始まりの終わり 公演情報 ムニ「始まりの終わり」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    難しくは、ないんじゃないのかな。

    全部理解しようとすると難しいかもしれない。

    でも、感性に従って勝手に個人個人が好きに解釈すればいいと思う。

    勝手な解釈に味が出る。

    おでんみたいなもので、個人の感性がしみたら真っ黒くろすけな染みたおでんなのか、あたまでっかちな無味乾燥なおでんなのかの違いが出てくる気がする。

    みんな、好き勝手に感想を書くといいと思う。ここは北朝鮮じゃないんだから、どんな感想を書くのも自由だよ、好きに作者の感性の世界を遊ぶのがいいと思うよ(笑

    ネタバレBOX

    さいしょにけっこうな謎として、そもそもグミは2036年に生きているのか?というのがある気がする。

    物語構造としてよくあるのに、死んだ友達から招かれてかつて親しかった友達たちが長い年月を経て再び邂逅するというのがある。そのように書かれてはいないけれど、あらすじを読んで自分はそのような物語の可能性をまず考えた。

    そしてそもそもグミなる男が存在したのかも含めて。登場人物五人の心のなかの理想のキャラクターなんじゃないのかな?とも思えたりもした。そしてそのほうが救いがある。

    それらの連想はさておき、この物語の世界の好きなところは、そもそもがほぼこれから起こる事件として時間軸が設計されているということだと思う。こういうのって意外とない。そしてこの物語のなかではこの時代感はかなりポジティブな印象として働いていると思う。

    …物語のほとんどが、これから起こる事件であり、かつ未来の五人の心のなかの思い出。構造として意外と見かけないし、詩的なのに懐古的過ぎなくていい気がする。

    …なんだろう、僕らは作者から物語のバトンを手渡さたされたような気もする。それはある意味音楽的な発想なのかもしれないけれど、とりあえず自分はそんなことを感じた。

    自分が考えたのはこんなふう。これからグミ(これはグミが同級生から誘われた二丁目のビアンバーで作者の分身にも思えるハーフの女性が邂逅した夢のキャラクター…それは前者の五人の友達のパターンの踏襲にもなるのかもしれないが…そしてそれが現実問題として物語を一番ロマンで満たす妄想ともいえる気がする)が、未来の渋谷でワールドカップのベスト8進出の騒乱騒ぎのなかで、見知らぬ死神から銃を受け取って、アジトで自殺する(これは僕の解釈)するのを止めて別の世界線に導くとか…自分はグミの物語が90年代のカート・コバーン(もちろん彼は銃によってニルヴァーナに向かった)の連想もあるのだが、それは傷ついた魂を痛みから救い出す甘い夢(しかもそれは懐かしい思い出のようで)でありながら、繊細な魂をこの荒れ果てた世界線で生き残らせる希望をもたらす可能性を僕らに夢見させてくれるんじゃないかな、とか、勝手に思ってみた。

    考えてみると、不景気によって失われたゼロ年代のように当時は言われていたのだけれど、それがのちの今となっては外国から人を惹きつける時代(活気のある昭和とバブル後の内省的な雰囲気が融合されたような、と言ってもいいのか)であり、新しい文化の生まれた活気のある夢のような時代のように参照されるようになるとは夢にも思わなかった、というのもある。自分としてはそのゼロ年代は苗場のアーケイド・ファイアのあたりで少しゼロは過ぎるけどピークを迎えて終焉した気がするのだけれど、今生きている人たちにはその時代の蜜というのはリアルタイムではたいがい気づかないものだと思う。

    人は人生を生きるに従って、かけがえのない大事な人間を次々と失っていくもので、それは悲しいことにたいてい繊細で優しさに満ちた人たちから消え、さいごには頭のおかしなことを大声で喚き立てる人間しか残っていないことすらある(苦笑

    自分は生きてきて、目の前にどんな権力や暴力があろうとも、最終的には命を賭しても身の周りの傷ついた人間を救うのが、自分の人生を最も美しく生きる糧になるのだと思った。

    グミというのはメタファーなのかもしれないけれど、人生を、表現を生きる糧にしてサバイブする自分のような演劇バカには、変わり者を言葉で支えて良さに気づかせ救い支える指標でもある。

    …考えてみれば、公園だって造花ばかりでただ飾られて、隙間に美しく生きる昆虫すらいなければ、地獄じゃないだろうか?書き割りも隙間に台詞を囁く役者がいなければ卒塔婆である。

    未来を生きるには、可能性を信じて傷ついた変わり者を目を皿のようにして見つけ支えなければ、自分の人生も美しくは彩れない。

    恐怖や脅迫で人を脅し傷つける時代(とくに最近になって思うのだけれど、正気とは思えないくらい事実とは懸け離れためちゃくちゃなことを偉そうに言う人が偉いと勘違いされる時代でもある)だからこそ、弱いもに優しい目線を送る美しい物語は、大きな拍手で迎える必要があるのだと思う。(ちなみに以前の上司(しかも役所の部長)がどこかの病院に殴り込んで意味不明なことを騒いでその病院の精神科医に「間違いなく発狂している」と診断され警察に通報され、都内の警察で情報共有され有名人になった挙げ句クビになった。議員と友達だと自慢している重役でもおかしなのはいる。地位と正気とは現代では完全に無関係なので、繊細な変わり者は勇気を持って生きていってほしい、なんてな(苦笑))

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    2025/07/22 22:27

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