満足度★★★★★
無題390(12-133)
14:00の回(薄曇り 暑)。13:15会場着、受付していたのでお願いするとチケットに整理番号あり、入場は「整理券」を持っている方→チケットの整理番号、の順でした。舞台は前方に寄った和室。下手、タンスにはポットや雑誌類(「舞台美術手塚俊一の仕事」、「アサヒギャラリ」)、コピー用紙。正面、タンスと襖、上手には小さなデスク、PCや筆記用具。ポスター「夢の痕」「舞道行」、もうひとつの襖。畳に小さなコタツ(?)。正面を見ている限りでは、どこかの和室をそのまま持ってきたような造り、上を見ると照明。13:59前説(場内のアナウンス)、BGMは癒し系、14:05開演~15:58終演。雫..車の音、ひそひそ声、足音。、玄関が開く音..場内明るくなり上手より男が入ってきました。
47年前の「北高今昔物語」、高校3年生だった頃、集まってきた者、集まれなかった者、無言のフォークダンスを挟んで時間が溶けてゆくようでした。終演後、役者さんたちは階段でお見送り、ちょうど入り口すぐのところに永井さん、増田さん。3作目であり楽しませていただいた旨お伝えし階段を降りると増田さん。ごあいさつし、前作、前々作のDVDを購入。「1962-1966(赤盤)」を聴きながら駅へ向かったのでした。
満足度★★★★★
心に響く素敵な物語
旧友の葬式の夜に巻き起こる夢の出来事。それは美しくも苦い思い出だった。大人のためのファンタジーは私を透明な世界に誘ってくれました。
満足度★★★★★
しみじみです。
懐かしい。1965年は、生まれる前の年ですが、懐かしさを感じます。若い人には書けない本ですし、引き付けられる演技は絶賛です。こんなお芝居は是非、若い人に観てもらいたいし、両親にも観せてあげたいです。
満足度★★★★★
難易度
芝居屋の作品は、人々の日常を描き続ける。こう言うと「なあんだ」という声が聞こえてきそうである。日常生活なら芝居にする必要ないじゃん、という反応だ。芝居を見ることに非日常を求める観客は多かろう。無論、それはそれで一理ある。然し、だからこそ日常を舞台に掛けるとなれば、極めて高度な技術が必要なのだ。脚本の良さは勿論だが、舞台装置(大道具・小道具)、照明、音響、効果、リアリティー、くすぐりや笑い、深刻さ、それとなく引き込む非日常性、これら総てをトータルな視点で関係づけ、統一する演出、そしてその成果を具体化する俳優陣の演技。更に、演出は、役者相互の人間関係がちゃんと劇的に機能し良好であるように気を配らなければならない。
以上のことは、無論、悲劇や喜劇にも通じることではある。然し、日常的な生活を描きながら、誰の人生にも訪れ、而も、普段は殆ど意識されていないか、押さえつけられて意識されないような本質や人生の機微を表現することは、至難の業である。今回、芝居屋は、この至難の業を見事やってのけた。誰の胸にもある思春期の戸惑いや不器用、デリカシーと挫折、憧れと現実などを巧みな状況設定で見事に舞台化して見せた。心に届くメッセージを受け取れる公演である。