白衛軍 The White Guard 公演情報 白衛軍 The White Guard」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
1-5件 / 5件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    ロシアの2月革命終了直後、ウクライナ・キーフを舞台とした白衛軍(第一次世界大戦時の三国協商で手を結んだドイツを
    後ろ盾とする旧ロシア帝国の軍人たち)、ボルシェビキ(レーニンをトップとして2月革命を成功させ、ロシア全土における
    ソビエト勢力の伸長を図る共産主義者)、ウクライナ人民共和国(シモン・ペトリューラを首班とするウクライナ民族主義者の
    軍団)の三つ巴を描いた大河作品だが

    実際のところはみんなして農民を中心とする庶民からの略奪、何のために行われるのか殺し合いの意義が分からない戦闘、
    移ろいやすくあやふやな人々の支持を後ろ盾にしているという3点で、ほとんど似たり寄ったりの3勢力で、そこがロシア語
    圏以外の鑑賞者の分かりにくさを増しているようにも思う。

    もちろん、そういうふうにみせているのは、こうした勢力からなるべく中立でいようとしたと公言している作者ブルガーコフ
    (白衛軍側の軍医として参戦していた)の意図だし、現にスターリンは本作を赤軍の偉大と白軍の没落として読み取って称賛
    していたといい、その意味で読みが重層的な作品だなと思う。

    日和見主義的な態度に終始するドイツ軍、大勢を見捨てて逃亡する上層部など、敢えて滑稽に皮肉めいて描いている部分も多々あり、
    笑いも多いので事前に配布している人物相関図、またはこの頃のウクライナやロシアに関するwikipediaあたりザラッと見とくだけで
    すっと入っていけるかと思われます!

    ネタバレBOX

    ウクライナ出身で母親もウクライナ人であるノーベル文学賞作家、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチに「戦争は女の顔を
    していない」「ボタン穴から見た戦争」という有名な聞き書き作品がある。

    これは第二次世界大戦を舞台にしているので、厳密には本作と直接関係ないのだが、ひとたび戦いが起こると「そこは大人の
    男たちの台頭する世界で、女や子供というのはただの添え物でしかない」という現実だけがある、という意味ではものすごく
    同じ状況だなと思った。

    一番象徴的なのは、トゥルビン家の長女イリーナと次男ニコライ。前者は男ばかりとなった家の中で紅一点となり(当然ながら
    戦場で女性が果たす役割はほぼ無い=存在しないようになる)、家の中のことを一手に引き受けつつ、男性たちからひたすら
    憧れと詩や歌を捧げられることとなり(おそらくだけどフェミニズム批評では、戦争という男性的なものにおいて、女性は
    ミューズ化されるという形で指摘されるのではないかとみられる)、

    後者については、ただただ無邪気にロシア帝国の偉大と戦場での活躍を信じていた少年だったはずが、長男の白衛軍大佐
    アレクセイの眼前での死、共和国軍を自ら射殺しまた負傷させられたことで、常に爆発音におびえ続けるPTSDで半分廃人
    状態となった「抜け殻」になってしまったことが、

    古今東西、ありとあらゆる歴史書や文学作品などで数限りなく描かれた戦争の姿をここでも描き出しているな、と。
    それはそれはビックリしてしまうほど忠実に。

    舞台はすでにいわれているように1F客席の半分を潰して、大掛かりな回転セットを仕込んでいるが、演出自体は
    オーソドックスなもので、それが逆に「冷たいリアリズム」を強調していたように思う。

    個人的には序盤の家のセットがせり出す前の不穏な脈動音(この作品、先に触れた爆音とともに直接的な残酷描写を
    避ける代わりに音の演出がだいぶ使われ、また効果を上げていた)と、氷が吹きつけて凍りついたように仕立てられた
    舞台両脇の柱が特に焼き付いています。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    ブルガーコフ作品だと気付いたので急遽予定を組み、足を運んだ(チケットも余裕で取れた)。
    劇場都合なのか・・新国立主催公演では久々の中劇場。財布と相談してついつい2階席を購入して残念な観劇になる事が実際多いのだが、今回は舞台は近く感じられ、役者の姿も声もしっかり入って来た。(劇場都合なのかどうか・・とふと疑問が湧いたのは、今作は小劇場が似つかわしく思えたので。)
    ロシア革命前夜のウクライナを、大ロシア帝国を主と仰ぐ白衛軍側の家族の目線で描いた作品。スターリン支配下のソ連で苦しい作家人生を送ったブルガーコフを伝記的に描いた、劇団印象の前作をおぼろに思い出しながら、劇としては面白く観た。ソ連に組み込まれる以前のウクライナとロシアの関係(地続きに隣接するヨーロッパの国々の事情は測りがたいものがある)や、闘う者たちが帰依する対象(何に殉ずるのか)は優れて相対的で、だからこそドラマを描くのだ、という作者の声が聴こえなくもない。
    古いロシアによる秩序を尊ぶ白衛軍はいずれ歴史から退場していく存在だが、農民らの支持を得ているペトルーシュカ軍の残虐さ、やがてロシア革命を推し進めたボルシェビキがその勢力にとって代わるがその実像を知るのはこれから、という時点でドラマは終わる。敗北の悲劇を経て、訪れた日常において人間が平和を享受する尊さを描きながらも、人間が腑抜けて行く予感を漂わせなくもない最後、人生の喜劇を滲ませる。
    装置、音響が優れ、演出の勝利にも思える。戦闘シーンの頻出する芝居だが、ある局面では舞台奥にある箱の中でかなりの衝撃が走る爆発音が鳴る。(銃の音もちゃちい火薬の鉄砲ではなく十分に衝撃音を出すものを使っている。)
    ほぼ邸の居間が舞台。ここの住まう紅一点のエレーナ、その兄である部隊長の大佐アレクセイ、彼を慕う弟のニコライをはじめ、(既婚だがやがて政治も絡んで夫に愛想をつかす)エレーナへの憧憬を語って憚らない男たち皆、軍服を身にまとうが、一家を慕って遠方からやってきた学生の従兄弟もまた、エレーナへの愛を語る一人となるが非軍人として観客の目線に近い位置を取る。冒頭から秀逸であったのは、ロシア人気質というものを恐らくは体現しようとした男らの言動。妙に人懐っこく、喧嘩っ早く、日本人感覚では甘えん坊と揶揄されかねない人物像をそれぞれ作っている。
    現代のウクライナ・ロシア戦争を「評価」する際においても感ずる事だが、あまりに無自覚な自己投影によって価値判断をしていないか・・。他国領土に侵攻したロシアの行為は許されるものではないが、許す許さないを超えて事態は動く。そこでは「違反者=絶対悪」という単純思考では物事の先行きは見通せない事実に直面させられる。ウクライナの西欧への接近は長い近隣の歴史の流れの中ではどう意味づけられるか・・100年前のウクライナの歴史という一つの点を、「他者(他国民)」理解の補助線を引くために活用し、文脈を見て行く態度を獲得していく事が肝要だ。「知る」という事は押しなべて人の人に対する「断罪」という愚かさを遠ざける側に機能するのだと思うし、そうありたい。「面白い!」とかみしめた味の中身は、そういう事であったかも。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    ロシア革命後の内戦期のウクライナ・キエフが舞台。時代は違うが、見ていると、コサックでウクライナ民族主義者の司令官ゲトマンが、ゼリンスキーに見える瞬間がいくつかある。ボリシェビキ軍(ロシア)に圧迫され(当面の敵は農民軍だが)、ドイツ軍(今なら西側諸国)を頼りにするところなど、今も変わらない。現代のゲトマンは逃げないけれど。

    主人公一家の長兄(白衛軍指揮官)が「俺たちは戦わないで、酒におぼれてばかりだ」という自嘲には、滅びゆく者のどうしようもなさを描いたチェーホフに通じるものがある。トウルビン家に集まる白衛軍の人々は、ウクライナのロシア貴族なので、階級的民族的に旧時代の存在なのである。「俺たちが戦うのは、ツアーのため。ウクライナのためじゃない」というセリフもあるし、中の一人は「ニコライ二世は生きている」というフェイク情報にすがる。ろくでなしばかりの白衛軍を(若者の一途さは純粋だが)、戯画化しつつ、哀惜をこめてえがいている。その「白鳥の歌」が切々と迫ってくる。

    これをソ連時代のモスクワでやった時、当然見て喜ぶのは旧貴族やインテリであって、労働者はそっぽを向いたということだ。批判的劇評ばかりだったらしいが、スターリンが気に入って上演できたとは、意外だ。スターリンは10数回もお忍びで見にきたとか。この登場人物たちの滅びゆく姿が、赤軍の力を裏返しの形で描いていると思ったらしい。それなら、そういう劇評を出すように指示してほしかったが。

    1場 戦闘前夜のトウルビン家 2場 ゲトマン司令部 3場民衆派のペトルーラ軍の残忍(負傷兵を足手纏いと射殺し、ユダヤ人は共産主義者だと追い出す) 4場白衛軍司令部(士官学校)5場トウルビン家(1場と同じ) 6場 同、2ケ月後(赤軍勝利の祝砲の中)
    元オペラ歌手の副官(上山竜治)の歌う声がいい。ふらっとやってきた従弟のラリオン(池岡亮介)の場違いな世間知らずぶりもよかった。
    終盤、エレーナ(前田亜季)が「情熱なんて駄目よ。情熱のせいで私たち沈みそうになったんだから」と、軽挙をいさめるのが教訓的。
    (アプトン版の戯曲翻訳は『悲劇喜劇』1月号掲載)

    ネタバレBOX

    ブルガーコフは池澤夏樹版世界文学全集で知った。「巨匠とマルガリータ」を読んだが、その中盤にある、精神病院の窓がノックされる場面を、加藤典洋が「ここでスターリンが電話してきたのだ」と解釈していて、びっくりした。この電話は実話で、ブルガーコフの数奇な人生の象徴的場面と言える。

    去年、鈴木アツトが「犬と独裁者」という芝居でブルガーコフを描いた。それに触発され、去年「トウルビン家の日々」(=「白衛軍」)の小説と戯曲を読んだ。まさかその時はこれを舞台で日本で見られるとは思わなかった。今回の舞台は期待していたものだし、予備知識があったので、大変面白かった。(私の感想の背景として書いておきます)
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    日本の観客には馴染みのない歴史で(ロシア革命がいつ頃のことかどのくらいの人が知っているだろうか、しかもウクライナが舞台)、いくつもの勢力がごちゃごちゃしていてわかりにくく、さらにロシア系の名前が覚えにくく、日本で上演するにはかなり難しい作品に挑戦したものだと思う。その意気は高く評価したいし、まあまあ面白かった。中劇場の設備の凄さにも驚かされた。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    ちょうど百年前のソ連(ロシア)の戯曲(大河戦争小説の劇化)による舞台だ。ロシア革命の時のウクライナのキエフ近郊が舞台になっているから時宜を得た企画ともいえるのだが、何せ百年前の話だから王党派などもでてきて、今も似たような権力構造はあるものの現代に引き寄せるのはムリというものだ。その代わり、この舞台には、演劇的スペクタクルがあって、そこが見どころだろう。
    演出は、ここからこの劇場の芸術監督の仕事になる上村聡史で、もともとこのように大劇場の舞台機構を使うのはうまいものだったから、このロシア内乱の戦争の最前線をうまく見せてくれる。スペクタクルというと、映画やテレビの映像の世界と重なって、もちろん演劇は圧倒的不利なのだが、観客に深い感動を呼ぶ劇場(演劇)的スペクタクルと技術はある(レミゼのフランス革命、いくつものミュージカルの名場面(キャッツの「メモリー」)歌舞伎の宙乗りなどなど)もので、新劇系では最先端の舞台機能を持つこの劇場に上村聡史が就任したのは、これからが楽しみである。
    今回は小手調べだろうが、始まって間もなく、舞台奥からフルセットのウクライナの将校の家の居間が劇場中央(前列10隻をつぶしている)にせり出してくるところなど、客席機構と連動しているからほかの劇場では出来ない技で(できなくはないだろうが、スペクタクルの効果が上がらない)、ここで演出家は、これは戦争ものだが、ホームドラマだよ、と言っている。
    一幕が2時間、二幕がほぼ1時間で長いが、複雑極まるロシア国内内乱の物語をスペクタクルとともに絵解きしてくれた。飽きないがさすがになじみのない世界で客の入りは半分というところだった。まぁいろいろ注文が山積しているこの劇場もこれからは大きく変わっていきそうだ。くれぐれも自分のことしかわからない官僚は口を出してこの劇場を舞台に何度も繰り返した税金の無駄使いしないように。

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