骨唄 公演情報 骨唄」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.7
1-9件 / 9件中
  • 満足度★★★★★

    感動した
    何度も再演されている作品らしいが、自分は初見。
    東憲司作品らしい完成度の高い舞台セットと脚本。
    更に役者陣の抜群の演技力に引き込まれた。
    素晴らしい作品。

  • 満足度★★★★

    ステキな美術と
    千坊村の奇妙な風習の不気味さが伝わってきて、興味深いストーリーだった。
    冨樫真さんってコメディもいけるんですねー、ファンになってしまいました!
    新妻聖子さんは可憐な女性より、芯の強い女性のイメージがあるので今回はちょっと違和感が。。。

  • 満足度★★★★

    蜃気楼
     初見の劇場としては、現代的過ぎた気がする。舞台装置は見事なものであった。然し、その入れ物たる劇場は、言って見ればエミュが象徴していたウエスタンであった。これが、浅草の木馬亭のような小屋や江戸時代風の作りが今も残る地歌舞伎の小屋での公演ならば、遥かに効果が上がったと思う。
     演出、演技共に、こなれたものであったが、世界に対する戦きのような要素をもっと出して欲しかった。ことに、栞は、引き裂かれた存在としてもっとおどおどした作りであって良いように思う。ちょうど、「ガラスの動物園」のローラのような。それとも、そういう類型化を演出家が嫌ったのであれば、世阿弥の”初心忘るべからず”という恐ろしいテーゼに向き合う形で。

  • 満足度★★★

    アングラ
    劇団桟敷童子さんの舞台がとてもおもしろかったので、そのときにいただいたフライヤーを見てチケットを買ってみました。
    入った瞬間の風車の光景に目を奪われました。
    三人だけの芝居。ときどき、くすっと笑えるが基本はシリアス。そしてとにかくアングラ。父親役の方の声がとても耳に心地良い。

    ネタバレBOX

    再再演とのことで、力作だなあと思いましたが、同時に「ちょっと古いのでは」という気にもなりました。この古さも味わいかと思いながらも。
    好みの問題ですが、ラスト、死ななくてもいいんじゃなかろうか。
  • 満足度★★★★★

    今も「骨唄」が聴こえる
    再再演とのことだが、私はこれが初めての「骨唄」体験。
    客席に着いた途端泣きたくなるような舞台美術が目に入る。
    そこかしこに死者の気配が漂う千坊村があった。

    ネタバレBOX

    火をつければ勢いよく燃えそうな粗末な家。
    火の見の為なのか、梯子で上がれる高いやぐらが家にくっついて組まれている。
    舞台奥には裏山へ向かう道、手前には町と「エミューの里」と呼ばれる
    町おこしの施設へ向かう道が舞台に沿って続いている。
    そして無数の白いかざぐるまが時折軽い音と共に一斉に回る・・・。

    もう二度とここへは帰らないつもりでいた故郷へ
    薫(冨樫真)が18年ぶりに帰って来たところから物語は始まる。
    18年前、母の葬儀の日にある事故が元で妹の栞(新妻聖子)は左耳の聴力を失った。
    薫はずっとその責任を感じながら生きている。
    母の死後、妹とは別々の親戚にひきとられて暮らしていたが
    突然その妹が失踪したという連絡を受け、彼女を探しに故郷へ足を踏み入れたのだった。

    頑固でわがままで母親を大事にしなかった父(高橋長英)を、薫はずっと嫌っている。
    死んだ人の骨に細工をほどこして身近に置くという風習も、
    その細工をする職人である父も、薫には受け容れ難いものだ。

    父との再会は、逃げ出したエミュー(ダチョウのようなオーストラリア産の大型の鳥)を
    捕まえようとするバタバタの中で意外とあっさり果たされる。
    この再会がべたべたウジウジしなくて心地よい。
    妹を治すという共通の目的をはさんで、確執のあった親子は次第にほぐれて行く。
    それと反比例するように栞の病状は悪化の一途をたどり、彼女を奇妙な行動へと駆り立てる。

    3人を結びつけるのは「かざぐるま作り」だ。
    不器用な薫が次第に腕を上げて、昔駅員がリズミカルにはさみを鳴らしたように
    小ぶりのトンカチでリズムをとりながら、1000個のかざぐるまを作ろうと励む。
    1000個のかざぐるまが海に向かって一斉に回るとき
    伝説の蜃気楼が現われて、1年中桜の花が舞う世界が見える。
    そうすればどんな願い事も叶うのだと言う。
    壊れて行く妹を、父と薫は守ろうと必死になるが・・・。

    土地の風習とはノスタルジーだけではない、何か人を救済する力を持っている。
    最後に3人のよりどころとなったのは、この切り捨てられようとする風習や伝説だった。

    栞が唄う「骨唄」が美しく哀しい。
    新妻聖子さん、繊細な演技とこの歌で冒頭から惹き込まれる。
    何と透明感あふれる人だろう。

    冨樫真さん、薫の骨太な感じ、父とのやり取りの可笑しさが
    哀しいのにどこか土着の力強さを感じさせて素晴らしい。
    メリハリのある演技が悲劇を予感させる舞台を明るくしている。

    高橋長英さん、こういう父親の愛情表現もあるのかと思わせる。
    ラスト、薫に向かって「俺より先に死ぬな」と言う時の温かさが心に沁みる。
    残された父と娘が絆を取り戻したことが、観ている私たちを少し安心させる。

    これが桟敷童子の舞台装置だそうだが、本当に素晴らしい。
    栞の死の瞬間、バックに現われた無数のかざぐるまが一斉に回る。
    死者を弔うかざぐるまが生きている者を救う瞬間だ。

    不変のキャストで再演を重ねる理由が判る気がする。
    このキャストで、また次を観てみたい。
    舞台も役者もかざぐるまも回る、私の頭の中で今も回り続けている。
  • 満足度★★★★

    蜃気楼がみえる
    初演を観てます。今回は再再演。会場が違うためか、歳月が過ぎたせいか今一つ物語に集中できなった。舞台美術、作品の時代背景はまさに桟敷童子ですよね。冨樫真さんは大好きな女優さんです。

    ネタバレBOX

    ラストの背景一面の風車のまわり方がイマイチだったのが残念。風を吹かせにくい構造なのかな?それと、この作品どうしても「焼肉ドラゴン」が脳裏をちらついてしまいます。多分、高い櫓・そこからのダイブ・桜の舞い散る景色。そんなところから自分の中で同一化されちゃうのかな?
  • 満足度★★★★

    日本的なアンビバレンツ感覚 − 我一塊の肉塊なり −
    再々演ということもあり、とても安定した素晴らしい舞台あったと思う。
    しかし、良い意味でも悪い意味でも、桟敷童子風味。
    この舞台を観て気に入った人で、桟敷童子を観たことがないのならば、観るとハマるんじゃないかな。桟敷童子の濃厚さに耐えられるのであれば。

    ネタバレBOX

    緊張感があり、すこしの笑いも交えながら、桟敷童子で作・演をしている東憲司さんの作品が展開される。

    舞台セット(美術)はもちろんのこと、音楽の雰囲気さえも桟敷童子風味だ。舞台の広さをうまく使い切っているなと思った。
    劇中歌われる歌は、桟敷童子のもりちえさん作曲。
    これを大勢の役者で歌ったら、モロ桟敷童子だったのかもしれない。

    ただし、ラストの風車の感じは、想定内すぎた(桟敷童子で観たなという…)。

    九州地方らしき方言、土着の独自文化(風土、風習)へ新しい(都会)文化の侵食、生と死、そして風車、ついでに九千坊と、桟敷童子でも使われたアイテムやテーマが揃っている。

    ただし、桟敷童子と異なるのは、桟敷童子が「幻想」との虚々実々の中を彷徨う物語であるのに対して、『骨歌』は「現実」である。
    栞の幻聴も幻視も病気のために引き起こされたものであり、そこが辛い現実となる(幻想の余地はあるにせよ)。

    栞は、育てているエミューに名前を付け、潰されるときには涙さえしたのにもかかわらず、病気で正気を失ったときには、自分たちの文化を食べ尽くす異文化の象徴としてエミューをひどく嫌悪する。これは、栞の深層心理にある本音ではなかろうか。

    このアンビバレンツな感覚は、日本人が新しい文化を取り入れてきたときに、絶えず感じてきたことではないか(たぶん)。
    西欧に限らず、他国から文化・文明が日本にやってきたとき、便利だ、凄いな、と思いつつも、自分たちのアイデンティティである今までの文化をないがしろにしてきたことや、地方の都会化による、土着の文化の喪失などだ。

    受け入れながらも、どこか嫌悪しているような感覚、それは、受け入れている自分たちへの嫌悪かもしれない。

    そのような揺らぐ精神であるという前に、自分たちが「生きて」いる「存在」している「1個の肉(体)」であるということを示唆するような、彫刻する骨と肉(体)との関係、繰り返し出てくるエミューの「肉」というキーワードで、死と生だけでなく、そういうことを想起させる脚本はさすがだ。

    そして、3人の役者はうまい。
    どの人も魅力的。
    ただし、姉の薫役の冨樫真さんは、そこまでオーバーに演技しなくても十分に良さは出たのではないかと思う。もちろん、ユーモラスなシーンへの布石であることはわかるのだが。
    この演技の演出は、桟敷童子の役者さんたちならば、ぴたりとはまったのかもしれないが、冨樫さんのようなタイプの役者には違ったのではないか、と観ながら感じた。

    劇中で流れる、戸川純の名曲『諦念プシガンガ』は、曲も歌詞も、この舞台の雰囲気にとてもマッチしていてうまい使い方だと思った。
    「我一塊の肉塊なり」なんて歌詞は、まさにこの物語のためにあるようだ。
    この曲のあるなしで、この舞台の印象は大きく変わったと思う。

    桟敷童子ファンなので★は少し甘いかもしれない。
  • 満足度

    うーん
    期待外れ

  • 満足度★★★

    白い骨
    演技も空気も美術も良い三人芝居。冨樫真は笑いもいける。

    ネタバレBOX

    栞(新妻聖子)が事故で左聴力をなくし、後遺症を患い、正気を失う。苦悩するも、父・源吾(高橋長英)や姉・薫(冨樫真)の愛を一身に受けて生き、そして散る…。

    エミュウやウサギに自分を重ね、それを救おうとし、また嫌悪する栞。一見、母の亡霊でも乗り移ったかのような振る舞いに困惑する父と姉は、一緒に千の風車を作ることで栞を救おうとする。
    偏屈だが誰よりも栞を守ろうとする父と、栞の怪我の罪悪感を抱え抵抗感のある父にも理解を示す姉の二人と共に、海の向こうに蜃気楼をみる。姉が戻る日、死んだ栞が白のワンピースで最高の笑顔をみせる。序盤の不穏な空気や土地の気色悪い風習の雰囲気が、終盤には吹き飛び清々しい舞台であった。

    栞の絶望感がもっと欲しかった。高橋も冨樫もいい存在感だった。

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