満足度★★★★
煌めきの一瞬
歌舞伎っていうのは緩急があるのではないかと思った。
頭、随分楽になっている。
ラスト(といってもそれに当たる場面は随分長い)は素晴らしく
"気"が凝縮された超空間に。
勘九郎(旧勘太郎)の演技は確かに良かったが、
多分いつ見ても良いだろう。
特筆すべきは七之助。かけはし(役名)の演技に人生最大の震撼体験。
ビックリマンのキラカードみたいな特別な瞬間があって、
それは今この演目でしか見られないだろう。
それまでのあそこがどうとか、流れがどうとかいろいろあったとしても、その一瞬によってすべて飛ぶ。
満足度★★★★★
文句なしで素晴らしい。
あまりに周りの評判がいいので観る前のハードルもかなり高かったのですが、そんなもの余裕で越えていく、とにかく面白くて素敵なステージ。
『大江戸りびんぐでっど』では滑っていたクドカン要素も、今作ではばっちり効果的にはまっていた印象。
とにかくメインの3人が素晴らしい。勘九郎のキレや七之助の惹きこむ力がギラギラ光ってる上に、これまでそんなにいい役者と思えなかった獅童も今回は存在感十分の芝居で魅せてくれる。
その他の役者陣も、歌舞伎外の役者含めた全員が魅力的で仕方がない。
終盤、トランペットがシャウトする中での殺陣のシークエンスには思わず大号泣。
「中村勘九郎」襲名後、初のコクーン歌舞伎となる舞台がこの話、というのも勘九郎の芸への覚悟の表れのようで気持ちがいい。
立ち見券で観る人には、下座バンドの見える下手側をオススメしたい。
満足度★★★★
面白かった♪
2階の立ち見席まで入るぐらいの満席。中村勘九郎さん、華のある主役でした~。約150年振りの上演になる古典を宮藤官九郎さんが脚色して串田和美さんが演出。観客も変わり続けるし、舞台芸術は更新されていく宿命にあるんだな~などと考えたり。歌舞伎を観る時はいつも客席もセットで味わってるかも。
満足度★★★★★
アイデンティティ
コクーン歌舞伎は毎回観ていますが、ここまで良かったのは久しぶり。
笑って笑って、最後泣ける。「俺はだれだ」という叫びが胸に刺さりました。
新・勘九郎はもちろん最高に良かったけれど、脇も含めてみんな良かった。
「和美画」の舞台も、音楽も良かった。
もう一回見に行くつもりです。
満足度★★★★★
衝撃的で面白かった!
現代口調と歌舞伎口調が殺伐とした話になりそうな箇所を上手い事中和し、妙にマッチしていた。
衣装がアメフトみたいな肩パットで、歌舞伎演目らしい徹底したデフォルメぷり。お六の髑髏柄着物カッコ良い。
コクーンで見る萬屋さんは誰よりも歌舞伎役者らしい立ち振る舞い、アンコールのはしゃぎっぷりは盛り上げ役に徹してて◎
巳之助、新悟の大和屋の凛々しくて愛嬌ある活躍も楽しい。
真那胡さん、白井さん、近藤さんの小劇場チーム?も歌舞伎芝居に最後まで違和感なく溶け込んで見えた。
コクーン歌舞伎、もっと安い席増設するとか、リピーター割引作ってくんないかな。
折角の面白い舞台なのに、見に来る人が限られているのは惜しいと思う。
満足度★★★★
斬新且つ伝統的
大掛りな仕掛けや奇抜な設定に頼らずに、物語や台詞の魅力と役者の演技をしっかりと楽しめる作品で、所々に現代的な意匠を凝らしつつも、伝統を受け継いだ芯の太さを感じました。
孤児の男が重なる偶然から自分のアイデンティティについて悩み、最後には身を滅ぼす物語で、単純に楽しく、あるいは悲しく終わるのではなく、複雑で後味の良くない感情を残す終わり方が作品の豊かさに繋がっていたと思います。
一幕、二幕ともコミカルに始まって次第にシリアスになっていくペース配分が絶妙で引き込まれました。宮藤官九郎さんの脚本に因る部分が多いのだと思いますが、串田さんのいつもの笑いのセンスとは異なる感じがあって、とても楽しかったです。
時々現れる現代的な言葉使いはただ笑いを取るだけではなく、シリアスな場面では古風な言い回しでは伝えにくい感情がストレートに表現されていたと思います。
可動式のセットが場面毎に充てられていて、役者を乗せたまま黒衣が入れ換えて行くので、転換がスムーズで良かったです。そのようなセットの特色を活かして、2つの場面を並行させて進める時もあって新鮮でした。ジャズやロックを中心とした音楽も意外と合っていて、トランペットの生演奏が天日坊の心情を表しているようで効果的でした。ラストの何もない真っ黒な空間で行われるスピード感溢れる大立ち回りは、天日坊の心の闇を描写するような演出で、とても印象に残りました。
無垢な青年から邪念を持ち荒んでいく天日坊を演じた勘九郎さんが素晴らしかったです。七之助さんはあまり砕けたことをしないイメージだったので、コミカルな演技に破壊力がありました。獅童さんと亀蔵さんのヤケクソ的演技も楽しかったです。
満足度★★★★★
見事、平成新歌舞伎の誕生
いえ、これは、黙阿弥の原作があるそうですから、厳密に言えば、新歌舞伎とは言えないかもしれません。
江戸時代以降、上演されていないそうで、さすがに、大正14年生まれの、最後の歌舞伎劇評家だった父も、これは観ていません。
家に、先日まであった黙阿弥全集も処分してしまって…。
だから、どこからどこまでが、クドカンさんの創作なのか、全く不明ですが、
野田歌舞伎や、三谷歌舞伎に比べて、この演目は、しっかりと、歌舞伎の基本を押えた、真っ当な純歌舞伎だったと思います。
36年前に他界した父にも、見せてあげたかった名舞台でした。
白井さん、真那胡さん、近藤公園さん等、畑の違う役者さん達も好演され、すっかり、歌舞伎役者さんの中に溶け込んでいて、感心しました。
黙阿弥の原作の良さを活かしながら、脚本も、演出も、現代仕様にしている、手際の良さが、鮮やかな印象でした。
大詰めの切なさと美しさは、コクーン歌舞伎の初演の「三人吉三」に次ぐ名場面でした。
歌舞伎ののんべんだらりとした殺陣も、現代調に、スピードがあり、昔からのご贔屓筋には眉をしかめられるかもしれませんが、私は、歌舞伎は、昔も今も庶民の娯楽であってほしいと念じているので、今風に、自然な変換があるのは、肯定したいと思います。