実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2023/10/17 (火)
知らなかったことを演劇で知ることが出来る。
というより、いつの時代も…と思いながらも、だから今、こうしていかねばと思うのであって…。
古川健さんならではの視点を感じ、楽しみました。
実演鑑賞
満足度★★★★
久々の古川健戯曲の舞台鑑賞。やはり歴史物(とりわけ戦争責任にまつわる)をやらせると右に出る者無しではないか。戦時中実在した通信社のの「戦争」と共に歩んだ軌跡を、ジャーナリズム精神の視点から批評的に描いた力作。
登場人物中、海外からの情報を参照する語学力と現状分析力に長けた加藤という人物が、彼の提供した情報にも関わらずこれを無視したとしか思えない戦争続行の決断または停戦交渉を怠った不作為への批判を可能にする。「知りえた情報」を前に、それをどう受け止め、これ以上の犠牲を出さないための判断ができるか・・厳しくこれを問わなかった陸海軍を悪しき先例とするなら、科学的精神の発露を尊重し、知に対する畏敬を育むことがこれに応える一つと言えそうだが、学術会議や大学改革などを見る限り現状はそれに逆行する。
損得利害を離れた領域が、今や聖域と化しつつあるようで・・知に謙虚に問うてみる科学的態度の大きな後退が
見られた例が、東電による「処理水」海洋放水を巡る反応であった。
大手メディアさえ政府・東電の説明に疑問も挟まず看過した。日本は十分に戦前化しており、その事にあまりに無自覚である。
実演鑑賞
満足度★★★★
日本の戦争の過ちを、いくつもの戯曲に書いてきた古川健の新作。いわば戦争については専門家なので、史実に裏付けられたドラマは非常に安定した出来である。対米交渉は成功の眼があったのか?南部仏印進駐をやめればまだ交渉はいくらでも可能だったが……というくだりなど、「帰還不能点」を思い出す。
今回は同盟通信社の「戦時調査室」という史実を提示してくれた。戦争に懐疑的な記者たちの隔離部屋だったが、終戦工作のための情報収集集をやり、終戦の決定にも貢献したと。
松本重治、加藤万寿男の実在したジャーナリストを配しつつ、「国のための宣伝」ではなく「客観事実の報道」をすべきだと悩む若手記者の葛藤が、一見すると書生論だが、しかし否定できない議論として訴えるものがある。
実演鑑賞
満足度★★★★★
昨年夏には、第二次大戦下の日本の戦争を舞台にした6作を集中再演して好評だったチョコレートケーキの作者・古川健の新作。昭和12年に国策通信社として戦時下で戦勝協力した同盟通信社で働いた人々の群像劇である。
私より一歳若い同盟通信はわずか十年でその役目を終えて舞台から退場するが、戦時の外国との情報関係を、担わされた悲喜劇的存在でもあった。
戦後80年にもなれば、この当時のいきさつはよく知られていて、この舞台で新たに知った情報は今となってはない。しかし、現在、世の中がきな臭くなり、それに引き換え国の舵を取るべき政治家も官僚もなすすべはなく、国民は無関心を装って個人のスキャンダルにうつつを抜かさざるを得ないという、往事(国際関係はまるで音痴、国内では阿部定、似たようなことが世間の話題である)と同じことを繰り返しているのを見ると、この芝居を今見る値打ちはある。役者が、人間として事件に対面する再現の迫力は強い。
舞台は2時間10分だが、同盟通信社に禄を食むべくそこで登場する社員たちの創立から解散までの足跡が実に要領よく、要点を外さず、情に溺れることなく、描かれている。俳優たちの役割はほとんど史実再現の台詞役ではあるが、見ていると、東洋の島国が人材も乏しく、追い詰められていく身を切られるような現実が惻々と迫ってくる。同時代を数百万人の犠牲者にならずに生き延びた者にとってはつらい芝居である。批評は止めて、観客席を見ると、ほぼ130人ほどの劇場は7割は70才以上の主に男性客。しかし、それに混じって二、三十人の二十才代の若い観客もいる。考えれば作者も明らかに戦後生まれである。もう同時代感覚で一夜芝居を書き切れる劇作家はいなくなった。
それが、演劇と歴史の運命ではあるが、それでも、この国の変わらぬ事実は、俳優の肉体を借りて実感として知っておいた方が良い。
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2023/10/16 (月) 14:00
座席1階
劇団チョコレートケーキの古川健の書き下ろし。歴史的なトピックを丁寧に取材して構築する古川らしい脚本だった。演じる青年座との相性はぴったりの舞台だった。
同盟通信とは、戦前から戦時中にかけて新聞などにニュースを配信する通信社を国策で一つに統合した会社だ。戦後、共同通信と時事通信に分かれ、今に至る。政府の報道統制に巻き込まれたとはいえ、大本営発表を垂れ流して国民を戦争に駆り立てたという点では、当時の新聞社やラジオ局と同じ十字架を背負っている。だが、自分から見て同盟通信の罪がより重いのは、世界のメディアの打電情報をキャッチし大本営発表がウソまみれになっている事実を具体的につかみながらそれを国民に伝えなかった点にある。今作で、古川はこの点に鋭く切り込んでいく。
政府に統合させられ、社内に軍部や外務省が乗り込んでくるのを許した時点で、この会社は既にジャーナリズムとは言えない。古川は、それでも報道人・ジャーナリストであり続けたいと抵抗した若い記者を主人公に据えることで、報道の自由の重要性を浮き彫りにしている。
劇中の人間ドラマが面白い。外国通信の情報を通訳・翻訳する女性で、夫が米国人だったりしてアメリカと関係の深い二人が登場するが、片方は入社時に日本国籍に転向し、片方は米国籍のままという設定が妙である。また、自分の身を守るために本当の事実を伝えなくても仕方がないのだと折り合いを付ける上司もいたり、立場や考え方が異なる記者たちの会話劇によって、現場の苦悩が鮮やかに描き出した。
ジャーナリズムとは、政府など権力におもねらず、粘り強い取材で権力側が隠蔽している真実を掘り起こし、警鐘を鳴らすという仕事だ。政府が誤った方向に向かっている時に「番犬」のように吠えるという役割である。日本のジャーナリズムは、戦時の反省や教訓を毎日の仕事に生かしているのか。情報の受け手もきちんと見極めなければならない。
実演鑑賞
上演時間は、約2時間10分(途中休憩無)。
事実と真実との違い、記者の心得などにも言及しながら、
報道とは何か報道には何ができるのかを問いかけている力作。