【延期公演開催】エアスイミング 公演情報 【延期公演開催】エアスイミング」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.6
1-7件 / 7件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    あっという間の四日間だった♪
    最初は難解な話だと思ったが(孤独と絶望の世界)に全く見えなかったから・・・♪
    内なる世界を見せ始めるといや~面白い・・・♪
    そして怖いくらいに深い闇・・・それを明るく表現しているから余計に怖い・・・♪
    ケセラセラが頭から離れない(笑)♪

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    なぜこの程度の事で「触法精神病施設」なる施設に幽閉されなければならないのか
    なぜ家族は娘がこの様な目にあっているのを長期にわたって容認しているのか
    それらの背景まで深掘りすれば、とてつもなく話は膨らんでいき、実際観終わった後には彼女達のキャラクターや台詞の端々から推測や憶測がいくらでも湧いてくる
    そういった意味で目にした以上の情報、問題提起に富んだ作品

    実際に舞台上で描かれるのは施設に収監された二人の女性(ペルセポネーとドーラ)の長期にわたる風呂場掃除タイムでの交流シーン
    収監歴ではペルセポネー(森下知香さん)より2年先輩となるドーラ(室田百恵さん)はきっと社会に出ていれば並みの男以上に社会貢献できそうな頼もしい女性
    お嬢様育ちで現状把握さえちゃんとできていないペルセポネー(天然が入っていてユーモラス)の良きアドバイザーであり良き話し相手
    一見楽しげな会話シーンの連続でありながら、この病院ではろくな治療行為も行われず閉じ込めっぱなしである事がハッキリ炙り出される光景でもある
    やがて二人が編み出した別の名前になって繰り広げられる現実とは別の世界
    そこにはもはや恋愛欲求や食欲など入り込まず、ひたすら“憧憬”に特化されていくようで何とも切なく、時には狂気が混ざり込んだ美しさで妖しく輝いて見える
    “相互依存”という状況は悪い意味で使われる事の方が多いけれど“相互依存”がなければきっとこの二人は廃人になっていたに違いない
    後半 気の遠くなる様な50年を経て、彼女達がどの様に変貌していったのかは必見
    お二人の女優魂を存分に味わい、その後の人生に思いを馳せ、前に述べた「実際観終わった後には彼女達のキャラクターや台詞の端々から推測や憶測がいくらでも湧いてくる」に繋がっていくのでした

    ネタバレBOX

    追記
    ラストシーンが目に焼き付いたのと同時にモヤモヤした気持ちがどうしても残っていて、ようやく後になって気付かされました。
    自分の幼少期、比較的近所に大きな精神病院があったみたいで、確かにそこはアンタッチャブルな存在として囁かれていた記憶があり、初めて「差別」という認識が知らず知らずのうちに生まれたのではなかったかと

    「異形」と映ってしまう人達を目の届かない場所に隔離し、存在ごと蓋をしてしまう事が如何に残酷な事か
    自分の身近にもあったかもしれない事であり、無意識にその様な考えが残っているとしたなら改めなければならないと強く思い知らされました

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    これは演じる側からするとかなり刺激的な戯曲なんだろう。最近、上演が多いのも納得というか。
    先日、G・W・パブストが1929年に撮ったドイツの無声映画『淪落の女の日記』を観たが、父の助手に誘惑されて妊娠した薬局の娘がヒロイン。親族会議の結果、無理矢理子供と引き離されて感化院に入れられるが、そこは虐待に近いことが行われている場所だったというもの。映画は仲間と感化院を脱走してからの展開の方が長いから、この舞台と内容は異なるけれど、男側の倫理規範が女性に押し付けられる社会を描いていて、結構重なるシーンがあるなあと思いながら観てました。

    ネタバレBOX

    ドリス・デイの名や曲が度々出てきて、この人が活躍するのは40年代に入ってからなのにとか、この曲は○○年だよなあとか、つい余計なことを考えてしまい、一幕は少々戸惑いつつ観ていたというのが正直なところ。その辺は二幕に入ってからの展開でようやく腑に落ちたのですが。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    いろいろと手を加えてサーヴィスしている。戯曲の判り辛い点にメスを入れて。森下知香さんの幼い笑みなんかにゾクッときた。背景の壁に埋め込まれたBOXが色とりどりに光ってそこからアイテムが現れるアイディアは面白い。現実の二人と虚構化した二人を背景含め世界丸ごと変えた方が良かったかも。ただのカツラの遣り取りになってしまった。

    ネタバレBOX

    演出とテキレジが的外れ。何か違和感が最後まで拭えなかった。この戯曲自体、自分は好きじゃないんだろう。ZASSOBUの公演で驚いたのは好きではない戯曲をここまで肉迫して伝える技術、その熟考された方法論。圧倒されてひれ伏した。枝葉末節ではなく幹がぶれていない。
    今回は全てが茫洋として核を掴めなかった。演出を第三者に託した方が良かったと思う。この戯曲は役者と演出家の狙いがかけ離れている方が成功する。役者の思惑とは別な部分に見所が発生するたぐい。

    居眠り客が多かったのは事実。何故か?それはよく解らなくてつまらないから。これは戯曲の問題で仕方のないことだが、そこと向き合う必要があった。演り手としての面白さと観客としての面白さの接点の工夫。

    ただこれは勿論自分個人の感想であって他の方々の意見を読むと全く違う評価になっている。自分はこの戯曲三度目ということもあり、斜めに観た部分もあるだろう。初見として観たならば全く違う感想になった可能性もある。判り易くしようと工夫している点は高評価。ただ実際の水を使わないのはかなり残念なポイント。『エアスイミング』と対になっているのに。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    1920年代 イギリス。女性が貞淑で従順であらねばならなかった時代。性規範や倫理を逸脱したとして精神異常の烙印を押され、収容施設に収監された女性の物語。
    この演目 最近よく上演されているようで、自分が知っているだけでも昨年秋から4公演目。本公演も含め そのうち3公演が下北沢で上演されており、たまたま5月の公演に出演していた女優も観に来ていた。途中休憩時に雑談したが、懐かしい と感慨深げのよう。

    原作がシャーロット・ジョーンズ、翻訳が小川公代女史、すべて同じであるから演出・演技等にその特徴が表れる。
    (上演時間2時間15分 途中休憩含む)

    ネタバレBOX

    舞台美術は中央にバスタブ、周りは上下で色が異なるタイル。水道蛇口・シンク、その傍らに箒やブラシ等の清掃道具が置かれている。客席の一部を この収容施設の階段に見立てている。蛇口やバケツ等が真新しくて照明が当たると輝いて見え ちょっと違和感。小綺麗でスタイリッシュといった感じ、先入観・偏見かもしれないが、もっと薄汚れ陰湿といった印象を持っていた。

    物語は1924年から約半世紀、精神異常者として「触法精神病院施設」に収監された女性2人 ベルセポネー(森下知香サン)とドーラ(室田百恵サン)の不撓不屈の精神が描かれている。上流階級育ちのペルセポネーは、妻帯者の男性と恋に落ち 妊娠して婚外子を産み、父親に施設に入れられてしまう。そして社会の性規範に囚われず、葉巻を吸い過度に男性(軍人)的にふるまったことを理由に2年前に収容されたドーラに出会う。この2人が 空想・想像力を交え、励まし合い、笑わせ合いながら 権力の象徴とも言える精神病院内で紡ぐ会話劇。

    精神異常者として身体の管理と拘束をする、その理不尽な対象を女性に絞って描いている。それは外国(イギリス)の しかも過去のことではなく、現代日本に通じる問題・課題でもあろう。当時における触法精神障碍者の実話を基に、現代を生きる女性の「痛み」「苦しみ」「患う」の声をすくい上げる。それゆえ 理不尽・不平等が生じている状況を打開、端的に言えば ジェンダー格差による不利益の克服といった意も込められている。
    2人の女性が励まし助け合いながら<生きようとする>その姿に心魂が揺さぶられる。孤独と絶望に押しつぶされそうになるが、わずか1日のうちのたったの1時間の清掃業務で…。「狂気」と隣り合わせ、現実逃避と自己肯定を行ったり来たり。そして女優のドリス・デイを引き合いに出しながら、夢と希望を語り<生きよう>とする姿は、どんな状況においても諦めないことを訴える。これは女性だけではなく、男性や最近ではLGBTQにおいても生きづらい世を少しずつでも変える運動へ、を連想させる。

    公演で興味を惹いたのは、社会的な観点と人間的な観点とでも言うのだろうか。ペルセポネーは妻帯者の男性と恋に落ち婚外子を産んだ。今でも不倫などのスキャンダルは世間から非難を浴びるし、興味本位で騒ぎ立てられる。社会的な観点からみれば精神病院へ収監するという問題、一方 不倫された妻の人としての感情(憤り)はどうか。端的な構図はペルセポネーの行為は同性への裏切りのようで…。この公演は、あくまで社会体制(規範)からの自由 解放という<声>のようだ。
    もう1つ。女性が貞操であらねばならない時代。今でも女らしさ男らしさ、そして<あらねばならない>という曖昧な固定観念に囚われる。しかし現代においても その不自由な観念を払拭したと言い切れるだろうか。ラスト、2人が踊るー演劇的に見れば、奈落の底から抜け出すように泳ぐーまさに自由に空を羽搏くエアスイミングだ。

    途中休憩を挟んで前半と後半とすれば、前半は少しテンポが緩く(ウィッグを付け、帽子を被り別人を演じるなど工夫をしているが)足踏みしているよう。毎日同じことの繰り返し、その淡々とした閉塞感が感じられるとよかった。前半 最後のバスタブを動かし夢見る場面は印象的。一転 後半はテンポが良くなり夫々が抱えた苦悩と人格崩壊が顕著になり情景・状況描写に迫力が増す。
    格子状の照明は施設の格子であり台詞にある風呂(タイル)磨き、また水滴の音?と水玉模様の回転照明によって孤絶やスイミングを夫々 連想させる。そして 地味な色彩の衣裳を着て、髪や身体的な老いを見せるが、ラストには希望が…。
    次回公演も楽しみにしております。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     演出をも担当の森下さん、共演の室田さんお二人が一所懸命に作品と格闘して練り上げた秀作、ベシミル! (追記7.7 17時11分)

    ネタバレBOX

     舞台美術は極めて洗練されたお洒落なもの。板が客席に”」“状に囲まれていることは周知の通りだが‟」”の対面の出捌けのある辺をAとし時計回りにB,C,DとするとA辺の手前に流し、流しの下にバケツ、その手前に塵箱、壁に沿って右側にはタオル、バスタオル、場面によって毛布等布製品が置かれた三段の棚、更に右側の壁手前には、デッキブラシ、箒、はたき、モップ等の清掃道具がキチンと収納され立て掛けてある。B辺の手前、C辺寄りの壁には茶系の色をしたベンチ(上蓋が開閉式になっており、場面によって小道具を出し入れできるようになっている)。板中央には船型の浴槽、当然その脇には蛇口が設けられており、湯水ケアの為のマットが敷かれている。また。C/D辺のコーナー。D/A辺のコーナーには丸い天板の木製椅子が一脚ずつ置かれている他、D辺の端客席の段には手摺の付いた階段があり、二人の収容者が一日のうち最も自由に行動できる掃除時間に掃除をする対象になっているエリアがある。因みに壁面の模様は下部に蒼穹を思わせるブルー、上部はタイル張りを模し空に浮かぶ自由自在に姿を変える雲を想起させる白。而も各升目は小道具の出し入れができるように開閉式になっており、出し入れの際には暖色系の色が付く。ここから取り出される小道具にはウィッグ、水泳に用いるゴーグルや帽子、シャボン玉を作る為の液体の入ったコップにストロー、ペルセポネーがドーラに贈ったプレゼントの撹拌機等の小道具が取り出され収納される。因みに下段の壁からも泳ぎの補助浮き輪に見立てたフラフープが出し入れできる細工が施されている念の入れようで、極めてセンスの良い、而も繊細で1924年当時の英国で実際にあった触法的精神病患者として収容された良家の子女であった被収容者の、現在の常識では考えられない半世紀に跨る理不尽極まる拘束という有様を可視化した。{実際の収容所は昏く陰湿であったであろうと想像される現実とは裏腹に異常とされた収容原因ペルセポネー(ポルフ)及びドーラ(ドルフ)のケースが描かれる。}ペルセポネーは妻帯者と恋に落ちて子を産み社会的不適合者としてこの収容施設に送り込まれた。ドーラは葉巻を嗜み、過度に男性的態度を取ったことが触法とされ今作の物語が始まる2年前の1922年から収容されている。因みにペルセポネーはドリス・デイの大ファン、ドーラは読書好きであり軍隊についても詳しい為、ペルセポネーの入所以来、先に入隊し階級も上の古参兵が後身に指導するという形で人間関係を形成してゆくが、触法精神病患者として収容される人々には女性が多かった。理由の一つに女性でありながら賢明であることなどが理由になった。このような歴史的背景を鑑み白いタイルの一部に触法的精神異常とされた人々の守護聖女・ディエンプナの肖像が飾られている。(今作で物語られた内容では、彼女は父にレイプされた結果子を孕み而も出産した子を実父に殺され自殺した女性であるとのこと。自分の記憶に間違いが無ければ10世紀頃に実在した人物であるという)
     ところで、自分はあらゆる芸術作品は解釈によってしか延命し得ないと考えている。今作の舞台美術も演出をも担当した森下 知香さんと共演の室田 百恵さんお二人の作品に係る長く真摯な討論を踏まえて“実際に精神を病んでいた訳でも無い二人の女性が上流社会で社会的恥と見做されていた価値観に抵触したというだけの理由で体面を守るという利害関係のみから娘を精神異常者と見做し収容施設に強制的に送り込んだ親や親族たちの「狂気」をこそ断罪した作品である”と人間として考え、作品の深い社会的闇(ジェンダー、宗教、習慣、世間体、常識及び精神異常というレッテル貼りによる強制排除の実態と被収容者達の拘禁故の様々な症状発生等々の被害者独自の精神的変異や、その時々での彼女らの内面を表象する重要アイテムの一つとして、このように実にキチンと整理整頓され、而も子供たちがウキウキして外で遊びだしたくなるような晴天と紺碧の海そこに浮かぶ白い雲をベースにしたような壁面の色彩。水辺に出、それこそ宇宙遊泳にも似た水泳感覚を、より宇宙遊泳に近いであろうエアスイミングで実現させていた、ペルセポネー、ドーラ二人に代表させた触法的精神異常者とされた多くの人々を文化的にもサポートする為に敢えてこのように明るく繊細で気持ちの晴れる美術にしたと解釈できるとする次第だ。
    脚本と一所懸命に格闘したればこその、この爽やかさが選ばれていようが、この爽やかさを壊さぬように而も社会そのものの異常性即ち「狂気」を炙り出すことに成功した二人の女優(演出も担当した森下 知香さんと室田 百恵さんお二人の演技も称えたい)も今作の魅力である。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2024/07/04 (木) 14:00

    座席1階

    精神障害者を隔離・幽閉しておくという時代の物語。実話を基に創作されたというが、現在も精神病院に閉じ込めておくという実態を見逃している医療・福祉行政の日本では、ある意味でリアリティあふれる戯曲だ。

    妻子ある男性と恋をして子どもを産んだ女性が、「社会的に不適合である」との理由で「触法精神病施設」に送り込まれる。ここで、軍人となって祖国のために戦いたいという願望を持って男として振る舞う女性と出会う。2人はバスルームの掃除を毎日1時間こなすのだが、監獄のような施設の中で一緒に作業し続けることによって、お互いを支え合うようになる。
    出演者はこの2人だけ。休憩を挟んで2時間を大きく超える長さで、これだけの台本を身に着けるのは至難の業だったと思われる。イロドリノハナ主宰の森下知香、演劇集団円の研究所にいたという室田百恵。ラストシーンに近いところで森下が思わず重要な言葉を言い間違えたが、そんなアクシデント補って余りある熱演だった。この2人の演技を見るだけでも、下北沢に行く価値はある。
    何十年も閉じ込められ、老いていく2人。こうした時間的な経緯をあらわす表現・演技も見事だった。2人の「妄想」は、死刑を言い渡されて長期間収容され釈放された袴田巌さんの拘禁症状を彷彿とさせる。終幕近くで明らかになる時間的経緯は、こうした人権侵害がつい最近まで英国で行われていたことを示唆する。「狂っている」「不道徳だ」と決め付けられ人生を奪われた2人が、いかようにして生き抜いてきたか。森下は「初めて読んだ時に強い感銘を受け、やってみたい、とひたすらこの戯曲と格闘してきた」とパンフレットで書いている。客席にいるわれわれも、そうした思いに共感して舞台を見つめることになる。秀作だ。

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