尺には尺を / 終わりよければすべてよし 公演情報 尺には尺を / 終わりよければすべてよし」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.1
1-9件 / 9件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    両作品を観て思うことは、この2作品を抱き合わせにした効果。それぞれ単独では意味をなしえなかった物語性が、相乗的に影響を及ぼしあっている。特に奇をてらった演出ではないが、組み合せの妙でテーマを付加することに成功しているのは、さすがの構成力と頷けた。
    とはいえ元々の脚本の力が、シェイクスピア作品の中では弱いのは事実であり、またそれを補うだけの力が必ずしも全出演者にあるわけではない、とも感じられるのだが、それを補って余りある演出であったと思う。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    新国立研修所公演で観ていた演目。とは気づかず、悪コンディションで20分遅れて辿り着いた後、寝落ちしながら観た。初見の向きには冒頭の「仕掛け」を見逃すと筋を追うのは厳しいだろう。朦朧として一幕を終え、休憩中「あらすじ」を検索、「あーあれか」と後半は面白く観た。
    研修所の上演はシェイクスピアの隠れた名作と思わせた。ウイーンの王が旅に出ると言ってその間の統治をある有能な臣下に委ね、自分は僧侶に扮して国内に留まる。王の「気まぐれ」により、治世が変り矛盾が極まるのだが、騒動を収めるために後半は僧侶(王)が奔走し、最後は己の地位と僧侶に扮していた事実を明らかにして事を収める。喜劇なのではあるが、ある意味で社会実験とも言え、法とは何か統治はどうあるべきかの問いがある。法は絶対ではなく人々のためにある、という当然の前提が転倒し、庶民に厳しい割に上層が治外法権のように守られてるかの局面を目にする現代、治世はかくありたいと願う心には響く。
    今作は喜劇性を追求し、手練れの役者を配して素に戻る系、客いじり系、熱烈演技系その他縦横無尽に美味しく場面を展開させる。(「ローゼンクランツとギルデンスターン」や「モジョ・ミキボー」での鵜山演出を想起。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    鑑賞日2023/11/18 (土) 18:00

    『尺には尺を』を観た。本作もシェイクスピア戯曲の中では初めて。93分(休み20分)60分。
     こちらもベッドトリックが出てくるというのでダブルビル上演となったらしいが、本作は納得できる要素がやや少ない。水戸黄門的と言うか、わざと解決を送らせている雰囲気が…。エンディングは問題を示唆するあたりは良い。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2023/11/18 (土) 13:00

    『終わりよければ…』を観劇。シェイクスピア戯曲の中でも初見。新国立の本気。83分(休み21分)79分。
     シェイクスピアをいっぱい観てるわけではない私だが、本戯曲は初めて。物語は分かりやすいが、バートラムがヘレナを嫌う理由がストンと落ちない。ベッドトリックもなんだかなぁの感じだが、まぁ一種のファンタジーか。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    「尺には尺を」を初めて観た。修道士の正体を明らかにするまで少々引っ張りすぎに思えたが、全体としてはW.S.らしい言葉の言い回しや登場人物それぞれの利己的さや滑稽さなど面白く、また意外に奥が深い。
    ソニンは凄い俳優になったものだと驚いた。朗々とした口調や良く映える演技力は舞台向きと思う。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    「尺には尺を」
    面白かった。「終わりよければ」よりも、大いに弾けた。大満足。なかでも貞淑な修道女見習のイザベラ(ソニン)が抜群だった。死刑判決を受けた兄(浦井健治)に「私が名誉を失うくらいなら、兄さん、潔く死んでください」ととんでもない宣告を平然とやるところがおかしい。ベッドトリックは「終わりよければ」と共通していて、この2作を交互上演する理由が分かった。
    女性たちがスケベな男たちにしっぺ返しをするという仕掛けも似ている。

    公爵代理のアンジェロ(岡本健一)が主役かと最初思ったら、そうではなかった。身を隠して、神父に化ける公爵ヴィンセンシオ(木下浩之)が中心。最終場面、「終わりよければ」同様に、こちらも最後の最後まで老神父の正体を明かさないで、大いにじらす。しかし、老神父が実は公爵だったと、はやがわりよろしく正体を明かすと、見事な大岡裁きで一件落着。これこそ「水戸黄門」の源流だと思った。ただ、アンジェロが厳格な政治をやるだろうとわかっていて、それを陰で傍観するというそもそもの公爵の作戦は、いただけない。

    典獄(立川三貴)の板挟みになりつつ寛大に行動する良心性、酔っぱらいの死刑囚バーナーダイン(吉村直)の庶民性も光った(ちらりとしか出ないけど)。チンピラのルーシオ(宮津侑生)の、遠慮ない公爵への悪口、黙れと言われても最後まで茶々を入れる道化ぶりもよい。女郎屋のおやじのボンビー(小長谷勝彦)のダジャレと身振りを駆使したギャグ尽くしも見事だった

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    「終わりよければすべてよし」
    死んだ父伯爵の喪から、ヘレナ(中嶋朋子)のフランス王の治療、バートラム(浦井健治)への求婚まではヘレナの目論見通り。ところがバートラムは、断固ヘレナを拒み、イタリアの戦場へ。そこでヘレナもイタリアへ巡礼者に身をやつして、なんとしてもバートラムをわがものにしようと…。と、ここまでは台本通りという感じで気分がのらない。

    ところが、最後にきて、がぜん面白かった。ヘレナは死んだと思われているから、バートラムは王の勘気も解け、ラフュー公の娘と婚約…と、明後日の方から始まって、二つの指輪がカギになって、バートラムの甘い夢はもろくも崩れていく。その慌てぶりやごまかそうとしての右往左往が面白い。ダイアナ(ソニン)が「あの男は私にと結婚の約束をした」とバートラムの不実を責めるが、これは序の口で、切り札のヘレナがなかなか現れない。観客をじらしにじらす。最後の場は簡単に種明かしして終わり、と思っていたら、さにあらず。最後の場だけで30分か40分とたっぷりある。ここは「演劇的アイロニー」が存分に味わえるところだ。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    「終わりよければすべてよし」
    セリフがややゆっくり読み上げられ、仕草含めて古風な演技の印象。バートラムを演じる涌井氏があまり悪者に見えず少々違和感が残る。ペローレス役の亀田氏が巧い。
    シェイクスピアの喜劇ではああいう後説?がしばしば入りますね。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    「尺には尺を」を観劇 90分+20分休+60分

    昔「歌わないソニンさんは魅力半減」と書いたことがある。あれから3年半、私も成長したのだろう「歌わないソニンも最高!」と180度転換した感想をもったのである。

    うん?そうか?いや違う、彼女は歌っているのだ!ナチュラル・コーラスな声の音色、ナチュラル・リバーブな音量と音程の微妙な変化、そして緩急の変化、そうこれは言葉ではなく歌なのだ。他の出演者は現代口語的なセリフ回しであるのに対して彼女だけは芝居的な、芝居がかった、芝居じみた演出となっている(かなり興奮して盛ってますw)。体幹のしっかりした美しい身のこなしも相まって彼女の演劇の今を存分に楽しむことができる。最後の「え?なにこれ!おかしくない?」という表情がたまらない。

    後方に空席があるのが残念だが、納得のスタンディングオベーション。

    岡本健一さんとソニンさんが大活躍するのに対して浦井健治さんと中嶋朋子さんは出番も少なくオーラを消しているのがずっと不思議だったのだが、そうか同一俳優陣2作品交互公演とはそういうことか、明日はまったく逆になるのだと今悟った。両作で主演はさすがに無理だろう。これだけ観て「浦井健治オワタ」とかいわれるリスクもあるなあ。そうだ最初の出演者の怪我のため急遽登板となった宮津侑生さん、今日は思いっきり目立たねばならない番であったのだが普通に良い演技だった。明日は少しは楽ができるのだろう。良かった良かった。

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