草創記「金鶏 一番花」 公演情報 草創記「金鶏 一番花」」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.7
1-20件 / 21件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    元来、自分は複数回観ても感想は一回にしとく派なんですが。
    こちら、彗星・満月とダブルなので、もう一回書き残しておきます(計4回観ました)。

    あやめさんのダブル公園。そのやり方も面白いのよね。
    朽葉の時は、メインキャストが逆班ではアンサンブルっていうの、ドキドキしたし。
    今回の主役の二人が逆になるのも、エモいと思った。
    メインの役どころある人が他の役も兼ねるってのも、メタ的に含みのあるの面白い配役だったり。
    単純に2チームあるっていうだけの面白さじゃないところがあるんだよな、あやめ十八番だと。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2025/09/23 (火) 13:30

    テレビジョン・歌舞伎・戦争の「三題噺」であり7月に上演した「音楽劇「金鶏 二番花」」の前日譚。テレビ放送創成期を描いて華やかだった二番花に対してこちらは戦争に向かう世相も描いてシリアスな感じ。
    それが第二幕の「戦場の白浪五人男」の場ではユーモラスになり「おや?」と思っているところに「欧米の支配からの解放」という「大東亜戦争の大義名分」を挙げ、その手痛いしっぺ返しを描くなどメッセージ性も十分。
    ところで前作と本作の関係、テレヴィジョンを中心とした後編・前編的ではあるがその狙いも形式も異なり喩えて言えば「兄弟姉妹」などではなく「他人の空似」、ここまで異なる(かつ完成度の高い)二部作は稀有ではなかろうか?堪能。

    ネタバレBOX

    あと、野戦軍楽隊のトランぺッター雁部保が終盤で指を失い、もう吹けなくなったことを踏まえてラストの演奏場面に参加していないことにノーマン・ジュイソン監督の「ジーザス・クライスト・スーパースター(1973年)」の「ヨハネ伝第19章41節(エピローグ)」を連想。(というのは、「ヨハネ伝第19章41節(エピローグ)」は撮影隊が砂漠の中のロケ地にバスでやってくる「序曲」と対になっていて、撮影を終えてロケバスに乗り込む面々の中にジーザス役のテッド・ニーリーだけいないという……)
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    彗星と満月の両方の初回を観てきました。
    同じ日に同じ話を続けて観たのに面白すぎて、別日のチケットを予約してました。
    前作と繋がってる話だったので、前作を観ていたことでより楽しめました。

    ネタバレBOX

    今心から思うのは今すぐ前作を観返したいということ。
    前作で探してたお兄さん……いい意味でイメージと違いました(笑)

    亡くなった人と考えるとなんだか儚いイメージがありまして...。でもよく考えたら、元気な時の妹さんとそっくりな気がしてしました。

    スマトラ歌舞伎のメンバー全員好きすぎて、戦争中っていうことを忘れてしまう舞台中舞台でした。

    それにしても狐との2役の金子さんが凄すぎた。
    前作の可愛らしく愛らしい役も素敵でしたが、今回のような思わず息をのんでしまうような演技もさすがとしか言えず。

    前作があやめ初見だった人、同じ人って気づいたかな?
    今作観て前作のDVD買った人の反応が今から楽しみです(笑)



  • 実演鑑賞

    良かったです。

    ネタバレBOX

    特に歌舞伎(とその周辺の人々)が強く心に残りました。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    【満月】:金原賢三役:藤原祐規/ 坂東天鼓役:宮原奨伍

    2回目。
    沢山の角材に混じって沢山のブラウン管TVが潜んでいる。

    作品的に大好物というわけではないのだが、もう一回観たいと思わせる中毒性。今観終わったばかりなのに。作家は頭の中で思い付いたアイディアの実現の難易度が高ければ高い程興奮するタイプなのだろう。作家と観客との想像力の知恵比べ。これは戦いだ。作家がここまで頭の中身全部ぶっ込んで勝負してるのに観てる方も負けてはいられない。覚悟して観る。後に伝説になると思う。金払えばこれが観れることに感謝すべき。

    金子侑加さんには何かしら賞を捧げないとまずい。『二番花』でふっくらしていたのも、今回の役の為の振り幅だろう。本当に何か憑いているんじゃないか?

    ネタバレBOX

    影絵の汽車。
    遊び仲間の松井愛民(あみん)さんが可愛かった。
    佐渡玄太役の藤尾勘太郎氏は要所要所で大活躍、物語の緒を締める。天下無双のとっちゃん坊や。
    アコーディオン、島田大翼氏の美声。

    北沢洋氏演ずる坂東天五郎がカッコイイんだよね。彼を主人公に観たかった。歪んでらあ。末代までお狐様と付き合う覚悟。「狐〜!当てやがったな!息子を頼んだ!」
    弟子の坂東文七(小林大介氏)との遣り取りもカッコイイ。「ここからは生き死にですよ。」
    小林大介氏はスマトラの鬼伍長、大蔵大和役も兼ねる。彼こそ二番花で内田靖子さんが演じた大蔵ハナの兄。

    妖しく光る水ヨーヨーを突いた狐面の子供達、そこらここらにぼうっと浮かび上がる。
    「狐の提灯、ぼうっ」との唄声がこだまする。
    森の奥深く坂東天鼓(宮原奨伍氏)は夢遊病者のように歩き続ける。夜空に浮かぶ巨大な満月。

    高熱に浮かされ、生死の境を彷徨う金原賢三少年(今村美歩さん)。母(藤吉久美子さん)はどうにか助けてあげたくておろおろする。そこに深夜の闇を切り裂くような一番鶏の高らかな鳴き声。飼っている鶏のサチ(中野亜美さん)だ。「お前を応援しているんだよ。頑張れって応援してくれてるんだよ。」その声に導かれて少年は回復し命拾いする。サチはずっと少年を見守り続ける。

    悪戯好きの捻くれた狐(金子侑加さん)は坂東天五郎(北沢洋氏)の家に貰われる。魔性の技で三流歌舞伎役者に稽古を付けてやる。その6歳の息子が生死の境を彷徨う病。狐に命乞いをする天五郎。救ける代わりにその子を寄こせと要求。苦渋の決断を迫られる天五郎。

    日本中皆、狐に憑かれたように戦争に邁進していく。どうにも人が変わってしまったかのように。

    歴史には残らない狐と鶏の戦い。誰も知らず誰も信じない話。でもそれは本当のこと。

    見立て
    箸 色鉛筆
    お茶碗 折紙
    レンゲ 金魚すくいのポイ
    歌舞伎の筋書 凧 
    米 おはじき
    お茶 重ね独楽
    スコップ 虫取り網
    けん玉もあった。
    ナタは羽子板の形状。

    「私はこれ程美しいものを見たことがございません。」
    金子侑加さんはタイBL(ボーイズラブ)をこよなく愛するYガール(腐女子)なだけに台詞が真に迫る。タイ製作のBLドラマは高品質で世界的に人気となっている。

    「ままならん、どうにもままならん。」
    後頭部に上下逆に狐面を付けた金子侑加さん、頭を下げると狐になる。四つん這いで裏声の狐と久連子益次郎を同時にこなす。

    昭和21年3月16日に起きた十二代目片岡仁左衛門一家殺害事件がモデル。薪割り用のマサカリで親子3人と使用人、子守りの5人が早朝午前6時頃殺された。座付作者見習いとして住み込んでいた飯田利明が逮捕される。減刑を狙って「食の恨みだ」と供述したが、その後金目的であったと獄中から遺族に詫び状を送った。無期懲役の判決を受けたが1960年代に恩赦で釈放されたらしい。

    ※自分が先行予約した時には【彗星】と【満月】の区分けはまだなかったと思う。こうなると【彗星】観たかった!

    ※佐藤弘樹氏は顔の系統がBreakingDownのSATORUっぽい。
  • 実演鑑賞

    彗星を観劇しましたが、素晴らしかったです。
    役者さん達の演技、美術、音楽、演出、その他諸々・・芸術でした。
    ストーリーは興味深く、ちょっと危うい雰囲気に惹き込まれました。
    沢山の要素に付いていけない時がありましたが(自分が悪い)面白かったです。
    役者さん達、皆が素晴らしく、特に金原賢三役の宮原奨伍さんが印象的でした。
    贅沢な時間を過ごしました。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    休憩挟んで2時間45分の大作。私など「金鶏二番花」に書き込めなかった「はみ出し」部分も捨てがたく、やったのが今作、公演のインターバルも短いしきっとコンパクトな舞台だろうと勝手な想像をしていたのだが、全くの予想外れ。本域で作られた舞台(いやそれが普通なのだろうけれど・・芝居作りを「普通」と呼びたくはないが意味は汲んで下され)。
    日中戦争以降の戦時に重なるTV先史(実験放送以前)を、TV開発者金原氏(二番花での中心人物)界隈の他に、歌舞伎界の若手二人を持つ両家を一方において描く。繋がりの無い両者が接点を持つのは戦場であるが、中々に広く散らされた要素をどうにか3時間に圧縮して提示する事に成功している。
    テレビ研究においては学校付属研究所の金原氏の有能な助手との浜松での日々、金原には「さち」(中野亜美)という不思議な話し相手(これが女房なのか幼馴染みなのか彼にだけ見えている幻影なのか不明)がおり、やがて上京する事になった時は彼女に世話を頼んだ母がいる。彼は東京砧に新設された放送研究所へ出向という名の転職(栄転)を遂げるが、女房との暮らしを選んだ彼の助手は浜松に留まると言う。彼は研究においても金策に困った折にも大きな貢献をした、と描かれている。新設された新たな職場で彼を出迎えたのが根明な男。研究所には二百人が働き、金原の手足となるのだと氏への憧憬を語る。
    歌舞伎界では、一方の屋号では映画出演により人気を博するもその事により歌舞伎出演を父に禁じられた女形の青年。彼の母は映画の脚本書きであり、父母は始終息子を巡って喧嘩をしている。ここへ脚本家を目指して母に弟子志願するも「息子狙い」の魂胆を警戒され拒まれ「女を捨てる」宣言をして住み込んでいる女(金子侑加)と、青年の姉がいる。青年の親友である男役の方の一家は、父が息子の病気に際し、祠の狐(こちらも金子)に頼み込み彼を救う代わりに将来この子を自分の物にする事を約束させられる、という事がある。先の女形青年の姉は、こちらの青年に思いを寄せている。一方、住み込んでいる脚本家志望の女に対しては、弟への思いがあると見込んで(これは当っている風でもある)嫌悪している。
    日中戦争から太平洋戦争。
    南方へ赴いた者達が南の島で歌舞伎をやる、というエピソードが中心だ(加東大介氏のアレを彷彿)。歌舞伎界からは男役の青年と、金原氏の元助手、新設研究所での根明男が出会う。ある衛生兵(だったか通信兵だったか)が歌舞伎役者がいると聞きつけ、自分は「白浪五人男」をやりたい、歌舞伎を教えて欲しいと頼み込んだのがきっかけだ。練習場所を借りるため鬼の伍長に掛け合った所、「歌舞伎」にどうやらご執心。また右手の指を三本失った軍楽隊のトランペット吹きが「自分は一体何をすれば良いんでしょう」と相談に来る。彼の暢気な様子がおかしみを醸したかと思うと、相談を終えた彼が下手の上段の音楽隊(この舞台の)の所へ行き、楽隊員らとこれまた暢気なやり取りをする(これが笑える)。
    そんなこんなで彼も座員となって五人揃った白波五人男の有名な名乗りの場面、元ネタをもじって彼ら自身を練り込んだ自己紹介を歌舞伎調でやるのだが、現地の兵士らが涙を流して笑い喜んだ、とあるのがリアルに「想像される」のは「南の島に雪が降る」を読んでいたからだろうか。
    一日限りの興行を行なったその夜、悲劇が起きる。それは現地人による急襲であったが、日本のアジア進出の本質を類推させる要素となっている。(アジア解放の大義とは程遠い現実...)
    戦後、帰還した歌舞伎役者の界隈ではもう一騒動(阿鼻叫喚と言うべきか)が巻き起こる。これが作者が今作の典拠の一つとした実話の一端なのかどうかは不明だが、「狐」と取り交わした約束の顛末とすれば、中々どぎつい。敗戦直後という時代には猟奇的な出来事も多発したに違いなく、不思議と違和感を感じさせなくはある。が、ドラマとしてどう飲み込むべきかは苦慮した(特段メッセージ性を求めるべき部分ではないのかもだが)。
    折しも映画「国宝」が歌舞伎役者二人の物語のようだが(まだ観ておらぬ)、本作においては崇高な恋愛関係(一方が昇天した事で益々、秘められた聖性の高い)とし、俗世の恋沙汰との対比がある。一つ明快でありたかったのは、書生(女)が狂気へ陥るに至る、狐の仕業としてでない、現世的な観点からの必然性であった。彼女の鬱屈の根底に何があったのか・・そこに強く興味が惹かれる。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2025/09/26 (金) 18:30

    175分。休憩10分を含む。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    【満月】観劇。あやめ十八番さんを観劇するのは初めてでしたが、開始早々に引き込まれ、最後まで一気に魅せられました。脚本、演出、役者さんの熱量、そして舞台美術のすべてが噛み合い、2時間45分(途中休憩10分)という長さを全く感じさせない濃密な時間。
    「テレビジョンの夢」と「歌舞伎」、そして「戦争」という大きな時代背景が巧みに絡み合い、いくつもの伏線回収に驚かされました。
    終演後、キャストさんを調べながら、前作「音楽劇 金鶏 二番花」を観られなかったのが悔やまれます。
    初観劇でここまで心を揺さぶられるとは、まさに嬉しい誤算でした。
    次回作にもぜひ足を運びたい、と思わせてくれる舞台でした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    満月、彗星どちらも観劇。
    主演が交互配役という面白さを「金鶏一番花」はより深めていた。
    一番花とは姉妹作品ではあるがいわゆる続き物ではないので、同じテイストを予想しているとかなり吃驚させられるかと。
    テレビジョン開発までの道のりに混ざる歌舞伎や戦争、夢か現か不思議な雰囲気が「あやめ十八番」らしさを感じて面白かった。
    彗星で坂東天鼓を演じた藤原祐規さんの、繊細さと独特なセリフの抑揚がとてもよかった。とても綺麗だった。
    身体的な演技と非言語的な演技が巧妙で、堀越さんの脚本演出に似合う方だなと強く思う。

    ネタバレBOX

    個人的には彗星回の金原賢三:宮原奨伍さん、坂東天鼓:藤原祐規さんがよかった。
    天鼓(邦正)の学生時代から出征、歌舞伎役者としての成長過程が自然に表現されていた。
    天鼓の人生について回るのが稲荷信仰。
    知らぬ間に運命をサイコロを握られているような、なんとも複雑になり悲しくもなるが、その姿を繊細に丁寧に演じていた。
    戦地で狐火を追いかける姿の危うい朦朧とした姿や口調、宮司役として出た時の人間とは違う雰囲気を纏った姿、どちらも空気が冷えるぞくっとする芝居だった。
    学生時代、同じ歌舞伎役者の幼馴染に想いを寄せられる場面では呼吸や目、指先からも感情が伝わって来て、本当に儚く美しかった。
    主演のお二人だけでなく、すべての登場人物から楽隊まで、魅力があり、且つそれが散り散りにはならない巧さがあやめ十八番にはあり、とても面白い演劇を観させていただきました。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     彗星を拝見、途中10分の休憩を挟み2時間45分の長尺。然し長さは全く感じない。

    ネタバレBOX


     物語はテレビジョン黎明期、日本の対外戦争、そして歌舞伎と各々ジャンルが割れるものの、深堀りしたり当時を生きた人々の人生を通せば、大きなうねりに何とか立ち向かおうと懸命に生きたヒトという生き物の視座から俯瞰し得るような物語として収斂し得る。この事情を梃に入れ子細工宜しく舞台は組み立てられてゆく。
     ところでテレビジョン黎明期は技術の問題として戦争とは繋がり易い。これに対して歌舞伎は? と感じる人々も多かろう。これにはあやめ十八番・代表の堀越涼氏が歌舞伎に15年も関わっていたことが大いに関係している。無論、歌舞伎が日本文化を代表する芸能の一つであることを否定する者はあるまい。そして芸事というものは、伝統的であればあるほど新たな基軸を見出し芸として表出することが困難になる領域の文化である。序盤、坂東天鼓の父、天五郎が栄国稲荷の狐と契約を交わすシーンがある。洋の東西を問わず優れた芸術家が狂気の域に足を踏み入れることすら辞さなかったことは、それほど迄の覚悟をする必要があるということの裏返しでもある。
     今作を貫いているのは、このような向き合い方、大抵の人々が流されてしまう宿命というものに抗う個々人の姿である。天五郎が自らの芸を新聞で痛罵されたことを気に病み遂には栄国稲荷の狐と契約を交わすシーンが描かれているが、上述の如く芸事を極めるということは、狂気にすら怯まず精神を開拓する程の覚悟が要求されるものであることは、古今東西の優れた芸術家が幾度も描いてきた本質の一つである。
     その先駆・中興例の一つとしてテレビジョン映像を世界で最初に実現した金原 賢三(役名、モデル:高柳健次郎氏)の偉業が為されたことが今作の柱の一本として選ばれている。1926年12月25日の事であった。この年大日本帝国は昭和元年を迎え歴史的惨敗戦への年号を刻み始めた。これが今作第二の柱、太平洋戦争勃発(1941年12月8日)以降の戦争譚に繋がり第三の柱(歌舞伎、今作ではスマトラでの兵士たちによる“白浪五人男”上演)に繋がるのである。実に意味深長ではないか!
     これ以外にキネマの女性脚本家として名を為していた天鼓の親友伊勢友之助(駿河屋)の母、尾長光子に脚本家を目指し弟子入りしていた久連子益次郎(女性だが故あって男の名を名乗っている、訳は今作を観るべし)に纏わるサブストーリーが絡む。彼女の脚本家に成るという執念と彼女が友之助の筆おろしをしたことを根に持って暴行、悪罵を加え追い出した友之助の姉、尾長さなえの恋う人(天鼓)を喪い希望を失くしたどろどろの感情を描き、稲荷と契約を交わすに至り、その契約後名跡を復活、旧劇の大立者となった天五郎(駿河屋)との因縁話が組み込まれているのも、日本の体質を見事に炙り出して今作の基底を下支えしているのは見事という他あるまい。柳田國男の指摘を待つまでもなく日本社会の特質を示した深みと観ることができよう。優れた芸術・美の足下に蜷局を巻くのは常にこのように不気味なカオスなのである。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    一番花、二番花のどちらもとても楽しめました。
    今回は音楽劇とはまた違った魅力があり、
    演出の抑揚や台詞の間合いが心地よく、
    物語としてはこちらの方がより自分の好みに合っていたと感じます。

    中でもキツネが登場する場面には、
    独特の緊張感と空気の張りつめたような感覚があり、
    とても惹きつけられました。舞台上の静けさと不穏さが美しく交差していて、
    印象に残るシーンのひとつです。

    ネタバレBOX

    あの終わり方は予想していなかった。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2025/09/23 (火) 13:30

    彗星を観劇。
    メインの配役を入れ替えての観劇を楽しめた。
    開場から開演までの間に販売しているオリジナルドリンクも美味しかった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    【彗星】の回。休憩10分を挟んで2時間45分と長尺なのに、長さを感じさせない出来。構成が見事だし、どのシーンを誉めてもネタバレ紛いになりそうなので書かないが、個人的には7月に観た「二番花」より、こちらの方が好きかも。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    【彗星】の回を観劇。
    これはもう流石としか言えないであろう。役者さんの演技,台詞回し,衣装,音楽,舞台装置,全てが素晴らしい!舞台装置は立体的で,役者さんは舞台を自由自在に使いこなし,視覚的にも舞台全体から目を離すことは出来ない。物語としては7月の「二番花」方が好きではなるが,こちらの物語もテレビジョンと歌舞伎を軸に全く隙のない物語に仕上がっている。あやめ十八番さん,やはりこの劇団の舞台は期待を裏切らない。次はどんな物語を見せてくれるのか,楽しみである。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    面白い、お薦め。
    「音楽劇 金鶏 二番花」の前編にあたり、「テレビジョンの研究/開発」と「戦争」、それを虚実綯交ぜにして描いた記憶劇のよう。この2つのテーマは同時/並行するように描かれ、戦後になって物語が収斂していく。テーマを暈けさず、それぞれの伝えたいことを鮮明にする上手さ、そこに この公演の魅力がある。

    当日パンフに、代表の堀越 涼 氏が「テレビジョンと戦争と歌舞伎。三つを並べた時、ようやく物語は動き出したように思う」と記している。テレビジョンに関しては、前作でも本作でも語られている。金原賢三(高柳健次郎がモデル)が子供の頃、ハレー彗星の接近により人類絶滅といった噂が流れた。彼は 母に死ぬ前に何がしたいか尋ねたところ、「歌舞伎がもう一度観たい。(浜松から)東京へ観に行くにはお金がかかる。歌舞伎の方からこっちに来てくれれば」という 母の思いを叶えたい。そんな素朴な思いから始まった。最初のテレビ番組は舞台劇「道行初音旅」<歌舞伎化>の中継。それを本作では賢三の故郷(浜松)に因んだ「白浪五人男」ならぬ戦時中の「スマトラ五人男」として描く。

    物語が進むにつれ いろいろな場面が関連してきて、良く出来た脚本だということが解る。そして あやめ十八番といえば照明や音響/音楽といった舞台技術、特に生演奏は物語を引き立てる。本作は、戦時中の野戦軍楽隊(トランペット・ピアノ・アコーディオン・ユーフォニアム・ヴァイオリン、衣裳も軍装)としてその役割を担っている。
    (上演時間2時間45分 途中休憩10分)【彗星】

    ネタバレBOX

    舞台美術は立体的、左右非対称のそれぞれの階段を上に行くと踊り場のような空間。多くの階段が所々にあり、同じように大きなボロ布ポールが林立。朽ち木を組み合わせた廃墟のよう。下手の中段奥に演奏スペース。冒頭は、板の中央にテーブルとイス。上演前は人工ノイズ音のような騒めきや ピアノの和む音が聞こえる。上に行くにしたがい真中へ、何となく物語が積み重なり収斂していくような感じ。そして人間以外の妖(アヤカシ)が高い別空間で操っているかのようでもある。

    公演は休憩を挟んで、戦前のテレビジョンの研究/開発と戦中・戦後のスマトラでの軍隊(近衛歩兵第三聯隊)生活を描き分けている。
    「音楽劇 金鶏 二番花」は、賢三が浜松から東京へ出向してきてテレビジョンの実用化に向けて活動しているところ。本作は、賢三が子供の頃のハレー彗星騒動に端を発した世迷い事、多くの人が栄国稲荷へ参拝。稲荷=狐を擬人化(金子侑加サン)して物語を掻き回すような、まるで道化師のような存在。もう1人 賢三の傍にいる少女(中野亜美サン)、この2人がカギ、そして虚構の世界を築いている。

    前作では、ハレー彗星騒動、母の思い、そして入学式での恩師の言葉ー金鶏に関する話ーは、台詞で語られていた。それを記憶の物語として再現する。ちなみに賢三は 少年期・青年期・老年期を1役3人で紡ぐ。研究には金が掛かるが、それを研究助手になった佐渡玄太が用立ててくれた。実は彼の奥さんの持参金であった。後々 懐述で、多くの人に支えられて成し得たと。

    出征した歌舞伎役者2人、1人は母の脚本でスクリーンでも活躍。歌舞伎役者である父と確執があり、自分の進むべき道に迷っている。スマトラで戦友から歌舞伎を観たことがない、娯楽に興じて といった言葉にショックを受ける。歌舞伎は芸道、高尚と思っていた自分との認識違い。そして観たこともない歌舞伎を”余興”として演じたいー(素人)歌舞伎。また戦時中、テレビジョンの研究は 戦争兵器の研究へ、健三曰く 「電波は兵器ではなく科学だ」は印象深い台詞。

    戦後、賢三が最初のテレビ放送は歌舞伎に拘った。しかし歌舞伎界 大御所からは、芸は テレビ(カメラ)に映らない、しかもタダで観せたら劇場へ来ない と拒絶。一方、若手からは芸はカメラに映らないからこそ、本物の芸が観たければ劇場へ来る と説得。旧劇として衰退の道を辿る歌舞伎界、その起死回生とも言えるテレビジョン。この会話の遣り取りが、母との約束や戦友の思いと繋がる重要なシーン。舞台としては、笑いを交えたスマトラ歌舞伎のシーンの可笑しみ、そして狐(後頭部に狐面を付けて)の憑き物のような狂気の一人芝居、この2つのシーンが印象的だ。
    次回公演も楽しみにしております
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2025/09/21 (日)

    観てきました☆ 二番花とはだいぶ印象が違う作品になってました☆ 個人的にはこちらの方が好みでした☆ 最後まで惹きつけられました☆ 北沢洋さん、谷戸亮太さん このお二人はホント 味のあるいい役者さんだなと思います☆ 

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    舞台・お芝居はアートだと感じました。テレビジョン、歌舞伎、戦争、きつねという4つの要素が、3つの時間軸で同時に進行する。その要素と時間軸の複雑な組み合わせを舞台装置・美術が、じょうずにサポートしている。そして生演奏が舞台の空気を作っていく。
    奇しくも、時代や見えない大きな力に左右される運命みたいなものを描いた「国宝」と重なって感じるところもありました。
    ゆえに強く感じたのは、舞台こそが4次元の世界を表現できる数少ない場ではないかとおもった次第です~

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    【満月】:金原賢三役:藤原祐規/ 坂東天鼓役:宮原奨伍

    荒れ果てた廃屋のような舞台美術。そこらかしこに梯子が雑然と。やたら殺風景な風情に不穏な意図を感じ取る。テーマは『裏面』。多重な意味で『裏をかく』。
    前作、『音楽劇「金鶏 二番花」』を観てからたまらなく観たかった『一番花』。きっとこういう話だろう、と観客それぞれ思いを巡らせた筈。自分の脳内でもほぼ完成形は見えていた。だが全く違った!何もかもが違う。

    作劇は手塚治虫調。この手塚テイストが大衆に支持される所以。まさにピノコのような中野亜美さんが出突っ張り。中野亜美さんはある意味、現代小劇場演劇の象徴。彼女をどう使うかで作品は分かれる。

    助演的なアシストに徹するかのような金子侑加さん。ハレー彗星騒動に現れた怪異譚が広まり、栄国稲荷神社の稲荷神に押し寄せる参拝客。その中の一人、芸に腕がない歌舞伎役者・坂東天五郎(北沢洋氏)のエピソードが今作の肝。『どろろ』調。
    四代目中村雀右衛門(じゃくえもん)をモチーフにしたその息子である坂東天鼓役宮原奨伍氏の所作が美しい。

    小口ふみかさんの目をひん剥いての威嚇。

    母親(藤吉久美子さん)に家にいながら歌舞伎を観せてやると誓う金原賢三少年役今村美歩さん。驚く程美少女。青年期は藤原祐規氏、現在は桂憲一氏。「無線遠視法」を研究し、ブラウン管を使っての送受像を世界で初めて成功させた天才工学者。現在の金原賢三が坂東天鼓の墓参りに行くシーンから物語は始まる。中野亜美さんと新幹線に乗って。

    今作の方が好きかもなと思いつつ、前作の歌の高揚も捨て難い。前作が木下恵介なら今作の監督は増村保造。こっちが作家の本流のような気もする。どうせ皆観るだろうから今は余計なことは書かない。ただこの作家が自ら抱える芸術への真摯な姿勢に信仰心すら感じた。大衆の評価を犠牲にしても自分の信仰に殉じたい、と。それは正しいよ。そういうのが失くなったらAIが計算した最大公約数、広告代理店の導き出した商売としての正解に世界は統治される。人間は理性で生きている訳じゃないんだ。言語化出来ない無意識が殆どだろう。そこを刺激するから『芸術』なんて御大層なガラクタが生き残ってる。(それは酒の存在にも似ている。こんな健康的にも社会的にも害のある無意味な嗜好品が死滅しない理由に)。
    是非観に行って頂きたい。

    ネタバレBOX

    狐の登場と中野亜美さんの正体が最高に盛り上がる。『ビューティフル・マインド』だったか。

    フラフープをチューブやハンドルに見立てる。
    新幹線の車窓は梯子。
    児童雑誌を新聞に。
    こけしと独楽で徳利と盃。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    初日に、彗星と満月を梯子しました。
    あやめ十八番さんは、総合芸術としてもエンタメとしても、とても総合点の高い団体だと思ってますが。
    今作も、ほんと面白かった。
    後日譚にあたる前作は、陽性で色々と派手めな要素が多いショウ的な面もあったのですが。
    今作は、物語と役者の力を信じて組み立てられたストレート要素が強いかも。
    色んな要素が対称的に、対照的に、見事に奏でられて。
    色んな感情を揺さぶられて、最後は“生きる”ことの”ままならさ”に、感動したのかはわからないけど、涙が止まらなくなった。

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