満足度★★★★★
見事な聖・俗の魅力の交錯
「十二夜って昔読んだ気がするけど、どんな話だったかなあ」
と思いながらも、予習もせず会場へ。
話が始まって、「あっ、あの話か!」とすぐ思い出しました。
年がばれるかもしれませんが、かなり昔、NHK教育の「大学講座」で、
今回の台本の翻訳者小田島雄志先生が
数ヶ月間熱弁を奮っておられたことも思い出して…。
あの番組で、私はシェイクスピアへの目が開かれたと言っても
過言ではありません。
それは余談ですが、始まってしばらくは、翻訳が固いように感じられて。
小田島先生は、英語原文で駄洒落が書かれているところは全て、
かなりこじつけでも日本語翻訳でも駄洒落にしたそうで、
その苦労たるや、と思いつつも、その駄洒落を現実に聴いてみると、
かなり苦しく感じられて・・・。
ところが、次第にそれが気にならなくなってきました。
要は、最初は役者も緊張していて、台詞回しがこなれていなかった模様。
それと、台詞回しのみならず、冒頭の場面など、
ちょっと良く分からないまま経過してしまったり、
(後で別人と分かったのだが)はじめにヴァイオラ(シザーリオ) を助けた
船長と、(あの)マルヴォーリオが同一人物に思えたり、で
(本当は船長と、最後の神父が、同じ役者さん)
こちらも混乱してしまったが、劇が進むにつれてグイグイ引き込まれた。
この話の最大の魅力は、シザーリオの実に切ない心情なのだが、
小暮さん、意外とさらっと台詞を言ってしまっている気もして、
「これで良いのかな」とも思ったが、観終わってみると、
変にべたつくより効果的だったかもしれない。
それと、もう1つの魅力は、言うまでもなく、悪党ども(笑)によるいたずらだが、
対マルヴォーリオ作戦が佳境に入ると、
中々秀逸の演技で、涙が出るほど笑わせてもらった。
こうした聖(純愛)と俗(悪ふざけ)との同居というか交錯が、
シェイクスピア劇の何よりの魅力だと思っているのだが、
これが上手く表現されていたため、
観終わった後も印象の強い芝居となったと思う。
ということで、欠点ももちろんある上演ながら、印象の強さで☆5つとします!
終演後、階段で小暮さんとすれ違ったので、「素敵でしたよ!」と
お声掛けしたら、思いのほか喜んで頂けました。。。。。。
自分の演技がどう観客受け止められているのかは、
分からないと思うので、良かった時は一言でも
お声掛けしたいと思っています。
満足度★★★★
期待を裏切ら…
良い意味で期待を裏切られました!シェイクスピア作品と言うことだけに注目していましたが、演技も演出も作り込んであり引き込まれとても楽しむことができました。
上手い下手がわかりやすい、シェイクスピア作品ですが、観劇後時間が経過した今でもおもしろかったと覚えているので、良くできていたと思います。
満足度★★★★
シェイクスピアと四つに組む
アラサーの女子二人が、シェイクスピアと四つに組んで、役者の身体性を試したいと言う。四つに組む覚悟や良し。それは言葉と身体性の演劇的結婚を目指すということか。だが、どうやらそういう具合に、分かったようなもの言いで、演劇を定式化している自分たちを、自分たち自身で茶化す、謂わばナンチャッテ精神のようなものをも併せ持つ様子である。かなりのレベルを期待できそうだと感じる。
結果的に、期待が裏切られることはなかった。小田島 雄志訳の特性をキチンと活かし、シェイクスピアと四つに組んだことによって舞台に深みが、増した。
それは単に貴族・紳士階級を主人公とし、位低き者たちを従とするような、単純な図式ではなく、何時、何処ででも主客転倒が可能な道化をもう一つの頂点として配置していることからも明かである。
その構造は、幕あき直後、道化の揺する小さな器具に合わせて舞台上の総ての人物が翻弄される有様のフラクタル構造に端的に予知されている。