満足度★★★★★
無題495(12-238)
19:00の回(晴、空に半分よりちょっと欠けた月)。夜、人通りは少なくゴルフボールを叩く音がキンキンと聞こえる。18:30受付(整理券:トランプ)、18:35開場。
青年団つながり・・・、2011/5「小瀧ソロ」(小瀧さんと渡辺さん)、で、2011/8「サよりよろしくバー」(渡辺さん)、同「パール食堂のマリア」(小瀧さん)で、本作、小瀧さん、という流れでみにきました。
いままで、公開稽古(リハーサル)をみたのは4回(高襟、サンプル、ポかリン記憶舎、かもめマシーン)。物語ができてゆく過程は完成品とはいえずとも面白いなと思いました。以前どこかで書きましたが「メイキング物」が好きなこと、音楽などでは「アウトテイク」。
下手、大きめのTV、カエル(ぬいぐるみ)がしがみついています。中央、テーブル、奥にカウチソファ、下にはラグ、グレーと赤のクッション、上手、横長のボックス家具、写真たて、ムーミン、雑誌、ナウシカ(原作漫画)、Casa、サッカーボール、ソフィーの選択、酒瓶、ランプ、その上には木製のブラインド、横に観葉植物、空気清浄器かな?
奥の壁(パネル模様)には小物が飾ってあり、左端で翼を広げているのはデビルマンか。ハンガーに衣服が掛けられ、イーゼルには丸い地球の写真。「星」らしいのはこれだけ。
18:58男性ひとり登場、テーブルの上の(花屋らしい)物件情報をながめる、19:01最前列の前に桟敷席ができる、19:03前説(65分)、19:04空調が静かになり開演~20:15終演。
同じ演技と(指示に基づき)変える演技...役者さんって巧いなと思う。それがだんだん笑ってしまうほどになるけど、役者さんは「まじめ(真剣)」。みていて「そこでちゃぶ台をひっくりかえしてしまえ!」と言いたくなるようなヨレヨレの演出がおもしろい。
当パンをみると、小瀧さん、12月に「RUR」。8月にリレーションシップで「ロボット」をみていて、これと比べながらみるものも面白そう。
満足度★★★★★
超満員とフワチェイス
・・あれ?小竹向原ってこんなに人いたっけかな?
と、思わず思ってしまう位何故か?満員で、
夢か?と、思ってたら、内容も観客席に負けず劣らず?
夢のような舞台でした。
フェリーニの「8 1/2」を徹夜明けで観て5分で沈んだら・・・
こんな風に・・なるわきゃないか。
満足度★★★★
楽しめました
作・演出家の自虐ネタなんでしょうか。やられたなーってカンジです。優柔不断な演出家は妙にリアルっぽいけど、どこまでフィクションで、どこまでマジなのかな。
満足度★★★★★
浩太に共感しつつ
前作「果てまでの旅」に引き続き、また、やられた!!きちんと計算されてるのにだんだん物語がフワフワしていく感じがたまらない!!玉田企画の芝居、僕のど真ん中だなぁ。とてつもなく面白い。ぎゅうぎゅうに密度の濃い物語のはずが、いつの間にかゆる~くゆる~く笑わされる。久しぶりにこんなに笑いました。中盤以降は、頑張れ、玉田さんと思わず応援したくなっちゃいます。この内容を自然に演じ抜く役者さん達の安定感がすごい。とても楽しかったです。
満足度★★★★
ピンポ~ン!
ただ単純な劇団の裏側的な展開かと思いきやさらなるオチが効いていて楽しく観劇。演出家の混乱、苦悩、役者との関係など垣間見た感じ。面白かったです。
満足度★★★
微妙な空気感
玉田企画の【夢の星】を観劇。
前作の大当たりだった【果てまでの旅】についで2回目。
今作は、芝居の稽古場が舞台。
前作同様、その場の微妙な空気を読む、読まれるという互いの関係から
生まれ出る何とも言えない面白さを追求している。所謂、口語演出を学んだ上で作れる芝居の様だ。
舞台を作る上では、演出家がトップであり、それによって進行していくのだが、そこにある時から演出家に疑心暗鬼になっていく俳優と演出家の駆け引きを描いており、内輪受けしそうな展開だ。だが、あまり普遍的ではない題材に興味を持つ観客は何人いるのだろうか?前作は、修学旅行生徒の惚れた腫れたの男女の駆け引きだったので、誰もが分かる面白さを堪能出来たのだが、今作は果たしてどうなのだろうか?
題材選びが、今後の玉田企画の課題だろう。
満足度★★★★★
リアル風景
リアルなのか演出なのかの境界がはっきりしないだけに興味深く拝見した。企画としては愉快に感じた。どちらかというとキャストたちが演出家を支えていたように見えた。演出家の草食系さが斬新!
満足度★★★★
リアリティーが浸蝕するもの
劇の劇的な部分を敢えて批評的に捉えるタイプの作品と見た。演じられてはいるものの、批評のリアルに支えられたドライで強靭なリアリティーが、センチメンタルな感情や心象風景を浸蝕し、感興を削ぐことに成功している。何よりこのドライな批評性が心地よい。
情況設定は、芝居を舞台に掛ける迄の演出家と役者たちの練習風景なのだが、脚本の変更あり、ダメダシの変更ありという中で情況の細部が変わり、その度に、演出家は新たな演出をつけ、役者たちはそれに直ぐ応えて演技の形にして行く訳だが、短時間で想像力を身体の動きや科白回しに変え、役作りの有り様を見せて行く。若い役者たちの演技も基礎がしっかりし、よく考えていることが分かるものであった。惜しむらくは、最近流行りの若者特有の変な日本語の発音を取り入れていることである。演劇は、時代を反映する度合いの高い芸術形式ではあるが、若者特有のおかしな発音を作品に取り込む必然性は無いように思う。