本当に大人は子供たちのことを考えているんだろうか?

    自分たちが不幸せだから、
    あるいは見せかけの幸せに満足したフリをしているから、
    自分たちの人生を否定したくなくて
    同じ人生(しかも劣化している)を子供たちに強要しているだけなんじゃないだろうか?

    普通に考えて、
    親が幸せな人生を送っていると子供たちが考えれば、
    親がいくら
    「自分たちの人生はちっぽけなもので、子どもたちには才能を生かした仕事をしてほしい」
    というようなことを言ったところで、
    賢明な子供たちは聞く耳を持たず、
    ちっぽけな人生を目指すんではないだろうか?

    今までの日本の競争力と呼ばれるものは、
    ちっぽけな人生の集積でできていると思う。

    そうでなければ、みんなシリコンバレーを目指して、
    街中の小さなパン屋や食べ物屋には残飯程度の食物しか存在しない。

    ちいさくても自分だけのパン、あるいは猫(笑
    で満足できるなら、
    アメリカで強盗に怯えながら
    壁を張り巡らせた邸宅に住むことを目指すより
    だいぶ手近に幸せを発見できる(それはちょっと大げさかもしれないけれど(笑

    これは一見正論だが、
    高度に発展した消費社会では、危険な思想として扱われかねない。

    ひょっとしたら将来、江戸時代の
    ゆったりと農作物を作りながら徒然なるままに本を書いていた文筆家たちの本なんかが
    発禁になっているかもしれない(これは政府による発禁という意味ではなく、誰も求めないために、経済的に発行できないという意味で、こうしたことはイランの演出家なんかも言っていた

    世の中の流れが、
    「世界でひとつだけの花」から、
    シリコンバレーにうつってきているような気もする(何となくだけど

    そうした変化に一番敏感に反応しているのが、
    いわゆる平成生まれ近辺の世代なんではないかと思ったりする。

    じゃあ何に反抗したらいいのか?

    安保の頃のように、明確に反対する何かがあるのか?

    いや、それだってあるとみんなが勝手に思い込んでいるだけだったのかもしれない。

    経済的に完全に適合しながら世の中の流れを
    大企業の意向からゆっくりと引きはがす方法は無いんだろうか?



    ・・ちょっとお袋の手伝いをしながら書いているので途中です・・(苦笑

    ネタバレBOX

    スカイツリーを、マスゴミメディアの総本山、悪の権化として表現することは簡単かもしれない。

    でも、ラピュタみたく(笑
    高度に発展した技術文明もいつかは自然に呑み込まれていったみたく、
    世代交代を経ながらゆっくりと
    「緑の塔」
    に作り替えることは可能かもしれない。

    どっかのSF(アシモフ)のように
    完全に自分たちの支配下にあったと思われたロボットがいつかは反乱する日、でなくとも、
    老人たちが、
    自分たちが死んだあと、「あるべき日本」になると思っていたら、
    引き継いだ若者たちは実は全く別の意向を持っていた・・。

    それだって一つの回答だと思う。

    お袋がいつかニュースを見て言っていた。

    「中国にケンカばかり売って、
    戦争に自分たちが行くならともかく、
    死ぬのは子供たちなのに」

    あるいは3.11のとき津波のニュースをみながら
    「津波が来たら私を置いてあなただけ先に逃げなさい。若い人が生きなければ意味はないから」

    自分が先の世代から引き継ぐのはそういったものだけだと思う。

    それはつまりいつか自分が若い世代に言わなければならないことだ(苦笑

    優しさを持って前に進もうだなんていうと、
    今現在の回答にはなっていないなんてせっかちな人は焦るかもしれないが、
    現時点で考えられる限り考えての回答ならそれも良いと思う。

    一番よくないのは、解答が出るのを待って何も表明しないことだと思う。

    人の考えをすぐ変えることは難しい。

    自分もゆっくりと成長する(ハズだ(苦笑)し。

    明確な解答が難しくとも考える限り考えて現時点のスタンスを提示する、しかも演劇で、というのは相当勇気がいることだと思う。

    ただ、評価ばかり気にして
    空疎なまま演出の技巧に走るよりはずっと前向きで若々しくて好ましいと
    自分は思う。

    老成するのは100万年後で良い。

    来世は猫で、次は鳥(鷹希望)、その次はカッコイイ角の生えた牡鹿で、
    そのあと気まぐれでぶらっと人間に生まれ変わった時も・・
    まだ全然死ぬまでマグマのようでいたいものだなぁ・・なんて妄想は蛇足でした(苦笑
  • やや大味かな
    感想だけになります。
    ゆとりvs大人という構図をどう描くか
    楽しみにしておりましたが、
    やや話の展開に一貫性がないというか、
    まとまりにかけていた感じがしました。
    随所に大人のレッテル貼りとか、大人に
    対する批判的なことを織り交ぜており
    ましたが、さあこれからどうなるのかなと
    思った矢先に、ダンスがはいったりして
    ・・・って感じでした。
    演技、ダンスそれ自体はよかったと思います。
    テーマ自体は興味をそそるものでしたので、
    次回作も同じような系統の内容を期待します。

  • 無題662(13-087)
    20:00の回(曇)。19:21受付、19:30開場。舞台には大きな3段の台、前のほうの席だと最上段の床面が見えません。スタッフの方が「後方中央の席がお薦めです」と言ってましたが、そうだったようです(演出上の仕掛けあり)。その後方、左右6本ずつの白いパイプ状のものが吊ってあります。奥が一番長くキャットウォークのあたりまで。19:43/19:58前説(場内アナウンス、90分)、20:06開演~21:41終演。「世代=集団」というものにほとんど関心がないので、なにがそこまで人を動かすのか..(個人的なことでスミマセン)よくわかりませんでした。「ゆとり」は相当努力や苦労をした人だから(余裕で)できるのであって、最初から「ゆとり!」なんて言ってられる運の良い(?)人は別として、ひたすら遅れてゆくものではないか、とか考えていました。「人生楽ありゃ苦もある」んだし。

    何か所かダンスシーンがあります。悪くはないですが、本編のお芝居と温度差がありすぎるように感じました。高めの舞台で、音楽に音量があればそれなりにノルことはできますが、そのあとのシーンにつながっていないようにみえてしまい、それが「お話」のなかでなぜ必要だったのか...。「みせる」ためにダンスシーンを組み込むのもあり、転調気味に展開するのもあり...でも、肝心の本編がそれを受けてさらに躍動しなければ...。

    世代の交代には、対立と破壊が避けられないということ?

    終盤近く、空調がたいへん寒く感じました。

  • 満足度★★★★

    洗練された演出と魅力的な役者陣。
    シンプルながらセンスのいい舞台美術とそれを活かした洗練された演出に劇団の進歩を感じた。
    また男優も女優も将来性のある若手を揃えている。

    こういう伸びしろのある劇団が好きだ。役者たちがいきいきしていた。

  • 満足度★★

    食いつきはよかったけど
    ゆとり世代って言われているほどあるの?
    この芝居もゆとり世代だから、何かを伝えたいのかを期待したが、あまり感じられなかった。
    途中でダンスを踊られるシーンがあるが、上手に踊られていたけど。それだけ。少し物足りなかった。

  • わからなかった
    私も「ゆとり世代は・・・だ」という言い方にはずっと違和感を持っています。それはとても暴力的な言い方だと思っています。
    ただ、ゆとり世代の人と関わっていると、良い悪いの判断とは別に、確かに何かその世代特有の傾向があるようにも感じていました。何十年も前から、バトン・リレーのように繰り返されてきた「今時の若い者は・・・」というだけでは済まない何かが。それは現代社会を読み解く上でも、極めて重要な何かなのだろうと思っています。
    その辺が少しでも判ればいいな~というのが、観たいと思った動機でした。
    ですが、その辺はまったくわからなかった。

    それはわからなくてもいいのです。作者の視点は別にあるのですから。そこで、演劇的な何かがきちんと提示されていれば・・・。それが感じられなかった。

    ネタバレBOX

    具体的に言えば、
    この芝居がひとつのメッセージを語っているだけの作品のように見えたということです。
    「大人はゆとり世代にレッテルを貼る」というメッセージに。

    それを語るために「大人」VS「ゆとり世代(子供)」というような二項対立の構図(更に若い世代も出てきますが)になる。
    それ自体は、方法論として、まず二項対立で話を始めるということはあり得ると思うので、問題ないのですが、その二項対立のまま物語は最後まで行ってしまう。

    何が問題かと言えば、「大人はゆとり世代にレッテルを貼る」という考え自体が、ひとつのレッテルだということです。

    レッテルを張ってわかった気になるということは、人間の本性であり、現代のマスメディアの状況とも絡んで、それは暴力的に世界を覆っています。
    その点はこの作品で描かれている通りだと思いますが、それは、大人が子供に押し付けている一方向的なものではない。ゆとり世代の人も、子供も、同様にレッテルを貼りながら生活している。
    (かくいう私も、なるべくそうならない様には気をつけているつもりでも、なんらかのレッテルを他人に対して貼りつけていることも多いのだと思います。それが人間です。)

    事実、この作品の中でも、ゆとり世代の役の台詞に、「韓国政府は、日本を憎む根拠がないから、教育で押し付けることをしている」(正確でなくてすみません)というような趣旨のものがありました。
    ここには、韓国への偏見や蔑視の匂いがあるような気がしてなりません。それはひとつのレッテルではないでしょうか。韓国が日本の植民地になっていたことなどを考えても、無根拠とは言えない。または、別の視点から見ても、韓国の若い世代の間では、どんどん対立感情は減ってきている(竹島/独島の領土問題で、確かに以前のような感覚に戻りつつありますが)。
    ただし、韓国政府への批判であって韓国への蔑視ではないというのならば、話はわかりますが、それならば、日本政府の歴史教育だって偏りがあるということがちょっとでも出てこないと片手落ちになります。

    こんな細かい点を指摘しているのは、まさにこれがレッテル貼りの話だからです。悪しからず。

    まとめると、レッテル貼りの話は、ゆとりかゆとりじゃないかという問題ではないのです。

    大人に対して反発を覚えるのはわかりますが(というか、私も今でも所謂「大人」の価値観に対しては反発を持っていますが)、それを単に反発として作品にしても、表現としての意味があるとは私には思えません。
    それは、作品のメッセージに反して、レッテルと偏見を助長することにしかならないからです。そんなに単純に、世代などの線引で、敵と味方には別けられない。
    大人に反発を持つなら、その<大人の価値観>の中に潜む暴力性をあぶり出すことが必要だと思います。それは大人を子供の敵とみなすことではない。子供の中にも大人の暴力性は内在しています。比較すれば、大人がより強固に持ちがちであるというだけの話です。

    それがあぶり出せた時、作品はひとつのメッセージではなく、多様な解釈を産む問いかけになるでしょう。

    厳しい意見を書いてしまい、申し訳ありません。


    <追記>
    批判しか書いていなくて、申し訳ないと思い、良かった点を書きます。
    モスキートーン(子供にしか聞こえない音)による電波が、スカイツリーから発せられているという設定も面白かったし、その電波の妖精のような存在(?)が最後に語る部分はとても良かった。

    おそらく、その設定ありきで物語を組み立てようとした結果、大人と子供という二項対立の図式にならざるをえなかったのかもしれない。
    そう思うと、少々厳しく言い過ぎたかなとは思う。
    でも、やはり、より大事なのは、追記前に書いた部分なので、その設定ありきであっても、単純な二項対立にならない書き方は模索するべきだった思います。

    次回作に期待しています。

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