始まりの終わり 公演情報 始まりの終わり」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.8
1-4件 / 4件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2025/07/24 (木) 14:00

    座席1階

    転校生で、病気か経済的理由か「忘れた」が修学旅行に行ったことがなかった主人公・グミが、2026年に友人5人と東京に2泊3日の「ニセ修学旅行」に出かける。舞台はこの3日間を10年後に振り返る形で、主にモノローグのようなセリフをつないで構成する。どこにでもいそうな若者たちの心のブレを、ムニ主宰の宮崎玲奈がまるでマジックのような手法で展開する。ほかの劇作家では見られないような異次元の舞台を楽しめる。

    今作はまず、舞台美術がおもしろい。排煙ダクトのような銀色の管がうねうねと渦巻いているのを開演前に見て、これは宮崎の脳内風景かと連想したりする。そして、主人公であるはずのグミを登場した全員が名乗り、実はそこにはいないのだという最初のマジックが明かされる。すなわち、グミは観客一人ひとりなのだ。
    居酒屋での思い出話場面からスタートする。が、観客の脳内は、そこから観客自らの体験に呼応するようにさまざまな方向に飛んでいく。未来設定の物語としてはとても単純というかありふれたエピソードなのだが、それだけにこの展開が身近に感じる。客席には舞台上の彼らと同年代の人はあまりいなくて若くてもほとんどが上の世代だから、自分の高校時代とくっつけたりしながら楽しめる仕掛けではないか。
    休憩をはさんだ後段の物語が、やや意外で面白かった。まるで悪い夢を見ているような展開だと思うが、それにしてもリアリティーを感じる。社会派のネタを扱った過去作とは趣の異なるファンタジーというか。明らかにリピーターと思われるファンがいたのも納得できる。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2025/07/21 (月) 14:00

    ムニ『始まりの終わり』作/演出 宮崎玲奈
    このチームが良い
    南風盛もえ/藤家矢麻刀/渡邊まな実/伊藤拓/黒澤多生
    舞台監督 黒澤多生
    空間設計 渡辺瑞帆
    音響デザイン SKANK
    照明デザイン 中村仁
    衣装 横田僚平
    宣伝美術 渡邊まな実
    制作 上薗誠/河﨑正太郎
    どこからが宮崎さんの実体験と重なるのか、あるいは重なってないのか。
    ムニの常連の皆さんが出演、皆さん若いので(当事者との対比にて)、この作品の設定が使える。
    これもムニの常連の渡辺瑞帆さんの無機質な正に空間設計が良い。7本?のフレキシブル パイプと T、I、Nの3個の存在。2個からの灯、あれの床/壁への固定、天井からのあれの強度凄い。
    横田僚平さんの衣装が良くて、服の意匠と 5人のバランスと、伊藤拓さんにサムライ ブルーを着せていて。
    その場に現れるのが、俳優同士の会話のやりとりがほぼない、5人の俳優のモノローグの連打の 2時間20分。新しい演劇の形なのかも知れないと思った。不思議な感覚を持ちながら、宮崎さん自身もこのパターンでの展開は初めてではないかと思いながら、ずっと舞台に目線を送り、耳をそばだてていた。
    6人で出掛けたニセ修学旅行を過去として振返る 5人の同級生、同年代の 5人の俳優達が演じる前提としてちょうど良い設定。
    70歳になって高校の頃の記憶は朧気になってしまった今、それを追体験させて貰う感覚があった。半世紀以上前の高校の修学旅行、いや中学の時の修学旅行も微かに記憶しているけど。作中、彼女達や彼等が仲間と訪ねるトウキョウの喧騒を思い出す姿が良い。自分自身のかつての記憶と重ねられる様に思える 5人の在り姿が良い、かなり良い。
    原宿に居酒屋はないのか。
    子供が二人居るけど、子供に骨を拾ってもらうと言う意識はまったくなかったけどなあ。
    枕投げ ”したいん” かい。
    ジャンスポがどのブランドか判らん世代(調べた)。
    銃、子供の頃、今はBB弾っていう様だけど、銀玉鉄砲で撃ち合うのが流行って、回転式銃のおもちゃを買ってもらって嬉しくてと言う世代で、最近、YouTubeでなぜかエアガンのが流れて来て、60年振りぐらいに、東京マルイの シグ ザウエル P226 E2 ステンレスモデルを買おうと、数週間前に思っていたのが、話と重なって。で、その銃の意外性が効いていて。あっ、銃って漢字を思い出せなかった。ミリタリー志向とかではなくて、それは子供の頃の月光仮面や七色仮面、まぼろし探偵、もう少し後の忍者部隊月光などの我々のヒーローが銃を持っていたから銃への憧れが持ったからだけで。
    成人女性の検査ってああなのか。
    こう言うストーリーがニセ修学旅行と重なって描かれ、自分と繋がり合ったり、離れたりで、それも良かった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    難しくは、ないんじゃないのかな。

    全部理解しようとすると難しいかもしれない。

    でも、感性に従って勝手に個人個人が好きに解釈すればいいと思う。

    勝手な解釈に味が出る。

    おでんみたいなもので、個人の感性がしみたら真っ黒くろすけな染みたおでんなのか、あたまでっかちな無味乾燥なおでんなのかの違いが出てくる気がする。

    みんな、好き勝手に感想を書くといいと思う。ここは北朝鮮じゃないんだから、どんな感想を書くのも自由だよ、好きに作者の感性の世界を遊ぶのがいいと思うよ(笑

    ネタバレBOX

    さいしょにけっこうな謎として、そもそもグミは2036年に生きているのか?というのがある気がする。

    物語構造としてよくあるのに、死んだ友達から招かれてかつて親しかった友達たちが長い年月を経て再び邂逅するというのがある。そのように書かれてはいないけれど、あらすじを読んで自分はそのような物語の可能性をまず考えた。

    そしてそもそもグミなる男が存在したのかも含めて。登場人物五人の心のなかの理想のキャラクターなんじゃないのかな?とも思えたりもした。そしてそのほうが救いがある。

    それらの連想はさておき、この物語の世界の好きなところは、そもそもがほぼこれから起こる事件として時間軸が設計されているということだと思う。こういうのって意外とない。そしてこの物語のなかではこの時代感はかなりポジティブな印象として働いていると思う。

    …物語のほとんどが、これから起こる事件であり、かつ未来の五人の心のなかの思い出。構造として意外と見かけないし、詩的なのに懐古的過ぎなくていい気がする。

    …なんだろう、僕らは作者から物語のバトンを手渡さたされたような気もする。それはある意味音楽的な発想なのかもしれないけれど、とりあえず自分はそんなことを感じた。

    自分が考えたのはこんなふう。これからグミ(これはグミが同級生から誘われた二丁目のビアンバーで作者の分身にも思えるハーフの女性が邂逅した夢のキャラクター…それは前者の五人の友達のパターンの踏襲にもなるのかもしれないが…そしてそれが現実問題として物語を一番ロマンで満たす妄想ともいえる気がする)が、未来の渋谷でワールドカップのベスト8進出の騒乱騒ぎのなかで、見知らぬ死神から銃を受け取って、アジトで自殺する(これは僕の解釈)するのを止めて別の世界線に導くとか…自分はグミの物語が90年代のカート・コバーン(もちろん彼は銃によってニルヴァーナに向かった)の連想もあるのだが、それは傷ついた魂を痛みから救い出す甘い夢(しかもそれは懐かしい思い出のようで)でありながら、繊細な魂をこの荒れ果てた世界線で生き残らせる希望をもたらす可能性を僕らに夢見させてくれるんじゃないかな、とか、勝手に思ってみた。

    考えてみると、不景気によって失われたゼロ年代のように当時は言われていたのだけれど、それがのちの今となっては外国から人を惹きつける時代(活気のある昭和とバブル後の内省的な雰囲気が融合されたような、と言ってもいいのか)であり、新しい文化の生まれた活気のある夢のような時代のように参照されるようになるとは夢にも思わなかった、というのもある。自分としてはそのゼロ年代は苗場のアーケイド・ファイアのあたりで少しゼロは過ぎるけどピークを迎えて終焉した気がするのだけれど、今生きている人たちにはその時代の蜜というのはリアルタイムではたいがい気づかないものだと思う。

    人は人生を生きるに従って、かけがえのない大事な人間を次々と失っていくもので、それは悲しいことにたいてい繊細で優しさに満ちた人たちから消え、さいごには頭のおかしなことを大声で喚き立てる人間しか残っていないことすらある(苦笑

    自分は生きてきて、目の前にどんな権力や暴力があろうとも、最終的には命を賭しても身の周りの傷ついた人間を救うのが、自分の人生を最も美しく生きる糧になるのだと思った。

    グミというのはメタファーなのかもしれないけれど、人生を、表現を生きる糧にしてサバイブする自分のような演劇バカには、変わり者を言葉で支えて良さに気づかせ救い支える指標でもある。

    …考えてみれば、公園だって造花ばかりでただ飾られて、隙間に美しく生きる昆虫すらいなければ、地獄じゃないだろうか?書き割りも隙間に台詞を囁く役者がいなければ卒塔婆である。

    未来を生きるには、可能性を信じて傷ついた変わり者を目を皿のようにして見つけ支えなければ、自分の人生も美しくは彩れない。

    恐怖や脅迫で人を脅し傷つける時代(とくに最近になって思うのだけれど、正気とは思えないくらい事実とは懸け離れためちゃくちゃなことを偉そうに言う人が偉いと勘違いされる時代でもある)だからこそ、弱いもに優しい目線を送る美しい物語は、大きな拍手で迎える必要があるのだと思う。(ちなみに以前の上司(しかも役所の部長)がどこかの病院に殴り込んで意味不明なことを騒いでその病院の精神科医に「間違いなく発狂している」と診断され警察に通報され、都内の警察で情報共有され有名人になった挙げ句クビになった。議員と友達だと自慢している重役でもおかしなのはいる。地位と正気とは現代では完全に無関係なので、繊細な変わり者は勇気を持って生きていってほしい、なんてな(苦笑))
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    小難しいの極みなのかなと思ってたけど見方色々なんだろけど先ずシンプルおもしろかった!

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