ココロに花を 公演情報 ココロに花を」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.9
1-13件 / 13件中
  • 満足度★★★

    擬音だけの作品も観てみたい
    このフェスティバルへの応募文章とチラシの文言を読んでから拝見したら、
    ストーリーが全然違っていて少し戸惑いました。
    携帯電話がいつ出てくるんだろうと待っていたんですが、
    最後まで出てこなかったですね(笑)。
    チラシのビジュアルから受ける印象と、作品の内容もかなり違いました。

    SFっぽい少し不思議なストーリーは、イキウメに似てるな~と思いました。
    (後で気づいたのですが、イキウメの『散歩する侵略者』を上演されてますね!)
    効果音を役者さんの声で表現するのが面白かったです。漂う雰囲気が独特で、
    登場人物たちのぎこちない会話にも味わいがありました。

    作・演出のピンク地底人3号さんは、戯曲で会話を書くことが初めてだったと伺いました。
    今までの戯曲は擬音とト書きだけだったそうで、とても興味深いです。
    擬音だけの作品も観てみたいと思いました。

    ネタバレBOX

    夢の中での患者たちの交流が、複数の絞殺未遂事件の犯人探しとどうかかわっていくのか、
    追うように観ていたのですが、話がなかなか進まなかったですね。
    「あの話はどうなったの?」という疑問への答えがないまま、間延びしているように
    感じることもありました。でも、はっきりとは見えないことや、
    ひっかかってモヤモヤすることから、色んな事を考えることができました。

    大学教授の殺人の自供が覆され、犯人探しは振り出しに戻ってしまいます。
    昏睡状態にある妻の病室に熱心に通う刑事が、実は妻の浮気を疑っていて、
    彼女の首に手を掛ける場面が挿入されました。
    誰が、何の目的で、愛する人を殺そうとしたのかが、どんどん曖昧になっていきます。
    そして、自分のことを見守ってくれるはず人々は昏睡状態にあり、
    意識があるのかないのかもわかりません。

    例えば私が1人で外国にいる時にパスポートを失くしてしまったら?
    自分を知る人が全くいない場所で、人間はどうやって自分が自分であることを
    他者に伝えられるのか。もしかすると自分でも自分が何者なのか、
    わからなくなってしまうんじゃないか…。
    人間の存在なんていつだって不確かで、不安定なのかもしれません。

    脚本は整理すればもっと面白くなると思いましたし、舞台美術はシンプルで見やすく、
    空間もちゃんと埋まっていました。衣裳も含め、全体のセンスがいいですね。
    こういう作品は古びないので、再演もできるのではないでしょうか。
  • 満足度★★

    「雰囲気=世界観」では物足りない
    前回の東京公演『明日を落としても』でも採用されていた、俳優たちの発声によって環境音をつくる手法は、今回はメトロノームのように一定のリズムを刻んでいくのだが、残念ながらそれはわたしには眠気を誘う効果しかもたらしてくれなかった。低い唸り声のようなものがずっと鳴っているシーンにしても、いったい何の意図があったのか。停滞したムードしか感じさせない。ある種の暗い世界を描きたかったのだとしても、これではまるで生気を失ったゾンビの世界ではないだろうか(そしてそのゾンビ性が、何か批評的な視座によって導き出されたものだとも感じられない)。

    そもそも台本がまずよろしくないと思う。「イスラエルとパレスチナ」など、歴史、復讐、赦し……などなどのよくある話が語られるのだが、結局こういった紋切り型を振りまいてみても、何かを考えている「かのふうな」ポーズにしか感じられない。またそれらの話が、この物語のメインとなる事件とどう繋がるのかも今ひとつ見えてこない。

    演劇ではしばしば、なんとなくの雰囲気が「世界観」と呼ばれてしまうことがある。「この世界観が好き/嫌い」という言い方は確かに感想としては言いやすいものだし、この『ココロに花を』にはその意味では「世界観」があったけど、そこから何かがひろがっていく感触は得られなかった。

    役者の演技も単調だった。もちろんそれは演出のせいでもある。リアリズムの会話で押すところにしても、空想的なシーンにしても、もっと発話の方法や舞台での居方を練り上げていく必要を感じます。例えば単純な話、やっぱり女性の板挟みになる男には、ああ、この人なら確かにモテるわ、しゃーない、というくらいの説得力が欲しい。

    ネタバレBOX

    記憶を無くしている男は、面会謝絶になるくらいの大事故に遭ったらしいけども、そのわりには全然怪我をしている感じがなく、つるんとしていた。例えばの話、映画『イングリッシュ・ペイシェント』のような、包帯でグルグル巻きになってもはや匿名の存在にならざるをえない(自己を証明できない)、くらいの切迫感は欲しい。包帯巻けばいいという話ではないのですが。

    映画といえば「タランティーノ」をはじめ、映画監督の名前が幾つか持ち出されるけども、それもなんとなくの「雰囲気」を醸成するために動員されたように思えてしまった。映画への愛がもしも本当にあるのなら、『レザボア・ドッグス』はもっと魅惑的に模写してほしい。加えて言うならば、「オウム真理教」なども含めてぽろっと簡単に名前が出て来るけれども、そうやって名前を持ち出すことに対して「畏れ」がほとんど感じられないのは劇作家としては問題ではないだろうか。例えばル=グウィンの『ゲド戦記』をお願いだから読んでくださいという気持ちになります。

    ところで衣装は、赤、黒、白、の3色からのみ構成されていたと記憶していますが、その狙いはなんだったのでしょう?
  • 満足度★★★

    若者のナイーブな不安と悲しみ
     意識が戻らない病人たちがそれぞれのベッドに横たわる中、殺人事件の犯人探しが始まります。取調室での嘘の自白、次々と増える意識不明の病人など、サスペンス・タッチで進む複数の物語には、夢の中の邂逅といったSF要素もシームレスに組み入れられていました。

     物語上で起こる物音を擬音語、擬態語などを使った人の声で表現するのが劇団の持ち味で、俳優は舞台上下(かみしも)の端にいながら、声を使って効果音の役割を果たしていました。淡々と存在しているのがいいですね。騒音だけでなく街にあふれる言葉も混ぜ合わさるのが面白かったです。

     劇場の壁をそのまま使ったブラックボックスで、道具や衣裳の色を白、黒、赤等に絞り、統一感のあるシャープな空間にしていました。黒く塗った椅子やテーブルに白い線で縁取りをしているのが良かったです。白線に注目すると空洞をはらんだ骨組が浮かび上がり、捕らえ所のない空疎さや満たされない心などの抽象的な表現にもなっていたように思います。

    ネタバレBOX

     ベッドに横たわるのは政治家の息子、刑事の妻、女子高生の兄(大学生)。現実世界では植物人間ですが、彼らが夢の中で家族などと語らうシーンがあり、本当は意識もあるし耳も聞こえているんじゃないかという疑いが生まれました。乙一さんの短編小説「失はれる物語」を思い出しつつ、人間には感知できない世界を想像しました。

     快復して記憶を取り戻した政治家の息子は、自分がある交通事故の加害者であることに気づいて自首しようとします。でも事故発生時に車に同乗していた友人や、主治医に止められるのです。理由は彼が政治家の息子だから。幼いころに教えられた善いこと、悪いことが、なし崩し的に捻じ曲げられたり、逆転してしまっているのは、まさしく原発事故後の日本の姿だと思います。

     国際問題への言及とともに「私たちは歴史を知らなきゃいけない」という決意も登場人物によって語られました。今の10~20代の方々とお会いすると、皆さんがすごく真面目で賢いことに驚かされます。私が同じ年の頃はもっと楽観的で馬鹿でした。インターネットによって世界中の出来事がオンタイムで自分の現実に流れ込んできて、何でも検索すれば概要ぐらいは知ることができるようになったせいで、楽観的な馬鹿であることが難しくなったんだろうと思います。理不尽極まりない残酷な愚行だらけの世界を見せられたら、誰だって将来が不安になりますし、人間に心底がっかりするものですよね。

     犯人逮捕というすっきりとした成果は得られず、殺人未遂事件が次々と起こり、刑事は「きりがない、お手挙げだ」と静かに吐き捨てます。衝動的な暴力が無数に連鎖していくエンディングは、悲しみがひたひたと空間全体に満ちて行くようでした。
     劇中に一度あった暗転の後が長いと感じました。最後の暗転直前のシーンは不要だったのではないでしょうか。終演時の暗転の味わいが良かっただけに、もったいないと思いました。

     終演後に作・演出のピンク地底人3号さんとお話しすることができました。会話劇を書いたのは今回が初めてと伺い、驚きました。ト書きばかりの戯曲の上演も観てみたいですが、京都に暮らす地底人独特のセンスを生かした会話劇にも、またチャレンジされると良いのではないかと思います。
  • 満足度★★★★★

    研ぎ澄まされた演劇
    シーンのひとつひとつが緻密で、計算されつくしたものを感じる。その象徴は役者が発する効果音。効果音を役者の声で行うという作品には過去何団体かで体験しているが、ピンク地底人ほど洗練されたものはなかった。それらが作品に不思議な緊張感を見事に生み出す。

    この緊張感と狂気をはらんだ空気感がピンク地底人の持ち味。「研ぎ澄まされた」という言葉が本当の意味でぴったりくる作品だった。

  • 満足度★★★

    謎のありか。
    舞台上には三つのベッド。そこには意識不明に陥った男女が眠っている。それぞれの病室を訪れる者はみな、起きるはずのない彼らが覚醒したと証言する。ベッドの脇で掘り起こされる記憶、取り返しのつかない出来事、すれ違い……。

    シンプルなセットの中で、効果音(これも俳優たちが担当)を巧みに使いながら、現実と幻想、過去と現在を、台詞や演技のみで、切り替えていく様子には心地よささえ感じました。また、「連続変死事件」を絡めたサスペンス的な設定には、どこか平坦で得体の知れないものになってしまったこの世界への違和感、不安感がよく現れてもいました。

    終幕に至るまでの人間関係、一人ひとりの心情については、ややカンタンめに収まってしまった感もあり、せりふも演技ももっともっと謎めいていてもよいのではないかという気もしました。やはり、いちばん恐ろしく、魅力的なのは、人間そのものと、人間関係の中に横たわる「謎」でしょうし。簡単なことではありませんが「オチ」を急がず、「謎」に向き合い、ますます色っぽさを増していってほしいなと、期待しています。


  • 満足度★★★★

    ピンク色ではないですが
    発声される効果音とともに、点から線へ、そんな感じで進んでいく物語、独特のカラーを感じました。ただ、もう少し全体像などが見えたらよかったです。

  • 満足度★★★★★

    独特な緊張感
    環境音や効果音などをその時の場面にいない役者が担当する
    という手法の為か見ているうちに緊張感がどんどん高まっていく印象
    を毎回受けます。少しの揺らぎで舞台が崩れてしまいそうな感じ。
    見ていて本当に息が詰まります。でも、そこがとても好きです。

    人に対する引け目、負い目、不安感、どうしようもないやるせなさが
    舞台上に充満していて、見ていてとても苦しくなりました。
    客入れ、客出しでかかっている某バンドが好きな人はきっとハマると思います。

  • 満足度★★★★★

    ココロに花を
    最初の暗転後、本当につまらなくて困ったな、『ある光』以降の悪いパターンだな、と思っていましたが、つまり、同性で同じような声質で同じような芝居で会話をされても、何も引っかからないというか、薄いというか、そんな感じだったのです。しかし終わってみると、なぜか涙を流していました。物語に触れられたのではない、何かわからない。とある女優さんを観ていたら、自然と泣けてきました。何かわからないけれどよかった。ただただよかった。ファンだからではありませんが、おすすめします。

  • 満足度★★★

    未消化の先の可能性
    なにか未消化な感じのする舞台。言いたいことは何となく分かるし、ハッとする瞬間も時にはある。連続する絞殺事件、意識を失った人たち、意外な犯人などドラマを展開させる道具立てはあるのだが、表現が平坦すぎて引っぱっていくエネルギーが少なく眠気を誘う。作者はあえてそうしているのかもしれないが眠気にはかなわない。さらに歴史の話が出てくるが、それが全体と繋がってこないのでさらに未消化になる。もしかしたら個人の意識と世界の歴史を通底させる壮大な構想があったのかもしれないが、観客の想像力はそこまで律儀に働いてはくれない。でもこの95分間の未消化の先に何かしらの可能性を感じないこともないのだ。

  • 満足度★★★★★

    「散歩する侵略者」×ピンク×上田耽美氏
    2月に京都で「散歩する侵略者」を上演したことは知っていた。

    ただ、自分はその時は観れなかった。

    今回は、今まで突撃金魚で独特な役どころを演じてきて常に不思議な印象を残した上田耽美氏(この前大阪の美園での小ぢんまりとしたスペースでの芝居も印象深かった
    が出演している。

    「ココロに花を」は、物語としては最後の詰めが若干甘い気もしたけれど、
    全体としては今までの「ピンク地底人」に、
    これらの要素が上手くプラスされていることが伝わってくる舞台だった。

    出演者と上演作品、これらによって昨年より明らかに進歩・・というより彩りを加えている。

    舞台というのはこういうことが重要で、
    作品の度に作風を変える人もいれば、このように貪欲に色々な要素をとり込んで躍進する人もいる。

    特に今回は上田氏をうまく生かす脚本になっていたように思う
    (個人的には上田氏は関西だけでなく、東京を含めても小劇場の中では独特の存在感は突出していると思う。ただ、彼のような俳優は脚本に恵まれないと持ち味をうまく発揮できないと思うのでその点では今回は良かった。ただ、もう少し全面に押し出しても良かったんじゃないカナ、とも思ったり

    そういう変化は一作だけ観ただけではなかなか伝わってこない。

    実際、日本の国内でここ1~2年、ピンクのように急激に構築する世界の深度を深めつつある劇団と言うのはそうはいないと思う(唯一自分が思いつくのはQ・・?

    本家のイキウメが「散歩する侵略者」以降、それを超える作品を生み出せていないように見えるのに比べると、
    ピンク地底人は、「散歩する侵略者」上演以降初めてその作品を自分たちの中で消化して
    継承しつつある劇団と言えるのかもしれないな、とも思ったりした。

    作品全体を通して見える「不安感」をキーワードにするなら、
    東京で言えばジエン社にちょっと近くなってきた気もしないでもない・・何となくだけど。

  • 満足度★★★★★

    what is the "kokoro" ?
    what is the "kokoro" ?
    it means heart to me.

    i wanted to see the heart flits from one place to another more, like a butterfly consume nectar from flowers.

  • 満足度★★★★

    ココロに花を
    面白い。効果音スキル以前より高い。

    ネタバレBOX

    妻(クリスティーナ竹子)が昏睡状態である刑事の坂本(田米克弘)、兄(5号)が昏睡状態のマキ(川北唯)とその友人であり兄のことを好きな飛鳥(小林まゆみ)、事故の後遺症で記憶が飛んでる、政治家の息子・岡田(大原渉平)とその友人・高山(高山涼)、そして連続絞殺事件の容疑者で妻を殺したと自白した大学教授の水谷(上田耽美)の話。

    マキと兄のドキュメンタリー作品をとりたいとのたまう清野(6号)が主張してたように、ゲンジツとユメの境がなくなるような作品。
    子供ができないことで大量な食事ををつくる妻と楽しくご飯たべたり映画をみたりするユメをみる坂本。だけど、清野が妻と食卓を囲んでいる脇にたっている。兄と映画をみにいくマキ。だけど、兄が飛鳥と映画を見ているとこを見ているマキ。記憶障害にあって、別の人間の夢をみることのできる岡田。そして、自首すると言った岡田を絞める医師(勝二繁)。

    何がどーなってってとこはよくわかっていないが、受け止めたくない現実から逃げつづける人間の恐怖心と、そこから生まれた夢の寂しさが、どんよりした舞台に溜まってた。一見みょうちくりんな清野が、ゲンジツを受け止めた上でのユメが大切だと正論を言うが、他の登場人物に伝わらないだろうなと、そこがツライなと思った。

    タイトルにあるとおり、「花」が必要だなと思った。
  • 満足度★★★★

    整理された舞台
    シンプルな舞台セット、衣装で、「人」を観ていた。役者の強さ、儚さ。整理された空間。美しかった。個人的にはもう少し爆発してほしい、ものたりなさも少しあった。

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