悲円 -pi-yen- 公演情報 悲円 -pi-yen-」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-16件 / 16件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    チェーホフの『ワーニャ伯父さん』を下敷きに、劇作家自身の投資体験をもとに「新NISA」「投資」「FIRE」の3つのテーマによる現代性を掛け合わせた異色の社会批評劇。かねてより、歌舞伎の『毛抜』と三島由紀夫の『太陽と鉄』を掛け合わせた現代劇を上演するなど、斬新なアイデアと思考の深度によって観たことのない、そして同時に今日性を忍ばせた作品に果敢に挑む、ぺぺぺの会らしい新境地であったように感じた。

    ネタバレBOX

    この題材、この作品を上演するにあたって、最も効果的だったのは会場選びであるのではないかと思う。「ギャラリー南製作所」というその場所は演劇が上演されるスペースとしては決して頻度も知名度も高くない。私は過去に一度コント公演で訪れたことがあったので何とか辿り着け、そう慌てることなく席につけたが、今回の公演を機に本会場を知った観客にとっては驚きや戸惑いも大きかったのではないかと思う。しかし、そういった異質の空間をうまく活用し、視覚的な情報としてのみだけではなく、劇の内外含めて場の共振や反響を巧みに成立させていた。
    中でもガレージを使用した車の入庫から始まる冒頭は抜群に鮮烈で、車で人物が登場する珍しさや新しさはさることながら、そのことによって舞台となるブドウ農家やその周辺の閉塞的なムード、車でやっとこ辿り着ける土地感のリアルが、文字通り演劇を“ドライブ”させ、物語への没入を大いに手伝っていた。入庫に始まるだけでなく、出庫に終わるラストもまた、場を乱すアウトサイダーの登場と退場という物語のうねりを示唆的に表現するに打って付けであり、起と結の運びとしてのその鮮やかさに目を奪われた。

    ブドウ農家を営む田舎の一族の生活は決して華やかではない。そんな中、投資で一躍有名になったユーチューバーの義兄(亡き娘の夫)が女優の恋人を連れて訪れ、息子の良夫ちゃんは強い反発を覚える。「田舎にある実家に都会風を吹かせる親族の誰かが現れる」という設定や、そのことが生む分断や軋轢自体は物語の汎用性としては高く、そう珍しい展開ではない。しかし、本作ではその振る舞いが単なる「嫌味」ではなく、それを通じて現代における投資そのものの問題点や、「新NISA」の登場によって身近に見えている投資がその実資本主義社会の骨頂である点、そこから感じ取る労働や生活の無力さや皮肉を描いている点にオリジナリティが光っていた。「経済」の話に終始せず、そこから現代社会における孤独や不安、それと表裏一体の野心が忍ばされた社会劇だった。ダンスや劇中劇を多用し、ある種のエンタメとしてそれらを昇華しようとし、同時に消費しようともする様も批評性に富んでおり、興味深かった。

    一方で、登場人物一人ひとりの人物造形や、「家族の物語」としての深掘りがやや甘く、時折置いてけぼりをくらった印象も受けた。そうしたぼんやりとした部分を『ワーニャ伯父さん』という物語やその人物相関図、あるいは他での上演の記憶から補填しようとする生理が観劇中に働いてしまったことが個人的にはもったいなく感じた。無論、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』を下敷きにしていることを明言した上での上演であるため、観客のそうした作用を想定した上での構成なのかもしれない。しかし、個人のキャラクターやそれをものにしつつ独自の芝居体で表現する俳優陣の魅力が大きかったこともあり、そこから広がりが生まれなかったことで作品が小さくなってしまっている印象を受けてしまった。これはある意味では「もっと背景が知りたい」という人物への興味・関心の強さであるし、その個性や魅力を物語る感触でもあった。ぺぺぺの会的眼差しに期待を込めたい。

    しかしながら特筆したいユニークさは他にもある。日経平均株価に連動するチケット価格もその一つで、「演劇」という営みが産業として捉えられづらいこの日本において、この試みは面白いだけでなく、実に批評的で、ある種のエンパワメントでもあるようにも私は感じた。劇中で俳優が株価をチェックするのも面白く、本作の主題が劇の内外を横断するその様でしか得られないリアリティがあったように思う。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    現代のワーニャ伯父さんはどこにいるのか

    ネタバレBOX

    『悲円 -pi-yen-』は、チェーホフ『ワーニャ伯父さん』を明示的な参照点としながら、地方の葡萄農家という設定とギャラリー空間の簡素なコンクリートの床が響き合い、まるで生活と経済の摩擦音を可視化するような空間で、新NISAをはじめとする現代の「投資」という制度に揺さぶられる共同体の姿をある種の滑稽さと共に提示していました。

    冒頭の詩の朗読に始まり、劇中に挟み込まれたユニゾンのダンスや身体表現、あるいは劇中劇の形式で仮想通貨の乱高下を眺める俳優の姿などには構造の実験性が感じられますし、チケット代が日経平均に連動するという制度設計まで含めて、演劇を「上演+制度」として捉える視点も非常に現代的で、制作的にも高く評価されるべき作品でした。

    ただその一方で、観ている最中からずっと感じていたのは、「なぜこの家族でなければならなかったのか」という疑問でした。戯曲の構成や俳優の身体には確かに緊張感があるのですが、そこに宿るべき不可逆性、あるいはこの家族が“見捨てずにいようとする”理由が、最後まで明確には掴めなかった。これはチェーホフ的な台詞の空転の中でこそ輝く“他者を放棄できない苦しさ”が、本作の構成では掴みきれなかったかもしれません。
    なぜなら、チェーホフが描いたのは例えば「劇をやめたあとの人間」であって、「人が人を見捨てずにいられるかどうかを試している戯曲」かもしれず、それは劇的な決別ではなく、沈黙や余白にこそ立ち上がります。本作において、もう少しこの人物たちに時間を、見捨てずに居合わせるだけの時間、があったならば、投資という主題と、人間存在の切実さをつなぐ線はもっと太くなったのではないかと感じました。
    もちろん、日本においてチェーホフを翻案するという行為自体、20世紀以降の演劇史の中で重要な意義を持ち続けてきましたし、特に“静けさ”の中で何を響かせるかを問い続けてきた作家であるからこそ、今も多くの劇団が向き合い続けています。そして現在の国際情勢においてロシア文学をどう捉えるかは避けて通れない問題でもありますが、だからこそチェーホフが遺した人間に対する無条件の眼差し、その演劇的な視点が今なお有効であることを改めて信じたくなるのです。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    新NISAをテーマに、チェーホフ『ワーニャ伯父さん』をベースにした日本のとある葡萄農家のようすを描く。会場は大田区の元工場を利用したギャラリーで、チケット代は毎週の日経平均株価の終値を反映するなど、コンセプトやさまざまな取り組みが楽しい。

    ネタバレBOX

    新NISA演劇、だそうです。投資演劇ではなく新NISA演劇。そもそも「新NISA」という制度は手軽に投資することを推奨するような制度で、果たしてそれが市民の救いになるのかは……なんだか煙にまかれているところもある制度だなぁと思っていますが、本作は……都会から離れた葡萄農家が舞台。一家の妹の元夫でいまは有名なYouTuberであり投資家の瀬戸先生(村田活彦)が、農家の売却を提案してきます。かつて瀬戸を信頼していた、農園で働く小池さん(石塚晴日)の息子の良夫ちゃん(岸本昌也)を筆頭に、あえて棒読みのような台詞の言い方や立ち姿は、空虚ながら生活の空気も残しており、会場のコンクリートの壁のように冷えた印象と、だからこそそこにある生命の消せない温度を漂わせていました。一変して激しく賑やかな『U.S.A.』のダンスシーンなど、作品としてまた演出としてもとても練られています。
    こだわり組み立てられている一方で、盛りだくさんにも感じられました。戯曲としても『ワーニャ伯父さん』の物語を反転させるくらい本作独自の世界により引き寄せてもよかったようにも思います。またアメリカを強く意識しながらも、そこにアメリカと複雑な関係を保つロシアの戯曲をベースにしたことの皮肉もより明確であっても上演の説得力に繋がったのではないかと想像しました。

    トランプ関税等の影響によって株価が大きな影響を受け、投資家たちが沸き立ったのが記憶に新しい昨今。演劇というリアルタイムの虚構が追いつくには世の中のスピードがとても速くなっています。現実との接続は難しいなか、日経平均株価を反映するチケットの値段設定はとても良く、キリの悪いチケット代を見てわくわくしました。

    会場は、大田区の元機械工場をリニューアルしたギャラリーでした。
    町工場は高度経済成長を支え、日本のなかでもアメリカ(はじめ国外)の影響を強く受けた分野です。とくに大田区には町工場が密集していましたが、時を経て激減してしまった。ある意味で、日本の経済と発展・衰退の象徴のような地域ともいえます。そのような場所であるからこそ、工場を舞台としたことを重ねられれば、より身近なこととして実感できたように思えました。
    舞台奥のシャッターから車が出入りするさまは、かつてはきっとなにげない日常だったでしょう。しかしそのなにげなさ(車の出入り=取引があるということ)こそ、繁栄の象徴のような光景だったのかもしれません。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    面白かった!廃工場?倉庫?のような会場自体が物語の舞台として使われ、照明やギターの生演奏をバックに役者さんの特徴的な演技が独特の世界観を演出。途中でホッと笑えるダンスタイムを交えながらも、容易に価値観を見失ってしまう悲しき現代の金融至上主義的沼に引き込まれました。まさにぴえん

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    悲しき日本円への投資の先に労働者の未来はあるのか

    ネタバレBOX

    チェーホフの『ワーニャ伯父さん』を下敷きに、現代日本の投資の在り方に疑義を唱える本作。ギャラリー南製作所の無機質なコンクリートの床と、地方にある保管倉庫内の情景が重なる。生演奏の音響が空間に響く中、奇妙でありふれた家族の視線が交差していく。開演の前には詩の朗読があり、観客は会場に足を踏み入れた瞬間から劇世界との関係性を主体的に作っていくことを求められる。ガレージを開けて車に乗り込み走り去る演出やユニゾンのダンス、劇中の異化など、演出面での山場の作り方も巧妙であった。

    岸本昌也さん演じる良夫ちゃんの過剰に力んだ背中に、チェーホフ作品のコミカルさが宿っていて印象的。対象の定まらない、独り言ともつかない台詞が中空に次々と舞う。それを一向に拾わずに漂わせたまま演技を続ける様子には、独特な様式美があった。台詞の行先から半端なタイミングで目を離す演技は、俳優にかかる負荷も高いように思うが集中切らさず一貫していた点は特筆に値する。

    日経平均価格に連動するチケット価格の設定を含む鑑賞デザイン、おすそわけチケット、事前のSNS広報にも力をいれており、制作面が盤石かつ革新的な点は評価されるべきである。戯曲・演出面では、テーマの着眼点は秀逸ながら、今一歩作品として踏み込めていない未消化の感覚が拭えなかった。終始、優等生的なひとつの正解としての現代版チェーホフを見せている。例えば『ワーニャ伯父さん』ではワーニャは死ねずに生を耐え続ける絶望を抱えるわけだが、それはアーストロフの存在が彼の実存に大きく影を落とすからである。本作の良夫ちゃんに対してそこまでの絶望を抱かせる必然性を描けているだろうか。地方の葡萄農家とはいえ外部との接触はあり、それによる人間関係の密度の薄まりを放置してはいないだろうか。投資をめぐる問題を多角的に取材した上で取捨選択の上、もう一度この家族に戻ってきてほしい。体制批判をするなら躊躇せずにやり抜いてほしい。チェーホフと完全に相似で捉えられないからこそ、もう一歩踏み込んだドラマトゥルギーに期待したい。

    (以下、ゆるいつぶやき)
    「投資をするにはまずは種金を集めましょう」と専業投資家は簡単に言いますけど、私だって増やせる理屈はわかってるんだ、まずは口座に100万円振り込んでくださいよという気持ちになりますよね。新NISAが始まって「投資の機会はみな平等」と論点ずらされてますが、当たり前ながら投資はスタート地点で資本を多く持っている資本家の一人勝ちです。労働者のための投資なんてない。そこにきて貿易摩擦不安からの米国株大暴落。手放そうとすれば「握力が足りない」と揶揄される。「一体どうしろと?」と心で叫ぶ多くの市民を代弁してくれたような気がします。そして現実はもっと邪悪で、悪い投資家は情報弱者(高齢者など)から容赦なくお金をむしり取ります。怖いです。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    倉庫・ガレージのような会場を活かした演出が新鮮だった。また、会場の端でBGMが生演奏されており、会場内に反響して四方から包まれるように感じたのが心地良かった。原作の雰囲気を残しつつ現代チックな問題に落とし込んでおり、行き先に微かな光を残した終わり方が好みだった。

    ネタバレBOX

    原作を読まず、あらすじもたいして読まず、とにかく初見で見に行ったのだが、最初から世界観に早く入り込むことが出来た。
    シャッターが開き、薄暗かった会場に慣れていた所に眩しい外界の光と珍客が来場。胡散臭い投資家先生と謎の麗しい美女は、衰退しつつある田舎に差した希望の光…では無く、ただただ弱者から金をむさぼっていくだけの悪者だった。正直、そんなこんなでこの珍客たちは成敗され退散し、欠けていた田舎者たちの絆が結び直され、明るい未来が待っていると思っていた。完全なバッドエンドでもなく、最後にほんの少しだけ現実を見て前に進む…かもしれないという希望の可能性を見せられたのがまた、(あの後皆はどうやって生きているのだろう)と想像を膨らますことができ、結末がやけに現代に有り得そうな感じがして私は好みだった。
    今度の会場では恐らく倉庫で使えたギミックが使えないので、その部分がどういう形で変更されるのかが楽しみだ。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    ワーニャ伯父さんのオマージュが良かったです。
    聞き取りやすい台詞と独特の作風で、舞台ならではの絶妙な滑稽さを作り出していました。
    また、音響の生演奏や、スタジオの空間そのものが作品に錯覚させられる演出が不思議な没入感を生み出していました。
    とても面白かったです。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    金融中心主義に走る日本の社会を、19世紀ロシアの名作戯曲に借りて、批判して、生きることを考えさせられた舞台だった。
    工業主義の象徴とも言える廃工場のコンクリに囲まれた空間での、とっても人間らしい舞台だった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    「心を通わせられない人々の末路」

     チェーホフの『ワーニャ伯父さん』を土台に新NISAについて描くという異色の作品である。

    ネタバレBOX

     田舎の葡萄農園で働く小池さん(石塚晴日)が農園をやめ役所で働く足立さん(佐藤鈴奈)とこの界隈の変遷について話していると、上の階から小池さんの息子の良夫ちゃん(岸本昌也)が不機嫌な様子で降りてくる。良夫ちゃんは、妹で今は亡きキョウちゃんと結婚した瀬戸先生(村田活彦)に対して不満を抱いているようだ。瀬戸先生は投資方面で著名なユーチューバーなのだが、周囲から褒めそやされてすっかり天狗になっている様や、恋人に女優のエリナ(熊野乃妃)を連れるなど俗人的に振る舞い、良夫ちゃんはかつての先生への尊敬を失ってしまったらしい。瀬戸先生とエリナはこの家と葡萄畑を売却してはと足立家の人々に提案し、良夫ちゃんの我慢は限界に達してしまいーー

     衰退する古き良き産業と経済の新潮流という対立軸のなか、心を通わせられない本作の登場人物たちは目を合わせて対話することを極端に避けているように見える。心の葛藤は身体にまで及び、棒読みのような台詞や鋭角的な体の動きばかりが目に入る。こうした肉体の造形に心理描写を重ねた俳優の身体性がまず本作の見どころである。少しずつ心の距離を縮めてようやく目と目を合わせて対話するかというところで幕切れとなる演出も、戯曲の要請と合致しているように思えた。対話の場面でのボディービルダーや野球を模した動きも、心を開示できない登場人物たちの恥じらいの動作のように見えた。

     収穫した葡萄は長い年月をかけて熟成させることでワインにできる。他方で投資は短いスパンで儲けを得られるかもしれないが、その分気忙しい日常に心が休まらない。日夜配信に株価の値動きのチェックにと気忙しい瀬戸先生が象徴している投資家へ冷めた視線や、投資大国アメリカを揶揄するかのように「MAGA」の被り物をした登場人物たちが一斉にDA PUMPの「U.S.A.」を見事な振り付けで踊り歌う場面など、本作の「投資」に対する視座はある程度汲み取ることができた。ただし『ワーニャ伯父さん』の骨格が強すぎるためか、テーマとして前面に押し出した割には、全体的にふんわりとした描き方にとどまっていたように思う。中盤で劇中劇として挟み込まれた、本作の稽古中に俳優が仮想通貨の値動きをネットで確認する描写は皮肉に映り印象深かったが、サラッと流す程度で淡泊である。本作のハイライトである良夫ちゃんと瀬戸先生の対決も、幾分淡々として肩透かしを食らってしまった。静謐ながら激情がトグロを巻いている台詞と独特の身体性は他に得難いだけに残念である。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2025/03/29 (土) 14:00

    ロシア文学的な会話劇に新NISAネタを絡めて進む80分。歌ありダンスありのエンタメを交えつつストーリーが展開し社会批評的な何かが立ち上がってくる(ような気がする)。共産主義国家と化していく直前のチェーホフ作品と資本主義の最新形を絡めるセンスが大変秀逸。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    俳優全員が独特な発話、演技体を自分の物にしていて凄い。主演の岸本さんが喋るとチェーホフ作品、古典作品っぽくなると言うか、かなり作品の手網を握っていて素晴らしかった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    初の団体だが、他の特徴的な公演に何がしか絡んでいた記憶と、「新NISAの劇をやる」で観劇を決めた。
    風俗としてのそれ(投資流行り)の悲喜こもごもを描くにせよ、思考実験的にやるにせよ、「投資」というテーマを巡っては重要な論点があり、自分的にはそこへ迫ってほしい願望はどこかにあったが、町工場の町大田区の一角の車庫で芝居の時間を味わう趣向も一方の目玉で、その点では中々面白い体験であった。

    ネタバレBOX

    あ、「ワーニャおじさん」・・と気づいたのはラストに地味目の小柄な女性が「ねえ、おじさん」と語り始める場面で。
    最後に繋げたのね、くらいに思っていたが、後でよく思い出せばこの芝居で何らかの事業を立ち上げる「尊い目標」に開眼したらしい男が、突然前妻の実家を訪れ「土地家屋を売り払う」との決定事項を伝えた所がチェーホフの原作、ワーニャとその姪がやりくりしてきた実家へ引退した大学教授=姪の父でありワーニャの亡き妹の元夫=が「ここは売っぱらっちまおう」と軽口を叩いたのに重なるわけであった。
    確かに功成り名を遂げるに至らなかった大学教授の、興味の矛先を変えて持ち物を売り払って「次の夢」に向かおうという軽薄さは、この劇で事業に失敗して実家に戻ってきた男の「夢」という名の体の良い「軽薄な宗旨替え」と重なり、秀逸。
    ただ、ワーニャが自分の「人生」と秤にかけて絶望的な虚しさを実感するにこれ以上ない対象としての教授の軽薄さは、トリガーに過ぎず、ワーニャは人生そのものに(その気質と来歴により)激情をもって絶望している、その滑稽で無様なありよう即ち人間の実像なのであり、他は最終的に遠景となり、ただ姪のソーニャが近景に現れてワーニャの混乱を整理してやるという按配。一方この劇は「金」の方に比重があり(あったはず)、ラストで照準がおじさん側に寄った事で「ワーニャ」に重なったという訳であった。
    そしてこれはこれで成立したように思う。序盤から劇の様態としても自由極まる揺さぶり方で、主語も多数に上り、ソーニャが初めて主語となるラストは劇の一部として不自然さなく収まる。
    この日はポストトークがあり、何と岡田利規であった(そうだったっけ)。冒頭は岡田氏が主宰・宮澤氏にNISAを題材にしようと思ったのは?という質問に端を発して氏の投資経験とそれが執筆動機にどう繋がったかの流れを掘り出してくれたので、鑑賞者としては有難かった。
    同時に、恐らくは総じての括りとして本作は直前に企画としてポシャったチェーホフが(意識したかは別にして)主になっており、「投資」はエピソードを飾るエッセンス、スパイス的な位置づけであったものだろう。とは言え「風俗としての」投資を考える契機を提示したい目論見のようなものは感じ取れた。

    ただ、資本主義における「投資」とは何か、またそれが肯定的に語られるとすればその条件は何か、という部分を考えると、劇では結果的に投資話のいかがわしさの側面と、不可避な流れという側面とでどちらかと言えばネガティブな位置づけになったが、お金を注ぎ込むという行為は「子どもに対して」と考えれば愛の実践であり、企業におけるそれは企業の成長への夢を手繰り寄せる具体的なアプローチ。国にとっても同様。では何に対して、誰に対して、誰が投資を行なうのか。ここが考えどころなのであるが、機会があればまた。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    会話で進んでいくのかと思いきや、
    歌ありダンスあり、車あり?で
    楽しめた。タイトルも秀逸。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    初めてこのクチコミに書き込もう!
    と思うくらいにはとてもとても面白かったです。

    ふざけんな真面目にやれwww
    ワーニャ伯父さん舐めてんのかwww
    て気持ちになり続けるのが最高でした。
    舐めてないんですよね。
    でも本質は同じでも、ワーニャおじさんのメインテーマ的な部分を堂々と一旦ポイして(るように見えて。ワーニャのボコボコ加減とか)それを資本主義に入れ替えてるのが面白くて。
    ベイマックスが、ドラえもんになってるようなもんです。
    本質は同じかもだけどヨォ、やってんなあ、ピクサーに日本製の青たぬき出すとかふざけてるよなあ、て気持ち。

    様式美と音楽性があったぺぺぺの会が、テーマと物語がハマるとこんなに強くなるとは。
    年収300万の寿司職人が、アメリカに渡米して年収2000万になったのを見る感覚。
    日本の寿司も美味かった。でも、そこだったのか…!!

    作演出は物語ドラマを動かしてくる作家というより、
    言葉や言語を粒立てていく詩人、てイメージが個人的に前からあったのですがその素敵なところを活かしたままチェーホフをやると、ここまでジャンプできるんだ…!!と感動しました。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    初日の19時の公演を観てきました。
    『ワーニャ伯父さん』の翻案として現代、いや今に持ってくるものとしてとても良い形であったと思います。
    チェーホフが元来持っている「不満はあれど穏やかな小集合に現れる侵略者」という構図は、こと日本を描くとなると慣れ親しみの面で違和感を抱きやすくなってしまうものでありながら、それを「来訪したインフルエンサー」に置き換えることでリアリティラインをギリギリ攻める形に持っていったのが随一の手腕だと感じました。
    投資そのものへの教本的(もしくは説教的)な作品ではなく、その渦の中で舵を取る、その渦に足を取られるといった人々の表情を切り取っていて、その面白みにグッと心を惹き込まれました。
    これを書いている3/31にはすでに千秋楽当日となってしまうのが惜しいほど、いろんな立場の人に観てほしい作品です。

  • 実演鑑賞

    主なモチーフに「新NISA」と「ワーニャ伯父さん」をセレクトし、現代日本をぶった斬る!(←とは書いてないけれど)演目となれば、自然と期待は高まるもの。実際に最後まで観劇すると、この作品が明示しようとするスタンスが伝わってくるし、色々と興味深く観劇しました。上演中の写真撮影・短い動画撮影OKというのも、一歩踏み込んだ形式だと感じました。

    ネタバレBOX

    ワーニャ伯父さんの物語背景・人物相関などは割としっかり重ね合わせてあり、とはいえ、場所は日本で時代は現代、投資関連の要素も盛り込み、オリジナルドラマの要素が強い印象。会話劇として比較的飲み込みやすかったと思います。投資そのものに大きくスポットを当てるというより、投資を通して見える日本の近況に憂いている物語と言えるかも。上演会場が珍しい空間で(元々は町工場だった?)、その点も新鮮でした。ただ観劇日が寒い日にあたってしまったのが、ちょっとだけ残念でした。

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