【全公演終了!】東京ユートリア【ご来場誠にありがとうございました。】 公演情報 劇団東京ペンギン「【全公演終了!】東京ユートリア【ご来場誠にありがとうございました。】」の観てきた!クチコミとコメント

  • わからなかった
    私も「ゆとり世代は・・・だ」という言い方にはずっと違和感を持っています。それはとても暴力的な言い方だと思っています。
    ただ、ゆとり世代の人と関わっていると、良い悪いの判断とは別に、確かに何かその世代特有の傾向があるようにも感じていました。何十年も前から、バトン・リレーのように繰り返されてきた「今時の若い者は・・・」というだけでは済まない何かが。それは現代社会を読み解く上でも、極めて重要な何かなのだろうと思っています。
    その辺が少しでも判ればいいな~というのが、観たいと思った動機でした。
    ですが、その辺はまったくわからなかった。

    それはわからなくてもいいのです。作者の視点は別にあるのですから。そこで、演劇的な何かがきちんと提示されていれば・・・。それが感じられなかった。

    ネタバレBOX

    具体的に言えば、
    この芝居がひとつのメッセージを語っているだけの作品のように見えたということです。
    「大人はゆとり世代にレッテルを貼る」というメッセージに。

    それを語るために「大人」VS「ゆとり世代(子供)」というような二項対立の構図(更に若い世代も出てきますが)になる。
    それ自体は、方法論として、まず二項対立で話を始めるということはあり得ると思うので、問題ないのですが、その二項対立のまま物語は最後まで行ってしまう。

    何が問題かと言えば、「大人はゆとり世代にレッテルを貼る」という考え自体が、ひとつのレッテルだということです。

    レッテルを張ってわかった気になるということは、人間の本性であり、現代のマスメディアの状況とも絡んで、それは暴力的に世界を覆っています。
    その点はこの作品で描かれている通りだと思いますが、それは、大人が子供に押し付けている一方向的なものではない。ゆとり世代の人も、子供も、同様にレッテルを貼りながら生活している。
    (かくいう私も、なるべくそうならない様には気をつけているつもりでも、なんらかのレッテルを他人に対して貼りつけていることも多いのだと思います。それが人間です。)

    事実、この作品の中でも、ゆとり世代の役の台詞に、「韓国政府は、日本を憎む根拠がないから、教育で押し付けることをしている」(正確でなくてすみません)というような趣旨のものがありました。
    ここには、韓国への偏見や蔑視の匂いがあるような気がしてなりません。それはひとつのレッテルではないでしょうか。韓国が日本の植民地になっていたことなどを考えても、無根拠とは言えない。または、別の視点から見ても、韓国の若い世代の間では、どんどん対立感情は減ってきている(竹島/独島の領土問題で、確かに以前のような感覚に戻りつつありますが)。
    ただし、韓国政府への批判であって韓国への蔑視ではないというのならば、話はわかりますが、それならば、日本政府の歴史教育だって偏りがあるということがちょっとでも出てこないと片手落ちになります。

    こんな細かい点を指摘しているのは、まさにこれがレッテル貼りの話だからです。悪しからず。

    まとめると、レッテル貼りの話は、ゆとりかゆとりじゃないかという問題ではないのです。

    大人に対して反発を覚えるのはわかりますが(というか、私も今でも所謂「大人」の価値観に対しては反発を持っていますが)、それを単に反発として作品にしても、表現としての意味があるとは私には思えません。
    それは、作品のメッセージに反して、レッテルと偏見を助長することにしかならないからです。そんなに単純に、世代などの線引で、敵と味方には別けられない。
    大人に反発を持つなら、その<大人の価値観>の中に潜む暴力性をあぶり出すことが必要だと思います。それは大人を子供の敵とみなすことではない。子供の中にも大人の暴力性は内在しています。比較すれば、大人がより強固に持ちがちであるというだけの話です。

    それがあぶり出せた時、作品はひとつのメッセージではなく、多様な解釈を産む問いかけになるでしょう。

    厳しい意見を書いてしまい、申し訳ありません。


    <追記>
    批判しか書いていなくて、申し訳ないと思い、良かった点を書きます。
    モスキートーン(子供にしか聞こえない音)による電波が、スカイツリーから発せられているという設定も面白かったし、その電波の妖精のような存在(?)が最後に語る部分はとても良かった。

    おそらく、その設定ありきで物語を組み立てようとした結果、大人と子供という二項対立の図式にならざるをえなかったのかもしれない。
    そう思うと、少々厳しく言い過ぎたかなとは思う。
    でも、やはり、より大事なのは、追記前に書いた部分なので、その設定ありきであっても、単純な二項対立にならない書き方は模索するべきだった思います。

    次回作に期待しています。

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    2013/04/10 23:06

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